秒速2500センチメートル
発光する花々のおかげであたり一面が明るかったが、行く手にはもっと大きな光のドームが見えた。
小山の周囲を、大量の妖精が飛び回っていたのだ。その妖精から噴出されたエーテルが、まばゆく夜空を照らしていた。
プシケの巣だろうか。
近づいてみると、小山のように見えたのが妖精花園であることが分かった。いままで見てきたどの個体よりもデカい。そいつがC字型に寝そべり、花園を取り囲んでいた。妖精たちの花園を形成しているから、こいつは妖精花園なんて名前なのかもしれない。
中央広場らしきところにゆったりとした白い円卓があり、白い椅子が置かれていた。テーブルには白磁のティーセット。
ペギーが優雅に紅茶を飲んでいた。
「お帰り。みんな無事だったみたいね。安心した」
これに眉をひそめたのはサイードだ。
「なぜここに?」
「表での実験が終わったからね。またここにかくまってもらうことになって」
「そうか。東アジア支部の介入も激しくなってきてるしな。ここなら安全だろう」
ペギーはにこりと笑った。
「エイブ、少し変わったね。なんだか丸くなったみたい」
「大人をからかうな」
「なにそれ? 私も大人になったんだけどな」
サイードは「ふん」と鼻を鳴らし、肩をすくめた。
しかしケンカしているふうではない。いつもこんな感じなのだろう。
ペギーはこちらへも視線をよこした。
「そういうわけだから、山野さん。お酒はまた今度ね」
「はいよ」
元気ならそれでいい。
いや、空元気かもしれないが。
帰還には例のウツボカズラを使った。
気味の悪いぶよぶよの肉だ。妖精の変形したものらしい。そいつに頭からつっこんで、まっしろな部屋に出た。
本当に、ワープするみたいに簡単に行き来できるんだな。
見た感じ、俺たちが出たのは研究室のような場所だった。機材の中央にウツボカズラが一体置いてある。
白衣の黒羽麗子が入ってきた。
「お帰りなさい。検査の準備はできてるわ」
「はあ」
さっそくこれか。
麗子はすると、不快そうに目を細めた。
「ナインさん、なんで半裸なの?」
「全裸よりマシだろう」
「人間性を疑うわね」
「そもそも君は、俺を人間だと思ってないだろう」
「それもそうね。川崎さんが上で待ってるわ。ハバキの件はそっちで釈明して。サイードさん、あなたもよ」
これは思ったより面倒なことになりそうだな。
まあ、俺はそっちに顔を出さなくて済むんだ。不幸中の幸いってやつだ。
麗子は三角にも厳しい目を向けた。
「三角さん、あなたは他界へ戻りなさい」
「なぜ?」
「話がややこしくなるからよ。どうせまた人類の殲滅がどうとか言いだすんでしょ?」
これに三角も眉をひそめた。
「ほかになにか主張すべきことが?」
「まあそういうわけだから、帰って」
賛成だ。帰したほうがいい。事情を聞きたいのならナインひとりいれば十分だからな。
サイードらと別れてから、俺は麗子の執務室へ案内された。
話の流れで分かってはいたが、どうやらここは検非違使庁の地下研究所らしい。てことは、検非違使はワームを持ってたってことだ。
「前に川崎さんに聞いたとき、検非違使はワームは持ってないって話でしたけど?」
俺が皮肉を込めて尋ねると、麗子はうっとうしそうに溜め息をついた。
「あら知ってたの? じゃあ、なんであそこにワームがあるのか少しは考えてみた? ついさっき、あなたたちを救出するためにトモコちゃんが作ってくれたの。つまり、いままで持ってなかったけど、ついさっき手に入ったのよ。あなたたちのおかげでね」
「すみません」
土下座したい。
トモコは仕事を終えてさっさと帰ってしまったから、ろくに礼も言えていない。この件はのちほど対応するとしよう。またメイド喫茶に連れて行ったら許してくれるだろうか。ついでにびょーどーちゃんグッズでも持っていくか。
麗子はボールペンの尻で頭をかいた。
「正直、手に入ったのは嬉しいけど、維持がね」
「結構かかるんですか?」
「ワームは妖精が変形したものだってことは知ってるわよね? じゃあ、あなたたちが出入りに使ってた部分、もともとどの部位だったか分かる?」
考えたこともなかった。俺たちは妖精の体内を通過したということだ。
「口とかですか?」
「下のね」
「……」
知りたくなかった。
麗子はメガネを押し上げた。
「つまりは産道よ。それが他界側のワームの産道とつながってるの。まあそれはいいんだけど。あれほど変形してるってことは、上の口もどうにかなってるってことよね」
「はあ」
「分かる? 食事できないのよ? 別の方法で栄養を与えないと死んじゃうの。点滴で栄養を与えてもいいんだけど、それだけじゃダメでね。死にはしないけど、ワームの機能が消失しちゃうから。エーテルも一緒に与え続けないといけないの」
面倒なんだな。ダージャー博士が嫌な顔をしていたのもよく分かる。
麗子はしばらく俺の顔を見て、落胆したように溜め息をついた。
「なにも分かってないのね」
「すみません、素人なもんで」
「そうじゃないの。エーテルよ? とんでもない貴重品だった、ほんの数日前までは」
「なにか発明があったんですか?」
「まだ分からないの? 深海よ。あれはエーテルそのものなの。それが大安売りしてる。ハバキみたいな連中が、よく生成できたわね」
白々しいなあ。
俺はついニヤニヤしながらつっこみを入れた。
「ハバキじゃなくて学会では?」
「なに? まさか、私が手を貸してるとでも言いたいの?」
「違うんですか?」
「いい加減にしなさいよ。私はね、だいぶ前に研究から外されたのよ。いまは姉のグループが参加してるわ」
「同じ黒羽でしょ?」
「なにが同じなの? 姉は母の後継者として、優秀なスタッフに囲まれて仕事をしてるのよ? こっちだってひとりってわけじゃないけど……。扱えるリソースが違いすぎるわ」
地雷を踏み抜いた気がする。
にしても兄弟姉妹で円満じゃないやつらが多すぎるな。俺はだいぶ恵まれた環境だったのかもしれない。
その後、あれこれ症状を聞かれた挙げ句、トレーニングルームのような場所へ連行された。
身体測定で使うような器具がたくさん並んでいる。
まあそれはいいんだが……。
「じゃあ始めるわね」
「いやいやいや、ちょっと待ってくださいよ! こんなの絶対死にますって!」
俺はいま、壁際に固定され、ピッチングマシンの前に立たされていた。顔と股間にはプロテクターがある。しかしそれ以外は無防備だ。
せっかく他界を生き延びたのに、ここでメジャーリーガーばりの豪速球をぶち当てられて死ぬなんて絶対にごめんだ。
「死なない程度にやるから安心しなさい」
すると麗子は、助手に「やって」と告げた。
本気なのかよ。死んだら亡霊となって現れて風呂覗くからな。毎日だぞ。覚えてろよ。
助手が命令に従ってスイッチを入れ、ピッチングマシンがゴウンゴウンと稼働しだした。コンベアが白いボールを運んでくる。頼むからせめて軟球であってくれ。硬球は死ぬからな。あれほとんど砲弾だから。
そして球が飛んできた。いや、飛んできたと思った次の瞬間には、俺の腹に直撃していた。なにが起きたか理解する前に、圧迫感が来た。
「ふごほっ」
自分でもよく分からない声が出た。
これはアレだ。ハバキのチンピラに、靴で腹を蹴り上げられたときの痛みに似ている。硬球じゃねーかぶっ殺すぞクソ女!
と思ってるうちにさらに二発来た。
直撃した瞬間、ドッという音が体の内側から響いた。
痛すぎて吐きそう。
「どう? 観測できた?」
麗子がそう尋ねると、助手の女は「反応ありません」と応じた。
データより先に俺の心配をしろよ。
すると麗子は、つまらなそうな目でこう続けた。
「いま何キロ? 九十? じゃあ百にあげて」
「はい」
はいじゃないだろ助手……。
麗子はこちらへつめたい目を向けた。
「真剣にやりなさいよ? そうやって遊んでたら、いつまで経っても終わらないからね」
「この野郎……」
「じゃあ続けて」
こいつ絶対Sだろ。
バリアが出なかったらどうすんだよ。そろそろ肋骨がいくぞ。
などと考えているうちに、マシンが動き出した。白いボールが徐々に流れてきて、ガションという音とともに俺の腹に直撃した。
「んぎッ」
バリアなんて出ねーじゃねーか!
代わりに別のものが出そう。
だが二球目が直撃する瞬間、ある種の覚醒があった。頭から首、背中にかけて、自分でコントロール可能ななにかを見つけた。そのなにかにアクセスすると、体全体がもやに包まれるような感覚になった。
飛んできたボールが、バチィと弾かれた。
その後に来た三球目も同じ。
「反応ありました」
助手がモニターから顔をあげた。
そりゃそうだろう。こっちは漏らしそうになるまで踏ん張ったんだからな。おかげでコツがつかめた。
黒羽麗子はヒールを響かせながらこちらへやってきた。
「攻撃には転用できそう?」
「どうでしょうね」
「防御専用ってことかしら。じゃあこれは防げる?」
「えっ?」
麗子が腕を振り上げた。
まさかあの、巨人の指を切り落としたやつを使うのか? この俺に?
今度は反射的に出た。色はついていないが、バリアに包まれた部分がほんの少しゆらめいて見える。
麗子は攻撃してこない。
「反応ありました」
助手の言葉で、麗子は手をおろした。
「なるほどね。たぶんクモの能力だと思うわ。スパイダーじゃなくて、クラウドのほうね」
「なにするんですか、心臓止まるかと思いましたよ」
「イージスって言葉、聞いたことあるでしょ? かのゼウスがアテナに授けた防具のことよ。雷雲の加護とも言われているわ。あなたの能力は、その神話になぞらえて雲って呼ばれてる。ボールを弾いたくらいじゃそんなに驚くようなものでもないけど。シュヴァルツの鎌を弾いたんでしょ? かなりのものね……。機構の促進剤と、深海の大量吸引が原因かしら」
俺の抗議も無視して一方的に説明を始めた。
防御の力か。どうせなら一撃必殺の攻撃技が欲しかったな。それなら拳銃を使わなくて済む。それに、こんな能力があるって発覚したら、みんなから盾にされるに決ってる。最悪だ。
「回復力も見るわ。しばらく入院して」
「えっ?」
「副作用があるかもしれないでしょ。まあ、ほぼ雲で確定だと思うけど。注射はしないから怖がらなくていいわ」
「……」
まるで小児科に来たガキみたいな扱いだな。たしかに注射は嫌いだけど。
だが入院する前に、どうしてもひとつだけ確認しておきたいことがある。
「先生、入院中、ビールは飲めるんですか」
「あなたバカなの? 飲めるわけないでしょ。飲んだら本当に切り刻むわよ」
「ちょ、ちょっとしたジョークですよ。そんなに怒らなくても……」
「直したほうがいいわよ、そうやってTPOもわきまえないで思いついたことを口にする癖。この業界、なんでそんなのばかりなのかしらね」
そりゃまあ、冗談言ってないと死ぬ人種だからだろう。というジョークを言うと、本当に切り刻まれそうだからやめておこう。口を滑らせて死ぬのは労災じゃなくて自殺だからな。
(続く)




