その遺体の真価
巨人が沈黙し、周囲がしんと静まり返ったところで、ようやく麗子も平静を取り戻したらしい。メガネを拾い上げ、ハンカチで拭いながら振り返った。
「お疲れさま。ポッドは無事みたいね。ひとまずよかったわ」
ウソでもいいからポッドより人命の無事を喜んで欲しかったな。こんな状態で死者ゼロってのは、なかなかの成果だと思うんだが。
彼女は助手へ告げた。
「映像は記録できてる? 編集は後回しにして、ぜんぶ本庁へ送信しておいて」
「はい」
助手は真剣な表情で応じると、すぐさま自分の持ち場へ向かった。
俺はつい、鼻で笑った。
いままでの流れでいけば、本庁に流れた情報は、そう間を置かずに業界内に広まることになる。見せてと頼まれれば断りきれない親切な人間が、そこらにあふれているからな。機構も、出雲も、あるいは国外の組織でさえも知ることになるだろう。
あの巨人を神と認定するのか、あるいは別の存在と判断するのかはともかく。
しかし見る限り、デカいだけの素っ裸の人間だ。神と呼ぶにはいささか抵抗がある。少なくとも一神教の信者の皆さんは、こういう人間じみたものを神だとは思いもしないだろう。まあ、だからこそ機構はイギリスを追われたわけだけど。
日本人の感覚で言えば、ギリギリ神と呼べなくもない。なにせこの国では、カマドからトイレから、いたるところに神がいるからな。むかし定食屋の有線放送からトイレの神がどうたらいう歌が聞こえてきたときは、さすがにやめろと思ったもんだが。あのときビールを飲みながらカレーを待っていた俺の気持ちったら……。
死体を眺めて溜め息をつく黒羽麗子に、俺は尋ねた。
「実験は成功ですかね」
「なに? 茶化しに来たの?」
「違いますよ。ポッドは正常に機能したし、神は復活したじゃないですか。中にファイヴがいたのはアレですけど……」
「世間話ならあとにしてもらえる? 少し一人で考えたいの」
「すみません」
そういや周囲への配慮が足りないって、むかし親に怒られた気がするな。他人の気持ちになって考えろと……。
などと黒羽麗子の気持ちになって考えてみたが、なんらの感慨も湧いてこなかった。そろそろビールが飲みたいとしか思えない。いやこれは俺の感想か。
次に俺は、ペギーの様子を見に行った。
彼女は、いくつかある仮設テントの一つに運び込まれていた。うつろな表情だが、意識はあるようだ。
「どう? 成功だった?」
力なく尋ねてくるペギーに、俺は肩をすくめた。
「まあ、求めてた結果は得られたんじゃないかな。でももう死体になってるよ」
「それはなんとなく分かる」
アッサリ終わったように思えるが、じつのところ、俺たちは運がよかっただけだ。
まず、ファイヴがあの巨体をコントロールしきれていなかったこと。怪力以外の能力もあったのかもしれないが、それらがなにひとつ発揮されなかったこと。そしてアベトモコがいたおかげで、巨人を転倒させることができたこと。あの巨体が転倒したかどうかは、かなり影響がデカい。立ったままなら被害が出ていたはずだ。
アベトモコがいなくとも、誰かしらの力で転ばせることは可能だったかもしれないが。
ともあれ、不意をつけば戦えない存在ではないようだ。
「体は大丈夫なの?」
「ちょっとふらっとしただけ。けど、正直ちょっとショックだよ。あんな機械で、四つの力が代用できるなんて」
「まあ、科学の進歩ってヤツだね」
歴史上、人類は発明によってあらゆる作業を自動化してきた。はじめは水車や風車、やがて電気を使いはじめ、人工知能が出現した。そういうものの集大成が、この現代ってヤツだ。
ペギーはやや遠い目になり、溜め息をついた。
「機構が五百年もかけて守ってきたものって、結局なんだったんだろう。科学でぜんぶやってしまえるんだとしたら、神さまなんていらないんじゃないかって気もしてくるよ」
「でも科学的な研究は、君んとこでもやってるよね?」
「おもに遺伝子工学だね。けど日本人の……なんとかって博士がまったく違うアプローチしてきて、そのせいで全部持ってかれちゃったんだ。いまの機構には、ザ・ワンの庇護者であったという歴史的な事実しかない」
麗子の言っていた若葉博士だろうか。
機構が焦るほどの発明をしたってことだな。まあ実際、いま身の回りで起きていることは、理解の範疇を超えている。なんらかのパラダイムシフトが発生したとしか思えない。
「あの巨人についてはどう思う?」
俺の問いに、ペギーはふてくされた笑みを浮かべた。
「どうって?」
「君たちのいう神のイメージと比べてさ」
「イメージね……。偶像崇拝は禁止されていないから、神は絵に描かれることもあったよ。だいたいは、荒々しい父の姿をしていたかな。北欧神話とかギリシャ神話とかの、なんていうか、あんな感じ」
ヒゲを生やした半裸のおじさんか。今日のアレが男だったら、もう少しイメージに近かったかもしれない。
ペギーはさめた表情をしていた。
「機構がこの事実を知ったら、猛烈に怒るか、もしくはやる気をなくすと思うな。だって、人の手で作ることができちゃうんだもん。教義では、神が人を作ったことになってるのに」
「アレはまだ、君たちの言う神かどうか分からないじゃないか」
「もちろん上はそういう判断をするよ。まったくのまがい物だってね。けど、私にはそう遠い存在には見えなかった。しかも、妖精に光を当てただけで量産できちゃうなんて……」
光を放ったペギーもなかば妖精だし、光を受けたファイヴも妖精の体を使っていた。ポッドの中に格納されているのも妖精。つまり機構が神と呼んでいるものは、妖精の加工物ということだ。もっと非科学的な方法で復活したのであれば、まだ神秘性を担保できたんだろうけど。
ペギーは深い溜め息をついた。
「私ね、もうハタチになったんだ」
「えっ?」
「誕生日、六月一日だから。もうお酒飲めるの」
「そう。なに飲むの?」
「知らない……」
表情がうつろだった。
いくら熱狂的な信奉者でないとはいえ、やはり生まれ育った機構の崇める神は特別であって欲しかったろう。いまはそっとしておいたほうがよさそうだ。
「ま、とにかく、そのうち新しい展開があるよ。終わったらまたニューオーダーで飲もうぜ。おごるからさ」
「うん、約束ね」
テントから出ると、太陽は真上に輝いていた。
光に熱は感じる。しかし風が涼しかった。清々しいサッパリとした気候だ。俺の気持ちとは裏腹に。
ペギーの様子を見ていたら、こっちまで気落ちしてきた。
俺はロクに宗教なんて信じちゃいないから、神を否定された人間の気持ちは分からない。ましてやそのせいで海に隔離されていた経験もない。だがそれだけに、あのショックの受けようを直視できなかった。
巨人の死体のそばでは、六原姉弟がなにやら言い合いをしていた。
「だからやめろって言ってんだろ」
「なんで……? おいしい……かも……」
「分かってんのか? もしこれ食って姉貴が同じようになったら、まっさきにぶっ殺すからな。依頼なんてなくても、タダでもやる。だいいち、こいつはファイヴに寄生されてんだぞ。そこ考えろよ」
「なんでそんなに……言うの……? サブちゃん……お姉ちゃんのこと……嫌い……?」
「当たり前だろブス。嫌われてないとでも思ってたのかよブス。分かったら少しは自重しろブス」
「……」
またくだらないことでケンカしてる。
死体を見たら食わなきゃ気がすまないのか、あの姉は。
「ホントに困ったものだな、あの二人には」
「まったくですよ」
俺はなにげなく返事をしながら、急に声をかけてきたそいつの顔を見て、思わずひっくり返りそうになった。
こんな場所でもきっちりとネクタイをしたスーツの紳士。ナンバーズ・ナインだ。脇には三角もいる。
「あ、あれ? お二人とも、なぜここに……?」
「立ち会うべきだと思ったからさ。連絡がなかったせいで、到着が遅れてしまったがね」
「誘ったじゃないですか」
「君が持ってきたのは、あの悪趣味なポッドの運送業務だろう? 神を復活させるとは聞いていなかった」
「俺だって知りませんでしたよ、そんなこと」
ナインはふっと笑った。
「失礼、君を責めるつもりはないんだ。話があるのは麗子くんでね」
「あっちのテントにいますよ」
「一緒も来たまえ。ナンバーズが全員揃う。君には六原姉弟の後見人という仕事があるからな」
「……」
頭がまっしろになった。
全員?
三角が無表情のまま告げた。
「正確には全員ではありませんね。ザ・ワンは来ませんから。ファイヴも動けない状態のようですし」
「それ以外の全員さ。行こう。会議を始めるぞ」
黒羽麗子のテントに入ると、彼女はさすがに唖然とした表情になった。
「もう来たの?」
「さいわいここにワームがあったおかげでね」
「口を縫い合わせとくんだったわ」
麗子は溜め息混じりにつぶやいて、ジェスチャーで席を勧めた。
「で、揃いも揃ってなんのご用?」
「円卓会議を始める」
「ここで?」
「非常事態だ。互いに穏健派だの過激派だのとレッテル貼りをしている場合じゃない。神の復活は、ナンバーズにとっての最重要事項なんだ」
「ザ・ワンを使ったわけじゃないわ」
「それに類する行為も問題となるだろう」
「そんな条項見たことないけど? また勝手なこと言って、みんなを誘導しようとして」
麗子の反論に、ナインは応じなかった。むしろ俺のほうを見て、外を指差した。
「山野くん、書記長を連れてきたまえ。いまから開催される会議が、この上なく重要であることもきちんと説明するように」
「はあ……」
なぜ俺が人質に命令されているのか分からないが、ここは逆らわないほうがよさそうだ。なんというか、ガミガミ言われた挙げ句、結局やらされるんだろうからな。
麗子がテーブルを叩いた。
「卑怯よ、ナインさん。悪質な誘導だわ」
「円卓会議における書記長の判断は絶対だ。君もナンバーズなら、素直に従いたまえ」
おそらく初代のシックスは、それなりの人格者だったんだろう。そうでなければ書記長なんて任されるわけがない。なのに二代目だか三代目だか分からないが、まともに会話もできない死体愛好家の女がシックスになってしまった。ナンバーズも衰退するわけだ。
俺は巨人の足に齧りついているその女に歩み寄った。
「書記長どの、ナンバーズ・ナインが会議を希望してますよ。なんでも、重要な会議だとか」
「えっ?」
「急いでたようですけど」
「でも……いまは忙しい……から……」
ほら見ろ。
来いって言って来るような女じゃないんだ。分かってましたよ。
だが三郎が協力してくれた。
「おいブス、いい加減にしろよ? 会議だぞ、会議。六原一族がナンバーズに参加できてんのも、ちゃんと書記長やってるからだってみんな言ってたろ。それやめたらお前、ただの変質者だぞ。最低限の仕事もできないなら、ナンバーズなんてやめちまえよ」
「サ、サブちゃん……」
一子は巨人から離れ、しおらしく三郎に歩み寄った。
「サブちゃんの言う通りね……お姉ちゃん……間違ってた……会議……するね……」
「あくしろ」
「あと……ブスじゃない……」
「分かったから行け。周りを困らせるな」
「うん……お姉ちゃんは……かわいいの……」
いいからとっとと来いや。
一子が手を振って合図すると、それを見ていたアベトモコも、土蜘蛛の袖を引っ張って移動を開始した。あれほど大量にいた土蜘蛛は、いまや一人だ。理屈は分からない。
ナンバーズはワンからサーティーンまである。そこからワンとファイヴを抜くと十一名。大所帯だ。
ちょうど遠方からヘリのプロペラ音が聞こえてきた。
検非違使のものだと思われるが、もしかしたら残りのナンバーズも乗っているかもしれない。
いったいなにを話し合う気なのだろう。
せめて良識のある対話を望みたいな。
(続く)




