ノスタルジア 三
話がまとまり、打ち合わせは解散となった。俺は百三十万、三郎は六百三十万の大仕事だ。
三郎がやけに勢い込んでいたので、俺はその背に声をかけた。
「じゃあ、生きてたらまた会おうぜ」
「ああ」
「終わったらビールが待ってるからな」
「ああ」
聞いているようで聞いていない。
大丈夫かな。
見守る一子も心配そうだ。
だがまあ、戦力的には申し分ないんだ。死ぬってことはないだろう。
ないよな?
*
持ち場へ向かう道すがら、ナインがこう説明してくれた。
「出雲の混成部隊は、カマキリと青村で構成されている。カマキリはその名の通り、カマイタチを使う。接近すると八つ裂きにされるから注意しろ」
「はあ」
「青村は遠距離からの狙撃タイプだ。有効射程は二十メートル……。だが腕のいいヤツは百メートル先からでも仕掛けてくる。ゲリラ戦が得意で、草むらや木の上から撃ってくることが多い。これもよく注意するように」
「ええ、前向きに対処しますよ」
注意してどうにかなるのか。
ナインやトモコはともかく、俺なんてまっさきに殺されるぞ。むかし敵のスナイパーに、いいようにもてあそばれたのを思い出した。
「心配するな。青村の狙撃は致死性のものじゃない。撃たれても痛みはなく、傷も負わない。ただし直撃を受けた場合、しばらく感覚を失う。頭部に受ければ気絶する。カマキリに切られなければ問題ない」
問題あるんだよなぁ。
まあしかし、だ。
カタログスペックによれば、俺のP226は有効射程が五十メートル。うまくすればアウトレンジから撃ち込める。
問題は、俺の腕だ。
きちんと両手で構えて撃っても、静止したターゲットにさえ当てられない。いや何回かに一回は当たるが。端的に言って「ヘタクソ」の一語に尽きる。
キラーズの連中なんて、クソカッコつけた横撃ちでもバンバン当ててるってのに。
この世界は不条理に満ちている。魔女が俺に呪いをかけてるとしか思えない。
確か金属バット持ち歩いてる組合員がいたけど、俺もそっちに変えようかな。
指定のポイントにつくと、いきなり仕掛けられた。
ピンポン玉くらいの、なにか青白い人魂のようなものがふわっと飛んできたのだ。かと思うと、隣を歩いていたナインが――どう説明したものか、人の形をしたままにわかに灰になった。
スーツだけ残して灰になり、ざーっと地面に崩れ落ちたのだ。
致死性じゃないって言ってたよな?
これ、どう見ても死んでないか?
俺は慌てて民家の壁に身を隠した。ついでにトモコの着物の袖をひっぱって、後ろにさがらせた。
「いやー、終わったわ。なんなんだよ急に。こんなの俺たちだけじゃムリだろ」
「死んでませんよ」
トモコは平然としている。
「えっ?」
「気を失っているだけです」
「なにそれ……」
気を失うと灰になる?
ナインだけ?
じゃあ俺たちが食らっても灰にはならないってこと?
そういう情報は事前に周知しておい欲しいな。いきなりこんなことになったら、誰だってびっくりするだろ。つーかやっぱりナインは人間じゃなかったってことか。いまさらだけど。
「えーと、アベトモコさん。悪いんだけど、さっきの集会所に戻って援軍呼んできてもらえる? ここは俺が食い止めてるから」
「いえ、援軍はいらないと思います」
「えっ?」
まあ、そりゃあ、きっと強いんだろう。だがあくまで話の上では、だ。実際どこまでやれるかは分からない。
トモコは袖口から形代を取り出した。和紙でつくられた、人の形をした呪具だ。それを数枚、地面にバラ撒いた。
形代はポンと弾け、青白い狐となった。
「この子たちに任せましょう」
「あ、はい」
つい敬語になってしまった。
おいおい、ついには魔法まで出てきたぞ。いや、妖精なんてのが出てきた時点で気づくべきだったが。銃なんて撃ってる場合じゃない。金属バットなんて振り回してる場合じゃない。伝説の剣で戦うべきだ。どこかの岩に刺さってるはずだからな。
狐たちはチョロチョロ駆け出したかと思うと、草むらへ飛び込んだり木を駆け上がったり、じつに奔放に動き回った。かと思うと、ズダーンとかわいげのない轟音を立てて爆発。飛び散ったのは、おそらく青村と思われる肉片のみ。
エグいわ……。
「カマキリの皆さんがここを囲もうとしていますね。山野さん、右から来る人たちをお願いします。私は左をやりますので」
「オーケー……」
状況が見えてるのか。まるで千里眼だ。
いまは味方だからいいが、もしこんなのが敵に回ったら絶対に勝てないぞ。いや相手が誰だろうと、俺一人じゃ基本的に勝てないけど。やはりこの業界、強いヤツに乗っかるに限るな。
などとクソみたいなことを考えている場合じゃない。せいぜい愛想をつかされないよう、最低限の働きはしないとな。
俺はP226を構え、カマキリとやらの襲撃に備えた。
が、目を凝らせども、なんらの動きもない。音もない。ただ農道があり、ところどころに民家があるだけ。猫さえいない。打ち捨てられた廃村そのものだ。本当に来てるのか?
「屋根の上です」
トモコの言葉に、俺は反射的にトリガーを引いた。背筋が凍りついた。
向かいの民家の屋根に、小柄な男たちが身を潜めていたのだ。いつの間にそこに来たのかも分からないが、ずらーっと並んでいた。頭巾をかぶって顔を覆い、暗殺者のようだ。
俺は連続で発砲した。
何人かは殺った。だが何人かは、吹き下ろす風のように、じつにスムーズに疾駆してきた。
これはヤバいぞ……。
死を意識すると、景色がスローモーションになるってのは本当だ。映像は色彩を失い、音も消え、神経はイヤというほど研ぎ澄まされる。
弾数はキッチリ把握している。あと九発。
敵は六人。
スローモーションなのに、それでもカマキリは信じられないくらい迅かった。こいつらまさか忍者なのか。
もはや俺の意思とは関係なく、指はトリガーを引き続けた。
アタリ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、アタリ……。
もちろんヘッドショットなんかじゃない。体のどこかに当たりさえすればいい。
残り四発。
敵は四人。
これ以上、一発たりとも外せない。が、そんなのムリに決まってる。
というより、もう四発も撃ってる時間がない。俺はとっさに砂を蹴り上げ、その拍子に身を翻し、脇へ飛びのいた。
カマキリの放った真空波が、肩口を裂いた。まだ痛みはない。しかし鮮血が散ったから、あとで激痛が来るはずだ。
転がりながら体勢を立て直し、俺はP226の狙いを定めた。
直進するスピードが速かったせいか、カマキリは俺の元いた位置を通り越し、こちらへUターンするところだった。そこへ二度発砲し、二発とも命中。奇跡としか言いようがない。
残り二人は、こちらへ飛びかかってくる最中に灰になった。
というより、灰のまま飛びかかってきたから、俺は直撃を受けて灰まみれになった。
「失礼、油断した」
爽やかな笑みで立っていたのはナイン。
全裸だ。服を着ろと言いたい。
「ひとまず第一波はしのげたようだな。だがまだいる。準備したまえ」
助かった……んだよな。
生き延びたってことだ。
俺は小便をちびっていないか確認し、ほっと安堵の息を吐いた。それと同時、肩の痛みがドッと来た。腕を千切らんばかりの激痛だ。けっこう深く切られたらしく、信じられない量の血が出ていた。というか痛い。控えめに言っても大激痛だ。
「あらら、いっぱい血が出てますね。手当します。じっとしていてください」
トモコがやってきて、着物が汚れるのもいとわず、袖口から取り出した薬を塗りたくってきた。
これに顔をしかめたのはナインだ。
「それ、まさか麗子くんの作った……」
「緊急事態です、やむをえません」
「どうなっても知らんぞ」
「分かってます。それよりナインさん、服を着てください」
なんだよ。アベ家に代々伝わる秘薬とかじゃなく、黒羽が作ったヤバい薬なのか。もっと別のはなかったのかよ。贅沢言える立場じゃないけど……。
信じられないことに、痛みは急速に引いていった。おそらく出血も止まった。その代わり風邪をひいたときのような、ぞわぞわした感覚が肩口から全身へ広がってきた。悪寒ってヤツだ。軟骨や内臓が小刻みに震えている。
「うっわ、なんだこれ……すげー変な感じするんですけど……」
これにナインは肩をすくめた。
「我慢したまえ。死ぬよりはマシだろう」
ふざけんなよ。つーか早く服を着ろよ。仏のトモコさまが鬼面になってるじゃねーか。消される前に早くしろ。
命がけで戦ったご褒美が、おちんちんの鑑賞会とは。
この世界は、やはり不条理に満ちている。
ナインは大の字で全身に風を受けた。
「まさに大自然って感じだな」
いや不自然だよ。服を着ろ。
その後、襲ってきた第二波は、おもにトモコとナインが葬り去った。俺も撃つには撃ったが、間違えてナインの背中に一発ぶち当てただけ。わざとじゃない。
あとに残されたのは、狐に爆破された肉片と、風に吹かれて流されゆく灰の山のみ。
俺たちの担当は、ひとまず片付いたと見てよさそうだ。
「いったん引き返そう。ファイヴがどうなったのか見ておきたい」
ナインは言いながら、ようやくズボンに足を通した。
トモコは目を細めたまま返事もしない。
これが警察の管轄なら、とっくに逮捕されていてもおかしくないのにな。
だが三郎たちの戦況は、なんだかよく分からないことになっていた。
例の老婆と戦闘しているのかと思いきや、なぜか謎の肉塊と戦っていたのだ。
バカデカいぶよぶよの鏡餅だ。蟻の足が生えている。クリーチャーとしか思えない。
いや、その鏡餅も、よく見ると人の形をしている。胴体だけがぶくぶくと太り、手足がごく短い。というよりも、手足は標準サイズなのだが、胴体だけが信じられないほど膨張していた。おそらく頭部もあるのだろうが、胴体に埋もれてしまっている。
三郎や弓子が代わる代わる斬撃を加えるが、裂けたそばから肉が修復してゆく。
しかもその鏡餅、移動することもできないらしく、蟻の足を地面に食い込ませたまま、ただ一方的に攻め立てられていた。
「クソ、キリがねぇな……」
三郎は手の甲で汗を拭い、忌々しげに蟻の足を蹴飛ばした。
これはもはや戦闘ではない。
ナインも眉をひそめた。
「いったいどうなっている? こいつはなんなんだ?」
「こいつがファイヴだよ」
「はっ?」
「あのババアの体は捨てたんだと。妖精の体を乗っ取って、俺たちをだまし討ちしようとしたらしいんだが……。殺り合ってる最中、なぜかこんなに膨れ上がってな」
すると鏡餅から、苦しげな声が聞こえてきた。
「ナインか……我を助けよ……」
「ファイヴ? ファイヴなのか?」
「あの小娘にハメられたわ……」
「小娘? 誰のことを言っている?」
「あの妖精……三角だ……アレは……我ら全員を殺すつもりだぞ……」
ナインは目を見開いた。
「彼女が? なぜ?」
「知らぬわ……アレはしょせん……この世のものではない……我らが邪魔で仕方がないのよ……」
「しかし彼女は……」
「我を助けよ……体がもたぬ……」
蟻の足がバキリと音を立てて、一本折れた。鏡餅がぐらつき、柔らかい肉が気味悪く揺れた。
「死にとうない……死にとうない……我を助けよ……ナインや……我を……」
バキリ、バキバキ、と、足が立て続けに折れた。ずんと腹に響く地鳴りとともに、鏡餅は墜落。ついには沈黙した。
誰も彼も、その肉の山を見つめたまま、言葉を発することができなかった。
いったいなにが起きたのか、理解さえできなかった。
(続く)




