廃品回収
船上で二週間は過ごしただろうか。
出港してはどこかの港に寄った。なかなかの旅路だ。パスポートを所持していない俺は、もちろん船を降りることなんてできなかったが。そもそもそんな自由もない。
いまもまっしろな研究室で、ドクター・ダージャーの診察を受けている。
「ヤマノ、君はなかなか頑固だな」
「えっ?」
唐突になんだ。
ダージャーはモニターを見つめながら、溜め息をついた。
「ほとんど反応がない」
「え、ない? 促進剤もちゃんと飲んでますよ」
カプセルだ。食後に飲めと言われている。この俺は律儀にも、その怪しい薬を言われた通りに服用していた。なにか能力を獲得できれば、現場での生存率もあがるだろうと考えたからだ。
「いいか。ここの連中は迷信深いから、絶対に彼らの前で言うんじゃないぞ。人間というのはね、誰しも、必ず能力を有しているものなんだ。能力がないように見えるのは、あくまでそう見えるだけであって」
「えっ?」
「だから連中の言う『純粋な人間』なんてものは、どこにも存在せんということだ。両者に差があるとしても、まつ毛が長いとか短いとか、その程度のものさ。例のウイルスにしたって、あくまで本人の才能を拡張しているに過ぎないわけだしな。種としての差があるわけじゃない」
ダージャーはパソコンを少しカタカタやって、こちらへ向き直った。
「もちろん君にも能力がある。タイプを特定できないほど微弱ってだけでな。つまりこれ以上は、研究費のムダってことだ」
「……」
無能みたいな言い草だ。
俺はなかば悔し紛れに尋ねた。
「俺、なにか変なんですか?」
「いや、よくあることだよ。というより、基本的にはこうなる。伸びる人間は、促進剤の投与で一気に伸びるんだが……まあ、まれだな。そうでなければ、人材確保にこんなに苦労せんよ。なにせこの能力ってやつは、現代人にとっては不要な代物だからな」
「退化したと?」
「いや、進化だ。あるいは単に、変異でも構わんが」
よく分からない。
ダージャーは肩をすくめた。
「強制はしないが……。どうしてもというのなら、神の肉片を直接移植するという手もある」
「えっ?」
「ペギーにはそうした。ウイルスの投与だけでは、やはりうまくいかなかったからな」
黒羽麗子が健康診断で水を飲ませていたのは、まだおとなしい手段だったってことか。
いや、それより問題はペギーだ。想像以上の処置を受けていた。
「彼女にも移植を?」
「サンプルを培養したものがある。それをペギーの心臓に移植したんだ。まるごと全部じゃないぞ。少量を埋め込んだだけだ。その結果、なかば妖精化するという予想外の結果になったがね」
「移植はちょっと」
「ま、オススメはせんよ。ワーム化したという報告もあるしな。上はそれでも嬉しいかもしれないが、私は反対だ。ここにはワームを囲っておくだけの予算もない。これ以上余計なことに予算を割かれたら、ろくに研究もできんしな」
金の問題かよ。
というよりこの人、もしかしたら金で雇われてるだけで、機構の正所属じゃないのかもしれない。俺のような部外者がワームになったら、機構としてはこの上ない収穫だろうに。
ダージャーはどっと背もたれに身をあずけた。
「ま、上には私からレポートをあげておく。君は放免となるだろう。それまで船内でも見学して回るといい」
「はあ」
あれだけ派手に誘拐されたのに、あっさり解放されてしまうのか。
まあ現状、タダ飯を食わしてもらってるだけの居候だしな。
*
だが数日後、俺は予想外の扱いを受けていた。
両手両足を拘束され、口にも猿ぐつわを噛まされ、車椅子に乗せられたのだ。サイードの話では、人質交換に使われるそうだ。
殺されないだけマシだが、普通に帰らせてはくれないようだな。まあ、交渉の材料に使えるってんなら、俺が逆の立場でもそうするけど。
俺は港の倉庫街へ運ばれた。サイードを先頭に、イングラムを手にした構成員たちがぞろぞろとついてきた。
倉庫に待ち受けていたのはナンバーズの穏健派。黒羽麗子、巫女さん、そして死んだはずの猪苗代湖南だった。ジョークかと思ったのに、本当に生きていたようだな。さすがはナンバーズ。
サイードは、あまったるいにおいのするタバコを地面に捨て、靴底で踏み潰した。
「久しぶりだな、ドクター・クロバネ」
「ずいぶん強気な取引を仕掛けてきたわね、サイードさん。私たちから盗んでいった仲間を、妖精文書と交換だなんて」
「盗品なのはお互いさまだろ」
え、いいの?
たぶん俺、妖精文書ほどの価値もないと思うんだけど。
麗子は無防備にも、ヒールをカツカツと鳴らして近づいてきた。
「エーテル反応はないわね」
「妖精化してないことは事前に伝えておいたはずだが」
「ただの確認よ」
湖南がやってきて、妖精文書を機構の黒服へ渡した。
すると黒服も謎の計器を取り出し、こう告げた。
「エーテル反応、確認しました。本物です」
「よし。引き上げるぞ」
それだけ告げると、サイードは車椅子の俺を置き去りにし、黒服たちと倉庫を出ていってしまった。
じつにあっけない別れだった。これでもいちおう人身売買なんだから、もっと大仰にやって欲しいもんだが。
湖南が猿ぐつわをとってくれた。
「いやー、ありがとうございます。一時はどうなることかと……」
「あなたはもう帰っていいわ」
「えっ?」
麗子の言葉に、俺は耳を疑った。
もう用ナシ? 超重要人物だから妖精文書と交換したんじゃないの?
「どうせなんの能力にも覚醒してなかったんでしょ? そうでなければ機構が手放すわけないもの」
「だったら、なんで妖精文書を……」
「アレにたいした価値がないことくらい、あなただって理解してるでしょ? それに出雲からも、いまさらになって『機構とモメたくない』って泣き言が入ってね。タダで返却してもよかったけど、せっかくだからあなたと引き換えにしただけよ」
「あ、そうですか……」
クソショボいオチがついた。不用品の交換じゃねーか。
まあ、俺の能力にまったく期待できないってことは、すでに判明してしまったわけだしな。のみならず、俺が持ってる情報も、全部漏らしたことになっているはずだ。かくまう理由もない。
俺としては、死ななかったことを素直に祝うべきだろう。どっちの組織から見ても、まったく利用価値のない人間なんだ。生きているだけでも奇跡みたいなものだ。
麗子は目を細めた。
「自由っていっても、ボケっとしてる時間はないわよ。これから忙しくなるんだから」
「はあ」
*
拘束を解かれた俺は、自宅へも戻らず、まっさきにニューオーダーへ向かった。祝杯は缶ビールではなく、エールであげたい。
ビールとナッツを手に揚々といつもの席へ向かうと、すでに六原三郎が待っていた。
「よう、来ると思ってたぜ」
「聞いた? どうやら俺は妖精文書と同じ価値らしいぞ? VIP待遇だ」
俺のこのつまらないジョークに、三郎は鼻で笑った。
「ま、死ぬことはないと思ってたけどな」
「そっちは? なにか変わったことはなかった?」
「ハバキの仕事を受けたら、現場で剣菱ってのに会ったよ」
確か警察の子飼いだっけ。秩父の山中で桐山月子を軟禁していた勢力だ。
俺は乾杯もせずビールを一口やり、先を促した。
「で、どうだった?」
「メチャクチャ強かったぞ。こっちは完敗だ。キラーズのテーブル見てみろよ。あいつらも参加してたんだけど、だいぶ殺られた。生き延びたのは俺と、あと何人かだけだ」
三郎はピンピンしている。
それに比べてキラーズのテーブルは、確かに人が減っていた。
ハバキの仕事と言えば、これまでは汚いけれど稼ぎのいいものが多かった。天敵となるのは検非違使くらいだし、彼らは通常業務を抱えているからあまり現場に出てこなかった。しかし警察まで参戦したとなると、難易度は格段に跳ね上がる。
俺はしかし疑問を口にした。
「剣菱ってそんなに強かったっけ? まあ銃は持ってるけど。ハバキのチンピラと同レベルじゃない?」
「いや、なんか凄いおっさんがいてな。いつの間にか、そいつに背後を取られてたんだ。パニックになってワーワーやってるうちに、挟み撃ちにあって壊滅した」
そんな人間、秩父にはいなかったように思う。汚名を返上すべく、ボスみたいのが出てきたってことか。
しばらく飲んでいると、珍しく木下がやって来た。
「あの、お二人に仕事の依頼が来ています」
タブレットを手に、スーツでキメている。現場では役に立たないくせに、格好だけはイッパシだ。
しかし三郎の態度は違った。
「なんでも言ってくれ」
二秒前までふんぞり返っていたのに、途端に居住まいを正し、前のめりになった。バカみたいなキリリ顔だ。
こいつはホントに……。
木下も苦笑気味だ。
「あのぅ、それが……依頼主が、黒羽麗子さんなんですが……それでもよければということで……」
「……」
三郎、硬直。
分かりやすい二律背反だ。
さてどうする。脳内嫁の木下を取るのか、それとも仇敵の黒羽麗子を取るのか。
だが三郎が固まったまま動かなくなったので、代わりに俺が返事をした。
「内容は?」
「あ、はい。荷物の運送です。長野まで、届けて欲しいものがあるそうなんです。報酬は、一人あたり三十万ということですが……」
検非違使の規定の額だが、ただの運送で三十万はウマい。ただし問題は、黒羽麗子が個人名義で依頼してきたってことだ。
三郎が我に返った。
「いいぜ。やってやる」
「本当ですかっ!? ありがとうございますっ! では手配しておきますね。日時はのちほど指定がありますので、そのときまたご連絡しますね」
「ああ、任せてくれ。このランカーの六原三郎さまが、完璧に片付けてやるよ」
いやにアッサリ引き受けたな。
運転するのは俺なのに。
木下は愛想笑いとともにテーブルを離れた。かと思うと、今度は青猫のテーブルへ向かった。指名の依頼が複数来てるのか。
三郎はごくごくとビールを飲み干した。
「山野さん、春が来たぞ」
「そろそろ夏だが」
「詩心だよ。見たか、あの笑顔。俺に求婚してたぞ」
いや困惑してたぞ。
俺は心配になり、ついつっこみを入れてしまった。
「三十万だけど、いいの? ていうか黒羽麗子だけど……」
「細かいことは気にするな。問題は、嫁が俺の力を必要としてるってことだ。愛の前では、すべてが些細なことだからな」
「はあ」
だがその嫁は、青猫のテーブルを離れたかと思うと、今度はキラーズのテーブルへ向かった。もしかして同じ依頼を、ここの全員にするつもりじゃないだろうな。それとも指名の依頼が重なっただけか。
「ちっとビールもらってくる」
「おう……」
上機嫌の三郎はまるで気づいていない。空いたグラスを振り回しながら、はしゃいだ様子でカウンターへ向かった。
だが木下を観察していると、彼女は次にマリーと星のテーブルへ向かった。少し離れた席の杉下も、そのテーブルへ呼ばれた。
まさか四台の車で、同時にモノを運ばせるつもりか?
大仰な荷物運びだな。これは間違いなく襲撃の対象になるぞ。あるいはさも重要そうに見せかけて、あえて襲撃を誘っている可能性もある。敵は機構か剣菱か。意表をついて出雲って線もあるな。
念のため、もう一人くらい同行させたほうがよさそうだ。
(続く)




