神との対峙
襲撃の緊張に身をこわばらせていたのは俺だけで、周りの連中はじつに気楽なものだった。
実際、日が没しても、まったく襲撃などなかった。
「山野さん、なにキョロキョロしてんだ?」
夕飯のサンマをつつきながら、三郎が苦い笑みを浮かべた。
検非違使から供与された食料だ。火を使わずに加熱できるタイプで、いわゆる非常食というかレーションに近い。味も悪くない。
俺はなるべく神妙な表情で、こう告げた。
「いつ敵が襲ってくるか分からないんだぜ。警戒するに越したことはない」
「は? 敵? 誰だよ?」
「いや、だから昼間みたいな連中とかだな……」
サンマを奪おうとした一子の手を、三郎がぺしとはたき落とした。
「連中がこんな山奥に入ってくるかよ」
「実験を妨害しに来るかもしれない」
「まあ、そのときはそのときだろ。まあ見てろって。俺が全部追っ払ってやるから。この辺ぜんぶ庭みたいなもんだしな」
まあ実際、庭なんだろう。
しかしこの危機感のなさはどうだ? 赤城武雄も桐山月子も、アベトモコも、ごく普通に食事をとっている。のみならず、土蜘蛛にいたっては、気を抜きすぎてまた白骨化している。
ペギーが小さく溜め息をついた。
「ま、山野さんの言いたいことは分かるよ。けどそこまで心配しなくていいと思うな」
「なんで?」
「神が復活するなら、彼らの希望通りの結果になるからさ。少なくとも予行演習にはね」
「えっ? だったら昼間はなんで襲ってきたの?」
するとペギー、肩をすくめた。
「例のポッドが欲しかっただけでしょ。いま機構は、四つの力が欲しくて仕方ないんだから」
「なるほど。そういやその件で必死になってたっけ」
「それに、ベースとして使うのってファイヴの変異体でしょ? あれがどんな変貌を遂げようと、機構は神だと認めないはずだよ」
「根拠は?」
「正統性の問題だよ。機構が五百年前にコーンウォールから持ち出したのは、あくまでザ・ワンだから。たとえ中身が同じでも、ファイヴじゃ信仰の対象にならないよ」
「じゃあ仮に復活したとして、見た目がどうあれ、それはパチモンとしか判断されないってことか」
「そ」
ペギーはつぶやいて、たくあんをポリポリ齧った。
いつもならナッツを食いながらビールを飲んでいるところだが……。タダ飯を食わせてもらっている以上、贅沢は言えまい。
ともあれ、機構はこの実験の成果を見守ってくれる可能性があるってことか。ポッドを奪いにくるなら、実験が終わったあとかもしれない。
*
翌日、清々しい気持ちで朝を迎えた。
もう初夏だというのに、じつに涼しい。空気もうまい。避暑地としては最高のリゾートだ。一子が野生に帰るのも分かる。
実験は昼からだから、まだだいぶ時間がある。
朝食後、俺は集会所を出てポッドとやらを見に行った。
元ファイヴだったもの――その鏡餅は、前回見たときより肥大化していた。前回はまだ人間サイズだったのだが、いまや一軒家ほどのサイズもあった。ちょっとした肉の山だ。
その手前に置かれているのは、人間サイズのウツボカズラ。おそらくこれがワームってやつだろう。豚のようなピンク色の皮膚をしている。そのワームを囲むように、四つのポッドが設置されていた。
機構の伝承に則った配置だろうか。
仮設テントの中では、黒羽麗子がノートパソコンを眺めていた。
「おはようございます。調子はどうです?」
「あら、おはよう。こっちは順調よ。気温も湿度も申し分ないし」
「しかし意外でしたよ。こんなタイミングで復活の儀式をやるなんて」
すると麗子は顔をしかめた。
「儀式? そんな非科学的な呼称やめてくれる? これからやるのは、あくまで実験よ」
「はあ」
儀式ではなく、科学で神を復活させようっていうのか。皮肉な話だ。
麗子はターンとエンターキーを叩いた。
「学者内でずっと異端視されてた若葉一っていう鬼才がいてね。彼の理論のおかげで、他界についての研究が一気に進んだの。その理論がなければ、私たちのこの能力も説明がつかなかったわ。だって、なんだか分からない魔法みたいなものでしょ? この世界と他界の間にエネルギーの壁があって、そこから力を借りてるなんて、誰も証明できなかったんだもの。彼はそれを観測し、実在することを証明してみせた。このポッドも、彼の理論がなければ完成しなかったわ」
「なんだか世界三大発明みたいですね」
俺の素朴な感想に、麗子はふっと笑った。
「その三つ、言える?」
「えーと、確かビールとポルノと、あと年金制度だったかな」
「実際なにが三大発明かは、人によって異なるかもしれないわね。けど確かに、若葉博士の研究が三大発明に比肩するのは事実よ。神話と科学がリンクすることを証明したようなものなんだから」
ボケをスルーされるのは哀しい。
だが一つ分かったのは、この手の研究がここ最近のものだということだ。まあそうでもなければ、機構だって五百年もぶらぶらしていなかっただろう。急に動き出したのは、やはり状況に変化があったからだ。
「この実験、平和に終わりますかね」
「私が梅乃さんではなく、トモコちゃんを呼んだってことから察してほしいわね」
名草梅乃はナンバーズ・テン。穏健派の巫女さんだ。詳細は分からないが、アベトモコとは問題を抱えているという噂を聞く。つまり梅乃とトモコを同時に呼ぶことはできない。そして麗子は、同じ穏健派ではなく、あえて中立派のトモコを呼んだ。
正統性はともかく、神が復活するっていうんだからな。よりヤバいほうを連れてきたってことか。
「でも意外ですね。検非違使は神の復活を阻止したかったんじゃないんですか? なのにこれって、復活させる実験ですよね?」
俺がこう尋ねると、麗子はあきれた様子で嘆息した。
「ずいぶん突っ込んでくるわね。あなた、懲りてないの? また誘拐されるわよ?」
「性分なんですよ」
「まあ、あと数時間もすれば分かることだし、特別に教えてあげるわ。検非違使は神の復活には反対してる。けど、反対してるからといって、その過程や結果を知らないままってわけにはいかないでしょ? 事前に小規模な実験をおこなって、なにが起こるのかを理解しておきたいのよ。事と次第によっては、追加予算がおりるかもしれないし」
「また金の話ですか」
すると麗子は、すっとメガネを押し上げた。
「いつだってお金の話よ。その予算がショボければ、それだけ被害が増えるってことも忘れないで。お金がなくて対処できませんでした、なんていうんじゃ話にならないでしょ。機構が先手を打った場合も同じ。だからこうして実験するの」
「はあ」
ごもっともだ。
十一時を少し過ぎたころだろうか。
召集がかかり、皆、テントの前に集められた。
「揃ったわね。これから同調実験を始めます。基本的にはそこで見てるだけでいいわ。四つの力はポッドが放出するから。ただ、もしポッドが故障した場合、代わりをお願いするわね」
黒羽麗子の説明はじつにザックリしていた。
まあでも、そういうことだよな。そのためのポッドなんだから。
「ペギーさんは最初から参加してね。プシケの代理だから」
「はーい」
また気楽な返事をして。
ファイヴ、ウツボカズラとポッド、ペギーという並びになった。
ポッドにはアンテナのようなものが取り付けられており、それらはすべてウツボカズラの頭上へ向けられていた。
ペギーは手を合わせ、祈るような格好。ややすると、彼女の背面から青いエーテルが噴出した。
麗子は神妙な表情だ。
「全ポッド、安全弁を解除」
「はい」
各ポッドについていたエンジニアたちが、スイッチを入れ始めた。
途端、キーンと甲高い音がして、アンテナの中央が光を帯びた。これもエーテルのような青い光だ。
麗子はノートパソコンを確認。
「三番ポッド、出力弱いわ。レベルを一段階あげて」
「はい」
そうしてしばらく画面をモニターしていた麗子は、小さくうなずいた。
「出力の安定を確認。照射を開始して」
「はい」
するとアンテナから照射された四つのビームが、空中でぶつかりあった。ちょうどウツボカズラの真上だ。
途端、ウツボカズラがガバリと口を開き、噴水のようにエーテルを放射し始めた。
そいつはしかし拡散することなく、ビームの中心に溜まり始めた。肥大化して球体となり、青い宝石のような、海の塊となった。
ペギーの噴出するエーテルも盛大なものになっていた。青かったエーテルはキラキラと輝いて銀の粒子となり、好き放題に乱反射してわけの分からない色になっていた。
やがて球状の海は、ペギーの力に押されて細く飛び出し、矢のようにファイヴへ突き刺さった。
膨大なエネルギーが、一気に注ぎ込まれているかのようだ。ファイヴのぶよぶよした肉体は、光の直撃を受けて気味悪く波打った。
いや、波打っているだけではない。なにか、成長している気がする。潰れた鏡餅にしか見えなかった肉塊は、徐々に手足を得て、人の形になっていった。それだけではない。胸元には豊かな乳房が現れた。
どう見ても女だ……。それも、体長五メートルはあろうかという巨体の。
光がおさまると、ペギーはふらりとその場に崩れ落ちた。脇で待機してたスタッフがすぐに駆けつけ、担架で運び出した。
ペギーのことは彼らに任せるとして。
しかしこれはいったいどういうことだ。源三の話では、男がザ・ワンで、女が妖精だったんじゃなかったのか。いやあくまで仮説とは聞いている。男も女もいるのか。あるいはベースが妖精だからこうなったのか。
「ぐっ……ぐぎはっ……」
強靭そうなアゴを動かし、巨人は地鳴りのような声を吐いた。
「ははは、なるほど。これが神の体というものか……。よくやったぞ、虫けらども……」
獰猛な笑みを浮かべ、巨人は重い腰を浮かせた。が、バランスを崩してすぐに転倒。ずしーんと重苦しい音を立てた。
なにが起きたのかは、すぐ理解できた。こいつの体を操ってるのはナンバーズ・ファイヴだ。やはり生きていたのだ。
「細かいコントロールが効かんな。まあいい。実戦で慣らすとしよう」
ゆらりと立ち上がると、その大きさはじつに際立った。
驚異的なのは背の高さだけではない、腕や足の太さが、もう電信柱よりも太い。むかし立ち上がったゾウを見たことがあるが、アレよりデカい。
で、俺たちはこいつをどうするんだっけ?
麗子へ目をやると、彼女は呆然としたまま固まっていた。
ファイヴは上空から告げた。
「我にこの体を与えた褒美として、貴様らを我が下僕としてやろう。まあ拒否しても構わんが。その場合、いまこの場で死んでもらうことになる……」
動作が緩慢だから、全力ダッシュすれば逃げられるかもしれない。しかし歩幅がデカそうだ。すぐに踏み潰されるだろう。
ふと、老人がその正面に立つのが見えた。土蜘蛛だ。
「お主、蟲喰みか? ずいぶんおおきうなったのぅ……」
「土蜘蛛……。貴様、話は通じるのか?」
「はえ?」
「話は通じるのかと聞いている」
「はて……。にしてもお主、なぜ服を着ておらぬのじゃ? 若いおなごがむなちを丸出しにしおって、けしからんやつじゃ」
「失せよ」
持ち上がった巨人の足が、真上から土蜘蛛を踏み潰した。どーんと、土煙を巻き上げながら。
一撃だ。
もはや技とかそういうものではない。力での圧殺。
麗子はまだ動けない。ここはもう、各自の判断で生き延びるしかないようだ。
俺は仲間たちに向き直った。
「みんな、逃げよう」
「断る」
「はっ?」
やる気まんまんだったのは六原三郎だ。
なぜか笑みを浮かべ、闘志を剥き出しにしていた。
「逃げるんなら、山野さんだけ逃げてくれ。俺は残る」
「いやいや、こいつと殺り合うって? 一円にもならないのに?」
「金なら前に黒羽麗子から受け取った。俺は仕事は最後までやるタチでな」
「……」
そういや五百万ふっかけて、それで交渉成立したんだっけ。
俺は溜め息をついた。六原三郎は頑固だ。言葉でああしろこうしろ言ったところで、その通りにする人間じゃない。
「分かった。じゃあ俺も残る」
「一円にもならないのに?」
「仲間を見捨てるようなマネはしない」
俺はP226を抜き、コッキングした。昨日何発か撃ったが、まだ残っている。少しは役に立つだろう。
エンジニアたちも行動を開始していた。
「黒羽先生! 対妖精用の麻酔弾、準備できました。ご命令を」
「そ、そうね。あるだけ撃ち込んで頂戴」
「はい!」
部下たちのほうが立派だな。
彼らが射撃を開始したので、俺もトリガーを引いてバックアップした。ターゲットがデカいだけあって、さすがの俺も外さなかった。手は震えたが。いや、しかしまるで現実味がない。信じられないほどデカい人間が目の前にいるのに。本当に、こんなのが実在するのか。
巨人はよろめいて、数歩後退した。が、ダウンを奪えるほどではない。
しばらくの間、山の斜面に銃声だけがむなしく響き渡った。エンジニアたちが使ってるのは、見たことのないライフル銃。検非違使の大好きなポリマーフレームだ。
俺が撃ち切ると、しばらくしてエンジニアたちも声をあげた。
「残弾ゼロです」
麻酔弾ってことは、殺傷能力は低いんだろう。巨人に効くまではしばらくかかりそうだ。というより、アレだけデカい相手なのだから、まったく効かない可能性もある。
となると、巨人がよたついたのは実弾を撃っていた俺のおかげってことだ。さすが俺だな。もう弾切れだけど。もしこの戦いを生き延びたのがいたら、俺の墓標にこの活躍を刻むように。
すると巨人の体を、数匹の青白い狐が這い上がった。かと思うとボンボンと次々に小爆発を起こし、巨人の肉をえぐった。
アベトモコだ。
「狐のガキかァ!?」
巨人はたまらず尻もちをついた。
もしや、勝てるのか。
三郎と一子が駆け出し、上空から腹へ飛びかかった。そこへ巨人の手が襲いかかると、さっと飛び退いて回避。鬱陶しい蚊のような戦いぶりだ。
地面からは、死んだはずの土蜘蛛がぞろぞろと生えてきた。それも、数十体。彼らは一斉に巨人にすがりつき、地面に引きつけた。
死んだり生き返ったり忙しい老人だな。
赤城武雄は炎をまとった拳での打撃、桐山月子は水の蛇での攻撃。
能力者でもなんでもない俺は、道端の石を拾って投げ始めた。バカにされるかもしれないが、投石は立派な戦闘術だ。というより、ほかにやりようがないんだから仕方がない。近づきたくないし。
すると黒羽麗子が、メガネを投げ捨てて力強い足取りでやってきた。かと思うと大きく手をふるい、細い糸のようなもので巨人の足の指を切り落とした。
まあナンバーズなんだから、なにがしかの力は持っているわけだよな。
「ぐぎぁッ! 待てッ! 殺すなァッ!」
ファイヴはいまごろになって命乞いを始めた。
「我を殺せば神の命も失われるのだぞッ! 貴様ら、それを分かっているのかッ!?」
これには黒羽麗子が反論した。
「できそこないの量産品が偉そうなこと言わないで頂戴ッ! 腹が立つわッ!」
腕をふるい、足の裏を縦に裂いた。
あまりにえげつない攻撃だ。ざばと裂けた部分から、大量の血液が滲み出してきた。
まるで妖精花園を殺処分したときのような、大量の出血だ。体がデカいと、血液量も相当なものになる。
ファイヴはもはや身動きもとれないまま、一方的になぶられていた。
「ぐっ、抜け出せん……まさか死ぬのか……この我が……」
いや、たぶんしぶとく生き延びるぞ。あとでガソリンでもかけて燃やしたほうがいい。
「や、やめ……よ……」
もはやすべての指を失い、両目も潰された巨人は、虚ろな命乞いを繰り返すだけのデカい肉と化していた。
麗子は深い溜め息をつき、助手とおぼしき人物へ告げた。
「川崎さんに連絡して、応援を要請して頂戴。これを処理しないといけないから」
「はい」
ま、放置しておくわけにもいかないよな。
この図々しい肉は、いちおう神を名乗っていたわけだし。
(続く)




