インスピレーション
そいつらは身をかがめ、花々をかすかに蹴散らしながら回り込むようにやってきた。
人間の胴体にワニの頭をくっつけたような妖精だ。白蛇を思わせる肌をしている。
ダーン、と、サイードの銃が火を噴いた。一体のスクリーマーが直撃を受け横転。俺も射撃を開始した。
展開が早い。分かっていたはずなのに、もう囲まれている。
とにかく撃った。数えてはいないが、十回はトリガーを引いたように思う。何体か殺った。
連中は発砲音に驚いたのか、やがて包囲網をゆるめ、距離を取り始めた。
中距離での睨み合いになった。
俺は後ろを見ていないが、おそらくナインも三角もよろしくやっていることだろう。俺は前の敵にだけ集中させてもらう。
殺したと思った一体が起き上がって逃げようとしたので、俺はそいつの背後から撃った。
あと何発残ってるかは把握していない。五発か六発だと思うんだが。
「来るぞ、意識を飛ばされるな」
ナインの声がした。
瞬間、スクリーマーたちは狼のようにのけぞり、喉を震わせサイレンのような音を響かせた。耳が痛むような騒音じゃない。ぐわんぐわんと脳をゆすられるような音の波だ。首の真後ろでワーワー言われているような錯覚をおぼえる。
だがサイードがダーンと撃った。スクリーマーが一体がひっくり返った。さらにダーン、ダーンとやった。
俺はこういう重い銃ってのは好きじゃない。一発撃つたびに鼓膜をつつかれたような感覚になるからだ。しかしいまは助かる。
スクリーマーも歌を妨害され、困惑していた。
かと思うと、潮が引くように一斉に逃げ出した。サイードはムキになってその背へ撃ち込んでいたが、俺はしなかった。弾がもったいない。
弾切れになると、サイードはようやく射撃を終えた。
「まさに悪夢だな」
「なんせ他界ですからね。たぶんここ、法律すらないですよ」
「それを制定する人間もな」
俺の面白いジョークに、サイードはにこりともせず応じた。のみならず、彼は顔をしかめたままこうも言った。
「ところでヤマノ、もう少し射撃の練習をしたほうがいいんじゃないか? 十二発中五発しかヒットしてないぞ」
「数えてもいませんでしたよ」
「それでよく生き残ってこられたな」
「敵も素人ですからね。そもそも銃社会でもないですし」
俺のP226はまだマシだ。俺と同じかそれ以下の腕で、質の悪いトカレフを撃ってるヤツもいる。この業界、銃を持ってるってだけで、持ってない人間よりはるかに優位に立てる。だいたいの人間は真剣に練習なんてしない。例外はマリーとかカメレオンとかのスナイパー連中だけだ。
残弾はまだあるはずだが、俺はデコッキングしてマガジンを入れ替えた。腕のいいヤツならどうだか知らないが、俺が混戦状態でそれをやると必ず取り落とす。なんでも事前にやっておくのがいい。
三角がハッと我に返った。
「ここは?」
まさかスクリーマーのアレで意識を飛ばされてたのか。この子、ここの住民だったんじゃないのかよ。
ナインも苦笑している。
「他界だよ。ワームを探さないと」
「ナインさん、服はどうしたのです?」
「いや、だから、置いてきたんだ」
「なぜ?」
「話はあとだ。ここから移動するぞ」
不安しかないよ。
俺はナインへ尋ねた。
「移動するったって、アテはあるんですか?」
「スクリーマーの来た方向、そして逃げた方向からして、およその東西は分かった。彼らの餌場も、生息地も、頭に入ってるからな」
「ナインさんがいて助かりましたよ」
一緒にいなければ、そもそも他界にぶっ飛ばされることもなかったわけだが。
本当になんらの目印もない、ただ暗いだけの花畑であった。
右利きの人間は、右の蹴り足が強いから、まっすぐ進んでるつもりでも左に逸れると聞いたことがある。まさかぐるっと一周したりはしないだろうけれど。いや、一周する前に餓死するか。
ふと、先頭を歩いていたナインが足を止めた。三角もほぼ同時。
トイレ休憩ならいつでも言ってくれたまえ。ちゃんと見ないようにする。ま、こいつらは見られて恥ずかしがるタイプでもないだろうけど。
「囲まれてる」
「えっ?」
俺は周囲を確認したが、スクリーマーの姿は見つけられなかった。
ビビらせようってのか。
いや、いるって言うんだからいるんだろう。しかし見えない。
三角がつぶやいた。
「シュヴァルツ……」
気配はなかった。
しかし俺がそいつの姿を発見したとき、すでに目の前まで迫っていた。音もなく。鋭い鎌を手にして。
無表情ではあったが、吸い込まれそうな瞳をしていた。
あたまから黒いボロをかぶり、黒いエーテルを噴いた妖精だ。そいつは鎌を振りかぶり、俺の首を狙ってきた。スローモーションのようだった。俺は慌てて腕で体をかばった。そんな行為、意味なんてないのに。
バチィと痺れるような感覚。
俺は衝撃でひっくり返った。
痛い。けどあんまり痛くない。ちょっと静電気がバチッとなったような、あまりにショボい痛みだ。手加減してくれたのか? それとも、俺の腕がなくなったから痛みを感じられないだけか?
いや、五体満足だった。
誰かが助けてくれたらしい。
顔をあげると、ナインも、三角も、サイードもきょとんとしていた。あの黒い妖精でさえ。
「姉さん、そいつも妖精なの?」
黒い妖精の言葉に、三角は小首をかしげた。
「ただの人間、のはずでしたが……」
ただの人間ですよ。
いや待て。これって、ピンチにおちいった俺がなんらかの能力に目覚めたって展開じゃないの? そのまま伝説の英雄になる的な?
健康診断ではウイルス入りの水を飲まされ、傷口には謎の薬を塗り込まれ、機構からは促進剤まで処方され、それでも覚醒しなかった能力が。
もしや必殺技とか出せる感じなのか。
俺はすっと立ち上がった。
「慌てるんじゃない。まずは名を名乗ったらどうだ?」
「シュヴァルツ。あなたの名は?」
「えーと、山野です。山野栄と言います」
なんかシマらねぇな。
三角が、さめた目でシュヴァルツを見た。
「なぜ鎌を振るったのです?」
「ここは人間のいるべき場所ではないからさ」
「彼は、私の恩人ですよ」
「そうは見えなかったな」
「言葉がなければ分かりませんか」
「たとえ姉さんでも、その侮辱は許せない」
いったいなにがどう侮辱なのか分からないし、そもそも怒りたいのは殺されかけた俺のほうなんだが。
いや、ここは強者の余裕ってヤツで応じてやらねばな。
「やめなよふたりとも。姉妹でケンカなんて、哀しいことだぜ」
「あなたは口を挟まないで」
シュヴァルツはキッと睨みつけてきた。
ほぼ無感情な三角と違って、気持ちが表に出るタイプらしい。
「俺たちはここを荒らしに来たんじゃない。ちょっとした事故でぶっ飛ばされただけなんだ。すぐに出て行くよ」
「あなたはなんなの? プロトタイプ? 妖精には見えない。けど、エーテルを感じた」
「俺かい? ただの組合員だよ。争いは好まない。一円にもならないからな。それより、よかったら道案内してくれないか? お駄賃は出せないがね、HAHAHA」
英雄的な言動ってのはいまいちよく分からんな。我ながらおかしい。もっと普通にやるか。
シュヴァルツも露骨にイライラした様子だ。
「こいつ嫌い」
彼女が飛び去ると、周囲に潜んでいたらしい黒い妖精たちが一斉に飛び去った。黒いエーテルを噴き、闇に身を溶かすようにして。
俺たち、ホントに囲まれてたんだな。
ナインがやってきた。
「ちょっと失礼」
「あだっ」
顔面にチョップが来た。いったいなんだ。小学生か。
ナインは不思議そうな表情だ。
「さっき、エーテルが密集し、バリアとして機能したように見えたのだが……」
「たぶん能力ってヤツでしょ? ま、見ててくださいよ。これからは俺の快進撃がいでっ」
またチョップが来た。
「コントロールは不安定なようだな。帰ったら麗子くんに見てもらおう」
「いやいやいや、あの人、すぐ人体実験するでしょ? 俺不安ですよ」
「前に出て戦うのは、まだやめておいたほうがよさそうだ。危険すぎる」
「後ろにさがってますよ」
こんなクソチョップすら無効化できないんだ。調子に乗ったら二秒で死ぬ。
三角も近寄ってきて、俺の体をあちこちからじろじろ眺めた。子供が隠れんぼしているようにしか見えないが。
「妖精化はしていないようですね。きっとエーテルを摂取したことで海と同調し、それがキーとなって能力に目覚めたのでしょう」
つまりウイルスだけではダメで、エーテルを大量摂取する必要があるってことか。
ん?
てことは、もし組合に深海が出回ったとしたら、かなりの人間が覚醒するんじゃないのか? ウイルスには全員が感染しているはずだからな。
星の持ってる在庫は処分した。しかしアレですべてではないだろう。いまなお生産は続いている。
サイードも寄ってきた。
「まさかこんなところで覚醒するとはな」
「もう誘拐しないでくださいよ? 必要ならちゃんと協力しますから」
「心配するな。俺たちはこれからナンバーズと提携するんだ。データはドクター・クロバネからもらうよ」
「はあ」
どっちにしろ黒羽麗子にアレコレされるのは確定なんだな。
いやー、でも切られなくてよかった。おしっこもちびってないし。
しばらく歩いていると、狐の寄ってくるのが見えた。
普通の狐じゃない。花の光によく似た、青白い色の、幻想的な狐だ。見覚えがある。えーと確か、よく爆発するヤツだ。
「うおおっ」
俺は思わず飛び退いた。
が、爆発はない。
ナインが遠方へ目をやった。
「心配することはない。お迎えが来たようだ」
「えっ?」
目を凝らすと、和服を着たオカッパ少女がゆらゆらやって来るのが見えた。
アベトモコだ。顔見知りでなけりゃ、地獄からの死者と勘違いするところだった。
「探しましたよ、皆さん」
これにはナインもほっとした様子だ。
「さすがはアベの千里眼だな」
「山野さんのお守りから気配をたどりました」
お守り?
あの呪い人形みたいなヤツのことか。そういえば財布に入れてたっけ。さすがは仏のトモコさまだ。
狐はトモコの体を駆け上がると、ぽんと和紙に戻った。
「私が道案内します。さ、こちらへ。先生が待ってますよ」
先生――黒羽麗子だ。
溜め息が、みっつ同時に出た。
俺もそうだが、ナインも、サイードも、正直あまり聞きたくない名前だったろう。おそらく彼女はすべての事情を把握している。なにせトモコをここへ迎えにこさせたくらいだからな。
それでもまだ俺はいい。悪いことをしたわけじゃない。ただ能力に目覚めただけだ。
しかし検非違使を出し抜こうとしたナインも、レポートを提出しなかったサイードも、あのネチネチとしつこいお説教を食らうことになる。他人事ながらうんざりする。
ま、とにかく、脱出できるんだ。このビールさえ存在しない地獄のような他界から。いまはそれを喜ぶとしよう。
(続く)




