ビッグビジネス
それからの数日、俺はろくに仕事もせずに、ニューオーダーへ行ったり行かなかったりと、かなりふらふらした日々を送っていた。キャバクラには毎日行ってたけど。
ところがある夜、ニューオーダーへ顔を出すと、なにやら異様な気配に包まれているのに出くわした。キラーズ・オーケストラだけでなく、他の組合員たちも、それぞれのテーブルでなにやら議論をしているふうであった。
三郎はいないから、俺は一人でテーブルについた。
ナッツを齧りつつ周囲の会話に耳をすましてみたものの、いまいち言葉が拾えない。ただ、なにかが起きているのは確実だった。
「ここ、空いてる?」
「どうぞ」
ペギーだ。
今日は一人らしい。こんな美人が俺とテーブルを囲むなんて、ありえない話だが……。いや、でも実際そうなってるんだから仕方がない。現実を受け入れるよ俺は。
椅子をひき、そこに尻を乗せる動作さえ目をひきつける。
だが一つだけ残念なのは、彼女のグラスから、異様な臭気がただよっていたことだ。この湿布のようなにおい――まさかルートビアか。
こんなゲテモノを頼む女が実際にいようとは。
彼女はナッツを一つ齧り、そっとグラスに口をつけた。
アルコールは入っていない。まあ酒飲んでバイクなんか乗ったら警察にパクられちまうからな。ライダースーツなのに、バイクに乗ってないってことはないだろう。
「なんか様子が変だけど、なにかあったの?」
俺が世間話がてら尋ねると、彼女は切れ長の目をこちらへ向け、苦い笑みを浮かべた。
「知らないの? ナンバーズが機構の本部を襲撃したんだよ。それで機構から、ナンバーズへの報復依頼が来てる」
なにやってんだ、ナンバーズは。ヤクザじゃあるまいし。
あのナインという男、そこまで好戦的には見えなかったのに。あるいはほかに好戦的なお友達でもいるのか。
いや、気になる点はもう一つある。
この女、ルーキーのフリして業界の事情にやたら詳しい。
「ペギー、機構がどんな組織か知ってるの?」
「依頼書に書いてあったことをそのまま言っただけだよ」
なるほど。
彼女はグラスを置くと、まっすぐにこちらを見つめてきた。
「ねえ、一緒にやらない?」
「えっ?」
「機構の仕事。報酬よさそうだし。どう?」
こんなヤバい仕事でなければ、土下座してでも一緒にやりたい。だが相手はナンバーズだ。死ににいくようなものだろう。この女、やはりトーシロなのか。
「いやー、でもナンバーズでしょ? 危ないと思うな」
「でも私たちは、機構のサポートをすればいいみたいだよ。主力は機構が叩くって。一人あたり五十万出すみたい」
「五十万か……」
額はまあまあだ。ただのサポートでいいなら、遠くから撃ってるフリだけして帰ってもいい。
ペギーは身を乗り出し、少女のように目を輝かせていた。このままじゃ押し切られそうだ。
俺は背もたれに身を預けて距離をとり、店内を見回した。
「そういえば、君のツレは? 一緒にやらないの?」
「エイブのこと? さあ、最近連絡ないし、なにしてるんだか」
「パートナーじゃないの?」
この問いに、彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「なんの?」
「え、いや、ビジネスパートナーというか……」
「まあ、そうだね。ビジネスパートナーではあるかな。でもあくまで、ビジネス上の付き合いだけ」
「ふ、ふーん……」
クールをよそおってなんとか先輩風を吹かそうと思ったが、そろそろムリだ。ボロが出る。こんなクソヤバい仕事、二秒で突っぱねたいのに、美女に押されて受けてしまいそうだ。
この業界、状況を見誤ったバカは死ぬ。そしていま、俺はそのバカをやらかそうとしている。
六原三郎、早く来てくれ。そしていつものようにネットで拾った周回遅れの話を聞かせてくれ。俺はもう限界だ。
だが俺の希望を打ち砕くように、三郎でないほうの六原が来た。ナインも一緒だ。
全員ではないが、この二人をナンバーズだと知っている組合員は、ぎょっとした目を向けてきた。
「なるほど、機構はそういう作戦で来たか。三郎くんの女性の趣味はアレだからな。落とすなら山野くんのほうが簡単だろう」
ナインがそう告げると、ペギーではなく、一子から反論が出た。
「サブちゃんの悪口……やめて……」
「いや失礼。まあ掛けたまえ。立ったままでは落ち着いて話もできない」
いやいやいや、なに勝手に席を勧めてるんだ。まずは俺の許可をだな……。
ペギーがふっと笑った。
「言いがかりだよ、ナンバーズ・ナイン。私は純粋にルーキーとしてここにいるんだ」
「君ほどの人間が、山野くんのような……いまいちパッとしない組合員に協力を求めるのか? あまりにも不自然じゃないか?」
言葉を選んだつもりかもしれないが、じゅうぶん失礼だからな。
ペギーは肩をすくめた。
「一緒に仕事したいだけだよ。それとも、彼と仕事をするのにナンバーズの許可がいるの?」
「彼は俺の顧客なんだ。手を出さないで欲しい」
勝手なことを言っている。一回仕事をしたくらいで。
つーかモテモテだな、俺。なんなんだ。なにかに利用されようとしているのか。まあ事情を知らないやつより、知ってるやつを使ったほうが楽なのは分かるが。
ナインは手で追っ払うような仕草を見せた。
「これから彼とビジネスの話をするんだ。君は席を外してくれないか」
あとから入ってきてずいぶんな態度だ。
まあ俺もペギーの仕事は受けたくないから、あえて静観することにしよう。ナンバーズと戦うなんて正気じゃない。
するとペギー、ニッと健康的な笑みを見せた。
「そう邪険にしないで。ビジネスの話なら、私にも聞かせてよ。受けられるかもしれない」
「ありえない話だな。機構とナンバーズは戦闘状態に入ったんだ。この仕事に君を参加させることはできない」
話の流れで理解してはいたけど、つまりペギーは機構の人間ってことだよな。どうりで行動が怪しいと思った。
ペギーはしかし席を立たない。最高にキュートなスマイルを浮かべたまま、次の展開を待っている。
ナインはあきらめたらしく、小さく息を吐いた。
「山野くん、ナンバーズが機構の本部を襲撃したのは知ってるか? この襲撃を起こした連中ってのは、うちでも特に過激な連中でね……。俺の制止も聞かず、一方的に行動を開始してしまったんだ」
「仲間割れですか?」
「正直、それに近い状態だ。しかも厄介なことに、機構から妖精文書をとってきてしまって……。ああ、妖精文書というのは、神を復活させるための要件の一つでね。今回の騒動の火種といっていい」
「へえ」
とにかく、そいつがヤバいブツだということは理解した。ナンバーズが一枚岩じゃないということも。
ナインは盛大に溜め息をついた。
「俺としては機構に返却したいんだが……。それを持ってる連中が、どうしてもこの提案に納得しなくてな」
「それ、いまここで喋って大丈夫なんですか?」
ペギーが機構の人間なら、すべての情報が流れることになる。
ナインは肩をすくめた。
「どうせ全部知られてる。機構のインテリジェンス部門は、どこかの組織と違って優秀だからな」
「それはそれは」
「だが機構も機構だ。この状況を知っていて、ナンバーズそのものを攻撃しようとしている。今回の件を口実に、俺たちを弱体化させようって魂胆だ。そこで君には、俺たちのやる和解交渉に協力してもらいたい」
「えっ?」
和解交渉だと?
ロクに事情も把握していない俺が、なにをするって?
ナインは、しかし冗談を言っているふうではなかった。
「いいか、ハッキリ言うぞ。ナンバーズはいま、消滅の危機を迎えている。穏健派、中立派、過激派に分裂していて、この困難を乗り切るだけの力もない。かといって人望もないから、依頼を出したところで誰も受けてはくれまい。検非違使に頭をさげれば協力してくれるかもしれないが、連中に借りを作ると法外な利息がつく。そこで、友人たる君に力を貸して欲しいというわけだ」
「……」
いつの間に友人になったんだ。
彼は演技じみた様子で、こう続けた。
「もちろん三郎くんの力も借りたい。だが残念なことに、彼はあまり俺たちに協力的とは言えないからね。君から説得してくれると助かるんだが」
「はあ、それは構いませんが」
本命はそっちか。
いやまあ、目的がハッキリするのはいい。動きやすくなる。
すると俺が返事をするより先に、ペギーが応じた。
「猫の手も借りたいってことね。いいよ。私は乗った」
これにナインは眉をひそめた。
「いや、君は必要ない。というより、もう帰ってくれないか。敵のスパイを仲間に入れるつもりはない」
「スパイだなんて人聞きが悪い。いまの私はただの組合員。契約が成立したら、その仕事に真剣に取り組むよ」
「信用できないね」
「べつに機構を抜けたとは言わないよ。けど、ここでの私はプライヴェートなの。機構は関係ない。もし現場で不審な動きをしたら、容赦なく殺してくれてもいいから。それでもダメ?」
過激な提案だな。
ナインは返事をしなかったが、どうにも信用していない様子だ。
するといままで虚空を見つめていた一子が、ハッと我に返り、犬歯の間から黒い障気を吐いた。
「もしやこのメス……サブちゃんの子種を狙ってるんじゃ……」
ほかに言い方があるだろ。
ペギーも苦い笑みだ。
「まさか。彼は私のことなんて眼中にないよ。私も踏み込むつもりはないし」
「そう……ならいい……わ……」
一子は途端に穏やかな表情を見せた。
彼女にとっては、敵のスパイかどうかより、弟の貞操を狙っているかどうかのほうが重要ってことか。
いや、そんなことはどうでもいい。俺はテーブルにビールグラスを置き、ナインに尋ねた。
「で、実際、交渉ってのはなにをするんです? それは手ぶらで参加しても、生きて帰れるような仕事なんですか?」
ナインはピスタチオの殻を割りつつ、ふっと笑った。
「そんな楽な仕事なわけないだろう。機構が仕掛けてくる前に、俺たちで妖精文書を奪還し、機構に返却するんだ」
「はっ? それってつまり、ナンバーズの過激派を襲撃するってことですか?」
「襲撃じゃない。交渉だ」
いやいや、命がけの交渉ってのは、なかば襲撃だろう。
ナインはピスタチオを口に放った。
「いいか。時間がない。三郎くんには君から伝えておきたまえ。準備が整い次第始める。報酬は前金で二百出す。成功したらさらに二百だ」
「……」
どうでもいいが、みんな断りもなく俺のナッツを食い過ぎだろ。せめて一言ないのか。俺そういうのうるさいぞ。
最後の一粒を食った一子が「肉……」とつぶやきながら席を立った。また調理前のチキンをもらってくる気か。こいつらホント、モラルってもんが……。
ペギーが少女のように笑いかけてきた。
「ビッグビジネスね、忙しくなりそう」
「う、うん……」
彼女、本当に参加する気なのか?
成功すれば計四百万。さすがに数字がデカすぎる。
額がいいからって素直に喜ぶのはトーシロだ。報酬が高いってことは、つまりは死にやすいってことだ。死体になってしまったら、一円だって意味がない。
できれば断りたい。
しかし断れる雰囲気じゃない。隙を見てなんとかバックレるか……。
(続く)