合衆国
花は意外と食えなくもなかった。食事中、みんなの口の中が光って不気味だったが。
味はほぼない。噛んでいるとほのかに甘みはあるが、それだけだ。舌触りはまろやか。ドレッシングをかけたら、そこそこ食えるものになるかもしれない。
エーテルの摂取によるいわく言いがたい感覚もあったが、トリップするほどではなく、症状もすぐに消えた。
結局、ガソリンはもたず、車両は途中で放棄せざるをえなかった。
重傷者は交代で背負ったが、しかし彼らは間もなく死亡していった。意識を取り戻したのは、小柄な暗殺者のスジャータのみ。遺体はすべてその場に置き去りにされた。結局のところ、機構側の生き残りは、スジャータや陳禄山を含めてたったの五名だけだった。
野宿したくないだの、トイレがどうのと、はじめはギャーギャーうるさかったさやかも、最終的には無言になった。というより、無言にならないものはいなかった。
あれから何日経ったのかは不明だが、俺たちはなんとか黒い妖精花園へ到着することができた。シュヴァルツたちの庭園だ。黒い妖精たちが、滑るように空を飛び回っている。彼らの放出する黒いエーテルは、ドームから放たれた黒い閃光とよく似ていた。
「明日までにワームをひとつ用意しておくよ。今日はゆっくり休むといい」
そんな義理もないはずだが、シュヴァルツはじつに親切にしてくれた。一緒にザ・ワンと逃げたから、仲間とみなしてくれたのかもしれない。初対面のときは、挨拶もナシに首を狩ろうとしてきたものだが。ずいぶんしおらしくなった。
体調はよくなかった。
ぶっ通しで歩き続けたせいか、足がぶっ壊れそうなほど痛む。筋肉痛ではなく、靴ずれのせいだ。安い革靴で野原を歩き回るべきじゃなかった。
スニーカーの三郎でさえ、さすがに疲弊した様子だった。まあ彼の場合、姉の世話もセットだったからな。人並みの苦労ではない。
翌日――かどうかは分からないが、しばらく寝て起きると、庭園にはワームが用意されていた。
黒ずんだぶよぶよのウツボカズラだ。俺の知ってるのと少しタイプが違うが、これでも機能は同じなんだろう。たぶん。
旅立つ俺たちを前に、シュヴァルツは神妙な表情を見せた。
「向こうへ行く前に、ひとつ忠告しておくよ。いちおうワームは作ったけど、どこにつながっているかは分からない。こればっかりは授かりものだからね。姉さんならもっとうまくやるんだろうけど……」
彼女はそうつぶやいて、表情を暗くした。
「いや、十分だよ。俺たちの力じゃ、そもそも向こうに行くことさえできないんだから。助かるよ」
俺は本心からそう思った。
彼女を不完全なコピーなどと揶揄する無礼者もいるが、それでもワームがなければ、俺たちは他界から出られないのである。どこへつながっていようが、ないよりはマシだ。
それに、ワームがいるということは、妖精が一体犠牲になったということだ。これは容易なことではない。
シュヴァルツは顔をあげた。
「はじめは嫌な人間かと思ったけど、私の勘違いだったね。旅の無事を祈るよ。花々の祝福があらんことを」
「ありがとう」
*
ワームを抜けると、真っ白な部屋に出た。
もしかして検非違使の庁舎だろうか。ワームがぽつんと置いてあるほかは、なにもない。窓もなければ家具もない。無人である。特徴がなさすぎる。
ひとまず全員が出たのを確認し、俺はドアへ向かった。
が、施錠されている。
源三が首をかしげた。
「妙だな。内側から開かないってのは」
「指紋認証とかですかね」
俺はドアの周囲を注意深く確認したが、なにも発見することはできなかった。
かと思うと、ベチャリと不快な音とともにワームが爆ぜて肉片となった。血液は溢れ、エーテルも飛散し、混ざり合ったところは黒っぽい紫色になった。骨も飛び出してしまっている。変形しているとはいえ、もとは妖精だ。
どこからか声がした。
『あー、抵抗しないように。ワームに少し細工をさせてもらった。君たちは客人だ。危害は加えない』
聞き覚えのある声だ。
陳禄山も眉をひそめた。
「ダージャーか。いったいどういうつもりだ?」
そうだ。ダージャーだ。日本支部にいたあの怪しいドクターだ。
『先に言っておくと、ここは日本支部じゃないぞ。アメリカの保有する軍艦だ。要するに君たちは、いまアメリカの法の下にいることになる』
「裏切ったのか?」
『転職だよ。当然だろう。予算の桁が違う。それにアシスタントもいるから書類整理に忙殺されることもない。こんなに素晴らしいことがあるかね?』
前もそんなことを言っていたな。日本支部の扱いにはかなりの不満を抱いていたようだ。
ダージャーは急に冷静になり、こう続けた。
『話を戻そう。アメリカ政府は、ザ・ワンの研究に莫大な予算をつけた。そして、そのプロジェクトの室長にこの私を抜擢した。賢明な判断だな。ザ・ワンと交戦した君たちには、その詳細を報告する義務がある。素直に応じれば協力者として丁重に扱おう。しかしそうでなければ、あまり合法的とは言えない手段で喋ってもらうことになる。これから私の部下がそちらへ向かうが、抵抗しないように』
米軍相手に抵抗するヤツなんているのか?
そんなバカ、ここには……いないと信じたい。
俺は床へ銃を置き、遠くへ蹴飛ばした。
「ま、ここは素直に従いましょう。死にたくないですからね」
源三もうなずいた。
「総員、武装を解除しろ」
どうだ。
さすがに三郎も暴れたりしないだろう。
俺がドヤ顔で視線を向けると、三郎は肩をすくめた。
「山野さん、もしかして俺が抵抗すると思ってるんじゃないだろうな」
「いやいや、信じてるぜ相棒」
「当然だ。俺は意外と空気が読める男だからな」
まあ、心配なのはもうひとりいるのだが。
一子はワームの肉片を見つめ、食べようかどうしようか迷っている様子だった。行動が読めなすぎる。
「一子さん、たぶん協力したら食事ももらえると思うんで、おとなしくしてましょうね」
「肉!」
誰も肉とは言ってない。まあアメリカ人の出す飯に肉がないってこともないだろうけど。
この様子を監視していたらしいダージャーも、満足げにつぶやいた。
『そうだよ。私は敵じゃない。協力してくれれば適切な扱いを約束する』
間もなく武装した米軍がやってきた。コンバットベストを着用し、MP5を構えたいかにもな連中だ。銃口をこちらへ向けはしなかったが、いつでも撃てるよう神経を尖らせていた。
「ようこそ、アメリカへ。武装解除の協力感謝します」
リーダーとおぼしき男が、流暢な日本語で告げた。
「これよりひとりずつドクターの面接を受けていただきます。待機所へ案内しますので、こちらへどうぞ」
意外とまともな扱いだ。もっと横柄な態度で来るかと思ったのに。
待機所にはベンチが据え付けられており、フリーのドリンクコーナーさえあった。雑誌も置いてあるが英語だ。俺には読めない。
「人員の把握をしますので、こちらに氏名と所属を記入してください。能力のあるかたは忘れずに申告願います。預かった所持品は、帰りにまとめて返却します」
ペンつきのクリップボードを配られた。
すると三郎が、渋い表情で俺のところへ来た。
「山野さん、これ英語だぞ」
「えーとね。ネームのところが名前で……フォンは電話だから……」
「ネームってどれだよ?」
「はっ? だから、ネームはこの……」
すると軍人が戻ってきて、丁寧に説明してくれた。
「こちらに名前、こちらに所属、それと、能力があればこちらにも記入を」
ペンで三つマルをつけてくれた。
なんなんだよこの見慣れない文字列は。中学校で習った単語にしてくれよな。とんだ恥をかいたぞ。
さやかが鼻で笑っているのもイラつく。
陳禄山が軍人を呼び止めた。
「治療の必要なものがいる。手当を頼みたいのだが」
「でしたらホスピタルへ案内します」
医務室へ連れて行かれたスジャータをのぞくと、俺たちは十六名。なかなかの大所帯だ。ここからひとりずつの面接となると、だいぶ時間がかかりそうだ。正直、一秒でも早くベッドで眠りたいのだが。
ぼうっと順番を待っていると、次第に景色がぼやけてきた。眼球にすら力が入らなくなっている。コーヒーに砂糖とミルクを山ほど入れて飲んだから、頭は冴えているのだが、体が勝手に眠ろうとしていた。
さすがに体力の限界だな。気力でどうにかなるレベルじゃない。
まあ、寝たところで、ここなら安全だろう。俺たちを殺すつもりなら、とっくにやっているだろうからな。
*
ふと目を覚ますと、俺はベッドに仰向けにされていた。
のみならず、体を拘束されてもいた。
周囲には白衣の人間たち。
いやいや、たしか面接って話じゃなかったか……。
ニヤニヤしながらダージャーが寄ってきた。
「よく眠れたかね、ヤマノ。少しばかり君の体を調べさせてもらったよ。凄いじゃないか。ザ・ワンとよく似た能力に覚醒している。私の促進剤が効いたのか? あるいはクロバネになにかされたのか?」
俺は深く溜め息をつき、こう応じた。
「深海を大量に吸引したことがあって、その直後からですよ」
「なるほど。ハバキの作ったドラッグ……というよりエーテルそのものだな。連中がどうやってその技術を手に入れたのかは不明だが……。理由は分かった。たしかに現代人はエーテルを『忘却』しているからな。体に思い出させる必要があったというわけだ」
「面接するんですよね?」
俺の確認に、ダージャーは肩をすくめた。
「ザ・ワンに関する情報はもう十分だ。君にはほかの用がある」
「えっ? ほかの用って? まさか、解剖とか……」
「残念だが、解剖で得られる情報は思ったより少ない。大丈夫。君を傷つけたりはせんよ。ただ、能力が暴走しないよう制御装置にかけているだけだ」
「なんです制御装置って?」
「アンチ・エーテル技術を応用した、対ミュータント用の安全装置さ。ためしに君の能力を発動させてみたまえ。なにもできないはずだ」
「ええっ……」
またなんか怪しい技術を開発したのか。しかもミュータント呼ばわりとは。人権侵害で訴えるぞ。なにせ訴訟はアメリカの主要な産業だからな。
言われた通りバリアを展開しようと意識すると、しかしなにかに抑え込まれたようにうまくいかなかった。風船ではなく、ペットボトルに息を吹き込んでいるような感覚だろうか。とても息苦しい。
ダージャーはベッド脇のモニターを眺めつつ、顔をしかめた。
「なんだこれは。あと少しで振り切られるぞ。出力をあげたまえ」
「うげ」
アシスタントがなにかを操作した途端、抑えつけが強烈になった。もやもやしたものが内臓に食い込んでくる感じがする。
「ちょっと、なんか……気分が優れないんですが……」
「安心したまえ。死にはせん。それより、能力の詳細について聞きたい。それは防御専用なのか? ザ・ワンのように、攻撃には転用できんのか?」
「はっ? 攻撃? こっちはただのサンドバッグですよ」
これにダージャーは首をかしげた。
「おかしいな。ザ・ワンは受けたエネルギーを蓄積して、反撃に使っていたように見えたが」
「見えた?」
「そういえばあのとき、君はエレベーター内にいたんだったな。私たちのバックにいるのはアメリカだよ。セントラル・クレイドルの監視カメラをハッキングするくらい朝飯前さ。東アジア支部が乗り込んできてからドームが消失するまでの全映像を記録している」
なんだよそれ。だったら面接の必要すらなかったんじゃねーか。
ダージャーは揚々と続けた。
「アレはじつに興味深い現象だった。イージスの力で攻撃を受け止め、そのエネルギーを一気に放出するんだ。のみならずザ・ワンは、敵からの攻撃がなくともみずから跳ねて衝撃を生み出し、その力を蓄積していたな。君にはできないのか?」
「さあ、ちょっと、そういう状態になったことがないのでなんとも」
「しかし大正時代の記録に、ザ・ワンがイージスを発動したという記録は見られない。すなわち、アレは儀式によって覚醒したということだ。まだ完全体でないのにあの能力だよ? じつに可能性を感じる」
俺のことなど構わず、ダージャーは大興奮だ。分かったから装置の出力を落とせといいたい。
「とにかく、ザ・ワンの研究は、人類の発展に多大なる貢献をもたらすことになるだろう。君には、そのための実験に協力してもらいたい。謝礼は出すぞ。そのための予算も組まれている」
「いや、実験って……」
「なに、安心したまえ。野蛮なクロバネと違って、我々は君にボールをぶつけたりはしない。あの女はサディストだが、私はその逆だからね。おのずとアプローチも違ってくる」
そういう問題なのかよ。
なんだか素直に協力する気になれないのは気のせいか?
俺はふと、素朴な疑問に行き当たった。
「ところで、ドクター。アメリカは、最終的にザ・ワンをどうしたいんです? 殺すつもりなんですか?」
「殺す? なぜそんなことをするんだ! 貴重なサンプルだぞ。あの仕組みを解明できれば、プロジェクトにかけた予算の十倍は回収できる予定なんだ。なにせこれは、軍事へも転用できる技術だからね。軍需産業も潤うし、大統領の支持率も高まる。私の名も歴史に刻まれるという、素晴らしい研究なのだ。いまアレに死なれたら困るのだよ」
結局、利権の話か。まあシンプルでいい。
俺にいくらか回ってくるなら協力してやってもいいが、しかしいまはダメだな。日本がどんな状況なのか、まだ知らされてもいないんだから。ペギーの様子だって気になる。
俺には、やらなきゃいけないことがある。マッドサイエンティストのビジネスに付き合っている暇はない。
(続く)




