ハイエナの介入
数日後、まんまと乗せられた俺たちは、ふたたび群馬へ来ていた。
依頼主はナンバーズ・ナイン。
そのナイン本人が、俺たちとともに出動する。参加者は俺と六原三郎。一子は誘っていない。というか、あれからバーで姿を見ていない。
妖精研究所を運営しているのは、妖精学会とかいう怪しい組織だ。こいつは業界の団体だから、事件に巻き込まれても警察を呼んだりしない。その代わり、検非違使に連絡が行く。先日も見た通り、警察と違って警告ナシで発砲してくるような連中だ。とても危ない。
ただし検非違使は東京から来る。通報があったとして、群馬に駆けつけてくるまでだいぶあるだろう。
現場で遭遇すれば射殺される可能性が高いが、仕事が終わったらノーサイドだ。それに、依頼主が処分されることはあっても、作業員はお咎めナシという決まりになっている。
とっととやって、とっとと逃げ切ればいい。
一発で二百万の大仕事だ。景気よくやろう。
十九時二分。
春のなまぬるい夕闇の中、俺たちは駐車場に車を入れた。
組合のデカいバンじゃない。ナインの用意したセダンタイプのレンタカーだ。あんまり妙な車で乗り付けたら、職員に怪しまれるからな。
だだっ広い駐車場には、ほとんど車がなかった。ここの定時は十七時。一般的な職員は残業なんてしないから、遅くまで残っているのは研究者だけになる。
「身分証を偽造しておいた。エントランスくらいは通過できるだろう」
ナインは俺たちにIDカードを配った。
証明写真までついている。スーツ姿で撮影した俺とナインはいいが、三郎はアニメ絵のTシャツだ。もう少しどうにかならなかったのか。
まあいい。
目指すは研究所。病院や学校ほどの大きさの、白い建物だ。
しかしこいつの真のデカさは、外からは分からない。重要な研究室があるのは地下。専用エレベーターでの移動となる。偽造IDでセキュリティを通過できるかどうかは不明。ナインがどうするつもりなのかも不明。
さも職員ですという顔で乗り込むと、警備員は俺たちに注意も払わなかった。IDカードの確認さえされない。
完全にザル警備だ。Tシャツの三郎も、アルバイトかなにかだと思われたのかもしれない。あるいはカジュアルデーってやつか。それでもジーンズはないだろと思うんだが……。
奥へ行くと、研究室へ通じるエレベーターに行き当たった。こないだ妖精を始末した第二研究所と同じ構造だ。
横を通り過ぎた白衣の職員がやや怪訝そうに見てきたが、特に呼び止められなかった。出入りの業者かなにかだと思ってくれたらさいわいだ。
ナインはパネルにIDカードをかざし、エレベーターを呼び出した。
セキュリティに弾かれなかったところを見ると、このIDカードは精巧なコピーなのかもしれない。あるいはコピーではなくオリジナルか……。
もしオリジナルなら、内通者がいるということになる。あるいは研究所とグルになったナインが、俺たちをハメているか。
エレベーターが来た。
ナインが乗り込んだので、俺と三郎もあとに続いた。
ナインがボタン押したのは最下層。
地下十二階。
まっしろなエレベーターの中、俺たち三人はじっと到着を待った。前回と違い、一階ずつ回らなくていいからじつに早い。
チーンとベルが鳴り、ドアが開いた。
潔癖なまでにまっしろな廊下が、正面にずっと伸びていた。脇にぽつぽつドアがあるものの、基本的に一本道。死体は転がっていない。妖精の姿もない。
「場所の検討はついてるんですか?」
なんだったら案内してやろうかとばかりに、俺は言った。
ナインは涼しい顔をしている。
「こっちだ」
迷いがない。
思えば前回、この男もいたんだったな。
少し歩くと、忘れもしない印象的な円形ドアに突き当たった。この奥に囚われのプリンセスとやらがいるという話だ。もしくは、またあのブタだかクジラだか分からない臓器が横たわっているかもしれない。
「すみません、ちょっといいですか」
背後から声をかけられた。
振り返ると、白衣の研究者がいた。生真面目そうな初老の男だ。
「その部屋になにか用なの? というより、おたくらどこの部署の……」
言い終える前に、その頭部は胴体から切断され、床に転げ落ちた。やや遅れて噴出する鮮血。
六原三郎の真空波だ。
こいつは殺るとなったら本当に躊躇がない。性別年齢関係なく、次の瞬間には死体にしてしまう。
ナインが肩をすくめた。
「せめて挨拶が済んでから殺ったらどうだ?」
「そんな時間があるのか? これは襲撃だぞ。目撃者はその場で殺すのが一番だ」
「一理ある」
ナインはIDカードをかざし、ロックを解除した。
丸いドアが開くと、天井の高い、ひときわ巨大な部屋が見えた。外周に計器類や操作パネルがあり、中央にはカプセル状の妖精タンク。前に見たのと同じ間取りだ。妖精花園はない。研究者もいない。無人の、がらんとしたフロアだ。
「誰もいないようですが?」
俺は思わず皮肉を吐いた。
プリンセスとやらに会えるのを楽しみにしていたのに。
ナインはしかし返事もせずに歩を進め、妖精タンクの前に立った。カバーに手をかけ、ぐっと力を込める。が、開かない。
「やむをえんな」
そうつぶやいた直後、カバーが灰となって崩れ去った。
続いて、だばだばと謎の溶液がタンク内からこぼれおち、一人の少女が姿を現した。
少女――無残な姿であった。髪はなく、手足も切断され、ケーブルに接続されて吊り下げられた妖精。意識はなく、長いまつげからただ水滴をしたたらせていた。
ナインは少女を抱え、無造作にケーブルを外していった。
「生きてんのか?」
三郎の言葉に、ナインはなんてことない表情で応じた。
「大丈夫。彼女の生命力は底ナシでね。失われた手足も、そのうち生えてくるはずだ」
「はっ?」
「再生能力があるんだ。心配はいらない」
ぎょっとするような状態だが、まあ、大丈夫というなら大丈夫なんだろう。それより俺たちは、むしろ自分の心配をしたほうがよさそうだった。
赤色ランプが点灯し、サイレンが鳴り響いたのだ。
『緊急事態発生。緊急事態発生。職員の皆さんは、すみやかに避難してください。緊急事態発生。緊急事態発生――』
さすがにバレたようだな。
通路脇の部屋から飛び出してきた研究員が、廊下の死体を見つけて悲鳴をあげた。
「殺しながら行くか?」
三郎の提案に、ナインはかぶりを振った。
「いや待て。その調子で全員殺してたらキリがない。少なくとも、このフロアの研究員は行かせたほうがいい」
「なんで?」
「すぐに分かる」
研究員たちは、エレベーターへは向かわなかった。その脇の、非常扉を使って階段を駆け上がった。
ナインは「行こう」と言った。
「あの後ろからいけば、彼らに紛れることができる」
「そううまく行くか?」
「信じるしかない」
非常階段はすぐに大行列となった。
地下十二階だけでなく、他フロアからも研究員が流れ込んできたからだった。俺たちはやや警戒の目で見られたが、それでもこの騒動の被害者というツラで彼らに混じった。
救出した妖精は、ナインが大きなバッグに押し込んでいたから、誰にも見咎められることはなかった。いや怪しいことは怪しいんだが。ただの荷物と思われただろう。
問題は、俺たちが一階へ出たときに起きた。
いや、実際はもっと前から起きていた。というより、この騒動の発端はそいつらだった。
非常口からエントランスに出た俺たちは、凄まじい虐殺の現場に遭遇したのだ。謎の黒服たちが、警備員だけでなく、研究員まで蜂の巣にしていた。手にはサブマシンガン。ヤクザの抗争じゃあるまいし、火力が大袈裟すぎる。
「ハバキですかね」
俺の問いに、ナインは珍しく渋い表情を見せた。
「いや、どうも違うような気がするな」
じつは俺も同意見だった。
ハバキは人の道から外れた連中ではあるが、こういう雑な仕事はしない。仮にその場を火力で制圧できたとして、そのあと必ず国家権力の倍返しを食らうハメになるからだ。ハバキはもっと狡猾にやる。こういう襲撃をするのは、俺たちのような軽率なコソ泥か、あるいはデカい組織しかない。
連中の武器は、見たところイングラムのM11。サプレッサーまでつけている。あんなのを持ち込めるのは海外勢しかいない。少なくともハバキが使っているのは見たことがない。
ナインが、俺にバッグを押し付けた。
「連中は俺が片付ける。君は彼女を預かっていてくれ」
「はあ」
「くれぐれも前に出てこないように。君が死ぬのは構わないが、プリンセスにまで死なれたら困るからな」
「善処しますよ」
言われなくても下がってる。
俺だって、サブマシンガンで武装した連中の前に出るほどバカじゃない。
研究員たちがギャーギャー言いながら引き返してくる中、ナインだけがエントランスへ躍り出た。ホールドアップし、降参するような格好だ。自殺志願者にしか見えない。
「君たち、少し話をしないか? いったいどこの誰なのか教えてほしいんだがね」
黒服は五名。その全員が、無言のうちに銃を発砲。ナインを狙い撃った。
フルオートじゃない。セミオートだ。単発でぶち込んできた。こいつらただのテロ屋じゃねーな。
ただし弾丸は、俺の目の錯覚でなければ、ナインの前面で灰となって消え去った。流れ弾もない。
顔を見合わせた黒服たちは、銃のセレクタを操作した。フルオートに切り替えたようだ。
サプレッサーがついているとはいえ、発砲音が建物の壁に反響し、空気を切り裂くようなけたたましさで鳴り響いた。が、ムダだ。全弾灰になった。それどころか、黒服の一人が頭を吹き飛ばされて即死した。
誤射か? それともナインがやったのか?
三郎は俺の脇にいるから、殺ったのは別の誰かだろう。
外からダーンと凄い音がして、ふたたび黒服が倒れた。
黒服が外に向き直った瞬間、三郎が特攻して一人の首を刎ねた。
俺も掩護すべくバッグを床に置き、銃を抜いた。コッキングしていなかったせいでトリガーが重いが。とりあえず何発か撃った。もちろん全弾外れたが。一発くらい当たってくれてもよさそうなものだが。
俺があきらめて銃をおろした瞬間、外部からの射撃で黒服が死んだ。最後の一人は三郎が刎ね飛ばした。
始まってしまえば、カタがつくのは一瞬だ。
いや、これで安心している場合じゃない。
外からもっとヤバいのが来たってことなんだから。
デカブツがエントランスのドアを開き、青白い男が警戒した様子もなくふらふら入ってきた。
「皆さん、落ち着いてください。検非違使です」
またこいつらかよ。
東京から来たにしては、到着するのがあまりに早い。俺たちをツケてたか。あるいは黒服をマークしてたのか。
彼はこちらへ目を向けると、やや安堵したような、しかしあきれたような表情で溜め息をついた。
「またあなたたちですか。今日はどんなお仕事で?」
これに応じたのはナインだ。
「なに、企業見学ってところさ」
「今日ここに組合員がいるという情報はありませんでしたがね」
「プライヴェートでね。ところで、この黒服はいったい誰なんだ? まさか機構が動き出したとでも?」
これに青白い男は片眉をつりあげた。
「あなたたちは知らなくて結構」
すると義足の女がやってきて、手元の計器を覗き込んだ。
「エーテル反応があります」
「え、どこ?」
「そっちです」
女が指差した先にいたのは、この俺だ。
足元に、露骨に怪しいバッグが置いてある。計器でバレるなら、もう隠すだけムダだ。
「犬吠埼くん、中身確認して」
「はい」
デカブツがやってきて、バッグを開けた。
中には当然、死にかけの妖精。
「これは……」
もしかして次の瞬間、俺もこいつの銃でぶち抜かれるんだろうか。
俺は先手を取って、こう告げた。
「ち、違うんですっ! 売買目的じゃなくて、あくまで救出なんですっ! 慈善事業っていうか……」
「……」
ギロリと目を向けてきた。
せめてなにか言ってくれ。
青白い男がやってきて、口をへの字にした。
「あらあらこれは……。没収ですね」
「えっ?」
まさか、また報酬ナシなのか。
ハバキもダメ、ドライバーもダメ、襲撃もダメ、となると……。あとはコンビニでバイトしたほうがはるかに儲かるような気がする。
すがるような気持ちでナインへ目をやると、どういうつもりか、彼は笑顔を浮かべていた。
「やむをえんな。しかし丁重に扱ってくれよ。彼女の価値は、金に換算できるレベルじゃないんだからね」
「分かってますよ。俺たちにとっても重要な客人ですから。犬吠埼くん、車に運んで」
これにデカブツは「はい」とバッグを持って行ってしまった。
それでいいのか、ナインさんよ。こんな恨まれるような仕事、命がけでやったってのに。
青白い男は、するとこちらへ目を向けた。
「えーと、組合員の……」
「山野です」
「山野さん、それと六原さんにナインさんもね、事情を聞きたいので、庁舎まで同行してください。これは強制です」
無名の俺と違って、ランカーの三郎は名前を知られているようだ。ナンバーズのナインも。
よく考えたら俺、なんでこんなヤバい連中と一緒に仕事してるんだろうな。おかげで庁舎にしょっぴかれるハメになった。
(続く)