客人
二度目の来客があったのは、その翌日だった。
俺が食い入るようにスポーツ新聞を読んでいると、突然、ターンと音がして、湖南が椅子からずり落ちた。
「えっ?」
まだ昼だ。
襲撃の時間には早すぎる。
かといって、廃墟マニアのレクリエーションにしては派手すぎる。
礼儀知らずがハッスルしたせいで、ナンバーズ・イレヴンもまさかの即死だ。頭に風穴が開いている。
俺は慌ててベッドから転げ落ち、床へ伏せた。
遠方から狙撃された。この部屋を上から狙える場所はないから、下からのスナイピングだろう。頭を低くしていれば撃たれないはず。
俺は地面を這ったまま移動し、湖南のブローニングを拝借した。鍵も外したかったのだが、死体をまさぐっている時間はなさそうだ。
廊下から、ギャリギャリとなにかを引きずる音がした。
まさか杉下か?
銃で撃たれるのはイヤだけど、金属バットで殴られるのはもっとイヤだぞ。スナイパーに頭をぶち抜いてもらったほうがはるかにいい。
「こんにちはーッ! ピザの宅配だオラァ!」
階下から、威勢のいい声が響いた。
ピザになるのは俺のほうってオチだろ。
ドアからアホヅラを出したら、まっさきに撃ち抜いてやるからな。
ところで、この銃の安全装置はどこなんだ? 慣れない銃は勝手が分からんな。
すると、別の男から声があがった。
「抵抗しないほうがいいぞ! おとなしくしてれば殺さない!」
星の声だ。
先日一緒にやった連中が、今度は敵として来たか。しかもこの編成、まさか依頼主は検非違使か。あるいはそう思わせたい別の組織か。
俺も大声で返した。
「どういう依頼だッ! 用件を言えッ!」
「言えるかバカっ!」
星のもっともな反論に、杉下も同調した。
「ったりめぇだろバカ野郎ッ! これはなぁ、テメーを拉致するって依頼なんだよッ!」
俺を拉致する?
誰だ?
まったく心当たりがないぞ。
「依頼主は誰だッ!?」
「知るかボケェ! 普通に組合から回ってきた仕事だオラァ!」
てことは、前のように庁舎に集められたわけじゃないのか。
このメンバーなのは偶然かもしれないな。どうせ暇人ばかりだろうし。
「分かった。抵抗しない。武器を捨てよう」
だが俺の言葉も聞かず、杉下はドアをバットでガンガンやり始めた。
「開けろオラァ!」
「おいやめろ。鍵開いてるぞ」
「テメーそれ先に言えコラァ! 手首痛めただろうがッ!」
自分のせいだろ。
ドアが開くと、杉下は目を丸くした。
「し、死んでる……」
「外から撃たれたんだよ」
「あ、やべ」
杉下も蒼白になり、地面に身を伏せた。
外にいるスナイパーは、やはりマリーのようだな。あの女、スコープに入った人影は、敵だろうが味方だろうがお構いなしにトリガーを引く。
星も頭を低くして入ってきた。
「じゃあ外行こうぜ。カマロを待たせてる」
「カマロ?」
「外車だよ、高ぇぞ」
知らんな。
俺の親父が乗ってたカローラとなにか違うのか?
手錠のキーは、湖南の遺体からすぐに見つかった。
それはいいんだが、外に出た瞬間、俺はもうリアクションもとれずに顔をしかめるしかなかった。
待っていたのは例の黒人男性。エイブラハム・P・サイードだ。
依頼主は機構だったというわけだ。拉致から拉致の大冒険。ついでに言えば、命の保証もない。
「久しぶりだな、サカエ・ヤマノ。乗れよ。案内する」
「はあ……」
やたら平べったい、高そうな外車だ。それ以外の感想はない。
俺はいま、杉下らと別れ、カマロとやらに乗せられていた。それも助手席だ。どういうつもりなんだか。
「ヤマノ、ドクターがあんたに会いたがってる」
「ドクターって? 黒羽先生?」
「ドクター・ダージャー、うちのサイエンティストだ」
ということは、俺はこいつらの船に連行されるってことなのか。
サイードは細いタバコに火をつけた。
「俺からも、個人的に話があるしな」
「もうなんでも聞いてくださいよ。拒否権がないのは分かってますから」
「そうふてくされるなよ。ナンバーズから救出してやったんだ。感謝してくれてもいいだろ?」
不敵な笑みだ。
彼は深く煙を吸い込み、こう続けた。
「それに、連中には妖精文書の件で借りがある。これくらいは許されるだろう」
「許さないと思いますよ。俺はともかく、ナンバーズ・イレヴンの頭がふっ飛ばされたわけだし」
「あの程度で死ぬようなヤツじゃない」
「いや、どう見ても死んでましたよ。ヘッドショットですよ?」
するとサイードは口をへの字にし、肩をすくめた。
「じゃあ死んだかもな」
適当こきやがって。
しばらくして県道へ出たところで、サイードはこう切り出した。
「で、結局のところ、プシケはなんでペギーを連れ去ったんだ? 前よりは賢くなったんだろ? 教えてくれ」
「機構の皆さんが、ペギーの人権を無視しようとしたからですよ。ムリヤリ神を産ませるなんて……」
「ドクター・クロバネの研究で、妖精にそういう可能性があるってことが分かったからな」
あの女の研究結果かよ。
サイードは小さく息を吐いた。
「まあ、しかし……。彼女がそこにいる限り、例の計画は実行されないってことか。ひとまず安心だな」
「安心? 本気でそう思ってます?」
「前も言っただろう。ペギーは家族みたいなものなんだ。彼女の不幸を願ったりはしない」
「けど、機構が計画したことですよね?」
「正確には東アジア支部だ。俺たちじゃない」
「東アジア支部?」
「聞いてないのか? 俺たちは支部ごとに、それぞれの船で暮らしてる。俺やペギーは日本支部。東アジア支部はお隣だ。連中、以前から日本支部を吸収したがっていてな」
こいつらも内部で派閥争いしてるのか。
俺は素朴な質問をぶつけた。
「日本だけ、東アジアとは別枠なんですか?」
「ザ・ワンが眠ってるからな」
「そもそも、なんで日本に? 機構の所有物だったんですよね?」
サイードは一つ呼吸をした。
「五百年前のエクソダスから始めるか? 出発の地はイギリスのコーンウォールだ。妖精もそこから来た」
「イギリス?」
「それ以前はエジプトにあったとか、ペルシャにあったとかいう説もあるが……。真相は分からん。記録を辿れるのはイギリスまでだ。ともかく、俺たちの先祖は船でザ・ワンを海に逃した。なにせ殺されるところだったからな。ピューリタンどもには、ザ・ワンがモンスターにしか見えなかったらしい」
見たことはないが、まあ、モンスターだろう。
「その後、マグリブを超え、ケープタウンを超え、東回りのインド航路でアジアに入った。しかしどこへ行ってもクリスチャンが先回りしていてな。それで日本に行き着いたってわけだ。ちょうど明治になるタイミングだな」
「明治……」
「当時の日本は混乱していて、外国船の管理が甘かったんだ。土地を持ってなかった機構にとっては、絶好の穴場に見えたってわけだ。ま、いまだに回収できていない以上、選択ミスだったと言わざるをえないが。ともかく、そのときザ・ワンは日本に来た」
二世紀も前だ。
機構はそんな時代から日本に来ていたのか。
「そのとき妖精も一緒に?」
この問いに、サイードはかぶりを振った。
「アレは別ルートだ。サンドイーターって窃盗団が、プシケから妖精文書を盗み出した事件があってな。そいつを追って、大陸経由で日本にたどり着いたって記録がある」
「いつ頃です?」
「大正時代だ。それも、ちょうどザ・ワンが目を覚ますタイミングでな。サンドイーターってのがその後どうなったのか知らんが……。プシケは、のちにナンバーズとなる連中と協力して戦ったらしい」
そういえば三角は初期メンバーだとか言われてたな。
「ザ・ワンはふたたび眠りにつき、地中深くに埋められた。その管理を政府から託されたのがナンバーズだ。ザ・ワンを元凶として始まったから、ナンバーズになったって話だ」
「その話は誰かから聞いた気がします」
サイードはふっと笑った。
「ま、いつしかそいつが利権となり、抗争の火種にまでなったってのは皮肉な話だがな」
「機構が持ち込んだ火種でしょう」
「だから回収しようとしてるんだ。素直に協力してくれてもいいんだぞ?」
「はあ」
一理ある気がする。
ザ・ワンなどという厄介なものが存在するから、こんな抗争になるのだ。
それに、もし神が復活するにしても、海の上ならまだ被害も少なかろう。東京でやられた日には、被害も計り知れない。
すでに利権になってしまっている以上、ナンバーズも手放さないだろうけれど。政府から託されているってことは、税金が投入されている可能性もある。
サイードは笑いながらも、表情を歪めた。
「しかしただのジョークじゃないぞ。アメリカもザ・ワンが欲しくてうずうずしている。なにせ生命の特異点だからな。日本が抱え込むには危険な代物だ」
アメリカがよこせって言ったら、日本は素直に渡してしまいそうだけどな。または共同研究という道もある。
*
食事休憩を挟みつつではあったが、横須賀港まで三時間近くかかった。
接岸していた船の脇腹から車ごと入り、中の駐車場で降りた。
ただの船じゃない。デカいなんてもんじゃない。ちょっとしたマンションほどもある。こんなのが海に浮いていていいのか。
「こっちだ」
サイードはエレベーターのボタンを押した。
必要な機能は一通り揃ってるって感じか。
やって来たエレベータに乗り、俺たちは下へ。
真っ白な通路に出た。蛍光灯ではなくLEDライトだ。硬質な光が廊下に反射して眩しい。
サイードはとあるドアの前で足を止めた。
「ドクター、入るぞ」
返事も待たず入室。
中では、小柄な老人が顕微鏡を覗き込んでいた。彼は振り向くと、しわだらけの顔をいっそうしかめた。
「なんだエイブか。そっちのアジア人は?」
髪もボサボサで、いかにも研究者といった風貌だ。いやこんな研究者、ほかにいるのか分からないけど。
「サカエ・ヤマノだ」
「クロバネがいじくっていた被検体か。それで? どこまでやっていいんだ?」
えっ?
サイードも慌てた様子で応じた。
「言っただろ。傷はつけるな。俺たちの大事なゲストなんだからな」
「しかしエーテル反応がない。少なくとも妖精じゃないぞ。我々の役に立つのか?」
「それを調べるのがあんたの仕事だろ」
「ふん。じゃあヤマノ、座ってくれ」
ドクターに促され、俺は椅子に腰をおろした。
「山野です、よろしくお願いします」
「私はダージャー。この船での研究を取り仕切ってる。というより、研究者は私しかいないがね。これがなにを意味するか分かるか? 書類整理に忙殺されて、肝心の研究が一向に進まないということだ。エイブ、分かったら助手を用意してくれ。私は各国の研究機関から熱烈なオファーを受けているんだ。それを蹴ってまでここに残って……」
これにサイードが顔をしかめた。
「分かった。分かったからその話はあとにしてくれ。上には言っておく」
「頼んだぞ。さて」
ダージャーは一通り苦情を申し述べたのち、こちらを見つめてきた。
「あんたの体がどうなっているのか、じっくり見せてもらおうかね」
「……」
大丈夫なのかこの人。
俺の大事なものを奪っていったりしないよな?
(続く)




