ノスタルジア 二
地蔵堂から里へは道らしきものが伸びていた。
俺たちは警戒しながらも、その道をまっすぐに進んだ。たとえ獣道だろうと、草まみれの斜面なんかよりはるかにマシだ。
川沿いに、バス停のような木造の休憩所があった。
トモコはそこに「いる」と指差した。しかし警戒した様子はない。いるとしても、ナンバーズの誰かってことなんだろう。
どうせなら、そいつが誰なのかも教えて欲しかったところだが。
「遅かったわね」
出くわしたのは黒羽麗子だった。
白衣ではなく、タイトなスーツ姿だ。この田んぼだらけの景色から完全に浮いているが。まあそれを言ったらナインも同じだ。
そのナインが顔をしかめた。
「君か……。いったいなぜここに?」
「なぜ? 黒羽の所有地なんだから、黒羽がいてもおかしくないでしょ」
「歩いてきたのかい?」
「まさか。ヘリで来たのよ」
「ヘリ?」
ナインが困惑するのもムリはない。周囲にヘリコプターの姿はない。
麗子はすっとメガネを押し上げた。
「いったん里から出したわ。妖精たちが警戒してたから」
「一人で?」
「あなたは嫌な顔するでしょうね。仕事で来たのよ」
「仕事ってどっちの?」
この問いに、麗子はぐっと眉をひそめた。
「それ毎回言わなきゃ分からない? 私の本業は検非違使よ。ナンバーズでも製薬会社でもないわ」
ということは、検非違使の連中もここに来ているというわけだ。
麗子は嘲笑するような顔になった。
「それにしても、トモコちゃんまで連れてくるなんて……。あなたどういうつもりなの? この里を、地図から消し去るつもり?」
「失礼だぞ。都合の合うメンバーが彼女しかいなかったんだ」
「中立派なんて気取ってるからでしょ。あなたがもっと立場をハッキリさせたら、協力してくれるメンバーもいたんじゃないのかしら?」
「またその話か。俺たちは過激派にも穏健派にも与しない。それよりどういうつもりだ? なぜ検非違使を呼んだ?」
得意の内ゲバか。
ナンバーズ同士で三つ巴の争いとかヤメてくれよ。そんなのに巻き込まれたら、俺なんてまっさきに死ぬからな。見てろよ。秒で死んでやる。ギネス記録だ。
麗子はうんざり気味に息を吐いた。
「ナンバーズ同士の衝突を避けるためよ。情報もナシに乗り込んできた脳天気な誰かさんが、その場のノリで殺し合いをしないようにね」
「ここに過激派もいるのか?」
「そうよ。しかも騒動の元凶。連中が出雲と取引してたのは知ってるでしょ? その共同作業の結果があの肉塊ってわけ」
「ウソだろう? 連中のどこにそんな技術力が?」
「技術を供与した人間がいるってことでしょ」
そんなの一つしかない。黒羽だ。
自分は無関係みたいな顔をしているが、黒羽はすべての組織に介入している。学会やハバキを経由して過激派に手を貸すくらいはするだろう。そうして組織を潰し合わせておいて、最後にウマいところを持っていくつもりなのだ。
そもそも、ここは黒羽の所有地だ。ここで実験したというのなら、黒羽の承認があったと考えるのが自然だ。
ナインもそのことに気づいたらしい。
「いままで目をつむってきたが、これはさすがに看過できんぞ」
だが麗子は動じない。むしろ見下すような目になっている。
「ナインさん、あなた人のこと言えるの? 妖精花園を作ろうと思ったら、プシケの力が必要なのよ? 誰が協力したかはあきらかよね?」
「まだ確定していないッ!」
ナインが声を荒げた。
こんなに動揺する姿を見るのは、初めてかもしれない。
一方、麗子は余裕の笑みだ。
「あなたが恋人をかばいたくなる気持ちは分かるわ。けれど、ちゃんと管理してくれないと困るの。あの子、なんだかんだ言って、人並みの判断力を持っているとは言えないんだから」
「そんな理由で、彼女をタンクに閉じ込めておくことはできない」
「ご立派ね。その博愛主義の結果が、このバカげたアリサマなの? ねえ、知ってる? 彼女、さっそく過激派に取り込まれてるわよ。あなたがどうしてもって言うから自由にしてあげたのに、これじゃあまたタンクに戻ってもらうしかないわ」
ナインには悪いが、これはどうもプシケの仕業としか思えない。このまま行けば、プシケとの対決になるだろう。
麗子は揚々と続けた。
「そんな顔しないでくれる? あなたが想像している最悪の事態を避けるために、検非違使を動かしたんだから。うちの実行部隊には、すでに対妖精用の麻酔弾を配備してある。ナンバーズ同士の殺し合いにならないようにね」
向こうのほうが一枚上手だったか。
というより、初動の情報量からして違いすぎた。こっちはそもそも肉塊の見学以上のプランではなかった。それに比べて、検非違使は誰がなにをしたのか把握した上で乗り込んできている。勝てっこない。
見るからに落ち込んでいるナインに、俺は脇から提案した。
「ナインさん、先生の言葉にも一理ありますよ。ここは協力して調査にあたるというのは?」
「穏健派に手を貸せと?」
「穏健派にではなく、検非違使にですよ。向こうもそういう顔してるんですから。これならメンツも立つでしょう」
「いまはそれもやむをえんか……」
ナンバーズってのは、派閥争いになるとじつに意固地だな。同じチームなのに。互いの命と金が天秤にかかってるのは分かるけどさ。
麗子はふっと笑った。
「物分りがよくて助かるわ。川崎さんと話をして」
*
検非違使は、六原集落の集会所を占拠し、堂々と居座っていた。
虎のマスクの川崎源三と、その手勢が六名。一班と二班だ。一班はともかく、二班は相変わらず頼りなさそうだ。
源三はマスクの下にニッと笑顔を見せた。
「よく来たな。歓迎する」
歓迎するもなにも、他人の敷地であろうと思われるが。
しかし三郎も一子も、文句一つ言わなかった。もうどうでもいいと思っているのか、あるいは我慢しているのか。
俺たちは靴を脱いであがりこみ、古びた畳に腰をおろした。
交渉にあたったのはナイン。
「俺たちはここでなにが起きているのか、それを調査に来た。君たちと利害が相反していなければいいんだが」
「安心してくれ。俺たちは利害では動かん。税金でメシを食ってる公務員だからな」
「そういう連中が、利害を気にしなかった記憶がないんだが」
「まあそう言うな。今回に限って言えば事実だ。土地所有者からの通報を受け、純粋な気持ちで駆けつけたんだ。被害が拡大せんようにな」
「あの肉を処分するのか?」
「いや、それは上がストップをかけてる。あとで学会に調査させるつもりらしいからな」
癒着している。検非違使に学会に黒羽に、もうズブズブだ。
学会なんかに妖精花園を渡したら、必ずハバキに妖精を売りつけ始めるだろう。検非違使はそれを摘発して存在感を示し、予算を確保する。マッチポンプだ。
こいつらがやっているのは正義のための戦いなどではなく、誰と手を組んでもいいから、とにかく権益を最大化しようという、あさましい戦いなのではなかろうか。
源三はしかし不敵な笑みだ。
「だが現場に事故はつきものだ。戦闘に巻き込まれて、妖精花園がまっぷたつにならんとも限らん」
いまいるナンバーズの顔ぶれを考えれば、それも可能だろう。
ナインも渋い笑みになった。
「いいのか? 出世が遅れるぞ?」
「俺は現場にいたいクチでな。だいいち、アレを放っておいたら、通報の内容を無視することになるだろう。これじゃあ税金を使って長野まで旅行に来ただけだ。妖精もろともあの肉をぶっ叩くぞ。協力してくれるなら規定の額を出す。ちょうど火力が欲しかったところでな」
検非違使は、麗子を除けば、俺と同じく普通の人間の集まりだ。超人的な戦いはできない。
ナインはこちらへ振り向いた。
「というわけだ。構わんな?」
検非違使のいう「規定の額」は三十万。正直ショボすぎるが。しかしナインのくれる百万と合わせて考えれば、悪い額ではない。
なにより、俺の相棒がやる気だ。
「殺せるならなんでもいいぜ」
こんなことを言ってはいるが、三郎はしかし殺人狂ではない。口ではカマすが、無用な殺しはしない。
余計に殺したところで、ボーナスが出るわけでもないしな。
だがトモコがおずおずと身を乗り出した。
「私はそういう仕事をしていないので、お金を受け取るわけにはいきません」
頭をなでてやりたい。
なんて謙虚な子なんだ。こんな子、ここに連れてきちゃダメだろ。
ナインはしかし悪い笑みだ。
「安心したまえ。君の分はナンバーズの活動資金に回す。もちろん俺の分もだ」
「お姉ちゃんは……もらう……」
一子さん、ちょっと黙っててください。
トモコは承服したらしく、うなずいたきり口を閉ざした。
さて、話はまとまったようだな。俺は源三へ向けて手を挙げた。
「質問ですっ!」
「組合員か。質問を許可する」
「妖精以外の脅威はないんですか? どうも、それ以外の存在が絡んでるとしか思えないんですが」
妖精は自然発生ではない。それをやった人間が必ずいる。
これに源三、満足げに膝をぽんぽんと打った。
「さすがに気づいたな。もちろんいる。俺たちが把握してるだけでも、出雲の工作部隊が来ている」
これにトモコが、神妙な顔で補足した。
「それと、ナンバーズ・ファイヴ」
「……」
場が、静まり返った。
餌食長。通称「腐敗の王」。蟲喰み。新宿で遭遇したあの老婆だ。
倉敷弓子が、刀を握りしめた。
確か彼女は、ファイヴに片足を奪われたんだったな。
弓子の上司の青白い男が、小さく息を吐いた。
「課長、ファイヴは俺たちにやらせてもらえませんか」
「勝算はあるのか?」
「六原姉弟をつけてもらえれば」
この提案に三郎が顔をしかめた。
「勝手に決めるな。ナンバーズが相手なら喜んでぶっ殺してやってもいい。しかしたったの三十万だろ? 悪いが協力できないな」
一理ある。
黒羽麗子を殺せば二千万なのに、ファイヴを殺してたったの三十万ってのはな。
すると静かに座していた麗子が、すっとメガネを押し上げた。
「金額に不満があるのなら、私が五百万の賞金をかけるわ」
「それだとあんたの四分の一だ。ファイヴは、過激派のリーダーなんだろ? あまりに安くないか?」
「素直に受けておいたほうがいいわよ。本来なら、タダでも殺りたくなる相手なんだから」
「あ?」
よく分かっていない三郎とは対象的に、一子がそっと目を伏せた。なにか事情を知っているらしい。
「なんだよ、姉貴……。なにか知ってるのか?」
「……」
一子は下唇を噛み、顔を背けてしまった。
代わりに口を開いたのは麗子だ。
「よく聞いてね。以前ここで起きた黒羽と六原の抗争ね、裏でファイヴが暗躍していた可能性があるの」
「は?」
「事件のだいぶ前から、ファイヴはこの里に入り込んでいた。蟲喰みは、死体から死体に乗り移ることができるから。宿主を変えて、次々と姿を変えて……。そしてあるとき、あなたのお爺さんになりすましたの」
「爺さんに?」
「事件の当日、蟲喰みに操られたお爺さんは、橋を渡って黒羽の集落に入った。そして民家に押し入って、ナタで一家を殺し始めたの。そこから総力戦に発展してしまった」
とんでもない話だ。もし事実だとすれば、だが。
三郎も怒るどころか、小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「いやいやいや、証拠はあるのか、黒羽麗子さんよ。あんたの妄想を聞いてる時間はないぜ」
「証拠なんてないわ。目撃した人間も、もう全員死んじゃったんだから」
「ただの推測だ」
「けどね、断片的な情報を総合すると、これ以外に合理的な説明がつかないの」
これに三郎、なおも不真面目な表情だ。
「で? その妄想で、五百万が四倍の価値にふくれあがるってのか?」
「信じないなら信じないでかまわないわ。ただし、ファイヴが死んでから後悔しても遅いわよ。死んだ人間は、殺せないんだから。せいぜい他人に先を越されないようにね」
「なんだそれ、ふざけんなよ……」
三郎の怒りももっともだ。
客観的な証拠がない以上、なんとでも言える。
ファイヴが死体を乗り換えるのだとすれば、麗子の話も事実という可能性がある。しかしその習性を利用してストーリーを作り、黒羽側の襲撃を正当化している可能性もある。
すると一子が、三郎のシャツを掴んだ。
「たぶん事実よ……サブちゃん……」
「姉貴まで……。黒羽の言うことだぞ? 信じられるのか?」
「違うの……あの日……お爺さまの様子……本当におかしかったの……私のことも分からなくなっていたし……お話の内容も……ちぐはぐだった……」
「証拠はあるのか?」
「ないわ……」
「話にならない」
「でもあの日……死んだ人間のにおいがしたのよ……お爺さまから……」
「……」
三郎の目つきが変わった。
「本当か? 本当にそういうにおいがしたのか?」
「うん……」
これも六原一族の能力か。いや、三郎には分からず、一子にだけ分かるというのなら、もっと個人的な才能かもしれない。
三郎は神妙な表情になった。
「間違いないのか?」
「うん……間違えるわけない……あのにおいだけは……」
一子はいつになく真剣な目をしていた。
彼女がここまで言うのだ、少なくともにおいについては事実なんだろう。
「そうかよ……。分かった。完全に信用したわけじゃないが、五百万で受けてやる。もし違ってたとして、そこそこの稼ぎにはなるわけだしな。おい、検非違使の女」
三郎の言葉に、弓子が顔をあげた。
「倉敷弓子です」
「倉敷さんよ、あんたも足の恨みがあるんだってな。こいつは競争だぜ。俺が殺るか、あんたが殺るか。いっちょ勝負しようや」
「望むところです」
検非違使の一班と六原姉弟が協力するなら、ファイヴは死んだも同然だろう。ナンバーズに欠番が出るが、ナインが止めないところを見ると、やむをえない犠牲ってことだ。過激派は今日で解散になりそうだな。
ナインがネクタイを正した。
「で、俺たちは? 妖精花園を解体すればいいのかな?」
源三は首を縦には振らなかった。
「いや、散華長どのには、出雲を追い払ってもらいたい」
「多いのか?」
「見たところ、三十はいる」
「得意の混成部隊か。厄介だな。プシケはどうだ? 来ていないのか?」
「プシケ? あんた、あの妖精の数を見ただろ? みんな同じ顔だぞ」
「彼女は服を着ている」
「じゃあ見てないな。まあ、とにかく、だ。うちの二班は対妖精用の装備で来ているから、出雲の相手はさせられん。あんたらに頼みたい」
俺、ナイン、アベトモコの三人ってことか。
俺はともかく、残りの二人がいれば大丈夫だろう。ナインだけでも心強いのに、今回はもっとヤバいのがいるんだからな。
(続く)




