機動防御
約束の日曜が来た。
先に来たのは六原三郎だ。昼からだって言ったのに朝の十時から来やがった。麦茶を出すとすぐさま無言で飲み干したので、俺は二杯目を注いでやった。
「一億ってのは本当なんだろうな」
「知るかよ」
こっちは黒羽さやかの財布も口座も覗いたことはないんだ。覗くまでは、存在するかどうか分からない。なんとかの猫理論だとな。
三郎は溜め息をついた。
「山野さん、最近また店に顔出さなくなったな」
「どっかの誰かにヘコまされて、部屋でシクシク泣いてたんだよ」
「どうせエロ動画ばっか観てたんだろ?」
「信頼できる情報だな。蛇にでも聞いたのか?」
「動物的直感ってヤツだ」
ふん。それで勝ったつもりか。エロ動画以外にもいろいろ観とるわ。
俺は自分で注いだ麦茶を飲み、こうやり返した。
「で、そっちはどうなんだ? ハバキの仕事はうまくいってるの?」
「条件に合うのがなくてな。運転手がいりゃ、いくらか受けられそうなのもあるんだが」
「免許とったら?」
「……」
無言で睨まれた。
俺は謝んねーからな。
しばらくするとチャイムが鳴った。覗き穴から確認すると、そこに立っていたのは黒羽さやか一名。今日も執事とやらは一緒のはずだが、外で待たせてるってことか。
鍵をあけ、ドアノブを回した直後、隙間からガッと手を突っ込まれた。細くて青白い不気味な手だ。そいつはドアを少しずつ開き、獣のようにぬるりと顔を覗かせた。
「サブちゃん……いる……?」
当然、こいつだ。
「いますけど、まずは事情を説明してくださいよ」
「呼ばれた……の……」
「誰に?」
するとさやかが、にこりと営業スマイルを浮かべた。
「わたくしですわ」
「あの、黒羽さやかさん、この人がどんな人なのか、ちゃんと知ってて連れてきたんだよね?」
「ええ。よく存じておりますわ。とっても優しいお姉さまですもの」
「……」
豆腐の角に頭でもぶつけたのか。あんなんでも音速で飛んできたら危険だろうからな。
ふたりをリビングに通すと、三郎は犬のように顔をしかめた。
「こいつが来るなんて聞いてないぞ」
「俺だって聞いてないよ。この子が勝手に……」
するとさやかは、小首をかしげて辞儀をした。
「ごきげんよう。わたくしがお連れしたんですの。お姉さまの力がきっと必要になると思いまして」
「いやいらない。帰してくれ」
またこの話で揉めるつもりか。
俺は新たなグラスを用意し、麦茶を注いだ。
「まあ、とにかく本題に入ろう。必要かそうでないかを判断するのは、そのあとにしようぜ」
「話が早くて助かりますわね。叔母に相談しましたところ、プロに仕事を頼むなら最低限お金だけはキチッとしなさいとのことでしたので、まずはそこから進めたいと思います」
叔母というのは黒羽麗子だ。彼女もこの話に噛んでるってことか。
さやかは小さく咳払いをし、こう続けた。
「叔母から五千万、黒羽の互助会から五千万を借り、現金を用意いたしました。よって組合を通じ、正式な依頼とさせていただきます」
いくら身内からとはいえ、借金してまで報酬を用立てたのか。これは本気ってことだな。
さやかは揚々と続けた。
「わたくしがクライアントですので、今後、わたくしの指示に従っていただきます。ふたりだけで船に乗り込むようなことはせず、わたくしの指定した十人で仕事にあたってもらいます」
「十人? てことはひとりあたり一千万か……」
俺は三郎の様子をうかがったが、特に表情を変えはしなかった。まあさすがに、ふたりだけでこなせる仕事だとは思っていないよな。
そしてさやかは、こうも言った。
「メンバーの選出はもう済ませてあります。お姉さまにも参加していただきますわ」
「……」
三郎は顔をしかめたものの、反論へは至らなかった。こいつはクライアントの命令には従う。その辺は、俺なんかよりずっと意識が高い。
俺は尋ねた。
「あとの七人ってのは? 差し支えなければ誰なのか聞いておきたいんだけど」
「わたくしの知り合いが警備会社をやっていますの。そこの社長が協力してくれるそうなので、その方たちを入れようと思いますわ」
「警備会社? その人らは、非合法なほうも請け負ってんの?」
「非合法専門ですわね。あなたたちもよくご存知の、川崎さんですわ」
「川崎? あの川崎? 虎のマスクの?」
「ええ」
警備会社とはな。検非違使庁の廃止に備えてペーパーカンパニーでも用意してたか。表向き存在しない機関だったし、その程度の備えはしてたってわけか。
「じゃあ、そのメンバーってのは?」
「川崎さんと一班と二班。それで七名ですわ」
一班は精鋭だ。しかし二班とは……。
俺は思わず溜め息をついた。
「ペギーとサイードさんも入れたかったんだけど」
「彼らには別の依頼がありますので」
「別の?」
「夷をもって夷を制す、という策がありますわ。日本支部には、海路から東アジア支部を攻撃してもらいます」
夷とはまた傲慢だな。東アジア支部はともかく、日本支部は日本人だぞ。
「その作戦には賛同しかねるな。あのふたりは組合員かもしれないけど、日本支部は特にそういうのじゃない。こっちの指示に従うとは思えないけど」
「彼らはナンバーズと協力体制に入ったんです。そのナンバーズからの要請があれば、動くはずですわ」
「今回の作戦、ナンバーズも絡んでんの?」
六原一子と黒羽麗子が個人的に絡んでいるだけでなく?
さやかはすました顔でうなずいた。
「数名が日本支部の船に乗り込んで、彼らをバックアップする予定です。わたくしからの依頼ではなく、ナンバーズの組織として自発的に」
「組織間の共同作戦ってことか……。まあ、分かった。じゃあその案で行こう」
なにせクライアントはさやかなのだ。決定権は彼女にある。本来、俺が口を挟める問題ではない。
などと納得しかけたそのとき、スマホが鳴った。
またセヴンからだ。俺たちの楽しい懇親会に混ざりたくなったのか。
>【緊急速報】楽しい穴掘りの時間よ 税込百万円
そりゃ掘るのは得意だろうよ。いや、掘られるほうか。俺に関係ない情報を送ってくんじゃねーよクソが。
とは思うが、どうせまた重要な情報なんだろ。
>どこの穴を掘るって?
この皮肉に、セヴンは予想外にまともな返事をよこしてきた。
>掘るって言ったらザ・ワンに決まってんでしょ!
>いいから百万払いなさいよ!
こいつ、どんだけ俺の金をむしれば気が済むんだよ。
>ちょっと高くないですか?
>じゃあ十万でいいから!
>ゼッタイ買いなさいよ!
九割も引いて来やがった。
これはどう考えても「無料」と同じにおいがする。
>分かりました。教えてください。
>東アジア支部の車が数台、ザ・ワンの回収に向かったわ。
>港に船を寄せたのはこのためだったのかも。
>検非違使から警察への引き継ぎが急すぎて、現地の警備も薄くなってるし……。
>これは取られるわね。
>ただし、ザ・ワンは深いところに埋まってるから、一日じゃ掘りきれないはず。
>いまから向かえば、連中が掘ってる背後から襲撃できるわ。
溜め息しか出ないな。
俺はみんなにも画面を見せた。
「なんか掘ってるらしいぜ。『背後から襲撃できるわ』とか言われてもな。これはあくまで情報であって依頼じゃないんだし、俺らにはどうにもできねーよな……」
さやかが拉致されたときは勢いだけ救出に向かったが、今回のこれはちょっと事情が複雑すぎる。
などと言っている間に、セヴンからのメッセージが流れてきた。
>あ、やっぱダメだわ。
>本部の船がこっち向かってるって。
>ヤバそう。
>また連絡するわ。
以上、通信終わりってな。
本部と言えば、アメリカともつながってるヤバい連中だ。なんとなくだけど、アメリカと癒着して共同で取りに来てる気がしなくもない。アメリカだって、思う存分アレを研究したいだろうし。
「だ、そうですが、どうします? このままだと、東アジア支部と本部を同時に相手することになりそうだけど」
状況は絶望的なように思える。
もし俺の予想が確かならば、このあとなんらかの理由をつけてアメリカが介入してくる。そしてアメリカが出てくるってことは、警察や自衛隊もそっち側につくってことだ。俺たちの味方はいなくなる。
さやかはしかし厳しい表情のまま、なにかを考えているようだった。まだ若いのに意外としっかりしている。俺だったら自分で考えるのを放棄して、大人にぶん投げているところだ。まあ、そんなんだから一浪して微妙な大学に……。
さやかは顔をあげ、こう告げた。
「現地へ向かいましょう。作戦を開始します」
「はっ?」
「もしかしたら現地に陳禄山がいるかもしれません。現地へ向かってください。川崎さんたちにも連絡を入れておきます」
「いやいや、いるわけないでしょ……」
「あなたがやらなければ、ほかの組合員に依頼します」
あなたの代わりなんていくらでもいるのよ、ってやつだな。
こいつ本当に未成年か? まさに黒羽としか言いようのない豪腕ぶりだ。この少女には逆らうだけムダのような気もする。
「オーケー。準備するから五分くれ」
*
五分後、俺たちは黒羽の車で大田区へ向かっていた。まさかそんな人口が密集した場所に埋まっているとは思わなかったが。
車はジャガーだ。高級車だ。金持ちってのはこれだから。
しかも執事とかいうのは、爺さんかと思ったら、若い女だった。そのうえ運転が荒い。
「鬼塚さん、安全運転でお願いね」
「あいよ」
さやかの言葉に、執事はにこりともせず応じた。
目つきも鋭ければガラも悪い。
結局は黒羽もヤー公なのか。それともこの執事が個人的にアレなのか。
いや、いまはそんなことどうでもいい。作戦のプランを練らなくては。
まだ機構の本部は到着していないから、俺たちは東アジア支部だけ相手にすればいい。これまでに遭遇した武装は、トカレフ、イングラム、手榴弾に火炎瓶、そして毒針だ。
対するこちらは、銃を所持しているのは俺だけ。しかし戦闘力だけを見れば、六原姉弟のほうが圧倒的に強い。ふたりが戦いやすいよう、俺は前に出て敵の射線を集めるべきだろうな。メイン盾ってヤツだ。
あとは、元検非違使の連中が最速で駆けつけてくれるのを願うのみ。
できればスナイパーが欲しいところだが、まあ、贅沢は言うまい。
「サブちゃん……お腹すいた……」
唐突に後部座席の一子がぐずりだした。彼女の燃費の悪さは異常だ。点滴でも刺しながら生活したほうがいい。
だが三郎は扱いを心得ている。
「まあ待ってろ。これからたらふく食わしてやるからよ」
「ふふふ……楽しみ……」
期待してるぞ、殺人鬼ども。
(続く)




