ナッツ!
その後、組合のバンでニューオーダーへ戻った。
当然、金は受け取れない。仕事に失敗したからだ。
それでもビールは飲む。
いま俺たちは、テーブルを挟み、すこぶる苦い表情でビールを飲んでいた。たまにあることとはいえ、あまりにも渋すぎる。報酬ゼロ! まるでボランティアじゃないですか。
「やってらんねーな、クソ」
俺はナッツを手にとり、一斉に口へ放った。
途端、ピスタチオの殻が強固に咀嚼を阻害した。最悪だ。よく見てなかった。なにがミックスナッツだクソが、許さねーぞ。
「ありえねーわ、ホント」
口の中でピスタチオだけを選別し、床に吐き捨てた。
クソすぎる出来事の連続に、普段は聖人君子のごとき俺でさえ、かくも下劣な行為に出ようというもの。
三郎はしかし笑っていた。
「ま、こういうこともあるぜ」
「ランカーさまは余裕でいいね。こっちはカツカツだっつーのに」
「無駄遣いしすぎなんじゃないのか? 質素に暮せばいいのに」
「質素に?」
キャバクラの頻度を減らすか。
行ってもどうせモテねーしな。クソ。
こっちは不景気だというのに、盛り上がってるテーブルもあった。キラーズ・オーケストラの連中だ。外で飲んできたらしく、だいぶ出来上がっていた。ハバキがビジネスでシクったってのに。あいつらはオフだったんだろうか。
俺は思わず溜め息をついた。
「ま、どっちにしろ、検非違使が相手じゃな……」
ゴネたところで疲れるだけだ。いや、疲れるだけならまだいい。ヘタすりゃ死体になる。ハバキの若いのも問答無用でぶち殺された。
「ビールとってくるわ」
俺は空のグラスを手に、カウンターへ向かった。
少しペースが早いような気もするが、今日くらいはいいだろう。なんせタダ働きだったんだからな! これもう何度でも言うぞ。
バーカウンターには先客がいた。
ぴったりとしたライダースーツの描く曲線美、すらりとした長い脚、健康的な褐色肌、爽やかな笑み、つややかな長い黒髪。外国人だろうか。クッキリとした目鼻立ちだが、どこか日本人的な親しみやすさもある。
初めて見る女だった。
モデルでも紛れ込んだのか? いや、そんなはずはない。ここは会員制だ。部外者が紛れ込むことは絶対にない。つまり彼女は、同業者ってことだ。
彼女はグラスを二つ受け取り、こちらへ振り返った。その拍子、進行方向に俺がいたからか、少し驚いたような顔を見せた。
「おっと、失礼」
「そ、そーりー」
英検四級レベルの英語がつい出てしまった。
正面から見ると、信じられないほどの美人だった。
六原一子に比肩するレベルか。いや、彼女の美は死と隣り合わせだから、比べることはできないかもしれない。
こっちの美女は健康そのもので、生命力に溢れていた。こんなところにいるのが不思議なくらいだ。
しかしグラスを二つ持っているということは、誰かと一緒ってことだ。期待するだけ虚しい。俺はカウンターに千円札を出し、ビールをオーダーした。
「六原くん、あっちのテーブル見てみなよ。すげー美人がいるぜ」
「はっ?」
俺がそう告げると、六原三郎はすこぶる渋い顔になった。
「ほら、そっちのテーブル」
「あのガイジンか? 見ない顔だな」
「興味ない?」
「ないな。山野さん、ああいうのがタイプなの?」
「タイプっていうか……。あのクラスの美人、そうそういないぜ」
「そうか?」
ダメだこいつ。
姉が美人すぎるせいで、基準がおかしくなってる。
それにしても……。
同席してる黒人の男も、ちょっとした俳優みたいだ。どこのだか知らないが高そうなワイシャツを着て、見たこともないタバコをふかしている。
しかし恋人同士といったふうでもない。ここへは純粋にビジネスで来てるのだろうか。とすれば、現場で会うこともあるかもしれない。
「女の話もいいけど、仕事の話しようぜ」
三郎が珍しくまともな提案をしてきた。
「仕事? なんかいいのある? 荷物の配達以外で」
「ハバキのやつやろうぜ。妖精つかまえるやつ」
「いや、だからハバキの仕事はさ……」
「選べる立場なのかよ」
「それでもダメなんだって……」
いまでこそ三郎と一緒に仕事をしているが、俺も以前は一人で仕事をしていた。
そのころ一度、仕事のミスでハバキから追い回されたことがあった。貸与された銃を紛失してしまったのだ。そのとき間に入ってくれたのが、キラーズ・オーケストラの葉山という男だった。
恩がある、という格好だ。なのに俺は、その恩を一つも返していない。いや、返すどころか、むしろ彼らと距離をおいている。はたから見れば不義理とも言える状況だ。
これにはきちんと理由があるし、葉山もそれを理解しているから、衝突には至っていないが。
しかし事情を理解していないキラーズの下っ端は、俺のことを恩知らずのゴミ虫かなにかだと思っている。直接的な接触は葉山が止めているはずだが。
俺は連中の縄張りに踏み込まないし、連中も俺に関わらない。互いに干渉しないのが一番だ。
三郎はあきれたように鼻で笑った。
「ハバキもダメ、ドライバーもダメとなると、あとはアレしかないな」
「アレ? どれだよ?」
「殺しだよ。ナンバーズの殺害依頼だ」
「はっ?」
また始まったよ。ナンバーズを相手にして、生きて帰れるわけないだろ……。
三郎は笑みを浮かべてはいたが、目は真剣だった。
「あんたも知ってる女だぜ。ナンバーズ・サーティーン。黒羽麗子だよ」
「えっ、黒羽先生を……」
ナンバーズ・サーティーン。黒羽麗子。検非違使の保健部を仕切る有名な女医だ。仕事で怪我を負った組合員は、ほぼ必ず彼女の世話になる。
まさかその殺害依頼を受けたいとは。
いや、それだけじゃない。黒羽グループといえば、表でも大々的に商売をしている大企業だ。病院や製薬会社まで持っている。黒羽麗子はそこの令嬢。
彼女に手を出せば、検非違使、ナンバーズ、黒羽グループ、これらすべてを敵に回すことになる。
「黒羽は一族の仇でな。いつかぶっ殺してやろうと思ってたんだ。この殺害依頼を受ければ、黒羽を殺せるだけでなく、金までもらえるんだぜ? 俺にとっちゃこの上ない条件ってわけだ」
「いやいや、六原くんよ、そいつぁちっと考えもんだぜ。さすがに相手がデカすぎるよ」
「二千万だぞ」
「二千万!?」
家が買えそうだ。いや買えないか。しかし結構な額だ。
三郎はビールを一口やってから、悪い笑みを浮かべた。
「たぶん、言えば姉貴も乗ってくるぞ」
「君とお姉さんがセットで来るのか……。そりゃあかなりの戦力だけど……」
などと考え込んでいると、いきなりスーツの男がやってきた。テーブルにビールグラスを置き、俺たちに断りもなく席につきやがる。ナンバーズ・ナインだ。
「あまり関心できるプランじゃないな」
ヤバいヤツに聞かれたぞ。
ナンバーズの殺害計画を、ナンバーズに聞かれたんだ。ただでは済むまい。
いや、ここは交戦禁止エリアだ。殺られるとしても外に出てからだろう。常識の通じる相手ならば、だけど。
ナインはすました表情でビールを飲んだ。
「君たち、仕事を探しているのか? だったら斡旋できそうなのが一つあるんだが……」
なんだと?
この男、俺たちに仕事を持ってきてくれたのか……。
ところが六原三郎、これを即座にはねのけた。
「お断りだ」
「つめたいな友人よ、話を聞いてからでもいいだろう」
「友人じゃない。帰れ。お前の話は全部うさんくさい」
狂犬というかコミュ症というか。三郎の態度は、やたらと攻撃的だった。そんなにナンバーズが嫌いか。
ナインはしかし気にしたふうもなく、こう続けた。
「君たち、今日群馬に行ってきたんだろう? じつはその近くに、妖精研究所があってね」
「もしかして、また大量発生でもしたんですか?」
俺の問いに、ナインは苦い笑みで肩をすくめた。
「いや、そうじゃない。あそこの研究所では、まだ問題は起きていない」
「じゃあ、なんなんです?」
「俺たちが問題を起こすんだ。中に入って、一人の少女を連れ出したい」
「えっ?」
つまりは研究所を襲撃して、少女を誘拐しろと言っている。
とんでもないクソ仕事だ。こんな破壊活動、ハバキだって依頼してこないぞ。節度があるからじゃない。単に後始末が大変だからだ。派手にやると検非違使に睨まれる。
ナインはふたたびビールをすすり、小さく息を吐いた。
「彼女は特別な少女だ。これから始まる事態に備えて、彼女の力が必要になる。長らく行方が知れなかったんだが、ようやく居場所が特定できた。またどこかに連れ去られる前に、ぜひともナンバーズに迎え入れたい」
ん?
いや、ふと思ったんだが……。
「あのー、その話、なぜ俺たちに? もしやるなら、ナンバーズさんでやればいいんじゃないですか? 戦力的にも、そのほうが確実でしょう?」
「最近うちも忙しくてね。外部リソースに頼らざるをえない状況なんだ。それも、できれば妖精について知識のある人材が望ましい」
こっちは知識なんてないぞ。なにせつい先日知ったばかりなんだから。
三郎はそっぽを向いてナッツを食っている。参加する気はなさそうだ。こいつが来ないなら、俺だって参加したくない。死にに行くようなもんだ。
ナインは涼しい笑みだ。
「誤解しているかもしれないが、これは悪い作戦じゃない。むしろ俺たちは、囚われのプリンセスを救出する勇者のようなものだ」
「物は言いようですよ」
「あの研究所がどんな組織なのか、君たちはまだ知らないんだろう。彼女にどんなことをしているのかも」
「さあ」
妖精研究所なんだから、妖精の研究でもしてるんだろう。内容までは知らないが。
するとナインは、やや眉をひそめた。
「実際にその目で見たんじゃないのか? あそこから運び出された妖精が、ハバキに売られている現場を」
「ええ、まあ……」
「研究所は妖精を大量生産し、ハバキはそれを売りさばいている。悪趣味な玩具としてね。囚われのプリンセスは、その養殖のために、解剖まがいのひどい扱いを受けている。金のために、無垢な少女が犠牲になっているんだ。誰かがなんとなしなくちゃいけないとは思わないか?」
「……」
この話を素直に聞けば、まことにおっしゃる通りだ。
しかし俺たちは、ことの善悪を無視まではしないが、あくまでビジネスでやっている。金はいいのか。生きて帰れるのか。その二つがハッキリしないことには首を縦に振れない。
三郎が、目だけをナインに向けた。
「いくらだ?」
「一人あたり二百万。黒羽麗子の殺害よりは安いが、悪い仕事じゃないだろう」
「俺は乗ってもいい。山野さんはどうする?」
げ、マジか。
こいつ、意外とこういうのやる気になるタイプなの?
いやまあ、三郎が来るなら参加してもいい。俺の知る限り、六原三郎は戦闘で負傷したことがない。戦力としては申し分ない。
研究所の警備はザルだ。妖精たちの暴動を、自分たちで解決する力さえなかった。なにせ銃さえ持っていないんだからな。三郎がいれば余裕だろう。
俺はビールを飲み干し、ダンとグラスを置いた。
「分かりました。お受けしましょう」
二百万だ。
それだけあれば、キャバクラ通いを減らさなくて済む。
(続く)