新世界
機構側の調整とやらに数週間を要したが、ついにその日が来た。
目指すは他界。
前回と違い、戦力および準備は十分。乗り込む理由もハッキリしている。
俺たちの目的はシンプルだ。ザ・ワンを神にすること。あるいは神となったそいつを殺処分すること。
道に迷う心配はなかった。
スタート地点はプシケの集落だったし、ザ・ワンの気配もアベトモコがつかんでいた。まっすぐ進めばそのうち着く。
ただし今回、車両はない。一般的なワームは、人ひとりが通過できる程度の大きさだ。せいぜい台車を持ち込むくらいしかできなかった。
徒歩であるから、数日はかかるだろう。
今回、ナンバーズの有志に加え、機構側の技術者も十名近く同行していた。なにせアンチ・エーテル技術を搭載した抑制機「ヘパイストス」を運んでいる。結局、若葉の書いた数式はデタラメだったが、彼が目を覚ましたとき理論は完成していた。
このヘパイストスというのは、ギリシャ神話に登場する神の名である。なぜこの名がつけられたのかは……。まあ、イージスの力をもってしても無効化できない「攻撃」を、彼がおこなったから、ということになる。
移動そのものは順調だった。
トモコは本当に千里眼を有しているらしく、襲撃者をすべて事前に察知できた。おかげで負傷者もなく、圧倒的な火力で撃退できた。襲撃者といっても、なんだかよく分からない野生生物たちであったが。
問題は、その後だ。
ザ・ワンに近づくと、やがて予想外の光に遭遇した。花々の淡い発光ではない。エーテルのきらめきでもない。電気でつくられた照明の光だった。
何者かが機材を持ち込み、周辺を開発していたのだ。どうやって持ち込んだのかは不明だが、小型のショベルカーまである。
いや、「何者か」などと気づかないフリをするのはやめよう。
米軍だ。
「スタァップ!」
赤い誘導灯を手にした軍人が、小走りでやってきた。背後には、アサルトライフルをぶらさげた連中までついてくる。
強烈なライトでこちらを照らしながらなにかを怒鳴ってきているが、英語なのでサッパリ分からない。ファックだとかシットだとか、汚い言葉は聞き取れるんだが。
キャサリンが「オーライ、オーライ」と前へ出て交渉にあたった。
いったいなにがどうなっている? というより、米軍はここでなにをする気なんだ? まさか「研究」しに来たのか?
連中の武装はM4カービンだ。これと同じ武装をした連中が、奥にいっぱいいる。
もし撃ち合いになれば、機構の技術者はなすすべもなく蜂の巣にされるだろう。そして技術者がいなければ、ヘパイストスは動かせない。台に固定された望遠鏡みたいな見た目だから、それをザ・ワンに向けて発射すればいいだけなんだろうけど。突貫でつくられたこともあり、運用にはコツがいるらしい。
しばらく英語でガミガミやりあったかと思うと、ついに米軍の兵士が黙り込んだ。キャサリンはこちらへ向き直り、疲れたような表情で告げた。
「行くわよ。彼らの責任者に話をつけにね」
ザ・ワンと殺り合いに来たのに、まさか米軍と折衝するハメになるとは。
米軍はドームを再利用し、そこを活動拠点としていた。発電機がブンブンうなって電気を供給し、おかげで野球のナイターみたいな明るさになっていた。いくらなんでも光が強すぎだ。皮膚が熱を感じる。
出てきた責任者とやらは、以前米軍の船で出くわした白人男性だった。顔つきは精悍でありながらも、どこか知的な雰囲気をただよわせている。まあ、「悪魔の言語」などと揶揄される日本語をあんなに流暢に話すんだ。インテリに違いあるまい。
「本部隊の責任者、デイヴィッド・エンジェル少佐です」
前に会ったときは大尉だった気がするが、ちゃんと昇進できたんだな。というより、エンジェルってのは本名なのか。まあ軍人が階級まで名乗ってるのに、偽名ってことはないだろうけど。
キャサリンはガニ股でずんずん前へ出た。
「世界管理機構、キャサリン・ベネディクトよ。昇進したのね。おめでとう」
「それで、こちらへはなんのご用で?」
エンジェル少佐は困惑を隠そうともせず、単刀直入に尋ねた。
キャサリンはしかし嘲笑気味にふんと鼻を鳴らす。
「なんのご用でもいいでしょ。ここはアメリカじゃないの。あなたたちのご機嫌をうかがう必要はないと思うけど?」
「いえ、ここはすでにアメリカですよ。国際法によれば、どこの国にも属さない無主地は、はじめに実効支配した国が統治することになっているはずですから」
「いつもそう。アメリカは先住民を虐殺して自分たちの土地にするんだわ」
「あなたの言う先住民とは? 神に人権を適用せよと?」
さすがはアメリカだな。新世界へ乗り込む現代の征服者だ。武力だけでなく、屁理屈まで一緒に持ち込んできやがって。他界の支配については、アメリカはもはや機構なんて相手にしていない。地球上にあるすべての国を出し抜くつもりだ。
キャサリンは歯噛みした。
「神々には神々の権利があるわ。まずは彼らの意見を聞くべきだよ」
「いずれにせよ、ここはすでに我々が実効支配しています。誰であれ、アメリカの法に従っていただく」
ルール・オブ・ロウ。いわゆる法の支配ってヤツだ。よもや神々の土地で人間がこいつを宣言するとはな。
ともあれ、ここがすでにアメリカだとしたら大問題だ。なにせいま、俺はパスポートを持っていない。不法入国になる。
まあそれはいいんだが、主役のザ・ワンはいったいどこにいるんだ? 前に見たときは、ここらで魚みたいにビチビチ跳ねていたはずなんだが。まさか急にアメリカ人になって、コーラを静脈注射しながらネットでもしてるのか。
同じ疑問をキャサリンも抱いたらしい。
「ザ・ワンはどうしたの?」
「我々が保護しています」
「保護?」
「ご覧になりますか?」
*
エンジェル少佐に案内されたのは、ドーム脇に建設された巨大な檻だった。中ではザ・ワンが、溶けかけのラードのようにぐったりとした状態で眠っていた。のみならず、様々な色のチューブでつながれていおり、まだ人の形になる前に産まれてしまった子供が、延命措置を受けているようにも見える。
というより、いったいどうやってザ・ワンをおとなしくさせたのだろうか。こっちはドクターが過労死しかねないほど頑張ったってのに。
「これ、生きてるんでしょうね?」
キャサリンの責めるような口調に、エンジェル少佐は表情も変えず「ええ」と応じた。
「死なれたら困るのは我々も同じです。ほぼ仮死状態ではありますが」
「はっ?」
「いわゆる笑気ガスですよ。人体にも使用される医療用の薬品です」
「安全性には配慮したの?」
「専門のドクターが濃度を調整しました。その結果は、ご覧の通り」
いや、ご覧の通りとか言われても、瀕死にしか見えないんだが。
頭部の、おそらく鼻と思われる部分に透明なチューブが通されており、おそらくそこからガスが送られているのだろう。常時送られているのか、そのつど送られているのかは分からないが。
キャサリンは凄まじい勢いで向き直り、エンジェル少佐の襟首を掴んだ。
「いますぐ解放しなさい」
「手を離してください、ミズ・ベネディクト。私の部下が銃を構えているのをお忘れなく」
「あなたの国の大統領が同じ目に遭わされても同じことが言える?」
「そのときは副大統領が大統領になりますよ」
ん? もしかしていま、アメリカン・ジョークが炸裂したのか?
キャサリンは忌々しげな表情で手を離した。
「アメリカは、ザ・ワンをどうするつもりなの?」
「保護し、研究します。しかしそれだけですよ。機構と違って、強制的に彼の体を変異させたりはしない」
「それは私たちの神に対する侮辱よ、少佐」
「失礼があったのなら訂正します。しかし理解していただきたい。アメリカが、アメリカの土地で発見した巨大生物を保護しているのです。そこに機構が介入することはできない」
クソムカつくことに、一理どころか三千理くらいある。すでに実効支配が完了しているのだ。理屈がどうとかじゃない。火力で彼らを上回らない限り、なにを言っても通らないのだ。
などと、なかばあきらめかけたそのとき、トモコに袖を引っ張られた。
「なに?」
「ザ・ワンの声が聞こえます」
「声?」
俺にはなにも聞こえない。
どんなに耳を澄ませても、聞こえてくるのは発電機のブンブンいう音くらいだ。あとは靴がコンクリを擦るかすかな音や、兵士たちの咳払いなど。
「ザ・ワンはなんて言ってるの?」
「明確な言葉ではありません。ただ、助けを求めているような……。とにかく弱々しくて哀しい気持ちになる声です」
「あんなに衰弱してても意識はあるってことか」
するとトモコはやや厳しい表情で、虚空を見つめた。
「それと……ザ・ワンに呼応する声が遠くから」
「呼応? 誰かが返事をしてるってこと?」
「誰か、というにはあまりに漠然とし過ぎていますが……。はるかかなたから、なにかが近づいてきている気がします」
「……」
背筋が寒くなった。
得体の知れないヤバいヤツが、こちらへ向かって来てるってことか。
そういえば以前、三角も言っていた。無闇にエーテルを噴くと、招かれざる客を呼び寄せる可能性があるのだと。スクリーマーとか水妖とか、そういうレベルのものならいいが。
「数は? 強いの?」
「分かりません。いまのところ感じられるのは、遠方からやってくる波の予感でしかありませんから……」
もしそれがヤバいヤツなら、当然ヤバいことが起きる。
仮にヤバくないヤツだとして、交戦中に檻が破壊されればヤバいことになる。
いや、あらかじめ想定しておくべきだったのだ。俺たちは、ザ・ワンと交戦する準備はできていた。しかしそれ以外の脅威に対しては、まったくプランがなかった。
トモコの言う波がどの程度の規模かは分からないが、撤退も視野に入れて行動したほうがよさそうだ。退くべきときに退けない人間は、たいてい死ぬからな。
俺は意を決し、少佐に尋ねた。
「すみません、ここにビールはありますか?」
「えっ? ビール? たしか、バドワイザーとミラーがあったはずですが……。しかし残念ですが、軍の所有なので譲ることはできません」
「まあまあ、日米友好の証に」
「いったいなんの意味が? もしかして、なにかのスラングですか? コトワザ?」
「いえ、ちょっと飲みたかっただけです」
「……」
少佐だけではない。
誰もが「こいつなに言ってんだ」「空気読め」「あるいは死ね」といった目で俺を見てきた。まあ分かる。分かるが、非常事態だ。機構の船にはビールがないから、ここ数日、俺はずっと禁酒してきた。こんな状態では戦うことができない。血中のアルコール濃度が下がりすぎて、戦う前に死ぬ可能性すらある。
だが、バドガールもいないのにバドワイザーを飲むことはできない。ミラーがなんなのかも分からない。やはり生きて日本に帰る必要があるようだ。
キャサリンが憐れむような目を向けてきた。
「歩きすぎたせいで、脳に栄養が行ってないのかしら? まあいいわ。ちょっと休憩しましょう。いろいろ考えることもあるしね」
そうだな。作戦を練り直す必要がある。
少佐もこれには同意してくれた。
「失礼。長旅とは気が付きませんで。休憩所まで案内します」
さて、米軍と協力して事に当たるべきか、あるいはなにも言わずにバックレるべきか。我らがキャサリン姉さんはどう判断するのやら。
(続く)




