超越者 一
「終わったようですね」
エンジェル少佐が白々しい態度でつぶやいた。
しかしまだ終わっていない。むしろこれから始まるのだ。問題は山積している。
キャサリンも本題から入った。
「私たちの教皇は、ザ・ワンの解放を条件に戦ったわ。これを受け入れることを希望します」
「私たちは、その契約に承諾したおぼえはありません」
「あら、いいの? もしクソみたいなことを言うつもりなら。シルフがするはずだったことを、教皇にやらせてもいいのよ?」
教皇にザ・ワンの檻を襲わせる気か。えらく汚いことを考えるな。
だが少佐は動じない。
「それをすれば、あなたがたはここで局所的な勝利をおさめるかもしれません。しかしその後はどうします? 機構の船を沈めようと思ったら、アメリカはスイッチひとつでそれを実現しますよ。それがあなたの希望ですか?」
ハッキリ言ってクソムカつく返事だが、さすがはアメリカと感嘆せざるをえない。まあ、交渉ってのはこうやるもんだよな。なにせ彼らは、金でも、数でも、力でも、あらゆる面で機構を上回っているのだ。
キャサリンはしかめっ面でふんと鼻を鳴らした。
「ちょっとしたイギリスン・ジョークでしょ。マジにならないでよ。ただ、教皇がいなかったらシルフも撃退できなかったってこと、少しは感謝して欲しいだけ」
「アイ・シー」
少佐も皮肉を効かせたつもりなのか、英語で返してきた。
しかしキャサリンはやたらイギリス人アピールをしてくるが、本人としてはジョークのつもりなんだろうか。機構の人間ならば、ルーツはともかく、誰もが船上で産まれたはずである。あるいはダージャーのように中途採用されたということなんだろうか。
彼女は小さく嘆息し、こう続けた。
「それで、これからどうなるの? 私たちは永遠にザ・ワンに近づけないわけ?」
「残念ですが、そうなります。もし寿命や事故で死亡した場合には、その限りではありませんが」
「もしそんなことになったら、あんたら全員ぶっ殺すからね」
少佐も苦い笑みになった。
「過激な発言はひかえてください。部下が銃を構えていると先ほども説明したはずです」
「は? あなたのボディーガードたちは、私の流暢な日本語が理解できるわけ?」
「いいえ、私が通訳しない限りはね。ただ、あなたが異常に興奮していることくらい、誰が見てもすぐに分かります」
「ファッキュー」
キャサリンは頭に来すぎておかしくなったのか、両手で中指を立てた。
こいつバカだろ。
少佐の脇に控えていた米兵も、これにはさすがに眉をひそめた。だが感情だけで発砲しないのはさすがだ。弾のムダだからな。
少佐は、それはそれは深い溜め息をついた。
「ひとまず休憩所へ戻っていてください。本部に指示をあおぎますから」
「休憩所? うちの教皇さまはどーすんのよ? どう頑張ってもドームに入れないんだけどっ!」
「残念ですが、彼女は外で……。それも、できればザ・ワンから離れた場所で待機させておいてください」
「ふん」
なんてクソみたいな態度なんだ。中学生レベルだぞ。どう考えても少佐のほうが大人の対応をしている。俺もアメリカ側につこうかな。味方になったらビールくれるはずだし。でもバドワイザーだもんな……。
*
お行儀のいい俺たちは、言われた通り教皇を外に残し、素直に休憩所へ入った。
自販機では、日本の金でジュースが買えた。なにせ、もともと大田区にあったドームだ。
「ちょっと、なにあんただけ飲んでんのよ? 私にもおごりなさいよ!」
キャサリンはずっとブチギレっぱなしだ。
「えっ? なに飲みます?」
「レモンティーにして。ペットボトルのやつ」
「はあ」
財布の金はかなり寂しくなっていた。機構の船にいる間は収入もない。ATMもない。今回の出動ではいくらかくれるらしいが、たしかユーロで払うと言っていた。これではいまいち使い勝手がよくない。
そろそろビールが飲みたい。なんとかしてアルコールを調達しなくては。
「ありがとう。これがレモンティーなの? 意外とうまいけど、ただのジュースね」
キャサリンはひとしきりゴクゴクやってから、だんとテーブルにペットボトルを置いた。
「さて、これからのことを話し合うわよ。といっても正直、あまりに状況がアレすぎてなにから話し合うべきか……」
これにナインが応じた。
「現状から判断して目標を設定するか、あるいは先に最終目標を設定してから行動するか、まずはそこから決めたらどうだ」
「最終目標? ならザ・ワンを置いて帰るか、あるいは儀式を強行するか、そのいずれかになるわね」
「現状から判断した場合はどうなる?」
「アメリカにケンカを売って勝てるわけもないし、撤退するしかないでしょうね。少佐の言う通り、局所的な勝利は得られても、最終的には絶対に勝てないわけだし」
ふん、なにを弱気な。
俺には策があるぞ。ジュースをおごったんだから、ここは堂々と横から口を挟ませてもらおう。
「あきらめるのは早いですよ、ミズ・ベネディクト。状況はこちらに有利だ」
「はっ? どこがどう有利なのよ? 説明してみなさいよ」
「まずね、いったんどこかに退くんです。ちょっと離れた場所にね。そうするとアメリカは、研究と称してザ・ワンをいじくり始めるでしょ? そしたらザ・ワンはまた泣き声をあげて、よく分からん連中を呼び寄せるに決まってます」
これにキャサリンも目を丸くした。
「なるほど。今度こそアメリカは、襲撃に負けて一時撤退するハメになる、と。ザ・ワンの檻も破壊されて、また暴れ出すことになるけど……。私たちにはヘパイストスがある」
「そこで儀式を強行するわけです」
米軍を見殺しにするプランだが、まあ、やむをえんだろう。彼らが俺たちに非協力的なのが悪いんだから。
ただしこの案は、あまりに自分たちに都合のいいシナリオが想定されている。あの米軍が、障害となりそうな俺たちを手放しで帰すわけがない。いろいろとイチャモンをつけ、ヘパイストスを没収しようとするだろう。それを切り抜ける方法までは、俺には分からない。キャサリンの交渉力に賭けるしかないな。またファッキューとか言い出さなきゃいいけど。
などと缶コーラに口をつけた瞬間、ドーンという音とともに、大地が大きく揺れた。風じゃない。今度こそ地震だ。じつにクソったれなことに、顔面がコーラまみれになった。
どこのどいつか知らないが、せっかくこの俺が完璧なプランを立てたというのに、横槍を入れてきやがって。
蛍光灯も明滅し、一瞬、停電になりかけた。発電機がいくつかオシャカになったのかもしれない。
ドーム自体は日本の建築物だから、ちょっとした地震には耐えられる造りになっているはず。問題は、ここへの移築がかなり強引だったことだ。安全とは言いがたい。
「ムーヴ! ムーヴ!」
「ハリー!」
兵士たちが、ダッシュで通路を駆け抜けていった。
外でなにかが起きたようだ。
ナインが肩をすくめた。
「俺たちも行こう」
*
見なくても分かってはいたが、まあ大惨事だった。
檻は壊れていない。というより、そんなことが問題にならないほどアレな事態になっていた。
これはどう解釈すればいいんだろうな……。
ドームほどもある巨大な眼球がひとつ、地面に転がっていたのだ。もちろんシルフや教皇よりもデカい。あまりのデカさに、虹彩の模様や毛細血管までもがハッキリと見えるレベルだ。しかし大半はつるつるの白い球体で、ビー玉のようですらある。
なんなんだろうなこれ……。超越者か?
恐怖というより、滑稽さが先に来た。それに、内臓が異様にざわつく。エーテルが干渉してるのかもしれない。
空が鳴った。
いや、鳴ったんじゃない。声だ。誰かが語りかけている。
「君たちの言語を借りる。はじめまして、だな。私には名前がないから、名乗ることもできないが。君たちの認識通り、超越者とでも呼んでくれ。先に言っておくが、神ではない。君たちが巨人と呼ぶ存在だ。まあ古代人の一種と言えばしっくり来るだろう。目だけなのは省エネのためだ。あしからず」
なんだか喋り方が軽い、というか普通すぎる……。俺たちの言語を借りてるせいか。天の声なら、もっと重厚で厳格な感じにして欲しいもんだ。
キャサリンも渋い表情だ。
「キャサリン・ベネディクトよ。ケイティって呼んで。ご用はなんなの?」
「なに、話をしに来たのだ。こちらにとっては、二千年ぶりに会う人間だからな。もう二度と会えないと思っていたが」
ということは、二千年以上も生きているということか。
エンジェル少佐も声をあげた。
「二千年ぶりというのは、どういう意味です?」
「そのままの意味だよ。二千年前、私たちは地上を引き払い、この他界へ定住したのだ。世界を完成させるためにな」
超越者の声は、男とも女ともつかない、その中間のような声だった。
「世界の完成とは?」
珍しく三角も口を開いた。
いままで気配だけだった超越者に会えて、興奮している様子だ。
「エーテルで発動する能力を、分かりやすく魔法と呼ぼう。この魔法というものは、ほとんど考えなしに扱えるエネルギーでな。これがある限り、世界は完成しないと考えられていた。鳥は飛行機を作らないし、魚は船を作らないだろう。発展は、満足からではなく不満から生まれる。そこで、手先は器用だが体の脆弱な人間だけを残し、魔法なるものを可能な限り地上から遠ざけたのだ。すると私たちの目論見通り、人間は科学を発展させた。君たちも先ほど、その科学でよく戦っていたな」
よくもまあペラペラと妄言をカマしやがる。もしこれが事実なのだとしたら歴史的な発見なんだろうけど。しかし残念なことに、俺に分かるのは、こいつが人間じゃないということだけだ。
「だが人間たちは、私たちの予想をはるかに超えて科学を発達させてしまった。自力でエネルギーの壁を超え、エーテルを無効化させる技術まで手に入れた。さすがに想定外だ。あれだけ無力だった人間が、いまや巨人を子犬のように飼いならすのだからな」
するとふたたびキャサリンが尋ねた。
「あなた、自分を神じゃないと言ったわね。では、神はどこにいるの?」
「君の言う神とはなんなんだ? 答えられるのなら、それが神だろう」
おっとこれは手厳しい。判断を質問者に委ねたぞ。
だがこれで納得するようではカルトとは呼べない。キャサリンはなお食いついた。
「質問を変えるわ。ザ・ワンは神なの?」
「君たちは神だと思っているのだろう。ならば、それが君たちの神だ」
この超越者とかいうヤツ、禅問答みたいな答弁をしやがる。
俺の爺さんや婆さんは、山を見れば手を合わせ、デカい岩を見れば手を合わせ、滝を見れば手を合わせるという、素朴な老人たちだった。彼らの信仰対象は、必ずしも人格をともなっていない。自然崇拝のようなものだ。まあ農家だから、自然こそが神という感覚なんだろう。
神は、宗派によって、人によって、定義が異なる。
不可知論というものがある。人には神を知覚することができないという考えだ。汎神論もある。否定神学もある。人の数だけ理解の方法がある。
当人がそう思うなら、それこそが神なのだ。
そういう個人の思想信条を、おそらくは超越者も尊重したのだろう。あるいはカルトどもに気を遣ったのかもしれない。神のカタチは、信仰者の頭の中にしかない。
人間の科学は、たしかに発展しすぎたかもしれない。神の領域だと思われていたものが、じつは物理の問題だと解明してしまったのだから。
それが神であろうがなんだろうが、仮に「観測」できてしまったならば、それはもはやモノだ。犬とか猫とか人間とかと同じく、そこにあるモノだ。俺たちの世界に存在するモノなのだ。魔法が、解析された瞬間に科学と化すように。
しかしそれで神秘性が失われるわけではない。人間が元素でできているからといって、そこらのモノと同じということにはならない。いや同じかもしれないが。それこそ個人の信じるところによる。科学の産物である電子回路にしたって、理解できない俺に言わせれば魔法陣に等しい。テレビやラジオも意味不明だ。
神だって同じだ。それがモノだったとして、べつに軽んじる必要はない。モノを神として崇めることを、誰も禁じることはできないはずだ。他者に強要さえしなければ。
キャサリンはごく冷静に、こう質問を重ねた。
「あなたは神を信じていないの?」
「そもそも私は神について定義していない。よって信じるも信じないもない。ただし、人間が神に執着する気持ちは理解できる。魔法の時代を過剰に装飾したせいで、歴史が神話となってしまったわけだからな。あるいは私が知らないだけで、本当にこの世界は神が作ったのかもしれないが」
「あなたはザ・ワンをどう規定するの?」
「同胞だ。そして巨人でもあり、妖精でもある」
機構の崇めていたザ・ワンは神ではなく、ただの巨大動物にすぎないということだ。少なくとも超越者にとっては。
キャサリンは小さく呼吸をした。
「なるほど。あなたの認識ではそうなのね。ありがとう、参考になったわ」
シルフにしろ、湖の貴婦人にしろ、現代社会にいきなり現れたら希少性を評価されたかもしれない。最初の何週間かは。ザ・ワンも同じだ。特異点だからこそ信仰の対象だった。それがいまや、ありふれた存在であることが分かってしまった。
超越者はさらに続けた。
「どんな存在も、極限までバラせばすべてはエーテルに還る。その価値は、観測者が自由に見出すべきものだ。歴史、存在、名前、機能、なんでもいい。現実がどうあれ、考えを変える必要はない」
誰かにとって無価値であろうと、別の誰かにとっては宝である可能性がある。そういう気休めみたいなことを言い出した。
しかしカルトは、自分たちの宝を、他者にも宝とみなすよう強要するものだ。超越者のこのメッセージは、残念ながら無意味であろう。
続いて少佐が口を開いた。
「超越者よ。私たちは、アメリカ合衆国を代表してここへ来ています。あなたの存在にはとても興味がある。ぜひ我が国に知識を授けていただきたい」
これに対する超越者の答えはこうだ。
「そのつもりだ。ただし、私は取引の相手をアメリカに限定するつもりはない。地上のあらゆる知識と交流する。そのために二千年待ったのだ」
「構いませんよ。ここはすでに我々の土地だ。アメリカの許可なく他国が立ち入ることはできない」
「その傲慢さは直したほうがいい。いずれ身を滅ぼすことになる」
「……」
ザマない。こんな眼球にまで説教されやがって。アメリカはたしかに凄い国だが、世界のすべてじゃない。そろそろ「謙虚」という概念を発見したほうがいい。
(続く)




