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終端 -EOF-  作者: 不覚たん
本編

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59/70

タブラ・ラサ

 会談は合意でまとまり、妹と姪はその日のうちに船へ招待された。

 数ヶ月ぶりに会っためぐみは、少しやつれて見えた。世間はあんなありさまだし、すり減るような生活を送っていたのだろう。しかし姪のほうは相変わらずだ。あまり感情を表に出さず、じっと世界を見つめている。

「あの、お兄ちゃん、ちょっと説明して欲しいんだけど……」

 胸元に抱えた姪をあやしながら、めぐみは複雑そうな表情を見せた。

 夕食後の待機所だ。

 俺たちはテレビを観ていた。

「説明って?」

「まず、この船の人たちが何者で、お兄ちゃんがどう関わってるのかの説明」

「あー、それな……」

 あらためてイチから説明するのは難しい。

 俺は天井の蛍光灯を見つめ、さぐりさぐり答えた。

「この船はだな、うー、いわゆる文化事業をしている民間の……まあ、そのー」

「合法なの?」

 ド直球で来た。

 これをかわすのは至難の業だ。

「そう言ったって、どの国の法が適用されてるかも分からないんだぜ。合法かどうかなんて判断できんだろ」

「えっ? 日本じゃないの? それかアメリカかと思ってたけど」

「いや、アメリカではない。日本でもない」

「でも日本語話してたよ?」

「まあ、日本を中心に活動してるから、日本語は共通言語になってるらしいけど……。ともかく国籍不明の不審船なんだよ」

「その不審船に、お兄ちゃんはどう関わってるの?」

「俺はそのー、いわゆるひとつの……うー、アレだよ。うん。アレ。協力者みたいな」

 これに妹は眉をひそめた。俺を責めるときの母親の顔にそっくりだ。

「だから、ここの人たちがなにをやっていて、お兄ちゃんはなにを協力してるの? さっきからぜんぜん答えになってないんだけど」

 この執拗な責めの間も、姪はおとなしく虚空を見つめていた。じつに泰然としている。この子は将来、大物になるかもしれない。あるいは、単に思考を完全に放棄しているだけかもしれないが。俺に似てるなら後者だな。

「いやまあ、世界の謎を探求してるんだよ。歴史学? 考古学? まあ、そんな感じの営利団体で」

 するとめぐみはきょとんとした表情になった。

「え、そうだったの? なんか、ごめん、悪いことしてるんじゃないかって誤解してた……。でもそうならそうって言ってよ! 心配するじゃん? まあお兄ちゃん、歴史好きだったしね。合ってると思う」

「分かってくれればいいよ」

 妹の中では、俺は歴史好きって設定なのか。中一のころだったか、飯のとき「いざキャバクラ」とか言って父親にひっぱたかれた記憶しかないんだが。しかしなにも叩くことはねーよな。あのときは母親も妹も一緒になって俺を非難してきやがった。この世界に味方はいないと思った瞬間だった。

「お前の家族なのか?」

 スジャータがやってきた。

 全身を布で覆い、足音もなくやってくるから、急に現れるとびっくりする。

 めぐみもびくっと体をこわばらせ、その拍子に姪も我に返った。泣きはしなかったものの、スジャータの姿に困惑しているようだった。

 俺は姪が泣き出す前に、できるだけ穏やかな態度でこう応じた。

「妹と姪だよ」

「メイ? 名前?」

「いや、こっちが俺の妹で、妹の娘のことを姪って言うんだ」

 俺が指をさしながら教えてやると、スジャータはこくりとうなずいた。

 それからなぜか、スジャータは姪と見つめ合った。互いに、謎の生き物を観察するように。姪がなにかを求めるように短い手をのばすと、スジャータはその手にひとさし指を握らせてやった。二人とも、ほほえんでいた。

 言葉なんて通じなくても、人は分かり合えるのかもしれない。いや、いっそ言葉なんて通じないほうがいいのだ。俺たち人類は、あまりに複雑になりすぎた。

 めぐみもいつの間にか笑顔になっていた。

「この子はりおちゃんっていうの。私はめぐみ。あなたのお名前は?」

「スジャータ」

「珍しいお名前ね。どこから来たの?」

「どこ?」

 スジャータは質問の意味を理解できなかったのか、首をかしげてしまった。

 名前から推測するに、ルーツはインドだろう。スジャータと言えば、修行中の釈迦に粥を与えた少女の名だからな。

 しかしおそらく、彼女の出身は東アジア支部の船上だ。インド人ではあるまい。

 俺はめぐみに言った。

「彼女は別の船から来たんだ。まあ、ここの人たちはいろんなところから集まってるから。あまり詮索しないようにな」

「ごめんごめん」

 しかしこの謝罪の意味もまた、スジャータには理解しがたいようだった。

 彼女は姪に指を握られたまま、小さく上下にゆすって遊んだ。

「リオ・チャン……」

 うーん、なんか中国人の名前と勘違いしてそうな気もするが。


 *


 妹と姪にはゲスト用の部屋が割り当てられた。めぐみたちの居住区は、俺たちのいるエリアからはだいぶ遠い。会おうと思えば会えなくもないが、そうそう毎日顔を合わせることもなさそうだ。

 そして俺はといえば、ふたたび研究の実験体へと逆戻りした。

 若葉は、亜弥呼に指摘されたのがそうとう悔しかったらしく、ほぼ徹夜でデスクに張り付いているようだった。髪はボサボサで、目の下にはクマもできており、もともと痩せていたのにさらにゲッソリしていた。それでもアンチ・エーテル技術を長距離から飛ばすんだと躍起だ。

 俺の体をいじくるのは、もっぱら亜弥呼とダージャーになった。

 亜弥呼は、麗子といくつ違うのかは分からないが、だいぶ年上に見えた。麗子が三十前後だとすれば、亜弥呼は四十代後半といったところだろうか。娘のさやかが十六歳なのだから、それなりの年齢なのは間違いない。

 俺はベッドに拘束さているあいだ暇だったので、世間話がてらこう尋ねた。

「そういえば黒羽先生、娘さんいましたよね。いま東京にいるんですか? 心配じゃありません?」

 するとパソコンのモニターとにらめっこしていた亜弥呼が、ぐっと眉をひそめた。

「あなた、よくもぬけぬけとその話を持ち出せるわね。母を殺そうとしたくせに」

 なんで知ってんの……。

 俺はごまかすように顔を背けた。

「えっ? ああ、いや、まあ、そういう話もあったようななかったような……。でも受けなかった気がするんだよなぁ……。俺らにも最低限の良心はありますしねぇ」

「私は学者だから、モルモットを趣味で切り刻んだりはしない。たとえ手元の操作ひとつで、あなたのバリアを無効化できるとしてもね」

「物騒なこと言うのやめてくださいよ。そりゃいろいろありましたけど、こっちだって採算度外視して救出に行ったんですから」

「その件だけじゃないわ。東アジア支部の陳禄山を殺すとかなんとか言って、他界にまで飛ばされてしまったのよ? 米軍と一緒に帰ってきたときは何事かと思ったわ」

「あれは事故でしょう?」

 すると亜弥呼は、ターンと音を立ててキーを叩いた。かと思うと強烈なアンチ・エーテルが発生し、凄まじい勢いで俺の内臓を抑え込みだした。

「うげ、ちょっと……」

「事故? よくもそんなことが言えたわね。あなたがあのバカげた提案に乗らなければ、事故に巻き込まれることもなかったのよ?」

「バカげた提案ってのは同感ですけどね。けど、彼女が借金までしてああいう行動に出たの、なにか理由があるんじゃないですか? それちゃんと聞いてあげました?」

「このまま出力をあげたら、耐久力のテストにもなるわね」

 こいつ鬼かよ。

 いや、前にダージャーにやられたときほどの高出力ではないから、怒りながらも調整はしてくれてるんだろうけども。調整しながら責めてくるヤツのほうが悪質かもしれない。生かさず殺さずもてあそべるからな。

 亜弥呼は深い溜め息をつき、出力をさげた。

「さやかさんのことは、すべて家の者に任せてあるの。話なんてほとんどしないわ。私のことは親だとも思ってないでしょうね」

「えっ……」

「黒羽を継ぐというのは、そういうこと。人間らしい教育なんて必要ない。人間ではなく、歯車になる。黒羽は、上から下まですべてが噛み合ったひとつの機械よ。そうでなければいまの繁栄もない」

 まるで機構のようだ。「いざキャバクラ」でひっぱたかれてるほうが、まだ家庭のあたたかみがある。少なくとも、こっちの言ったことに対してリアクションがあるわけだからな。

 だがこれで、さやかが一番破壊したかったものがなんなのかよく理解できた。祖母を殺したかったのは事実だろう。しかしそれよりも、彼女が破壊したかったのは、黒羽という体制そのものだ。

 俺は話題を変えた。

「それで、娘さんは、いまどこにいるんです?」

「それを知ってどうするの?」

「いや、東京にいたら危ないなって思っただけですよ。無事ならそれでいいんです」

 すると亜弥呼は、複雑そうな表情を見せた。

「お節介にしては度が過ぎるわね。けどいいわ。教えてあげる。さやかさんはいま、長野にいるわ。あなたもよく知ってるあの集落よ。護衛は六原さんに頼んだから安心して」

「そうですか」

 黒羽と六原は和解したってことか。あるいはビジネスとして依頼したのか。いずれにせよ、かつての遺恨が解消に向かっているのならよかった。久々にいいニュースかもしれない。

 するとそのとき、やや離れて作業をしていた若葉が唐突に発狂した。

「やったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! やりましたっ! やりましたよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 ひどくやつれているのに目だけがギラついているから、狂人にしか見えない。

「黒羽先生っ! 見てくださいっ! 見てくださいよこれぇっ! この計算式っ!」

 猛ダッシュでやってきて、鉛筆でまっくろになったプリントを亜弥呼の顔面につきつけた。

「ちょっと若葉先生、近すぎて見えないわ」

「あーっ! これは失礼っ! 失礼しましたっ! けどこれ見てくださいっ! これっ! この計算式っ!」

「どの計算式……ていうか計算式?」

 隙間もないほど文字がビッシリ書き込まれていて、ほぼ黒い紙だ。

 若葉はもどかしそうにプリントを確認し、その箇所を鉛筆でぐるぐる囲った。というより黒に黒を重ねてもなにも見えない。

「ここですっ! これっ! この式っ! 二重丸で囲ったところっ!」

「二重丸……」

「いやー、もうね、これでアンチ・エーテル理論は完成したと言っても過言ではないですよ、ええはい。私の計算ではね、これは百メートル先のターゲットにも作用しますよっ! もう火薬なんて必要ありませんからっ! この地上の火薬は、全部燃やしちゃいましょうっ! うへへ……。さ、さあ、ではさっそく装置の設計に取り掛かりましょうかっ! この世界は可能性で満ち溢れているっ!」

 徹夜続きで幻覚でも見えているのだろうか。それは数式どころか文字にすら見えなかった。

 というより、若葉は謎のガッツポーズのままその場に崩れ落ち、そして寝た。

 いや、寝たんだよな? 死んでないよな?

 もし本当に完成したなら凄いことだが……。

 あまりに疲れすぎると、人は起きたまま寝るらしいからな。まっくろなプリントを前に夢を見ていた可能性もある。過度な期待はしないほうがよかろう。

 というよりこの人、そのうち過労死しそうだなぁ。そっちのほうが心配だよ。


(続く)

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