ピクニック
ナインの提示した戦術はこうだ。
まず、星の事務所を襲撃し、深海をすべて灰にする。邪魔するものがいればすべて殺処分。
次にハバキの事務所に乗り込み、妖精に関連した部門をすべて灰にする。邪魔するものがいればすべて殺処分。
最後に妖精学会の本部に乗り込み、責任者を殺処分する。邪魔するものがいればすべて殺処分。
これを一日でやる。
あまり頭の賢くないヤツが思いつきで考えたとしか思えないプランだ。
話を聞かされた俺も、サイードも、当然ぽかーんとなった。そりゃナイン自身はいいんだろう。ちょっとやそっとじゃ死なないんだから。三角も一般的な人間よりは死にづらいんだろう。しかし俺もサイードも一般的な人間だ。こんな強行軍に付き合っていたら死ぬ。最低でも三回は死ぬ。
だが無常にもそのときは来た。
もはやバックレることはできない。遺書も書いていない。なるようにしかならない。
「そんなに緊張することはない。俺が盾になる。君たち三人は、後ろで見ていればいい」
ナインはそんなことを言う。
三人ってことは、三角も後ろにさがらせておくつもりだ。とはいえ、はたして彼女が素直に言うことを聞くだろうか。
星の事務所があるのは渋谷。郊外とはいえ人が多い。そこへ外車で乗り付けたわけだから、通行人にじろじろ見られた。
まあ俺たちはいいとして、ここに三角みたいな少女が混じっていたら、あきらかに不審に思われるよな。スーツの男たちに混じって、ワンピースの少女がいるんだから。頼むから警察にだけは通報しないでくれよ。
事務所は雑居ビルの二階。案内板には「スターライトスタジオ」とあった。なんのスタジオなんだか。
階段をあがると、ただの住宅のように、なにも掲げられていない鋼鉄のドアが立ちふさがった。
しかし襲撃なのだから、行儀よくインターフォンを押したりはしない。ナインはドアノブに手をかけ、そのまま灰にした。金属が灰になるってのもよく分からないけど。開いた穴に手を突っ込み、静かに開いた。
室内はひっそりとしていて、無人のようだった。
当然、星も不在。
ナインは靴のまま、ずんずん中へ入っていった。
間取りは事務所というより、ただの住居だ。壁際にはダンボールが山のように積まれている。黒マジックで暗号のようなアルファベットが書かれているが、もちろん理解できるはずもない。
が、三角はすぐにそれを探り当てた。
「これです」
例のエーテル反応ってやつか。
ナインがダンボールのひとつをおろしてフタを開くと、中には、淡く輝く青い粉末のパッケージがぎっしりと詰められていた。
「間違いないようだな」
ナインは俺たちをさがらせ、ダンボールに手を向けた。
ふと、三角が端正な眉をひそめた。
「ナインさん、分かっているとは思いますが――」
だが遅かった。
ナインの力は発動し、部屋中が灰まみれとなった。
だがそれがどうしたって言うんだ。
世界は青に包まれている。いわば海だ。美しく輝く青い海。神々が俺を呼んでいる。
*
正直、なにが起きたのかは、断片的な記憶をたどるしかない。
俺たちは海をさまよっていた。眩しくて、目もくらむような、ただクリアな青の溶液だ。重力もない。呼吸もない。感覚のすべてが存在しなかった。
海には巨大な生き物もいた。そいつは胎児のように丸まって、ふわふわと浮いていた。ただし片目だけ大きく見開き、俺たちをじっと凝視していた。不気味ではあったが、恐怖はおぼえなかった。というより、そのときの俺は感情が希薄だった。
両親と会話したような気もする。いや、両親だったのか、姪っ子だったのか、あるいは野良猫だったのか定かではないが。「普通」だとか「常識」だとかいうものを、これでもかと力説された気がする。いや、記憶が混濁しているだけの気もする。
その後、真っ暗な世界に放り出された。
暗いというか、むしろ薄明るいのだが。太陽のない世界なのに、下から優しく照らされていた。一面に咲いた花々が、ほの青い光を放っていたのだ。
周囲にはサイードと、そして三角もいた。ナインの姿は見当たらない。まあ灰の山があるから、きっとそれがそうなんだろう。
俺は呼吸を繰り返し、事態の把握につとめた。
なにかが起きた。
あるいは、まだそれは終わっていないのかもしれない。俺はいまなお夢を見ている可能性がある。
「だから言ったのです」
三角が溜め息混じりに言った。
「精霊がある種の抵抗力を持っているのは、あなたもご存知でしょう。灰にするためには、それを上回る力が必要なのですよ」
すると灰の山からナインが復活した。全裸だ。
「そういうことは、先に言いたまえ」
「言わずとも理解しておくべきですね」
「つまりはダンボールと容器だけが灰になり、深海が部屋中に散乱したというわけか。友人たち、立てるか? ここが他界だ」
「……」
つまらないジョークは俺のいないところで言って欲しかったな。
ここが他界?
まあ、星の事務所じゃないことくらいは分かるにしても。他界とは、またずいぶんフカしたもんだ。ペギーはもう出てきたのだから、俺はそんな怪しい場所に行く必要はなくなったんだよ。
サイードは呆然とした表情のまま、うなだれていた。トリップ中に会いたくない人間にでも出会ったのかもしれない。まあ気持ちは分かる。
ナインは不審そうに周囲を見回した。
「それで、なぜ俺だけ服を失っているんだ?」
「灰のままこちらへ来たからでしょう」
「絶望的だな」
下から光で照らされた全裸の男が、勝手なこと言っている。それを見せられるこっちのほうが絶望的だよ。
俺は深く呼吸をし、立ち上がった。花々のやさしいかおりがとても心地よい。しかし気温が低いせいか、風邪をひいたときのように体がぞわぞわした。
「で、なぜこんなことに?」
これには三角が応じた。
「おそらく私の能力でしょう。過剰なエーテル量の増加により、私の体がワーム化したのだと思います」
「帰る方法は?」
「どこかでワームを見つける必要がありますね。しかしここがどこだか分からない以上、どちらへ向かったものやら……」
銃撃戦で派手に散るならともかく、餓死ってのはさすがに想定外だったな。
「またワームになれないんですか?」
俺のこの素朴な問いに、三角は不快そうに目を細めた。
「あれだけのエーテル量は、そう容易に得られるものではありません。諦めてください」
「はい」
打つ手ナシってことだ。
ナインも顔をしかめた。
「ここには妖精がたくさんいるんだろう? エーテルで居場所を教えればいいんじゃないか?」
「エーテルに反応するのが我が子だけとは限りません。招かれざる客を呼び寄せる可能性があります。うかつなことはできません」
ヤバい生き物がうろうろしてるってことか。まあ知ってたよ。
サイードはまだ放心している。いま襲われたらひとたまりもない。
というより、正義感に目覚めて麻薬撲滅運動なんてやってる場合じゃなかった。早く帰ってビールとかいう合法麻薬をやりたいよ。そのためには、まずはここから出ないとな。
かつてドクター・ダージャーは言っていた。俺たちに特殊能力がないのは、進化なのだと。人類は頭を使って勝利してきた。俺も頭を使って切り抜けてやろうじゃないか。
「三角さん、この世界には、天体ってのはないんですか。なにか、方向を判断できるような」
「ありません」
「じゃあ時刻を判断できるようなものは?」
「時刻?」
「定期的に活動をサイクルしているものとか、そういうのは?」
「心当たりがありませんね」
よし分かった。
つまり、俺の頭を使った作戦は、まったくの無意味ということだ。早くも策がなくなった。
射撃もヘタで特殊能力もないのに、頭だって所詮この程度ってことだ。俺の存在意義とはいったい……。
いや、まだへこたれてるサイードよりはマシだな。
「サイードさん、大丈夫ですか? 元気出せとまでは言いませんけど、ちょっとヘコみすぎでは?」
するとサイードは深い溜め息をつき、首を振った。
「ジェームズに会ったよ」
「どなた?」
「ペギーの兄貴だ。あいつのクラスを指導したこともある。いつも暗い目をしていた。なのに俺は、気づいてやれなかった……」
おいおい、反省会は帰ってからにしてくれよ。俺も親らしきものと会ったけど、一方的にガミガミ言われたせいでうんざりして終わったぞ。運が良かっただけかもしれないが。
「死んだお兄さんより、生きてるペギーのことを考えましょうよ。俺たちがここでうろうろしてたら、きっと心配しますよ」
するとサイードは顔をあげ、こちらを見返してきた。
「ヤマノ……」
「な、なんです?」
「お前の言う通りだ。ジェームズはとっくに死んだ。いまは、死んだ人間のことを考えてる場合じゃない。俺たちも生き延びなきゃな」
「帰ったらビールが待ってますよ」
「二言目にはビールだな。だが、いいアイデアだ。俺もその案に乗った」
「そう来なくちゃ」
さいわい、銃はあるし弾も残ってる。ちょっとくらいなら無茶もできるだろう。戦闘になれば、ナインが盾になってくれるそうだしな。
だが俺の楽観は、すぐさまぶち壊された。
三角がある方向へ顔を向けた。
俺もそちらへ視線をやった。
暗くてなにも見えない。が、音が聞こえる。サイレンのような、あるいは犬の遠吠えのようなものが。
三角が眉をひそめた。
「厄介ですね。スクリーマーの群れです」
「スクリーマー?」
アイスクリームでも食ってるのか。考えただけで寒気がする。
すると三角ではなく、ナインが応じた。
「三角とは別系統の妖精さ。目ではなく、音で景色を見る。そしてその声は、人の意識を失わせる力を有している。戦いになったら、気持ちを強く持つことだ」
真面目な解説ありがたいんだが、しかし全裸ではな……。
すると三角が、突然、着ているワンピースの裾をビリビリと裂いた。膝を覆うほどの長さだったのに、ふとももがあらわになってしまっている。まさか、こいつも露出趣味なのか。ていうかパンツはいてない気がする。
「ナインさん、これを使ってください。少々寒そうです」
「助かるよ」
なんだ、腰布にしろってことか。
だがまあ、実際ここは寒い。さっきからずっとぞわぞわがおさまらない。アレだ。出雲と交戦して肩を怪我したとき、薬を塗り込まれたときのような。どうせ能力にも覚醒しないくせに、ぞわぞわだけしやがって。許さんぞ。
俺はP226を構えた。
「そのスクリーマーってのは、銃で戦える相手なんですよね?」
「生命力は人間並だ。撃てば死ぬだろう」
それは安心した。当たりさえすれば勝てる。当たりさえすれば。
サイードが構えたのはデザートイーグル。反動がデカすぎて手首を痛めるヤツだ。その代わり、威力は保証できる。
ま、適当に撃って当たれば御の字だ。
気になるのは、敵が群れで来るってことだな。囲まれてしまえば、ナインを盾にするにも限界がある。どんなのが来るか分からないが、せめて気を強く持とう。
あとは寒さで手が震えないことを祈るだけだ。
(続く)




