深海
数日後、俺たちは港の倉庫街に来ていた。
まさか機構の仕事を受けることになるとは思わなかったが。なんでも、妖精に関する取引現場を調査する、とかいう話だった。襲撃ではなく調査だから、戦闘にはならない予定だ。
三郎は受けなかったから、ここに来ているのは俺とサイードだけ。
俺たちふたりは薄暗い倉庫の二階通路に身を潜め、ダンボールをかぶっていた。階段は鉄骨、フロアはブチ抜きになっているから、全体の様子がよく見える。逆に一階からも目視可能だから、こんなんでバレないのか不明だが。
まあ軽い取引らしいから、あんまり危なくないという話だが。いや危なくないわけがないんだけど。
あとは売人の登場を待つだけだ。
先日流出した神の動画については、世間ではそれほど大きな話題になっていなかった。
おおむね「意図のよく分からない変な動画」という扱いだ。確かに、ああいう特撮まがいの動画はありふれている。アメリカの有名なアーティストが大プッシュでもしない限り、一気に広まることはないだろう。
おかげで俺の投石を嘲笑するコメントも、あれからほとんど増えていなかった。マルガリータを名乗るアカウントが顔文字付きで「石とかめっちゃ笑える」とコメントしていたのが気になるが。
さて、仕事だ。
売人が入ってきた。
ホストのような風貌の若いチンピラに、麻薬密売人の星。護衛にはマリーと杉下も連れている。こいつらいつもこんな仕事してるのか。
チンピラがブルーシートをよけると、ダンボールの山が出てきた。
「これっすよ。新型。名前は深海。スペックは前に見せた通りっす。金額とか、上から聞いてるっすよね?」
「はあ。けど、けっこうな量積んでますね」
星の言葉に、チンピラはニヤリと笑った。
「ちょっとヤってみます? なんか、海が見えるらしいっすよ?」
「えー、どうしよっかな。俺、売るの専門で、自分では使わない主義っていうか」
「マジっすか? まあ、それでも別に。俺もやってみたけど、なにも起きなかったし。あ、でもクる人はクるらしいっすよ。かなりいい感じっていうか。上はかなりアガってたんで、かなりイケると思いますよ」
チンピラはダンボールの箱をひとつ開き、中からパッケージを取り出した。青い粉末だ。
「中身はこれっす。飲み物に混ぜてもらっても、普通に舐めてもらってもオケっす」
「なんか光ってるんだけど……」
「あ、ぜんぜんヤバいアレとかじゃないんで。大丈夫っす。まあ、あとは前に渡した資料見てもらえれば」
「はあ。じゃあ、まずは得意先にサバいてみます。ここにあるの全部?」
「そうっす。なんか流行らしたいらしいんで」
「分かりました。じゃあ早速」
「車? 積むの手伝いますよ」
「あざーっす」
それから一同は行ったり来たりと、忙しそうにダンボールを運び出した。
やがてドアが閉まり、完全に撤収。
いや、妖精の仕事って聞いてたんだけど。
俺が目を向けると、サイードは「なるほど」と立ち上がった。
「いや、なにがなるほどなんです? 妖精は?」
この空疎な取引を、サイードと一緒に見届けるだけで十万。もし戦闘になったらさらに四十万という仕事だった。交戦しなかったから四十万はナシだ。
サイードは肩をすくめた。
「ヤマノ、精霊って知ってるか?」
「精霊? なんか、妖怪みたいなのでしたっけ?」
「いや。妖精の体内に、そういう名前の臓器があるんだ。エネルギーの壁からエーテルを引っ張ってくる働きをしててな。妖精はそいつを使ってエーテルを噴く。さっきの深海ってヤクを見ただろ? 精霊ってのは、ちょうどあんな色をしている」
「えっ?」
「まあ実際、そいつの加工品だ」
「じゃああの薬、妖精の内臓ってこと?」
「そういうことになるな」
サイードは内ポケットからタバコを取り出し、しかし思い直してまたしまいこんだ。柱に禁煙と書いてある。
「学会が妖精を養殖してるのは知ってるだろう? ハバキに売るとき、精霊を抜くんだ。そうすると妖精は、共感能力を失って人形になる。いままで精霊は捨ててたはずだが、なにかに応用しようと考えたんだろうな。それが深海だ」
「じゃあハバキは、人形と麻薬をサバいてウハウハってわけですか」
「儲かって仕方ないだろうな」
まあそれはいい。
しかし機構にとって、妖精の優先度はそんなに高くなかったはずだ。神の復活のための一要因に過ぎないんだから。それがなぜこんなことを。
裏口から倉庫を出たところで、サイードはようやくタバコに火を付けた。
「腑に落ちないって顔だな、ヤマノ。なんで俺たちが妖精のケツを追いかけ回すのか、疑問に思ってるんだろう」
「顔に書いてありました?」
「俺も疑問に思ってるところだ。なんでこんなことしてるんだろうってな。実のところ、これはドクター・クロバネからの依頼なんだ」
「先生からの?」
「ハバキのスキャンダルをつかめば、検非違使とナンバーズ、両方にいい印象を与えることができるそうだ。ま、それを真に受けたわけじゃないが」
「へえ。機構はホントに方針転換したんですね」
「ヤツらはいま、あまり派手に動けないようだしな」
「というより、俺らみたいにじっと観察なんてしてられないでしょう。出会い頭にすぐ始めますから」
サイードのカマロに近づいたとき、俺たちは異変に気づいた。
後部座席に乗客がいたのだ。隠れるつもりもないらしく、中から手を振ってきた。ナインだ。隣には三角もいる。
デートならよそでやって欲しいもんだな。
「お邪魔してるよ」
「用があるなら窓口を通してくれ、ナンバーズ・ナイン」
サイードはイラだたしげに運転席につき、強くドアを閉めた。
俺は助手席。シートベルトをしつつ、サイードをなだめた。
「まあまあサイードさん。話を聞いてみましょうよ」
「そう。話の基本は、まずは聞くことだ。最近、そういう基本的なマナーを守れない人間が多くてね。じつに嘆かわしいよ」
ナインは偉そうに語っているが、自分のマナー違反は完全に棚の上だ。
「話ならドクター・クロバネと進めている。あんたと話すことはなにもない」
「こっちにはある。提案なんだが、今日の件、麗子くんへの報告を少し待ってもらえないだろうか」
「なんだって?」
意味不明な提案が来た。
ナインは、いったい俺たちになにをやらせる気なんだ。
「なにも、もみ消してくれって言ってるんじゃない。少し待ってくれるだけでいい。君たち日本支部は、ナンバーズと仲良くしたいんだろう? だったら、俺の心象もよくしておいたほうがいいと思うがね」
「俺たちが今日ここへ来たことは、ドクターもすでに知っている。このままなにも連絡しなかったら、それこそおかしいだろう」
「じゃあトラブルに巻き込まれて、レポートを書く暇がなかったってストーリーはどうだ? そのアリバイづくりのために、たとえばこの車をオシャカにするのを手伝ってもいい」
「くっ……」
可哀想だが、あまり同情する気になれない。こっちだって姪の件で脅されたのだ。
サイードはハンドルを叩いた。
「せめて、なぜそうするのか、理由だけでも教えてくれ」
するとナイン、ふっと不敵な笑みを浮かべた。
「理由? 君が麗子くんに報告すると検非違使が動く。となると、この事件は検非違使の仕事になる。しかし俺たちは、俺たち自身の手で決着をつけたいと思っていてね」
「ワット?」
「ハバキに鉄槌をくだすのは俺たちの仕事だ。検非違使のやり方では手ぬるい」
「……」
サイードが黙り込んだのもムリはない。
というより、俺だって絶句した。
ハバキに抗争を仕掛けると言っている。
普通なら、バカがバカなことを言っていると切って捨てるところだ。ところがナインなら、おそらく不可能ではない。
しかしメリットは? 金になるのか?
いや、そうじゃないな。ナインの隣に座しているのは、妖精の始祖だ。彼女にしてみれば、自分の子供たちが内臓を抜かれ、人形として売買されている状況だ。なんとも思わないわけがない。
ナインは乱れてもいないネクタイを整えた。
「もし手ぶらのまま帰れないっていうんなら、俺の家に来るといい。麗子くんには、俺に拉致されていたとでも言えばいいわけだしな」
「あんたはそれでいいのか?」
「すべては覚悟の上だ。もし協力する気があるなら日当を出してもいい。ミスター・サイード、君もいちおう組合員だろう?」
「登録してるだけだ」
「同じさ。それに、早く終わらせたいのは君も同感だろう?」
本気でハバキと殺り合うつもりなのか。
個人的にはあまり気乗りしないが。
サイードは苦々しい表情で、バックミラーを睨みつけた。
「もし俺が、このまま報告しに行ったらどうなる?」
「報告? 車があると思うのか? 歩いて行くことになるが……。いや、その足もあるかどうかだな」
「……」
ハナから俺たちに選択肢なんてない。やるしかないのだ。
「あークソ。分かった。協力するよ。ただし、一週間だ。どんなに長くとも、それ以上は付き合えないぞ」
「交渉成立だな。俺の自宅へ向かってくれ。ビールでも飲みながら今後の予定を立てよう」
タダでビールを飲ませてくれるのか。もしかしてこの人、神なのでは。
(続く)




