廃墟見学ツアー
到着したのは郊外の廃墟だった。廃墟というか、営業停止したラブホテルだ。かつてはケバかったであろう外装も色あせ、生い茂る樹木にかなり侵食されていた。外壁がツタまみれだ。
当然、人の気配はない。
麗子は先頭を歩きつつ、振り返りもせず言った。
「あなたの世話は湖南くんがするわ。なにかあったら彼に言って」
いやいや、せめて巫女さんのほうにしてくれよ。なんで男とラブホテルで生活しなきゃならないんだよ。
窓ガラスは割られていない。
しかしエントランスには、外から入り込んできたであろう小石やら枯れ葉やらが散乱しており、お世辞にも衛生的な環境とは言えなかった。小さな昆虫もいる。壁紙もベリベリに破けている。
廃墟マニアが冒険気分で入り込んできそうだ。
階段で三階へあがった。
通された部屋は、まあまあ掃除されていた。ベッドが円形なのが気に食わないけど。昭和のセンスを感じる。いまもあるんだろうか。なにせ現状を知らないからな。
「じゃあ手錠するから、じっとしてて。抵抗しないほうがいいわよ」
「分かってます」
ナンバーズが三人もいるんだ。抵抗したら悲惨な目に遭うことくらい俺にも分かる。
湖南がやってきて、俺の右手に手錠をかけた。その手錠は、長いチェーンで謎のポールにくくりつけられていた。一応、数メートルは動けるようにしてくれているらしい。
麗子たちがなぜか椅子に腰を落ち着けたので、俺もベッドに腰をおろした。
「六原くんには私から伝えておくわ。あなたが急用で出張に出たって」
「助かります」
「なにか伝言はない?」
「パソコンつけっぱなしなんで、落としといてってお願いしてもらえます?」
俺の率直な要望に、麗子はぐっと眉をひそめた。
「真面目に聞いてるの」
「じゃあいいですよ。なにもないです。どうせ抵抗するだけムダなんですから」
殺さないと言ったのだ。俺の使い道はまだあるってことなんだろう。麗子の望んだ「能力」とやらに「覚醒」しているかもしれないしな。
自由にされれば、俺はニューオーダーでビールをやるに決まってる。そしたら機構のサイードってヤツが来て、あれこれ聞いてくるだろう。もちろん親切な俺は全部教えてやる。こうなるのは当然だった。
「先生、一つ質問いいですか」
「その詮索好きのせいでこうなったの、もう忘れたの?」
「冥土の土産に教えてくださいよ。前に、先生からサイードさんにお使い頼まれましたよね? アレの中身、なんなんです?」
麗子は小さく嘆息をし、静かに応じた。
「三角さんの……細胞の一部よ」
「細胞?」
「妖精の研究がしたいって言うから。そういう科学的な向上心には弱いのよ」
堂々とウソを言いやがる。
俺が疑問をぶつけようとすると、麗子が真顔になって続けた。
「もちろんウソに決まってるでしょ。ビジネスよ、ビジネス」
「ザ・ワンのサンプルとなにが違うんです?」
「さすがに知りすぎてるわね。けど、あなたの言う通りほぼ同じものよ。それにお金を出すっていうんだから、売ってやらない理由もないでしょ。調査してみて、機構も金をドブに捨てたことが分かったんじゃない? もっと言えば、三角さんのDNAなんてそこらの妖精と同じなんだから、ハバキから安く買ってもよかったのに」
けっこう、ぼったくったのか。こりゃ立場を利用して荒稼ぎしてる感じだな。
まあそれはいいんだが、新たな疑問がある。
「けど、DNAがほぼ同じなら、なんで三角さんだけがああなんです? 他の妖精と、あまりに違いすぎてませんか?」
これに麗子は、すっとメガネを押し上げた。
「相変異って知ってる? 同じ遺伝子を持つ生物でも、環境によって別種のように成長することがあるの。有名なのはイナゴの変異ね。ピンとこなかったら、女王蟻を想像してもらってもいいわ。群れの密度だとか、ストレスだとか、摂取した栄養だとか、フェロモンの散布だとか、そういうのでわりと変異するのよ。同じ遺伝子だからといって、同じ存在になるとは限らないわ」
「……」
分からん。
女王蟻と言われれば、まあ、イメージできなくもないけど。
麗子は目を細めた。
「ごく普通の妖精が、妖精花園に変異するのもこれよ。もっと言えば人間だって……」
「えっ?」
「とにかく、おとなしくしていてね。準備が整ったら迎えに来るから」
「はあ」
人間が、なんだって?
いま黒羽麗子は、いったいなにを言いかけたんだ?
*
しかし彼女は、巫女さんと連れ立ってホテルを出ていってしまった。
残されたのは俺と猪苗代湖南だけ。
命の保証はされている。あとは同行者がホモじゃないことを祈るだけだ。
湖南は窓際に座し、じっと外を見つめている。本当に、マネキンのような無表情だ。機械なんじゃないかとさえ思える。
「えーと、猪苗代さん、これからよろしくお願いしますね」
あのナンバーズの一員が、俺の身の回りの世話をしてくれるんだ。挨拶くらいはしておくべきだろう。
すると彼は興味なさそうに、無機質な目をこちらへ向けた。
「はあ」
つめたい。
「ちなみに、トイレに行きたくなったらどうすれば?」
「そのときは言ってください。ご案内します」
「食事は?」
「時間になったら買い出しに行きます」
「風呂は?」
「残念ですけど」
「……」
一日か二日ならいい。しかし無期限でこんなところにいろと? 正気なのか?
俺が口を閉じると、一気に会話がなくなった。
まあべつにいい。気まずいとも思わない。繊細な俺としては、フリーダムに鼻をほじったり屁をこいたりできないのは不満だが。無言なら無言で、黙っていればいいんだから。
などと強がっていた俺だが、五分としないうちに暇になってきた。
テレビもない、パソコンもない。この部屋には娯楽がない。俺こんな部屋イヤだぁ。いやいや、ここ、娯楽のための部屋だろ。なんなんだよこの不条理は。
「あのー、テレビが欲しいとは言いませんけど、せめて本かなにかありませんか。刑務所にだって新聞くらいあると思うんですけど」
「新聞が欲しいんですか?」
「スポーツ新聞がいいなぁ」
「じゃあコンビニに行ったら、ついでに買ってきます」
「お願いします」
ということは「いま」じゃないということか。
俺はもう暇すぎて死にそうなんだよ。いま行ってくれ。頼む。なうだ。
「あ、よかったらビールも」
「分かりました」
「そういえば、そちらさんはビール飲むの? ビールじゃなくてもいいけど」
「飲まないですね」
「ふーん。まあ、最近、酒飲まない人も多いらしいしね。タバコは?」
「吸わないです」
「趣味はないの? 暇つぶすの大変でしょ? さっきからずっと外見てるけど、なんか面白いのあります?」
「よく喋りますね」
「えっ?」
こいつ、俺との小粋なトークを楽しんでない……だと……。まあ俺も楽しくないけど。でもほかにすることもねーじゃねーかよ。
湖南がまた窓の外を向いたので、俺は弱点でも探ってやろうと観察を始めた。
細身のスーツに、革靴。
ブローニング・ハイパワーはテーブルに置きっぱなしになっている。いい銃だ。まあ、俺のP226のほうがカッコいいけど。手元にないのが残念だ。
夕刻、湖南がコンビニ袋をさげて戻ってきた。
弁当が一つ、ミネラルウォーターが一本、缶ビールが一本、スポーツ新聞が一つ。それが俺への配給だ。対する湖南はパンとミルクのみ。あきらかに俺のほうが豪勢だ。
右手首の手錠が邪魔ではあったが、なんとか飯を食いながら、俺は思わず言った。
「ずいぶん粗食だね」
「そうですか?」
「足りるの?」
「ええ、まあ……」
機械みたいな男だな。
俺は缶ビールを開けた。こっちもドライだ。まあ発泡酒と間違えなかっただけよしとしよう。
ちょっと一口のつもりが、ごくごくと半分くらい飲んでしまった。アルコールが胃の腑にしみる。
「はあ、最高だ」
日はなかば落ちかけており、部屋は薄暗い。ここには電気がないから、このままでは真っ暗闇になるだろう。
夕闇の廃墟で、マネキンみたいな男とコンビニ飯とは。これに比べれば、昼間のメイド喫茶は天国みたいな場所だった。
「暗くなってきたけど、電気は?」
「懐中電灯があります」
「……」
正直、かなり怖いんだけど。
いや、こいつはいいよ。自由に動けるんだから。けどこっちはチェーンでつながれてるんだ。置き去りにされたら死ぬしかない。
*
ロクに会話もないまま、監禁生活も一週間が経過した。
俺は新聞を読んでいる。しかし湖南は外を眺めているだけだ。暇すぎて頭がどうにかなったりしないのだろうか。
のみならず、湖南はまるで家畜でも育てるかのように、淡々と俺の世話をした。他人に対して、まるで関心がないようだった。あるいは自分にさえも。
「人が来ました」
湖南が、静かに立ち上がった。武器はとらない。その代わり、睨むような目つきになっていた。
敵か? 味方か? それとも廃墟マニアでも入り込んできたか?
「入るわよ」
やがて黒羽麗子の声とともに、見知った連中が顔をあらわした。
六原三郎と、アベトモコだ。
「よう、久しぶりだな」
「ざっと十年ぶりかな」
俺のジョークに、笑ってくれたのは三郎だけで、あとは真顔のままだった。
麗子などは露骨にイライラした態度だ。
「山野さんの行方について、あまりに熱心に嗅ぎ回ってたから、見るに見かねて案内してあげたわ」
これに三郎は悪い笑みだ。
「俺が機構に手を貸すって言ったら、態度変えやがってよ」
「少しは自重してくれない? いまは重要な局面なの。あなたにそういうことされると、全部がひっくり返るんだから」
「四つの力のうちのひとつだからか? けど、俺以外にもいるんじゃなかったのかよ? 姉貴でもいいわけだし」
「代用が効くのは事実よ。けど、機構に力が集まるのは問題なの。あなた、神が復活したら責任とれるの?」
「とれるわけないだろ」
神の復活の責任なんて、重すぎて誰にもとれないわな。実際、それが神なのかどうかはともかくとして。
俺はさすがに余裕ぶって、こう切り出した。
「で、俺はめでたく二人に救出されるってわけかな?」
「いや、見に来ただけだ」
「はっ?」
え、なに? 見学ツアーなの?
「五体満足かどうか確認したかっただけだ。ちゃんと飯が食えてるならそれでいい」
「いやー、もう一歩踏み出してもいいと思うなあ」
「それはこの女から止められてる」
すると「この女」ことアベトモコが近づいてきた。
今日もお着物がお似合いで。
「話は先生から聞きました。なので申し訳ないのですが、ペギーさんの救出の件は無期延期ということで……」
「そう……」
懐柔されてしまったか。
まあ麗子の言葉が事実なら、他界は安全な場所ってことになる。救出作戦は、神の問題が解決してからということでいいだろう。
トモコはふところから形代を取り出し、こちらへ差し出してきた。
「代わりと言ってはなんですが、お守りを用意して来ました。どうかお元気で」
「あ、ありがとう」
こんな呪い人形みたいのもらっても、むしろ怖いだけなんだが……。
麗子は深く溜め息をついた。
「じゃ、もういいわね。あまり時間をかけるわけにもいかないから。湖南くん、あとよろしくね」
「はい」
すると三人とも、まったくなんらのためらいもなく部屋を出ていってしまった。
なのだが、湖南は、みんなが去ったあとのドアをいつまでも睨みつけていた。かと思うと、部屋の窓を片っ端から開け始めた。見るからにイライラしている。
なにか気に食わないことでもあったのか?
まあ、聞いたところでさらにイラつかれるだけだ。黙っているのがいいだろう。
などと達観していると、湖南が詰め寄ってきた。
「あなたは平気なんですか?」
「えっ?」
「躯喰みです」
「……」
その呼称は知っている。六原一族の別名だ。
湖南はうんざりした様子で溜め息をつき、窓際の椅子へ戻った。
「あの人たち、人の死体を食べるんですよ? 信じられない」
「いや、でも弟のほうは食わないぜ」
「そう言い張ってるだけでしょう。裏ではなにをしてるのか分かったもんじゃない」
こいつ、レイシストか。
まあ俺だって、死体を損壊するのが一般的な趣味だとは思わないけど。弟はやってないんだから、それでいいじゃないか。
「ナンバーズ・シックスは、家族の死体まで食べたそうですよ。ハッキリ言って異常だ」
「家族の?」
「あなたも知ってるでしょう? 例の抗争のときですよ。ああいう一族は、すぐにでも滅ぶべきなんだ」
「あと二人で滅ぶよ」
こういう考えかたのほうが、おそらく「健全」なんだろう。しかし好きにはなれない。一子はともかくとして、三郎がなにをしたって言うんだ。人のナッツは勝手に食うけど。まあ、それはお互いさまだしな。
「猪苗代さん、まさかそれが理由で先生についてるんですか?」
「余計なお世話です」
別の地雷を踏んでしまった。
怒りのポイントが分からない。麗子の金魚のフンみたいに言われて怒ったのか。
「ごめんなさい。俺、ナンバーズについて詳しくないから」
「だったら口を挟まないでもらえますか? イライラしますから」
「はい……」
機械みたいな男かと思ったけど、ちゃんとイライラするんだな。
(続く)




