ノスタルジア 四
結局、三角は現れず、二班の対妖精用装備はムダになった。妖精花園はナインとアベトモコが破壊し、作戦は終了。俺たちはいちど集会所へ集まることになった。
「ご苦労。ナンバーズ・ファイヴの件は……ちょっとよく分からんが、当初の目的は達成できた。欠員もナシ。いい働きだったぞ」
源三の言う「当初の目的」は妖精花園の破壊。妖精たちもほぼ殺処分となった。また誰かがよからぬことをせぬ限り、この地に妖精が現れることはないだろう。
咳払いをし、源三はこう続けた。
「あー、しかし素直に喜べんな。黒羽先生、なにか所感は?」
「意味不明、そして理解不能よ」
麗子は不快そうにメガネを押し上げた。
ファイヴが鏡餅になったのは、麗子にとっても想定外ということか。
ともあれ、過激派のリーダーは死亡した。穏健派と提携している検非違使としては万々歳のはずだ。もっと喜んでもよさそうだが。
すると麗子は眉にしわを刻み、ナインを睨みつけた。
「あなたはなにかないの?」
「なにか、とは? 俺だって理解不能さ」
「ファイヴはなんて言ってたの? ハメられたって話よね?」
「そう主張していたのは聞いた。しかし事実かどうかは分かるまい」
「しらばっくれないで。たしかファイヴは、神を復活させ、その死体を乗っ取って神になることを希望していたのよね? それを知った三角さんが、ファイヴに神の体を与えたって可能性は? 失敗作だったけど」
うわー、ファイヴってのは、壮大というか、ずいぶんバカげた考えをもってたんだな。
神になる?
まあ死体を乗っ取れるなら、それも可能だったのかもしれない。しかしあまりにあんまりな計画じゃないか。
ナインは深く溜め息をつき、かぶりを振った。
「真相はそうなのかもしれんが、俺には分からんよ。なにも聞かされてないんだ」
「あら落ち込んでるの? かわいいところあるわね。いつもの偉そうな態度がウソみたい」
「……」
この皮肉にも、ナインは反論できず。
自由にしてやった三角が予想外の暴走をして、相当ショックを受けているようだ。
*
帰路、検非違使のヘリコプターに空きがあるという話だったので、俺だけ同乗させてもらった。なんと無料で。
歩いてあの山を下山するのは、もはや耐えがたいものがある。
迎えに来たヘリは三台。
俺が乗せてもらったのは、源三や麗子と一緒の幹部用ヘリだった。というか検非違使って金あるんだな。三台もヘリ飛ばして。
「いやー、助かりましたよ。またあの山道を歩くのかと思って、辟易してたんです」
俺は世間話がてら、そんなことを言った。
が、まあ、世間話なんてしている雰囲気ではない。
源三は厳しい表情で腕組みしているし、麗子はイライラしたように溜め息ばかりついていた。
あんまり喋らないほうがいいのか。
ここはいっそ、もう口を閉じて、眼下に広がる長野の景色でも眺めるべきかもしれない。
などと心を入れ替えた矢先、麗子がこちらをじっと見つめてきた。好意的な眼差しではない。不審そうな目だ。しかし口元はかすかに笑っている。
「山野さん、怪我をしたの?」
「あ、これ? ええ、まあ、ちょっと切られまして。けどトモコさんの薬を塗ってもらって、治ったみたいです」
シャツは大きく裂けているが、傷はふさがっている。痛みもないし、悪寒もひいた。
麗子は薄ら笑いのような、不気味な微笑。
「念のため、帰ったら診察しましょう」
「なんなんです? やっぱりヤバい薬だったんですか?」
「トモコちゃんがそれを使ったってことは、緊急事態ってことよ。放っておけば死んでいたはずよ。感謝しなさい」
ナインのようなことを言う。
まあ確かに、即死ではなかったが、放置されれば出血多量で死んでいた可能性もある。どう考えても救急車が五分かそこらで来るような場所とは思えなかったし。
とはいえ、裏があることを隠しもしない。おかしな薬だ。
「まさか、俺もあんなクリーチャーになったりしませんよね?」
「そういう前例はないわ」
「じゃあ妖精になったり?」
「さすがに理解してきたわね」
「えっ?」
ウソだろ?
ジョークを言ったんだから、つっこみ入れてくれなきゃ。
麗子は妖しく笑った。
「ま、そんなに気にすることはないわ。人間がもともと持ってる能力が引き出されるだけよ。妖精の能力を得るかもしれないし、それ以外の能力を得るかもしれない。あるいは……」
「あるいは?」
「なにも起きないかもしれない」
「……」
いや、待てよ。
もし黒羽麗子の言っていることが事実だとすれば?
人は妖精になる可能性もあるということだ。ペギーのように。ナインはこれを「人体実験」だと言っていた。その技術を、黒羽は有していることになる。
まさか、ペギーの件も黒羽がやったのか……。
「ザ・ワンのサンプルを応用したウイルスが、あの薬に含まれてたってことですか?」
俺の指摘に、麗子の顔から笑みが消えた。
「この短期間に、核心部までたどり着いたようね。あなたは部外者というには、あまりに踏み込みすぎているわ」
「……」
消されるのか?
よくよく考えたら、相手はナンバーズ・サーティーンだ。俺を殺そうと思えば一瞬だろう。
彼女は続けた。
「せっかくだから、もう少し教えてあげようかしら。べつにトモコちゃんが薬なんて使わなくても、とっくに手遅れなのよ」
「えっ?」
「組合員がうちで健康診断を受けると、最後に水が出されるでしょう? あれにウイルスが入ってる」
「……」
「だからいまさらウイルスにおびえる必要はないわ。いままでなにも発症していないなら、今後も発症しないでしょうし。とはいえ今日のは経口摂取ではなく、傷口からだから。どうなるかは分からないけど」
いやこれ、暴動が起きかねんレベルの不祥事だぞ。
組合員は、すでに人体実験の材料にされてたってわけだ。とんでもない事実だ。
麗子はつめたい表情のまま、溜め息をついた。
「もし正義感に燃えて告発しようと思ってるなら、やめたほうがいいわよ。消されるから」
「いや、頭が混乱して……」
「その前に考えてみてね。こんな危ない情報、なんであなたに喋ったと思うの? こっちにはメリットなんてないのに」
「知りませんよ」
「あなたが会話の通じる人間だからよ。たとえばキラーズ・オーケストラにこの話を教えたとして、彼らが理解できたと思う? あるいは冷静に聞いてくれたと思う? ムリよね? けど、あなたは違う」
「そりゃまあ、あいつらとは違いますけど……」
この女、俺をどうしたいんだ。
巧みに誘導されている気さえする。
「結論から言うわ。私はね、あなたの遺伝子が欲しいの」
「どええっ!?」
変な声が出た。
自分でも信じられないくらい、間の抜けた声だ。
でも仕方がないだろう。
だって……遺伝子だぞ? それを黒羽麗子に? どういう方法でだよ……。まあ、俺は構わないけど……。
「仮に発症していたらの話よ。もちろんズボンを脱ぐ必要はないわ。頬の粘膜を採取させてもらえればいいの」
夢も希望もねーな。
「それを使って、なにをする気なんです?」
「人間が後天的に妖精の能力を獲得した場合、半人半妖という特殊な状態になるの。そういう遺伝子を集めて、いろいろ検証してみたいのよ」
いまさらではあるが、また人体実験だ。
いやしかし待てよ。そういう遺伝子? ペギーでもいいのか?
「山野さん、気持ち悪い顔になってるわよ」
「き、気持ち悪い顔ってなんですか。もっと言い方ってもんがあるでしょう」
「めんどくさい男ね。まあとにかく、あなたには今後の経過を観察させて欲しいの。妖精の能力じゃなくとも、なにかしら覚醒する可能性はあるんだから」
「俺も六原くんみたいになれるってことですか?」
俺のこの素朴な問いに、麗子は嘲笑するような顔になった。
「ああいう野蛮な力が欲しいの? 仮に覚醒したとして、あんなエネルギーはそうそう出せるもんじゃないわよ。あの二人は、ある種の天才なんだから。まあ頑張ればそよ風くらいは起こせるかしらね」
そよ風?
クソ暑いときに役立つかもしれないじゃないか。バカにしやがって。
特殊能力にも期待できない。射撃もダメ。となると、やはり俺は伝説の剣を引き抜くしかないようだな。機構あたりが捏造して作ってそうだし。あとは岩に刺しておいてもらえれば。
俺は意を決して尋ねた。
「あのー、健康診断でウイルス飲まされてるんですよね? これまでに発症した人いるんですか?」
すると麗子は肩をすくめた。
「まあ、いると言えばいるわね。ただし本人に自覚症状はないみたい。なにか理由をつけてデータを計測したりもするんだけど、反応もごくわずかだし、あんまり面白くないわね」
「そうですか」
こいつ、いつかバチが当たるぞ。
*
ただの健康診断となにが違うのかは分からないが、黒羽麗子の診察を受けた俺は、まっすぐニューオーダーへ向かった。
疲れていたから、さっさと帰って寝てもよかったが、その前に一杯やろうって魂胆だ。報酬も受け取らないといけない。
車で長野を出発した三郎もナインも、まだこちらへは到着していないようだった。
俺はビールとナッツを受け取り、いつもの席についた。
組合員の姿はまばらだ。
静かに飲んでいる青猫、ゲラゲラと品のない笑いのキラーズ・オーケストラ、あとはチームを作っていない個人の組合員たち。
ほぼ全員、黒羽麗子のウイルスを飲まされている。発症したやつがどこかにいるはずなんだが……。
自覚症状はないらしいから、能力をバリバリ使ってる連中は違うだろう。もちろん六原姉弟は該当しない。
だとするとキラーズだろうか。あそこに能力者はいなかったはずだ。
個人だと、金属バットの杉下、スナイパーのマリー、麻薬密売人の星、爆弾魔のフラッシュバムに、あとは破戒僧の枕石居士か。
黒羽麗子が理由をつけてデータを計測しているという話だから、ちょくちょく検非違使に顔を出してるヤツが怪しい。万年鼻炎の杉下か、もしくは精神不安定なマリーかもしれない。
いや、いまここにいない組合員の可能性もある。
仮に個人を特定できたとして、俺にできることもないんだけど。ただ、どんな感じなのか、探るくらいはしておきたい。
なにもしないまま後手に回るのは、もうごめんだ。
(続く)




