殺戮の広場 三
太陽から地球へ注がれるエネルギーの総量は莫大である。ただでさえ湖や川を干上がらせる力を持つのだ。仮に狭い範囲に限定しても、虫眼鏡で集めれば火を起こす。それらすべてを受け止めるシールドがあるのだとしたら、人知を超えた強固さが必要となるだろう。
妖精たちの作っている「屋根」は、つまりは、そういうものなのだ。
ミサイルは計四発撃ち込まれたが、妖精たちの屋根をノックし、セントラル・クレイドル周辺の窓ガラスを叩き割っただけで終わった。アメリカは核ミサイルの発射も検討したらしいが、さすがに日本政府が止めたらしい。
屋根が増築されるたび闇の濃さも増した。まだ昼過ぎだというのに辺りは薄暗い。もしかすると俺たちは、本当に太陽を奪われてしまうのかもしれない。
この車両には、ペギー、ナイン、三角、アベトモコ、スジャータといった面々がいた。一部を除き、会話の通じる相手だ。
「ペギー、やっぱりさっきの作戦で行こう」
「……」
この提案に、彼女はもはや返事さえしてくれなくなった。またその話かと言わんばかりに、うんざり顔でそっぽを向いてしまった。
代わりにナインが肩をすくめた。
「エーテルで君の能力を強化し、敵の真ん中に放り込む作戦か。外部からの攻撃が通じない以上、内部から叩くしかないというのは理解できる。実際、それは有効かもしれないな」
するとペギーが睨むような目になった。
「その話はやめて。絶対に手伝わないから」
仲間を失うのはつらい。それは分かる。だがまだ死ぬと決まったわけじゃない。いける可能性もある。
三角も無表情でうなずいた。
「では私が手伝いましょう。まだエーテルは出せますから」
その鼻先へ、ペギーがグロックを突きつけた。
「プシケ、それ以上言ったら殺すよ」
残弾はない。だから脅しだ。とはいえ、人に銃口を向けるのは、少なくともマナーのいい行為とは言えない。
三角は顔をしかめもしなかった。
「あなたと私、ふたりで協力すれば、山野さんの能力もかなり強化されるのでは?」
「いい? そんな作戦、そもそも誰もやらないの。だから協力するとかしないとか、そういうこともないの」
「このままでは人間たちの文明は滅びますよ? まあ、私にとってはむしろ好都合ですが」
妖精たちは人類を殲滅したいんだったな。実際、そこまで大仰な話でもないらしいが。
ペギーは俺の肩を拳で叩いた。
「山野さんからも言いなよ。やらないって。私たち、お金のために働いてるんでしょ? なのに、そんなことしても意味がないよ」
泣くのを堪える少女のような顔になっている。
なにもそこまで……。
そういえば幼いころの妹が、たまにこんな顔をしていた気がする。俺が悪いことをしたときに。もしかしてペギー、俺に兄の姿を重ね合わせているのだろうか。いやペギーの兄はかなりのワルだったはず。俺とは違う。こっちはせいぜい小悪党ってところだ。
俺はつい溜め息をついた。
「べつに世界を守りたいとか、機構のカタキを討ちたいとか、そういう正義感に目覚めたわけじゃない。ただ、俺はずっと思ってたんだ。こんな微妙な生き方してたら、ひとつもカッチョいい活躍をしないうちに死ぬんだろうって」
「は?」
「ガキのころは警察にあこがれて、鉄砲で悪いヤツを倒すんだって思ってたよ。それが大人になってみれば、やってることは犯罪そのものだ。その犯罪で金をもらって、ビールを飲んで生きてる。ひとつもカッチョよくない。そんな俺の目の前に、いきなり逆転満塁ホームランのチャンスが転がってきたんだ。俺はこいつに賭けたい。いろんなことから逃げ続けて来たけど、ここで逃げたら本当になにもなくなる」
それが本心なのかは、我ながら自信がない。
しかし多少なりともヒロイックな気分でなければ、無邪気に銃をぶっ放して金を稼いだりはできないだろう。ここで退けば確実に後悔する。俺の人生は、すべてにおいて中途半端だった。このままズルズル生き延びて、シルバーイーグルみたいになりたくない。
ペギーは下唇を噛んでいた。
「本当にバカなの?」
「そう、バカなんだ。理屈じゃない。こいつは気分の問題だ。それに、死にに行くわけじゃない。ヒーローになって帰ってくる可能性もある」
「信じられない……。もう勝手にして。もし戻ってこなかったら絶交だから」
「まあまあ、なんか行ける気がするんだよね」
行ける気がすることは、じつはよくある。問題は、実際に行けたことが過去に一度もないということだ。
なかばヤケになっていることは否定しない。単に命がけの博打を打つことで、自分の中の総決算をしたかっただけなのかもしれない。
しかしいいじゃないか。俺の自己満足が、世界の利害と一致するんだから。俺がビールを飲んで酒屋が儲かるのと同じ理屈だ。これ以上に崇高なことがあるのか?
*
エリア手前で降車した。
世界は一段と暗くなっている。普通の夜って感じじゃない。もっと異質な、不安をおぼえるような紫紺の薄闇だ。
じきに東京は屋根に覆われる。世界中がこうなるのも時間の問題だろう。
べつに俺は太陽が好きってわけじゃない。夏場に俺を殺そうとしている太陽を見ると、消え失せろとさえ思う。が、実際に消え失せたらやはり死ぬのは俺のほうだ。それに、日の高いうちから飲むビールは最高だ。まあ夜中に飲んでも最高だけど。なんにせよ、太陽がないと俺も困るわけである。
ペギーと三角が並んで俺の前に立ち、まっすぐこちらへ両手を伸ばした。
三角はいつもの無表情だが、ペギーは眉に力が入っていた。
不服なのは分かる。しかしほかに方法がない。フルスペックの軍隊が地上から侵攻すればなんとかなるのかもしれないが、いまからでは遅すぎる。そもそもそんな準備もしていないようだしな。ミサイルでカタがつくはずだったのだ。
内蔵がぞわぞわする気配があった。
まずは三角の手からエーテルが放出され、続いてペギーの手からも出た。三角のは硬質な一定の出力だったのに対し、ペギーのは少し震えていた。感情がダイレクトに出ている。
エーテルを注ぎ込まれた俺は、まるでタンクに燃料の満ちるがごとく、体中に力のみなぎるのを感じた。
なんというか、力の厚みが違う。
これに比べると、いままでの俺は空っぽだったとしか言いようがない。筋肉が三倍に膨れあがったような、かつてない安定感だ。信じられないほど力が充実している。
ペギーは少しふらついたが、すぐに体勢を立て直してエーテルを撃ち込んできた。その出力は次第に高まっている。というより、ヤケクソ気味だ。
三角が放出を止め、手で制した。
「もういいでしょう。これ以上やってワーム化されても困りますから」
怖いことを言う。
三角と違い、力を使ったペギーは立っているのがやっとだった。かなり消耗しているらしい。
俺はP226を抜き、ペギーに押し付けた。銃口をではなく、グリップのほうを向けて。
「邪魔になるから、ちょっと持っててくれないか」
彼女はギロリと目を向けてきた。
「形見のつもり?」
「違う。混戦でなくしたくないだけだ。こいつは俺の愛銃なんだから。あとで取りに戻るから、絶対になくさないように」
「取りに来なかったら捨てるから」
「またまたぁ。俺はこのあと英雄として帰還して、総理大臣から表彰される予定なんだから。キャバクラでもこのネタでモテまくるぜ。ま、見てなって。俺が行ったら、空が一気に明るくなるから。そのときが世界の救われた合図だ」
するとトモコがやってきた。
「お守り、持ってますよね? 絶対に帰ってきてくださいね」
「もちろん」
彼女には借りがある。その恩をまだ返していない。
ナインも来た。
「生き残ったらまたビールでも飲もう。友人の中でビール党なのは、三郎くんと君ぐらいのものだからな。死んでくれるなよ」
そして三角とも目があった。
言葉はない。というより、ひとつも感傷的な感じじゃない。彼女は、いきなり惜別の挨拶が始まったのが理解できないといった顔だ。
たしかに一刻を争う事態だ。感傷的に言葉を交わしている場合じゃない。
「ま、細かい話は戻ってからということで。ちょっくら行ってきます」
*
ひとりで行くのは仕方のないことだった。
イージスによる反撃は、敵だけを選んで攻撃できるわけじゃない。受けたエネルギーをそのまま無差別に放出するから、味方を巻き込むおそれもある。
だからひとりで行く。
道の脇にはスクリーマーの生き残りが潜んでいたが、襲い掛かってくる様子はなかった。この戦いの行方を見守るつもりなのかもしれない。
セントラル・クレイドルへ近づくと、闇が濃密になってきた。
屋根はよほど頑丈らしく、ミサイルによる影響をほとんど受けていない。税金の無駄遣いだったってワケだ。
そして青き夜の妖精たちは、ザ・ワンの遺体をズタズタに引き裂き、おおはしゃぎで闇夜へ掲げていた。あたかも勝利宣言のように。
世界を支配したような気分ででもいるのだろう。だが勝ちをおごれば足元をすくわれる。
俺がふらふら入ってゆくと、何体かの妖精がそれを見咎めた。警戒し、カラスのような声をあげる。その声は次第に波及し、やかましいほどの大合唱となった。
大歓迎だ。
俺は紫の海から妖精の生首を拾い上げ、高く掲げた。
「おい君たち、静かにしろ。近所迷惑だろ」
さらにうるさくなったので、俺は頭部をその場に捨てた。
「人の道理は分からない、か……」
機構の船はすでに退避している。米軍の船もない。あとは生きているのか死んでいるのかファイヴの巨体が転がっているだけ。
妖精たちは俺の頭上を旋回し、なぜか様子を見ている。この異常なエーテル量を警戒されたか。
「おいどうした? 殺るんじゃないのか? 侵入者だぞ?」
足元の遺体を蹴り飛ばすと、さすがに気分を害したらしい。数体の妖精が飛来してきた。
カッコつけてペギーに銃なんて預けるんじゃなかった。アレさえあれば、もっと手軽に挑発できたものを。
青き夜の妖精たちは、例のステンドグラスをカッターのように差し込んできた。
が、もうこの瞬間、俺は自分の能力の高まりを実感していた。展開したバリアの雲が分厚い。彼らのステンドグラスは、もはや俺の皮膚へ到達することさえできなかった。のみならず、バリアに注ぎ込まれたエネルギーが凄まじい奔流となって全身に満ちた。
溢れそうなほどの力だ。
思うままに開放すると、黒い放射が広範囲へと拡散し、空の妖精たちを一挙に焼き払った。ある稲妻が一体を撃つと、手近な一体へも伝播。雷撃は網目状に伝わった。
バタバタと落ちていく妖精たち。
そう。俺が見たかったのはこの光景だ。全員こうしてやる。
妖精たちは悲鳴に似た声をあげて散開し、距離を取った。
まだ屋根へは届いていない。もっと巨大なエネルギーがなければ。
俺は転がっている妖精の遺体へ足をかけ、靴底で踏みにじった。
「もうおしまいか? その程度の力で、俺たちから太陽を奪うつもりなのか?」
敵はあきらかに激怒している。が、まだ来ない。まだ足りないのだ。
俺はザ・ワンの胴体によじ登り、拾った妖精の腕をブンブン振り回した。
「無視するなよ! お仲間の腕だぞ! お前たちもこうなる! 悔しかったらかかってこい!」
勢いよくぶん投げると、妖精の腕はくるくる回転しながら地面に落ちた。ぼちゃんという水音とともに。
第二波が来た。空そのものが襲ってくるような、凄まじい量だ。
俺のエーテルはまだ衰えていない。コンタクトの瞬間、強靭なバリアは敵の攻撃をすべてエネルギーに変換し、何倍にも増幅させて放射させた。
大爆発といっていい。
屋根に穴が空き、一筋の光が差した。
「見ろ、太陽だ。全部返してもらうぞ。来い。続きをやる」
青き夜の妖精ってのが好戦的な連中で助かった。こっちはカウンター専門だからな。相手が乗ってこなければ手も足も出ない。
(続く)




