リクルーター 一
あれから特に事件もなく日々は過ぎた。嵐の前の静けさというやつかもしれない。
いつものようにニューオーダーで飲んでいると、ナインが来た。
「今日は君ひとりか。ちょうどよかった」
なにがちょうどよかったのかは分からないが、ナインはビール片手に席についた。
まあ、こっちとしてもタイミングはよかったかもしれない。
店内に星の姿はない。杉下もいない。少し離れたところにマリーがいるが、震える手でクスリをむさぼっている。聞かれる心配はないだろう。
「ナインさん、先日の、深海の件なんですけど」
「なんだ?」
「星さんが俺んとこ来て、こう言うんですよ。事務所をやったの、ナインさんじゃないかって……」
「なぜだ? 監視カメラでもあったのか?」
「いや、だって、部屋中灰だらけだったんですよ? そりゃ疑われるでしょう?」
ドアノブも灰になってたことだしな。
ナインは小さくうなり、ビールをやった。
「それで? 君はなんと答えたんだ?」
「いや、俺はまったく知らないけど、ナインさんに聞いてみますって」
「そうか。じゃあ、知らないと伝えてくれ」
「はあ」
まあ、そうするしかないよな。やりましたなんて言えるわけないし。
ナインはするとグラスを置き、こう続けた。
「それより、問題が起きたぞ」
うんざりだ。
問題が起きたなどと、勝手になにかが起きたような口ぶりで。どうせ自分も加担してて、しかもまたビジネスとやらの話なんだろうに。
「俺が死なない程度の話題でお願いしますよ」
この皮肉に、ナインはやや怪訝そうな表情を見せた。
「もう知ってるのか?」
「えっ?」
「本日のバッドニュースは三件ある。そのうちのひとつが君だ。殺害依頼が出た。額は一千万」
「……」
聞き間違えか?
殺害依頼? 俺の? しかも一千万?
ナインはビールを一口やった。
「だが安心したまえ。青猫は依頼を断ったぞ」
「青猫!?」
これまで青猫が仕事をしくじったという話は聞いたことがない。つまり、仕事を受ければ確実に成功させるということだ。狙われたヤツは死ぬ。
断ってくれてホントによかった。
しかしいったい、誰が、なんのために……。腹が痛くなってきた。
ナインは俺のナッツを勝手につまみ、こう続けた。
「二件目のバッドニュースは、ミスター・サイードの殺害依頼。これはキラーズが受けた」
「受けた!?」
「まだ取り掛かってはいないようだが。こっちも一千万だそうだ」
「いやいや、まったく状況が飲み込めないんですが……」
確かにサイードは、いまや機構とナンバーズの橋渡し役だ。キーマンと言っていい。一千万の値がついてもおかしくはない。
ナインは難しい表情になった。
「依頼主は、おそらく東アジア支部だろう」
「ナンバーズと機構の分断が目的ですか?」
「そう考えるのが妥当だろうな」
「けど、だったら俺は? なんで俺にまで殺害依頼が。生きてようが死んでようが、特に影響のない人間ですよ?」
「分からん」
分かんねーのかよ!
オマケで殺すにしても、一千万という額はあまりにデカすぎる。なんらかの意図があるはずだ。このタイミング、この非常識な額から考えれば、依頼主は東アジア支部と見て間違いなかろう。彼らはなぜ俺を狙う? カーチェイスの仕返しか?
ナインは小さく息をつくと、こう続けた。
「三件目のバッドニュースなんだが」
「いや、もっと掘り下げましょうよ俺のこと」
「青猫は蹴ったんだからいいだろう。サイードの件はあとで対処するとして。いまはもっと重要な問題がある」
「なんです、もっと重要な問題って……」
俺たちの命より重要な問題ってことか。もっと言い方ってもんがあるだろ……。
ナインは前のめりになり、テーブルの上に手を組んだ。
「先日、アメリカからの外圧がかかってな。政府が、検非違使の廃止を検討し始めたらしい」
「……はい?」
アメリカからの外圧?
検非違使の廃止?
それはつまり……どういうことだ?
俺が頭に疑問符を浮かべていると、ナインは渋い表情になった。
「これまで検非違使が管轄していた仕事は、今後、すべて警察に移管されるそうだ。警察に吸収されるのか、もう完全にお払い箱になるのかまでは分からないが」
「誰から聞いたんです?」
「情報屋だ。百万も払ったんだぞ。その情報をタダで流してるんだ。ありがたく聞きたまえ」
てことはデマじゃないってことだ。
蛇が情報機関としていかに有能であるかは、先日思い知らされたばかりだからな。
「ナンバーズの権威を保証していたのは検非違使だ。つまり検非違使がなくなれば、ナンバーズの存在意義も怪しくなる」
「権威……」
俺の復唱に、ナインはすこぶる渋い表情を見せた。
「これだけ一緒にやってきて、まだ理解していないのか? ナンバーズは、百年近くもザ・ワンを管理してきた由緒ある組織なんだぞ。俺たちがいなければ、ザ・ワンはとっくに機構の手に落ちていたはずだ」
「悩みのタネがひとつ減るのでは?」
「その件についての反論はひとまずおくぞ。とにかく、だ。機構は水面下でアメリカにロビイングしてきた。俺たちの張った防衛線を、予想外の方向から崩しに来たってわけだ」
「東アジア支部もなかなかやりますねぇ」
自分たちのいる場所が島国だってことは、こういうときに痛感させられる。ガラパゴスなんて呼ばれるわけだ。
だがナインは、これ以上ないほど渋い表情を見せた。
「支部じゃない。本部だ」
「本部?」
「各支部を束ねる親玉だ。機構の正式名称は言えるか?」
「世界管理機構ですよね」
「その大袈裟な名前の通り、世界規模なんだ。これまでのところ、本部は事態を楽観していてな。日本支部に任せておけば、すぐにザ・ワンを取り返せると考えていた。だが実際のところ、それは俺たちが阻止してきた。新たに介入してきた東アジア支部もあのザマだ。それでついに、本部が重い腰をあげたというわけだ」
「いや、でも内政干渉でしょう」
「それはそうなんだが。政府としても、表向き存在しないはずの省庁を、いつまでも抱えていたくなかったというわけだ。検非違使が関わると、警察は事件を処理できなくなるからな。いい機会だったんだろう。ある種の正常化というやつだ」
「正常化……」
「検非違使がなくなれば、ナンバーズもその権威を失いかねん。ザ・ワンも海外に運び出される。そうなる前に、俺たちは手を打たねばならない」
ん?
それの、なにが問題なんだ?
ナインが顔をしかめた。
「なんだいまの顔は。まさか、納得したんじゃないだろうな? 神の復活に必要なのは、ザ・ワンだけじゃない。三角か、もしくはペギーの能力が必要になるんだ。連中、その気になれば他界まで乗り込んでくるぞ」
「そうでした」
「それに、いまの君はナンバーズ・シックスの後見人でもある。部外者みたいな顔をするな」
「いや、あれはその場しのぎのデマカセでしょう? それに、力説してるところ申し訳ないんですけど、俺が乗り気になったところで状況が好転するんですか? 能力に覚醒したとはいえ、ランク外の組合員ですよ? しかもその能力も、なんだか微妙だし……」
ナインは小さく溜め息をついた。
「微妙なのは認める。しかしナンバーズが万年人材不足だということも忘れないでくれ。ひとりでも多くの味方が必要だ。君がやる気になれば、三郎くんも話を聞いてくれるだろうしな」
「……」
俺は無言でナッツを食った。
要するに、俺じゃなくて三郎の力が必要なのか。
ナインはビールを一口やり、こう続けた。
「いいか。検非違使の廃止はまだ決定じゃない。話を進めようとしてるのは警察とアメリカだけだ。まだなんとかなる。君には、そのための知恵を貸してもらいたい」
警察とアメリカって、それもう絶望的じゃねーか。
なんともならないよ。
「情報屋から情報買って、それで脅すってのは?」
「なるほど。警察はそれで止められるかもしれないな。しかしアメリカはどうする? さすがの蛇も、国外の情報までは持ってないぞ」
「アメリカにロビイングできそうなの、誰かいないんですか?」
「ツテがない。人材もない。打つ手ナシだ」
まあ、そりゃそうだ。ずっと国内でワーワーやってたのに、いきなりアメリカに出て来られちゃな。
俺はナッツを齧りつつ、思案を巡らせた。
「当の検非違使だって、この情報はつかんでるはずですよね? 俺たちにツテがなくとも、彼らにはあるのでは?」
「それが、ないらしいぞ。というのも、表向き存在しない省庁だからな。外部との交流をかなり制限されている。孤立状態ってわけだ」
「じゃあもうお手上げですよ。アメリカがそうしろって言ってて、政府も廃止したいって思ってるんだから。絶対そうなりますよ」
それで税金の節約になるなら、国民にとってもいいことだ。
ナインはジト目になった。
「君にはもう少し期待していたんだがな」
「仮に頭がよかったら、一浪してまで微妙な大学になんか行ってませんよ。しかも途中でやめたし」
「それでもキラーズのチンピラよりは頭が回るだろう」
「あんな動物と一緒にしないでくださいよ。あとは見方を変えてですね、警察の弱みを掴んでおいて、それ使って警察と仲良くなるしかないですよ」
「なるほど。だが、さすがにそれは受け入れられんな……」
没か。
しかし正直、それしかないと思うぞ。旧穏健派はいい顔しないだろうけど。もしなにかする気なら、検非違使がなくなるという前提で行動したほうがいい。
組合の管轄も検非違使だから、俺も他人事じゃないんだけど。特に執着もないしな。もし仕事がなくなったら転職してもいいし。
「俺に聞くより、検非違使と直接話したほうがいいんじゃないですか?」
「俺の話を聞いてくれる人間が、あそこにいるとでも?」
「……」
まあ、黒羽麗子は聞いてくれるだろうけど、実のある結果になるとは思えないな。
その後、ナインは浮かない顔で店を出た。
検非違使が廃止になれば、今度こそナンバーズは離散するだろう。勢力図は大きく塗り変わる。
黒羽一族とて、安易に東アジア支部へ報復できる状況ではなくなったというわけだ。さすがに手を打ってきたか。
などとぼんやり考えていると、ふと、女の寄ってくるのに気づいた。
見たことのある顔だ。青村雪。冷たい目をしたショートボブの女だ。所属は青猫。ランキングは八位。
「少しいい?」
ヒリつくような殺気をまとっている。
殺害依頼は蹴ったんだよな? それに、ここは交戦禁止エリアだ。
俺はバリアの備えをしつつ、つとめて冷静に応じた。
「ご用は?」
「砂原さんが、話があるって」
砂原次男は青猫のリーダーだ。ランキングは六位。
このタイミングで、いったい俺になんの用だ?
過去に会話をしたことはある。一緒に仕事をしたことも。対応はまともだ。そこらのチンピラどもとは格が違う。
しかし特に親しいわけでもない。
俺は腰を上げ、青猫のいるカウンターへ向かった。
「悪いな、呼び出すような格好になっちまって」
出迎えた砂原は、口とアゴに短いヒゲを生やした四十代の男だ。となりには背の高い無表情のカメレオンもいた。雪はカメレオンの隣に着席。
俺は勧められるまま、砂原の隣に腰をおろした。
「物騒な話じゃないですよね?」
「まずは一杯オーダーしてくれ。俺のおごりだ」
「じゃあビールを」
さっきまで飲んでいたやつは、ちょうど空になったところだった。あるいはそのタイミングで呼びに来たか。
マスターが奥へさがると、砂原はこう切り出した。
「例の話、もう聞いたんだろ?」
「まあ、いちおう……」
「そう緊張するな。知っての通り、その話は蹴った。敵じゃない」
「だといいですがね」
だまし討ちをしてくるような連中じゃないのは知っている。しかしあの青猫が、断ったとはいえ殺害対象へ接触してきたのだ。ただの親睦会のわけがない。
砂原は砂糖の塊のようなものを齧り、ぐっとウイスキーをやった。
「俺たちが、なぜ依頼を蹴ったか分かるか?」
「えっ? えーと、まったく……」
ジョークを言おうにもなにも出てこない。というより、口の中が渇いて仕方がない。
砂原は人懐こい笑みを浮かべた。
「依頼の内容が怪しかったからだ。情報屋に探らせてみたところ、依頼主が機構の東アジア支部だってことが分かった。連中はあんたのポジションを誤解していてな」
「誤解?」
「ナンバーズ・シックスの後見人であるあんたを、重要人物だと思ったらしい。まあシックスといえば、ナンバーズの書記長でもあるわけだしな。その後見人なんだから、一番偉いポジションだと思ったんだろう」
「えぇっ? ただのオマケですよ?」
「東アジア支部は日本に来て日が浅いから、事情をよく把握していなかったんだろうな。あんたはサイードって男とも親しかったようだし。ナンバーズと日本支部を分断させるため、二人の排除が必要だと考えたんだ」
ただの誤解で殺されるところだったのか。あぶねーな。
いや、誤解であろうと金のためならやるヤツもいただろう。依頼を受けたのが話の分かる連中で助かった。
砂原はふたたび塊を齧り、ウイスキーで流した。
「ま、発注ミスってことだ。匿名で訂正しておいたよ。だがこの話には続きがあるぞ」
「続き?」
「情報が正確になった結果、ターゲットが六原一子になってふたたび依頼が来た」
「……」
「まだ依頼主への返答はしていない。だが期限が迫っていてな。俺たちとしても、どうしようか迷っているところなんだ」
「……」
俺は返事もできず、ただ呆然となってしまった。
もし検非違使が廃止され、その上ナンバーズの書記長まで消されたとしたら……。丸裸になったザ・ワンは、東アジア支部に奪われてしまうだろう。神の復活には三角かペギーが必要になるから、その後は他界へも乗り込んでくるはずだ。望ましくない結果になる。
とはいえ、それらはすべて俺の都合だ。
青猫にしてみれば、六原一子やペギーがどうなろうと知ったこっちゃないはず。なのに、いったいなぜこんな話を持ってきたのか。
砂原はふっと笑った。
「じつは別件で、検非違使からも仕事が来ていてな。額は二億。依頼内容は、東アジア支部を国内から一掃すること。こっちを受けた場合、六原一子の殺害依頼は受けられなくなる」
「えっ」
二億なんて額、聞いたことないぞ。いつもはセコい検非違使が、ずいぶん奮発したもんだ。存亡の危機だから、溜め込んでた金を可能な限り出してきたか。しかし依頼内容がまともじゃない。東アジア支部を一掃するって? そんなことが可能なのか?
マスターの用意したビールを俺が飲み始めると、砂原も塊を齧った。
「ただ、検非違使のオーダーは規模がデカすぎる。青猫だけでこなせる仕事じゃない。そこで、賛同者が集まるようなら検非違使の依頼を受けるし、集まらなければ東アジア支部の依頼を受けることにしようかと……。ま、そう思っていてな。俺の言いたいことが、正確に伝わっているといいが」
「俺でよければよろこんで参加しますよ」
いま六原一子に死なれるわけにはいかない。なにせ俺は後見人なんだからな。
すると砂原はぐっとウイスキーをあおった。
「報酬は山分けだ。かといってケチって失敗したら意味がない。そこで、ひとりあたり一千万ということに決めた。いまここに四人いるな? つまり、あと十六人分の金がある」
「十六人……」
まさか、それ全部俺が集めるのか?
まずは六原三郎に打診するとして。あとは人質のナイン。ギリギリで星か杉下が話を聞いてくれるかってところだな。
砂原はニッと笑った。
「あんたにはナンバーズにあたってもらいたい」
「えっ?」
「十三人もいるんだ。何人かは協力してくれるだろう」
「いや、どうでしょうね……」
気楽に言ってくれる。
一子とナインと……あとはアベトモコと……。ううむ。
(続く)




