ダイイング・キッチン
検非違使が廃止になる前に人数が揃った。あとは仕掛けるだけだ。
事前に予想していた通り、俺のチームにはペギー、サイード、そして二本松ブラザーズが来た。
俺たちの担当は横浜。残りは青猫チームが六本木、星チームが西葛西、赤城チームが埼玉の蕨となった。東アジア支部は、もともと外国人の多い地域に紛れ込んでいたようだ。
作戦当日、俺たちは横浜の中華街に来ていた。といっても、だいぶ外れのほうだが。
時刻は二十三時すぎ。ほとんどの店はすでに閉店しているが、一部は営業しているらしく、まだ人がいた。いや繁華街にしては静かなほうかもしれないが。
それにしても、深夜だというのに蒸し暑い。これでもかというほど建物が密集しており、風通しもよくはない。
俺たちはレンタカーを降り、敵の拠点を目指した。
いや、拠点などと大袈裟に言うが、それはいわゆる飲食店であった。三階建てのコンクリート製。道路側の窓はすべて消灯している。看板にはネパール料理と書かれているが、実際に働いているのがネパール人とは限らない。
「ネパールって東アジアでしたっけ?」
俺の素朴な疑問に、サイードは表情を苦くした。
「いいところに気がついたな。ネパールは南アジアだが、いまや東アジア支部の管轄下にある。これだけ見ても、連中がいかに勢力を拡大してるか分かるだろう? もとは日本支部をサポートするための、補助的な支部だったんだが……。支部長の中国人がかなりのやり手でな。いまや日本支部さえ飲み込もうとしている」
そういえば、これまで交戦してきたのは中東系だったな。東アジア支部とは名ばかりの、アジア支部ってことか。
ペギーが肩をすくめた。
「さすがはエイブ。なんでも知ってるね」
「クラスで習わなかったのか? 必修だろ」
「もう全部忘れたよ」
船では機構の歴史まで教えてるのか。まあ、自分たちの歴史なんだし、当たり前か。
店の正面にはシャッターが降りていたから、裏側に回り込んだ。
数匹の猫が生ゴミをあさっていたが、俺たちが来た途端さっとどこかへ逃げ去った。音も立てず、俊敏に。
「私は先に、上で待ってる」
ペギーはそう告げると、青いエーテルを噴いてひゅっと屋上へあがってしまった。
たしか、飛べなかったって話じゃなかったか。症状が進行したのか、それともプシケになにかされたのか。
まあいい。
症状の進行した俺に言われたくないだろう。
二本松ブラザーズが呆然としていたので、俺は声をかけた。
「そろそろ始めるぜ。俺が突っ込むから、あんたらは外に出てきたヤツを始末してくれ」
「お、おう」
あきらかに緊張している。
ちゃんと戦えるんだろうな。
まあ、こっちは奇襲を仕掛ける側なんだ。パニックを起こすのは敵のほうだ。例によって、ドアの鍵もすでに入手しているしな。
などと余裕で構えていたら、上から鋭い声が聞こえてきた。
「気をつけてッ! もう始まってるッ!」
ペギーの声だ。
始まってる?
ウソだろ?
銃声が響いた。地上からは状況が見えないが、音を聞く限り発砲音はひとり分だ。敵の武装は銃じゃないってことか。
いや、それよりも。
敵に気づかれてるなら、待ち伏せされてるってことだ。このいかにもなドアから入ったら、きっと「よくないこと」が起きる。
サイードが路地裏へ向けて発砲した。
まさか、すでに包囲されてるのか。
このままじゃ削られる一方だ。消耗しきる前に対応しないと。しかし敵の配置が分からない。中にかたまっているなら、こちらから攻め込めばいいだけだが……。敵が散開しているとなると、走り回って片っ端から処分しないといけない。
「兄貴、後ろッ!」
「おうッ!」
弟に指摘され、兄が白鞘から抜刀した。居合のような一閃。マグロ包丁は鈍い光の弧を描き、敵を切り伏せた。
「あぐッ」
男はよたよた後退し、壁にもたれて崩れ落ちた。手には中華包丁とフライパン。戦闘のプロではないのかもしれない。
上からペギーが降ってきた。
遅れて、黒ずくめの暗殺者がひとり。布で顔を覆ってはいるが、のぞく目元には妖艶さがあった。女か。
そいつはふところに手を入れると、なにかを投げ飛ばしてきた。こちらもとっさにバリアをみなぎらせてガード。バチィと弾かれて床に落ちたそれは、細長い針だった。
暗殺者はぐっと睨むような目になったが、そのまま駆け出し、二本松ブラザーズの頭上を飛び越えて走り去ってしまった。
このまま逃げる気か。あるいはどこかへ身をひそめて奇襲する気か。いずれにせよ、あんなのを放ったまま仕事を続けることはできない。
「どういうことだ? 情報が漏れてたのか?」
サイードがしかめっ面で銃をリロードした。
もしかすると東アジア支部も、情報屋に金を積んだのかもしれない。蛇は金さえ受け取ればどんな情報でも売る。俺たちだけが一方的に優位に立てるわけではない。
対策を講じたいが、しかしここで立ち話をしている時間はない。とにかく行動せねば。
俺はひとつ呼吸をし、こう告げた。
「ちょっと中の様子を確認してくる。みんなはこの通路をカバーしてて。あ、ドアに罠あるかもしれないから、離れててね」
指示通り、彼らは二手に散開した。
遠くでサイレンの音がしている。警察が来る前に片付けなければ。いや来てもらってもいいけど、間違って巻き込むと手続きが面倒だからな。
時は金なりだ。
ま、雲の能力を使えば、いきなり殺されるってことはないだろう。念のためバリアを展開しながら、俺は鍵穴にキーを差し込んだ。
ドンッ、という音とともに、鋼鉄のドアが俺の顔面に迫ってきた。
いや、分かってた。たぶん罠があるだろうってことは。しかしこれはいささかやり過ぎなのではなかろうか。
俺は勢いよくぶっ飛ばされ、路地一本挟んだコンクリの建物と、その鋼鉄のドアに挟まれて、サンドイッチのようになっていた。
痛みはない。鼻血ひとつ出ていない。この能力はかなり優秀なのかもしれない。しかし頭がクラクラする。
あんまりデカい衝撃を受けると、集中が途切れてバリアも弱まる。二発連続で来られたら死ぬかもしれない。気をつけよう。
俺がドアを押しのけると、二本松兄がぎょっとした顔になった。
「い、生きてんのかよ……」
「こっちは大丈夫。みんなは引き続き、ここのガードを頼む」
「おう……」
俺はふらふらしながら、裏口からレストランへ足を踏み入れた。
そこは厨房だった。
爆発のせいで調理器具が散乱しているほかは、特に異変もない。というより、人の気配もない。まあ隠れているにしても、爆発物のそばにはいないだろうが。
電気のスイッチをいれたが、明かりはつかなかった。まあ当然だな。蛍光灯はぜんぶ割れている。
俺はスマホを取り出し、懐中電灯の代わりにした。
こんなことなら、銃にライトをマウントしておくんだった。
カウンターの向こう側、客用の食事スペースには、さほど爆風が及んでいなかった。ガラスはすべて割れていたが、テーブルや椅子はそのままひっそりと置かれている。
トイレを覗いたが誰も隠れておらず。
次は二階と三階だ。
慎重に歩を進め、階段をあがる。
二階はまるまる食事スペースだった。ざっと見た限り、誰かが隠れられるスペースはない。
そして三階。
ここは居住スペースだろうか。ユニットバスのほか、複数の寝室があったが、人の気配はなかった。死体も転がっていない。やはり全員外に展開しているのか。
念のため屋上へも出てみたが、無人だった。物干し竿が置かれているだけ。俺は柵から身を乗り出し、仲間たちの様子を確認した。
「なんか、中に誰もいないんだけど。そっちは?」
すると下にいたペギーが、こちらへ向けて銃を発砲した。それも二発。
「はっ?」
「後ろッ!」
ペギーの声で、俺は慌ててバリアを展開した。その直後、バチィとなにかが命中。
振り向くと、黒ずくめの暗殺者に背後をとられていた。さっきの人物とは別人かもしれない。ずいぶん小柄だ。
俺はP226のトリガーを引いたが、まったく当たらなかった。俺の射撃がヘタクソってだけじゃない。動きが迅すぎる。
こいつも妖精か?
エーテルを噴いているようには見えないから、純粋に身体能力だけで動いているのかもしれない。
そいつは針が通じないことを悟ると、さっと店内に逃げ込んでしまった。
かと思うと、階下でも銃撃戦が始まった。
「おい、いるぞッ! 中からだッ!」
声を荒げたのはサイードだ。
中から?
いまの暗殺者がもう一階に? それとも別の連中か?
店内は無人だったはず。状況が不明すぎる。
俺も暗殺者を追って店内に駆け込んだ。
バリアをオンオフするたび、首から肩にかけて虚脱感があり、内臓全体にも疲労が蓄積してきた。まだいけるが、ずっとはムリだ。さすがに万能ってわけにはいかないらしい。長期戦では配分を考えたほうがよさそうだ。
俺はスマホをしまったままで、薄暗い店内を駆け下りた。繁華街だけあって、外から明かりが入ってくる。シャッターのある一階以外はなんとかなりそうだ。
そして一階。
いったいどこから湧いて出たのか、十人以上の構成員が待ち構えていた。得物はトカレフ。厨房のカウンターを盾にして外と撃ち合っている。
俺はその背後から射撃を加えた。
挟撃だ。
あまり弾数がないから、俺はじっくりと狙いをつけて一発ずつ丁寧に撃っていった。こっちにはバリアがあるんだから、あせる必要はない。
数人やったところで、俺のさらに背後からバチィと来た。小柄なほうの暗殺者だ。無視してもいいが、こいつを放っておくと外の味方に被害が出る。俺は暗殺者に向き直り、狙いを定めた。
が、そいつは信じられないほど俊敏だった。狭い店内を、まるでネズミのように駆け回る。
トリガーを引こうと思うのだが、そのたび照準から外れてしまった。
厨房の構成員を片付けたペギーが、流れるように入ってきた。俺の隣に立ち、グロックを構えて何発か発射。しかし当たらない。
暗殺者は壁を蹴って走り、二階へと逃れた。まるで忍者だ。
ペギーがうんざりした表情でマガジンを入れ替えた。
「どうする? あんなにすばしっこいの、当たる気がしないよ」
「同感だ。いったん外に引き返そう」
俺はそう応じながら、視界の端に気になるものを見つけた。
一階フロアの階段の裏側に、地下への扉があったのだ。食品や在庫を貯蔵するスペースだろうか。十人近くの構成員たちは、そこに隠れていたらしい。完全に俺の確認ミスだ。まあ黙っておこう。
外に出ると、二本松弟がうずくまっていた。
「痛ェ……痛ェよ兄貴……」
苦痛に身を震わせ、うわ言のようにうめいている。
まさか撃たれたのか?
出血はないように見えるが。
となると、暗殺者の針だろうか。きっと毒でも仕込まれていたのだろう。早く医者にみせたほうがいい。
二本松兄は、しかし渋い表情だ。
「おい、虎次郎、立てって。ちっと足ぶっけたぐれーで大袈裟だべ?」
これに弟が抗議した。
「足っツってもスネだぞ! かなり痛ェんだぞこれ!」
「おめーいっつもヘタこいてばっかだなぁ……」
「そう言わねーで」
うむ、無事そうだな……。
暗殺者二名を始末しそこねたが、きっともう逃走したことだろう。それに、もうパトカーが集結している。事前に通達は行ってるはずだから、逮捕されたりはしないだろうけど。いずれにせよ時間切れだ。
サイードが溜め息まじりにデザートイーグルをしまった。
「事情を説明してくる」
「お願いします」
ニューオーダーへついたころには、すでに午前三時を回っていた。
ただでさえ眠いのに、能力の使いすぎで体がだるい。
店内には無表情のカメレオンが待ち受けていた。
「報告を聞かせてくれ」
本当にカメレオンみたいな男だ。ぬっとした気配を持っている。
俺はカウンターにつくなりこう応じた。
「なんか、こっちの動きバレてた感じなんですけど」
「やはりか。こちらも予想外の抵抗を受けた。戦果はどうだ?」
「基本的には処分できたんですけど、なんか暗殺者みたいのがいて、そのふたりには逃げられました。そうこうしてるうちに警察が来ちゃって」
「暗殺者?」
「黒い布をまとってて、針を投げてくるヤツです」
するとカメレオンは考え込むような顔になった。
「ふたりって言ったか? だったらファティマとスジャータだな。東アジア支部の特殊部隊だ」
「そっちはどうだったんです?」
「ターゲットはすべて処分した。負傷者もない」
「ほかのチームは?」
俺の質問に、カメレオンは肩をすくめた。
「全員無事だ。しかし星チームの拠点は空振りだった。逃げられたらしい。赤城チームは……いちおうの目的は達成できたがな」
「いちおうって?」
「シルバーイーグルが料金分の働きをしなかった、と言えば伝わるか」
「なるほど……」
平常運転ってわけだ。
カメレオンは長い指でまぶたをほぐした。
「ともあれ、ご苦労だった。今日はもうあがってくれ。今後のことはあらためて考えよう」
「はあ……。ところで砂原さんは?」
「帰ったよ。猫の世話がある」
「……」
猫なんて飼ってるのか。まあ、青猫なんて名乗ってるくらいだからな。
報告を終えた俺は、いつものテーブルへ向かった。
「どうだった?」
ペギーはルートビアを飲んでいた。
いや、彼女だけではない。眠たそうなサイードまでもがルートビアにしていた。これは個人的な趣味ではなく、機構での一般的な飲み物ってことなのか。こんな湿布みたいな飲み物が……。
俺はなるべく平常心で応じた。
「星チームの拠点だけ空振りだって。どうも、俺たちの行動は敵に筒抜けだったみたいだな」
「まだ終わりじゃないってことね」
ペギーはしょうがないといった様子で笑った。
美人の笑顔はいつ見ても癒やされる。
しかし俺の感傷を台無しにすべく、脇から二本松弟が入ってきた。
「え、じゃあまだ金もらえないの? 話違くね?」
「違わないよ。ちゃんと公募読んだ? 東アジア支部を国内から一掃するまでだから」
「は? 読んでねーよそんなの」
「……」
そこはキレるポイントじゃなくて謝罪すべきところだぞ。
二本松兄もさすがに顔をしかめた。
「虎次郎、おめーバカか。一千万だぞ? そんな簡単に終わるわけねーべよ!」
「でも兄貴」
「うるせえッ! ぐだぐだ言うな。ここでクビにされたら一円にもなんねーんだぞ?」
「それヤベーじゃん。車買えねーじゃん」
いやクビにはしないけども。少なくともシルバーイーグルと違って、ちゃんと働いてくれてるし。
拠点を三つも潰したわけだから、東アジア支部はかなりダメージを受けたはずだ。あとひと押しってところだろう。いまのところは有利に進んでいる。
しかし敵もプロだ。このまま黙っているとも思えない。信じられないほどの増員をするとか、あるいは向こうから攻撃を仕掛けてくるとか、いろいろやってくる可能性がある。まさか俺たちの自宅までは押しかけて来ないだろうけど。
可能な限り手を読んでおかないとな。
(続く)




