赤日を喰らう青
さて、それから数時間ほどが経過したが、特にドームへの襲撃はなかった。その他の異変もナシ。じつに平和な時間が過ぎた。
疲労が蓄積しているから、テントの中で横になっているとつい眠りそうになった。小腹が減ったら花を食った。
もしかするとここは、かつては桃源郷のようなところだったのかもしれない。超越者の話では、太陽もあったらしい。どこへ消えたものやら分からないが。
俺は寝そべりながら、誰にともなく尋ねた。
「どうします? まったくなにも起こりそうにないんですけど」
うつ伏せで寝ていたキャサリンが、眠たげな顔をあげた。
「あまりに暇すぎて死にそうになるわね。なんだったらいったんあっちに帰って、バッテリーとってくるっていう手もあるけど……。でも私はダメよ。足が限界。これ以上はショック死するわ」
寝てても死ぬし、移動しても死ぬのか。じつに難儀だな。
移動だけなら、空を飛べる三角かシュヴァルツに頼むという手もある。あるいは謎の雲に乗って移動できるアベトモコ。しかし彼女たちに、このお使いができるだろうか。
前回乗り捨てた車なら、ここへ来る途中で見かけた。しかしガソリンがないから乗り捨てたのである。いまは動かせない。ガソリンだけ持ってきて乗るという手もあるが。ジャガーはともかく、ランドクルーザーとハイエースなら荷物も運べる。
「米軍は、どうやって機材を運び込んで来たんですかね。あんなデカいの、ワームを通るんでしょうか」
バラして組み立てるにしても、あまりにデカい。少なくとも一般的なワームの産道を通過できるとは思えないサイズだ。
キャリンは首をかしげ、溜め息混じりに応じた。
「妖精花園をワームにしたのかもね。ただ、それをするためには、他界側にも同じのが必要なはずだから……。協力者がないと成立しないわね。彼らもなんらかの妖精を囲ってるのかしら」
妖精にもいろんな種類がいるらしいから、それはありえない話ではないだろう。
*
だがそのときは来た。
いつの間にか眠りに落ちていた俺は、ナインに揺すられて起こされた。
「始まったぞ。準備しろ」
「あえっ? 来たんですか?」
目を細めてもよく見えない。
寝起きで目が開ききっていないというのもあるが、なにせこの世界は暗すぎる。ドーム周辺には光が満ちているのだが、そっちは明るすぎて見えない。結局、近づくしかない。
俺は身を起こし、武器の状態を確認した。睡眠中もP226はコッキングしたままだったようだ。これは危ない。
花をむしって立ち上がり、眠気覚ましに口へ放った。ほとんど味はないのだが、かすかに鼻腔をくすぐるかおりのおかげでリラックスできた。
「敵の規模は?」
この問いには、ナインではなくトモコが応じた。
「傀儡と、あと大きな気配がひとつ」
「オーケー、目論見通りの結果になりそうかな」
米軍を見殺しにするのは気が進まないが、これも作戦だ。味方でない以上、危険をおかして参戦するわけにはいかない。
だいたい、ここがアメリカなのだとしたら、パスポートも持っていない外国人の俺たちが国防に参加するのもおかしい。そういう理屈を作ったのは彼らのほうだ。てめぇらのケツはてめぇらでお拭きになっていただきたい。
銃撃戦が始まったのは音で分かった。だいぶ遠い。あまりの遠さに、パァンというより、もはやパシとかポツくらいの発砲音に聞こえた。それが絶えずパシパシポツポツ言っている。
かなり撃っている。
人の声までは聞こえてこないから、無言で銃撃戦をしているような不気味さがあった。
トモコがぐずと鼻をすすった。
「いっぱい死んでます……」
作戦とはいえ、味方ではないとはいえ、人を見捨てるのは本意ではなかろう。
俺は余計かとも思ったが、トモコの頭をぽんぽんして気を落ち着けた。
「仕方がない。ここで助けに入ったら、この戦いは長引く一方だ。彼らもプロなんだし、適切なタイミングで撤退することを願おう」
「はい……」
米軍にも優先順位ってものがあるはずだ。さすがに全滅するまで戦いはするまい。少佐が賢明な人物であることを願う。
ナインは、梅乃に尋ねた。
「デカブツの詳細は分かるか?」
「スピードはあまり速くないようです。それに、なにかいびつなものを感じます」
「いびつ?」
「もやもやしていて、ハッキリしない意識のようなものです……」
すると三角がやってきた。
「これは妖精花園ですね。私たちとは交流のないタイプのものです」
例の米軍の協力者ってヤツか。それとも別のが来たのか。
近づくにつれ、三角の表情が険しくなった。
「これは、まさか私の子供たち……」
は?
どういうわけだ? みんなの視線からすると、そのデカブツはドームの奥から来る。だが三角の集落は俺たちの後方だ。来る方向が違う。
ナインが溜め息をついた。
「アメリカの作ったクローンかもしれんな。プシケの細胞は、いまやそこらに出回っている」
なるほど。
俺の知る限り、日本国内でその細胞を所有していない組織はないくらいだ。当然アメリカだって入手しているだろう。どうやって妖精花園を作ったのかまでは分からないが。
もしデカブツが米軍を助けに来たのだとしたら、傀儡なんぞは追っ払ってしまうかもしれない。
双眼鏡を覗いていたキャサリンがつぶやいた。
「来てるわね。まっすぐ檻に向かってる。米軍が発砲してるから、制御不能になってるみたい」
ザ・ワンの声のほうが強かったか。
米軍がどうやって言うことを聞かせていたのかは不明だが、あまり友好的な関係ではなかったらしい。
「始まるわ。檻が壊れる」
ついにだ。
俺はつばを飲み込んだ。
ついに来るぞ。当初の計画通り、作戦を始めるときだ。
技術者たちもヘパイストスにバッテリーを接続した。まだチャージはしていない。チャージを開始すると止められなくなるからだ。百メートル以内への接近が確実になるまでは、オペレーションには入れない。
俺たちは次の展開を待った。
まだ動けない。
想定した状況が訪れるまでは……。
双眼鏡を覗いているキャサリンは、しかし無言である。
発砲音は聞こえるから、戦闘は続いているはずだ。しかしザ・ワンの様子が分からない。
「おかしいわ。ザ・ワンが動かない」
あせった様子でキャサリンがつぶやいた。
ガスで眠らされていたせいで、設備を破壊されてもすぐに動けないのかもしれない。薬品が体外に排出されるまで待たなくては。
「まさかこれ、死んでるんじゃ……」
えっ?
いやいや、そりゃ急には起きないだろう。けど本当なのか? 死んでるのか? そういうことが、実際にないとは言い切れないが……。
「このままじゃ、妖精花園に食われるわ。なんとかしないと」
また計画が頓挫するのか。
勘弁してくれよ。
などと顔をしかめた瞬間、俺は黒い放射を見た。あまり大規模なものではない。前に見たときより、どこか弱々しい。が、死んではいない。
右往左往しかけたキャサリンは、ふたたび双眼鏡を覗き込んだ。
「い、生きてる! 戦ってるわ! そこよザ・ワン! 妖精花園なんかに負けないでっ!」
双眼鏡がないから分からないが、きっとデカい芋虫がケンカしてるような絵面なんだろう。しかしキャサリンの応援のしかたは、なんだか巨大ロボと怪獣の戦いを見守る子供のようだ。
スパーンと切り裂くような雷鳴とともに、ひときわ大きな放射が起きた。
「っしゃあ! 木っ端微塵だわ! さすが神!」
猟奇的だな。
いまあの一帯は、肉片まみれということだ。想像するだけで身の毛がよだつ。
しかもザ・ワンの攻撃は、かなりの広範囲に及んだように見えた。ヘパイストスで対抗できるだろうか。いやまあ、過剰な攻撃さえしなければ、あれほどの反撃もないはずなのだが。自力で跳躍したときだけ気をつければ。
俺が跳ねても同じような現象が起きるのだろうか。いや、体重が違いすぎるな。もっと腹に脂肪をつけなければ、ああはなるまい。そのためには、一刻も早くビールを飲まなくては。樽で飲まなくては。急性アルコール中毒で死なない程度に。
キャサリンが双眼鏡をおろした。
「米軍が撤退を開始したわ。傀儡もね。いまザ・ワンはフリーよ。行きましょう。五百年の悲願を達成するときよ」
この人はリアルに五百年待ったのだ。記憶があるのかは不明だが、かたわらには教皇もいる。やる気は十分だろう。
*
ドーム周辺は、死屍累々といったありさまだった。
放射の直撃を受けた妖精花園は、まるで豚を電車で轢き殺したような悲惨さで、いたるところに血なまぐさい肉片を撒き散らしていた。
米軍の死骸も、ひとつとして無事なものがなかった。どれも強引に引き千切られ、原型をとどめていない。まあ、遺体は無残だが、苦しまず一瞬で死んだことだろう。
放射は高い熱を帯びているらしく、どの肉片も焦げ、血液から湯気を立ちのぼらせていた。においがキツいのはそのせいだろう。
しかし静謐だった。
不思議と、危険な感情が湧いてこない。
ザ・ワンの様子はどこかおとなしかった。薬品で弱っているというのもあるのだろうが、それ以上に、穏やかな気分に見えたのだ。
どこに鼻があるのか分からないが、苦しそうにズビズビ音を立てながら豚のように呼吸しているものの、その瞳はまっすぐに教皇を見つめていた。
キャサリンは手でサインを出し、技術者とヘパイストスをさがらせた。代わりに、教皇がエーテルを噴いてザ・ワンへ近づいていった。
「そう……。そうよね……。人間たちにいじめられていたザ・ワンを助けたのは、彼女なんだもの。覚えていたんだわ」
キャサリンは両名の再会を見守りながらも、慈愛に満ちた表情を見せた。
教皇はほほえんでいた。ザ・ワンのかたわらに降り立ち、しゃがみこんでその頭をなでた。ザ・ワンも、人懐こく頭を寄せた。
五百年ぶりの再会というわけだ。
弱った愛犬と、そこに寄り添う少女のような絵面だ。教皇はザ・ワンの頭を優しくなでながら、そっとキスをした。
ザ・ワンも嬉しそうに目を細めている。
*
ヘパイストスを使用する必要はなかった。
儀式はとどこおりなく執り行われ、ザ・ワンはその姿を変貌させた。
海が消えたのち、ゆっくりと身を起こしたその巨人は、筋骨たくましい男の姿をしていた。ウェーブのかかった長い黒髪と、口元には黒ひげをたくわえている。
勝手に老人を想像していたが、それよりは若い。しかし彫りの深い顔立ちの、その奥にひそむ目つきは、若年者のそれではない。
彼はじつに落ち着いた様子で、言葉を発することもなく、ただ世界を見渡していた。
超越者が来た。
「なるほど。これは強い巨人だ。もしかしたら君たちの言う通り『特別』かもしれないな」
今回は闇に浮いている。
ザ・ワンが興味を示して手を伸ばしたので、眼球はすすっと後退した。
「妖精でもあり、巨人でもある。このものならば、あるいはこの世に太陽を取り戻せるかもしれない」
太陽を?
思えば、なにが原因で他界から太陽が失われたのか、まだ聞いていなかったな。
「太陽は、じつは消えたように見えるだけで、まだ私たちの頭上にある。光が届かないのは、赤日を喰らう悪魔、青き夜の妖精が空を専有しているせいだ」
人為的な現象ってことか。
まあ、太陽そのものを消そうと思ったら、とんでもない量のエネルギーが必要だろうしな。もしそんなヤツがいるんだったら、他界だってすでに消滅していないとおかしい。
巨人がさらに手を伸ばそうとするのを、教皇が穏やかな微笑で止めた。おかげで超越者は逃げ回らずに済んだ。
まあ眼球が浮いてたら、誰だって不思議に思うよな。俺だってまだ理解できていない。
「ザ・ワンよ、この世界を救ってはくれないだろうか。この世界の空を、青き夜の妖精から解放してもらいたい」
だが、ザ・ワンはきょとんとしていた。言葉が通じていないのかもしれない。言語を介さぬ共感能力とやらは、超越者も持っているはずなのだが。
ザ・ワンは、俺たちへも目を向けた。
ここには五百年前からザ・ワンを追っていた機構がいる。それに比べると短いが、百年近く「管理」してきたナンバーズもいる。この両者の気持ちを、ザ・ワンは汲もうとしているのかもしれない。
キャサリンは肩をすくめた。
「主の望むままに」
自分たちの神が復活したというのに、あまり大願成就したという感じではない。むしろ大仕事が終わってほっとしたような顔だ。もしかするとキャサリンは、自分の信仰のためではなく、同胞のためだけに奔走していたのかもしれない。
ナインも小さく息を吐いた。
「異存なしだ。好きにやってくれたまえ、友人よ」
さも同輩のような口ぶりだ。いや、しかしこれでいい。ナンバーズのメンバーは対等の関係なのだから。
ザ・ワンはうなずいた。
言葉が通じているのかは不明だが、まあ、了承ということだろう。
超越者も身を揺すって喜んだ。
「なんとも頼もしいことだ。青き夜の妖精は、私たちが相手をするにはあまりにも強い。翼を持った勇者が幾度も戦いを挑んだが、誰一人として勝利することができなかった」
聞くだけでヤバそうだな。これからデカブツ同士の戦いが始まるのなら、脆弱な俺たちはいますぐこの場を離れたほうがよさそうだ。
俺がビビリだから言ってるんじゃない。現実的な理解の話だ。質量というものは、そのまま力である。デカいというだけで強い。おそらくみんなも同意してくれるはずだ。
超越者も理解を示してくれた。
「こらから始まる戦いはかなりの危険をともなう。人間と妖精は、この場を離れるがいい」
キャサリンもうなずいた。
「そうさせてもらうわ。主よ、私たちはいちど地上へ帰ります。戦いが落ち着いたら、またこちらへ戻ってきますので。そのときは、あなたを信仰するものたちを連れてまいります。どうかご武運を」
機構の技術者の中には、感動のあまり泣いているものもいた。
組織ができてから五百年。陸を追われ、船上で暮らし、何世代もこのときを待ったのだ。それが神であろうがなかろうが、感慨は格別であったことだろう。
ともあれ、俺の仕事は終わった。
ユーロを円に換金して、頭からビールを浴びなくては。だがその前に、好き放題に酔っ払うための環境が必要だ。スクリーマーが街をうろついたままじゃ、ロクに酔っ払うこともできない。
(続く)




