殺戮の広場 二
ドーム跡地へ戻ると、まさに死屍累々といったありさまになっていた。
あたり一面が紫の海と化しており、空の薄暗さもあいまって暗澹たる景色だった。大地には、ズタボロに引き千切られた妖精たちの死骸。
迎え撃つ人間たちも満身創痍だ。一部を除いて。
「なんだ、戻ってきたのか。寝ててもよかったんだぜ? ぜんぶ俺がカタつけてやるからよ」
頭から爪先まで紫色の返り血にまみれてはいたが、六原三郎は無傷だった。さすがに肩で息をしているが。
俺は思わず噴き出した。
「もう十分寝たよ。それに、これ以上寝てたら永眠になりそうだしな」
「ジョークが言えるなら大丈夫そうだ」
いや、大丈夫ではなかった。
全身がヒリヒリする。
あちこち切り傷だらけだ。致命傷はひとつもなかったが、体中が痛い。仮にバリアがなかったら、とっくにバラバラにされて妖精の死体と混ざり合っていたことだろう。
青い食べ物は食欲が減退する、という話を聞いたことがある。
実際、一子は真空波で妖精をバラしながらも、さすがにそれを口にしようとはしなかった。まあ食事をしている余裕もないんだが。
ところで巨人だ。
セントラル・クレイドルから、ちょうどザ・ワンが這い出してくるところだった。全身から出血し、いまにも力尽きようとしている。まるで巨人の死を描いた絵画のような光景だ。
穴から出てきた巨人は一体のみ。つまり青き夜の妖精は、小さいのしかいないということだ。おそらく。
「で、あのデカいのは? 敵ってことでいいのか?」
源三はロケットランチャーを構えていた。
「いや、あれは味方ですよ。ザ・ワンの完全体です」
「あれが? 儀式をやったとは聞いていたが、成功したのか……。しかし死にそうだぞ」
ザ・ワンはすでにエーテルを噴く力さえ失っているのか、腕力だけで穴から這い出してきた。が、一緒にいたはずの教皇は、いつまで経っても姿を現さない。その代わり、青き夜の妖精たちが、まるで竜巻のようにわーっと飛び出してきた。
この世の終わりみたいな絵面だ。あれらすべてを、俺たちが始末しなくちゃいけない。やはり寝ていたほうがよかった。
ザ・ワンが崩れ落ちた瞬間、海側から直線的な光が飛んできた。
ヘパイストスだ。
自分たちの神を援護するため、機構が発射したのだ。かなりの電力を使用しているらしく、以前とは比較にならないほど力強い光線だった。
光が空をなぎ払うと、照射を受けた妖精たちは飛行能力を失って大地へ落下した。まるで空そのものが剥がれ落ちるかのように。
隙間から光が差した。
が、その隙間も、すぐに別の妖精によってカバーされてた。
いったい他界には、どれほどの妖精たちがいたのだろう。俺たちが見ていた黒い空は、ぜんぶこいつらだったということなのか。
青き夜の妖精たちは、やがてヘパイストスの光を攻撃だと認識したらしい。空を覆っていた一群が、機構の船へ向けて突撃を始めた。あまりの密集度に、巨大な暗雲がみずからの意思で動いているようにも見える。
これはどう考えてもマズい。
船上にもイングラムで武装した私兵はいるはずだが、あれだけの数となるとすべて撃ち落とすことは不可能だろう。バッテリーの再チャージに三十秒かかる。このままでは技術者だけでなく、ヘパイストスまで失われかねない。
ふと、バシュッという音とともに熱風が来た。源三の肩のロケットランチャーが火を噴いたのだ。
ロケット弾はぐんぐん加速して妖精たちの群れに直撃、ダーンと炸裂してアンチ・エーテルを撒き散らし、大半を海へ落とした。
が、すべてを始末できたわけではない。アンチ・エーテルの影響をまぬかれた一部は船へ到達した。船上の様子は分からない。ただ、もはや無事では済むまい。
劣勢……といっていい。
空中戦をしていた米軍のヘリも撤退を開始。
もしかするとそのうち、ここへミサイルを撃ち込んでくるかもしれない。米軍が正規兵を使わず、俺たちを使った一番の理由がそれだ。いざとなったら俺たちごと焼き払うつもりなのだ。緊急事態という名目であれば、それくらいは余裕で正当化できる。そもそも俺たちは、非合法な、本来存在しないはずの業者だ。誰の心も痛むことはない。
早いところ敵を始末しないと、味方に殺されるってわけだ。
かたわらに、ふっとペギーが降り立った。あまり返り血は浴びていなかったが、その表情には疲れが見えた。
「残弾ゼロ。これじゃあいくら弾があってもぜんぜん足りないよ」
空になったグロックを手に、彼女は肩をすくめた。
俺のもワンセットしかない。
「こうなったら、たしょう強引にでもやるしかないな」
「山野さん、なにか策でもあるの?」
「ない」
敵陣に突っ込んで、イージスで焼き払うくらいしか。
しかしザ・ワンですらあのザマなのだ。俺なんて数秒でぶっ殺される。というより、ザ・ワンはすでに大地に伏せており、青き夜の妖精たちにその身をいいように切り刻まれていた。もはや助かるまい。
状況は絶望的。
いまミサイルを撃ち込めば、大半の敵を焼き払うことができる。米軍は撃ちたくてうずうずしていることだろう。
それでも日本政府は、たとえこんな緊急事態でも、本土に米軍のミサイルを叩き込まれることに難色を示すはずだ。本心がどうかはともかく、抵抗のフリくらいは。役人が事務的なお役所仕事をしているうちに、俺たちでカタをつけなければ。
元検非違使の二軍がやってきた。
「米軍に動きがありました。ミサイルの発射準備に入ったようです」
さすがにもう待たないか。
源三も顔をしかめた。
「発射はいつだ?」
「それはまだ……。外務省が止めに入っているようですが、長くは持たないでしょう」
「やむをえん、撤退するぞ」
懸命な判断だ。
源三はハンドシグナルを出し、部下たちに撤退命令を出した。
「お前たちも急いで撤退したほうがいい。死んじまったら一円にもならんのだからな」
「分かりました」
そう返事をしたものの、俺はその場から動くことができなかった。
まだみんな戦っている。
三郎も、スジャータも、ナンバーズも。
源三たちの撤退は、責めるべきことじゃない。部下の命をあずかっている身ともなれば、撤退のタイミングを見極めながら仕事をするのは当然のことだ。生き延びるのが第一。金を稼ぐのは第二だ。
俺はペギーに尋ねた。
「まだエーテルは出せる?」
「いちおうね。なにするつもり?」
「ちょっと試しに、俺に撃ち込んでみてもらえないかな。イージスが強化されるかもしれないし」
この提案に、ペギーはいつになく表情を険しくした。
「だから、なにするつもりなの?」
「バキバキに強化したバリアなら、あいつらの攻撃にも耐えられるんじゃないかと思って。そして溜め込んだエネルギーで、敵を一掃するって作戦だよ。ま、ちょっとした賭けだね」
「バカなの?」
至極ごもっともな指摘だ。
俺は思わず笑った。自分でもどういうつもりかは分からないが。
「正直言うと、俺も自分がこんなにバカだとは思ってなかった」
「死んじゃうと思う」
「そうしないために、君のエーテルが必要なんだ」
「……」
俺のP225には十五発しか残ってないし、ペギーのグロック17は弾切れだ。ここでこうして立っていたって、なにも変わらない。
ペギーは荒っぽく溜め息をついた。
「ミサイルに任せればいいじゃない。それじゃダメなの?」
「ダメじゃないけど……」
「私、そういう安っぽい感傷は好きになれない。どういうつもりか知らないけど、そんな作戦には絶対に協力できないから。それに、おぼえてる? 私にお酒おごってくれるって言ったの」
「言った気がする」
「約束破ったら怒るから」
よほど怒っているのか、眼球が血走っていた。
なにも死ぬと決まったわけじゃないのに。
ナインがあきれた様子でやって来た。
「盛り上がってるところ悪いんだが、そろそろ退いたほうがよさそうだぞ。上から来るみたいだからな」
遠方でウーとサイレンが鳴った。
大音量で流されたアナウンスは、いったい誰にどんな配慮をしたつもりなのかは知らないが、なぜか北朝鮮からミサイルが発射されたという内容だった。いや実際に撃ってきてる可能性もゼロではないが。
あとで「誤報でした」とか「いや実際に北朝鮮のミサイルでした」とか言い張るつもりかもしれない。たとえ善意からとはいえ、米軍が日本にミサイルを落としたなんてことになれば、世論の反発は必至だからな。どうせあとで第三国から衛星レーダーの情報が流れてきて、すべて暴露されるんだろうけど。
さいわい、瀕死のザ・ワンが身を起こしたおかげで、青き夜の妖精たちの注目をひきつけていた。他界で散々やり合ったはずだ。目の敵にされるのもやむをえまい。
同じデカブツでも、エリア外で死んだフリをしているファイヴとはえらい違いだ。
総員、前線から戻ってきた。追ってきた妖精もいたが、アベトモコが巨大な手で一斉にはたき落とした。まるで巨大なハエたたきだ。彼女の人間離れした力をもってしても妖精を始末しきれないのだから、ここは素直にミサイルに任せるしかないのかもしれない。
靴に入ってくる紫の血も気にせず、俺たちはエリアから離れた。
ザ・ワンは、もはやイージスを使う余力さえ残していなかった。集団で寄ってくる妖精たちを力ずくでねじ伏せ、最期のあがきを見せていた。ミサイルの直撃を受けたら、今度という今度こそオダブツだろう。せっかく蘇らせた神が、目の間でミサイルに焼き殺されるというのも機構にとっては酷な話だが。これも人類を「救済」するための措置だ。納得してもらうほかない。
*
エリア外には自衛隊のデカい装甲車が複数台待機していて、俺たちを拾ってくれた。向かい合わせのベンチの設置された大型車両だ。現場放棄した俺たちをあたたかく迎え入れてくれるとは。税金を納めていた甲斐もあるというものだ。
ザ・ワンだけでなくファイヴも置き去りにしてしまったが、もはや動けないようだったので仕方あるまい。デカすぎて俺たちでは運べない。
小窓からは外が覗けた。
周囲に人家はない。あるのは工場や倉庫ばかり。道路は封鎖されているらしく、民間人の姿もなければ車も走っていなかった。見つかるのはせいぜい蜂の巣にされたスクリーマーの死骸くらい。
だいぶ走ったところで、装甲車は橋脚の下に停車した。
「まもなくミサイルが着弾します。念のため、爆風に備えてください」
自衛隊員の一人がそう言い、ベンチに座したまま頭を抱えた。まるで飛行機の不時着のときにやるアレみたいだ。
まあ、なにもしないよりはマシだろう。
俺たちも頭を抱え、そのときを待った。
まさか核ミサイルは撃ってこないと思うが。それなりに高威力のを撃ってくるはずだ。
うつむいていると、汗が滴り落ちてきた。クソ暑いだけでなく、蒸し暑い。皮肉なことに、妖精たちのおかげで炎天下ではなくなっていたが。
はるかかなたから、かすかにズズズという地鳴りのようなものが聞こえてきた。かと思うと、腹の底から響くように、一気にドーンと音が来た。しかもそのドーンの余韻がいつまでも続く。その間、車体はずっと小刻みにガタガタ揺れた。
ほんの数秒だったのかもしれない。しかし俺たちは、一分以上そのままの体勢でいた。
顔をあげると、世界は静まり返っていた。
成功したのだろうか。少なくとも、ミサイルの着弾はあったはずだ。もしこれでスクリーマーの巣が破壊されれば、セントラル・クレイドルのワームは機能しなくなる。そしてその後、青き夜の妖精たちは、地上のどこから出現するのか特定できなくなる。
自衛隊員は、車載無線をじっと見つめていた。
まだ連絡はないようである。
視界のいい場所ではないが、窓の外の景色にはさほどの変化がないように見えた。建物の窓ガラスが散乱している程度だ。建物が倒壊したり、道路が割れたりといった様子はない。
ふと、無線から声がした。こちらからは詳細を聞き取れなかったが、なにやら焦っていることだけは伝わった。
「二発目、来ます。ショック体勢!」
自衛隊員が声を荒げた。
二発目?
一発じゃ足りなかったってことか?
あるいは一発目でいい結果が得られたから、さらにぶち込んできたのか?
在庫を一掃したいだけか?
さすがに米軍の内部事情までは分からない。ミサイルもタダじゃないんだから、意味もなく撃ち込んできたりはしないだろうが……。古くなったから買い替えたいとか、そういう理由で撃ってくる可能性もあるにはあるが。
しばらくすると、またドーンという音がした。
ミサイルがどこに着弾したかなんて俺に分かるわけもないんだが、それにしても、だいぶ上空から聞こえてくるような気もする。
上には……そういえば妖精たちがステンドグラスの屋根を作っていたような……。
(続く)




