殺りサーの姫
入院は二泊三日で終わった。
腹は痛いままだ。ずっとアザになっている。回復能力には変化ナシ。こんな事実を確認するために、二日もビールを禁止されたとは。
その後、黒羽麗子から渡された診断書を手に、組合で能力に関する手続きをした。銃なら誰が撃ったか特定できるが、能力だとそうはいかないから、事前に申請をしておかねばならない。これを無視してあとで発覚ということになると、罰金を課せられる。その罰金を無視すると組合から殺処分のターゲットに指定される。なにもいいことはない。
手続きを終えた俺は、まだ仕事を受ける気にもなれず、ビールを飲み始めた。
時刻は十五時を少し回ったところ。
平日の昼間に飲むビールは最高だ。
組合員の姿はまばらで、キラーズもおとなしくしている。俺はスマホを取り出し、巨人の動画を観た。最初に投稿されたものはすでにアカウントごと削除されていたが、別アカウントからの投稿はいくらでも見つかった。
画面内では、巨人が尻もちをつき、土蜘蛛がわらわらと取り付いている。俺は石を投げている。キャプションの日本語の怪しさも手伝って、海外の特撮ファンが頑張って作った映像、という印象を受けた。「超能力者が神様を生き返るから殺します。私たちは許しません事実です。日本人民は今知ってください」と言われてもな。日本支部ならもっと上手に説明できただろうに。
結局、この動画の影響力がどんなものなのか、いまいち判断できない状況だ。今後いろいろ情報が漏れれば、点と点がつながって、この映像の意味も知られることになりそうではあるが。
店に来客があった。
星と杉下だ。神経質そうな顔の杉下はともかく、今日は星までもが厳しい表情をしていた。
いや、待てよ。そういえば、星の倉庫を襲撃したヤツがいたな。そいつの正体がバレてなければいいけど。
俺はなんとなく顔を背け、スマホに集中した。
「山野さん」
「は、はい?」
ダメだ。まっすぐこっち来やがった。
星は思い詰めた表情でこう告げた。
「仕事受ける気ない?」
「えっ?」
「じつは俺、狙われてて」
「……」
まさか、まだ犯人を特定できていないのか? あるいは知っているのに知らないフリをして、俺を罠にハメようとしている?
「狙われてるって、誰に?」
「たぶんナンバーズ・ナインだと思うんだけど。こないだ事務所やられちゃってさ。いたるところ灰まみれだったんだよね。山野さん、ナインと面識あったでしょ? なんか聞いてない?」
「えっ? あー、どうだろうな……。俺、ここ数日ぷらぷらしてたから」
すると杉下が勝手に席についた。
「あのクスリはキくぜ。オーシャンブルーだ。海は生命の母だろ? それを台無しにするなんて、どう考えても異常だぜ。たぶんいま国民投票したら、そいつ死刑になるぞ。カナコもそう言っている」
日本語でお願いします。
星も席についた。
「作戦会議しようぜ。このままじゃ俺、ハバキさんに怒られちゃうよ。格安で回してもらったのに、商品台無しにしちまって」
「でも買い取りなんでしょ?」
「そうだけど、サバくの前提で値下げしてもらってるから、サバけなかったらダメなんだよ。てか新型出たの知ってる? 深海っていうんだけど。その箱だけやられてんの。どう考えても妖精絡みでしょ。あ、深海っていうのは、妖精から抽出されたエキス使ってるらしいんだけど。ワンパケ三千でサバいてんの。安くない? 欲しかったら言ってね」
もういらないよ。そいつはすでに一生分吸わされた。
俺はなんてことない顔で尋ねた。
「監視カメラとかはつけてないの?」
「ないない! だって、カメラなんか置いてたら証拠残っちゃうでしょ? ダメだって」
やましいことをしてるからそうなるんだよ。
俺はもったいぶってこう応じた。
「でもなー。ナインさんに話を聞くのはいいけど。俺、あんまり協力できないと思うよ」
「なんで? 一緒に仕事した仲じゃん?」
「それはそうなんだけどさ。ハバキさんの仕事、いい思い出ないから」
「そんなこと言わずにさー。六原さんと一緒に協力してよ。マジ頼むって」
俺じゃなくて三郎狙いか。
こいつ、いまの俺さまが能力者だってことを知らないらしいな。まあ知らないままでいいけど。こういうのは吹聴するとすぐ悪用される。手持ちのカードをバラすのは軽率な人間のやることだ。
「ナインさんに聞いてから判断するよ。ヤバくなかったらね」
「いやいやいやー、そうは言うけどさ。協力してくれるって俺信じてるから! ねっ!? くれぐれもよろしくねっ! またなんかあったら連絡すんねっ!」
すると星はクソみたいにノリノリで去っていった。杉下に至っては俺のナッツを鷲掴みで食っていった。少しは遠慮しろよ……。
結局、ナインも三郎も姿を現さなかった。
その代わり、三郎から自宅に呼び出された。
住所は世田谷の、倒壊しそうなボロアパートだ。すべての部屋をひとりで借りている。まあそれはいいんだが、古い上に掃除もしていないから非常に小汚い。虫も出るしネズミも出る。そして食物連鎖の頂点たる姉も、屋根裏や窓から入ってくる。地獄のような場所だ。
できることなら行きたくなかったが、どうしても来てくれということなので、俺は渋々そこへ向かった。
老朽化で音の歪んだチャイムを鳴らすと、三郎はすぐに顔を出した。
「よう、早かったな」
「ビール買ってきたぜ」
「さすがだな。あがってくれ」
なにがさすがなんだよ。ビールを飲む以外にやることがあるのか。
俺を先にあげ、三郎は外を覗き込んだままキョロキョロした。
「ツケられてないよな?」
「誰に?」
「姉貴だよ。来客があると、必ずついてくるからな」
「ついてくるもなにも、ここの屋根裏に住んでるんじゃないの?」
俺は軽くジョークを飛ばしつつ、リビングに入った。
すると信じられないことに、少女がちょこんと座していた。
犯罪のにおいがする!
そいつはゴシック調の服を着た、黒髪縦ロールの少女だった。歳は十六、七ってところか。見るからに小綺麗で、この部屋には似つかわしくない。よくできたシリコン人形、というわけではなさそうだ。
三郎はドアに施錠し、複雑そうな表情で戻ってきた。
「そいつは黒羽さやかだ。黒羽麗子の姪だってよ」
「えっ」
おどろいて振り向くと、さやかは首をかたむけた。
「はじめまして、黒羽さやかと申します」
「や、山野栄です……」
すると三郎は、俺が持ったままのビニール袋からビールを一本抜いた。
「仕事の依頼があるそうだ」
「はっ?」
待ってくれ。
いま重要な局面なんだ。東アジア支部が介入してきて、ナンバーズと日本支部が手を組もうとしている。そのナンバーズは、ハバキにちょっかいをかけたばかりだ。なにが起きてもおかしくない。そこへ来て黒羽麗子の姪だと?
さやかは少女とは思えない目つきで、こう告げた。
「祖母の殺害をお願いします」
「……」
祖母? つまりは黒羽麗子の母親ってことだよな? 確か黒羽アヤメとかいう、黒羽グループの会長だ。もしそんなことをすれば大事件になる。
三郎は笑いながら缶ビールを一口やった。
「五千万だと」
「五千万!?」
デカすぎんだろ。死ぬぞ。というか、子供に払える額なのかよ。
俺はようやく腰をおろし、さやかに尋ねた。
「でも厳しいぜ。そういう仕事は、組合を通してもらったほうが……」
すると彼女は、キッと睨むような目になった。
「あなたバカですの? 組合を通せないから、わざわざこうしてここへ来てお話していますのに」
「なっ……。バカとはなんだ、バカとは。こう見えても俺は大学になあ、途中まで通ってたんだよ」
「どちらの大学ですの?」
「それは……アレだけど……個人情報だから!」
なんだこいつ、強いぞ。
いや俺が弱いだけか。大学の話なんてするんじゃなかった。
三郎は鼻で笑った。
「小学校すら出てない人間もここにいるんだが。まあとにかくだ。ほかに頼める相手もいなかったそうでな。黒羽一族に恨みをもつ俺に頼みに来たんだそうだ」
「……」
黒羽に恨みをもつランカーのところへひとりで来るとは。度胸があるのか無謀なのか。
もっと言えば、俺も腹に硬球をぶつけられて、そこそこの恨みを抱いているところだ。当たり前だよなぁ?
さやかはぐっとスカートをつかんだ。
「祖母のしていることは絶対に許せませんわ。お金のために妖精たちを殺して……素性のよくない方たちに売ったりして……。およそ人間のすることとは思えません!」
なるほど、妖精の存在についても、黒羽の事業内容についても把握してるってわけか。
しかし素性のよくない方ってのは、ハバキのことを言ってるのか。そんな上品な言い方しなくても、ヤー公とでも言えばいいのに。
だがまあ、用件は理解できた。ナインや三角たちのやろうとしていることと近いなら、巻き込めないこともないだろう。なんだったらサイードでもいい。また麗子の怒りを買いそうだけど。
俺は三郎に尋ねた。
「六原くんはどうなの? やるの?」
「やるわけないだろ、こんなの。内容はいいがな。問題は金だ。五千万だぞ? そんな額、こいつに出せるわけないだろ」
これにさやかが猛反発した。
「ですからっ! お金は分割で必ずお支払しますっ! わたくしは黒羽宗家を継ぐ人間なのですからっ!」
「金を相続するつもりなら、親もぶっ殺さないとダメだろ」
「それは……でも……」
「いまその金がないんだろ? だったらダメだ。話にならない」
するとさやかは腕を振るい、テーブルに置かれた俺の缶ビールを糸で両断した。
「わたくしにも黒羽の力はあります」
「うおおおっ、なにやってんだお前っ」
三郎は慌ててティッシュを抜きまくり、テーブルを拭き始めた。
まあ、ビールを切るのはアウトだな。なにせこいつは俺たちにとって崇拝の対象なんだから。クリスチャンの目の前で聖書を引き裂くようなものだ。
「たしかにわたくしはまだ学生ですけど、すぐに頂点に立ってみせますわ。五千万でダメなら、一億出します」
「いやいや、まずは謝れよっ! こんなことするやつの言うことなんて信用できるかっ!」
これには三郎もマジギレである。
やっぱり、こういうところは大事にしないとね。相手の大事なもの傷つけるのはダメだよ。彼女にとって、ビールがいかにくだらないものであったとしても。あと部屋がいかにクソ汚かろうと、さらに汚していいってわけじゃない。
「えっ、なんですの? ただのお酒で……」
すると三郎はびしゃびしゃになったティッシュをビニールにぶち込み、こう返した。
「そういう傲慢なところ、いかにも黒羽って感じだぜ。いいか。あんたが嫌ってる婆さんも、おおかたそういう態度なんだろうよ。自分の考えが絶対で、他人のことなんて考えようともしない。似た者同士なんだろ? 仲良くやれよ。そして帰れ」
「えっ、そんな……」
「だいいち、あんたの言ってる五千万にしても、自分で稼いだ金じゃないだろ。婆さんからぶん取る予定の金で、その婆さんを殺せって言うんだろ? そういう発想がガキだっていうんだよ」
「で、でも、アルバイトは母から禁止されていますし……」
さやかは泣きそうな顔になった。
悪いけど、俺も三郎の言ってることのほうが正しいように感じる。こんな正論吐くような人間だったかどうかはともかく。いや、でも意外と常識人なんだよな。
三郎は頑として譲らなかった。
「婆さんってくらいだからババアなんだろ? ほっときゃそのうち死ぬだろ」
「ご、五十万くらいなら貯金が……」
「自分で稼いだ金か?」
「……」
「悪いことは言わない。もうやめるんだな。組合にも行くなよ。悪い大人がいっぱいいるからな。あんたみたいのは、もてあそばれて終わりだ」
「でも、ほかに頼れる人……いないですし……」
「この話は忘れろ」
「……」
さやかを追い払ったあと、俺たちはしばし無言でビールをやった。
三郎がシケたツラになっていたから、俺は袋をあけてバタピーをすすめた。
「六原くん、なんで俺のこと呼んだの?」
自分で聞いておいてなんだが、用件はすでに分かってる。仕事の話だからだ。しかしそれだけじゃない。三郎の顔を見ていれば分かる。
「もしかしたら山野さんなら、受けるかもって思ってな」
「本当は受けたかったの?」
「いや、それが自分でも分からないんだ。金をもらって黒羽を殺せるなら、俺だってそれでいい。しかも依頼主まで黒羽だから、次はあのガキがターゲットになるだろ? その仕事も受ければ、黒羽をふたり殺せる」
この業界、報復が許されるのは、その仕事をやった組合員ではなく、依頼した人間だけというルールがある。
もしこの仕事に成功すれば、黒羽は頭領と後継者を失い、大打撃を受けるはずだ。なのに三郎はこれを突っぱねた。金や難易度の折り合いがつかなかったにせよ、だ。
三郎は溜め息をついた。
「なんか、妹を思い出してな」
「妹? いるの?」
「死んだよ。例の抗争でな。しかも姉貴に死体まで食われた。もうどんな顔だったのかも思い出せない」
痛ましい記憶だな。
三郎はこうも続けた。
「けど、べつに姉貴のことは恨んでないぜ。いや、ずっと恨んでたけど。最近、なんとなく分かったんだ。家族の死体をあのまま放置してたら、ファイヴに使われてた可能性もあったんだってな」
「行動に難はあるし、趣味もだいぶアレだけど、いいお姉さんだと思うぜ」
「いや、いい姉ではないだろ。山野さんさ、アレが自分の家族だったらって想像してみろよ? どう思うんだよ?」
「すまん、ムリだ」
アレはない。
しかし俺も、なんとなく一子の気持ちは推察できた。彼女は例の事件を、ずっと負い目に感じてきたのだろう。それでいまこんなに三郎につきまとっているのだ。一子とて、もう家族を失いたくはないのだ。
恨みをぶつけるべきファイヴは、すでに死んだ。
過去は変えられない。
それから俺たちは、特に会話もなく深夜までアニメを観ながら飲んだ。三郎のコレクションだ。いまどきLDだぞ。どこから発掘してきたんだ。
しかし夜もふけ、うとうとし始めたころ、ふとスマホに通知が来た。連絡先を交換したおぼえもないセヴンからだ。メッセージが一件ポストされていた。
内容はこうだ。
>【緊急速報】黒羽さやか 東アジア支部に誘拐される
悪い冗談はよしていただきたい。
俺は缶ビールを飲み干し、こうレスした。
>詳細きぼんぬ
返事はこうだ。
>税込十万
高すぎだろ。
俺は三郎に画面を見せた。
「こんなのが来たぞ。君の感想は?」
「いや、山野さん、きぼんぬはないだろ……」
かなりの嘲笑だよ。
「そこは流してよ。どうすんの。事件だぞ」
「金になるのか?」
「ならんな、この時点では。だが先生に恩を売る機会ではあると思うぜ」
「恩なんか売ってもな……」
ま、それもそうだな。
三郎にとっては、黒羽一族を殺せるかどうかが重要なんだ。仲良くなりたいわけじゃないだろう。
俺はピーナッツをむさぼった。
「じゃあ十万貸してくれ。情報買うから」
「貸す? 必要経費だろ。出すよ」
「じゃあ折半だな」
なんだかんだ言って、俺たちに仕事を持ってきた顧客が誘拐されたんだ。報復しないわけにはいかない。
なにより、東アジア支部には借りがある。仕事を妨害されただけでなく、盗撮までされたのだ。おかげで原始人扱いだぞ。絶対に許さんからな。
(続く)




