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終端 -EOF-  作者: 不覚たん
本編

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20/70

家族

 それからの数日、二日酔いでもないのに、俺は気の抜けた仕事しかできなかった。もちろん妖精なんか一匹も捕まえられない。赤字だけがかさむ中、ついにタイムリミットを迎えた。


 帰りの船のラウンジ、俺はもう抜け殻のようになってベンチでうなだれた。

 一子の旅費を肩代わりし、仲間を拉致され、一週間かけて無駄骨を折った。手に入ったのはヤバい情報だけ。一円にもならなかった。

 最低最悪のツアーだ。

 俺の心を慰めてくれるのは、穏やかな波の音だけ。

 だがその波の音も、デッキをドタドタ走り回る六原姉弟にかき消されつつある。またネズミでも追っているのだろうか。勘弁していただきたい。


 *


 帰宅してから、俺は一週間ほど引きこもった。

 気持ちを切り替えられなかった。赤字なのはまた稼げばいいとして、ペギーを救出するための策が一つとして思いつかなかった。

 どこかから借金して、組合に依頼でも出すべきか。しかしそれは現実的じゃない。黒羽麗子の殺害依頼のように、いつまでも放置され続けるだけだろう。

 かといって俺には、ナンバーズを敵に回せるだけの強さもない。裏で暗躍して、組織同士で潰し合いをさせるほどの影響力もない。当然、金もない。なにもない。

 八方塞がりだ。


 人間、行き詰まるとおかしな行動に出るようだ。

 もちろん俺も例外ではない。

 自分でも頭がどうかしているとしか思えなかったのだが、気がつくと、俺は数年ぶりに実家へ向かっていた。

 場所は埼玉。東京からは遠くない。あくまで物理的な距離は。

 俺はかつて大学受験に失敗し、一浪し、妥協してあまりレベルの高くない大学に入った。なのに途中で辞めて派遣社員になり、それもすぐに辞めて組合の仕事を始めた。

 ともかく、親に負い目があった。受験に失敗したときも、大学を辞めたときも、会社を辞めたときも、いろいろ言われてムキになった。それで実家には帰らなくなった。

 もう何年になるだろう。

 十年は経っていないはずだが。父も母も、当時より老け込んでいるかもしれない。俺も少年ではなくなった。いまさら会うのも気まずい。

 家を遠巻きに確認して、それで帰ろうと思った。


「え、ウソ……お兄ちゃん?」

 駅舎を出た直後、聞き慣れた声がした。

「めぐみ!?」

 思わず息を呑んだ。

 妹だ。最後に会ったとき、まだ高校生だった気がするが……。なんというか、その……ベビーカーに赤ん坊を乗せていた。

「ちょっと待って! なんで逃げるの?」

「いや、べつに逃げてないだろ……」

 逃げていた。反射的に。

 言われなければ、きっと駅に引き返していた。

「もう家には行ったの? いま来たところ?」

「いま来た……」

「じゃあ、なにも見てない?」

「見てないけど、なんかあるのか?」

 するとめぐみは、なぜか気の毒そうな顔を見せた。

「お父さんもお母さんも、もういないよ」

「いない?」

「死んだの」

「はっ?」

「病気で……」

「ウソだろ……」

 あのガミガミうるさかった母親が? 偉そうにふんぞり返って人生訓をたれていた父親が? 死んだ? まだそんな歳じゃないだろ。

「お母さん、ずっとお兄ちゃんのこと心配してたよ。言わなかったけど、たぶんお父さんも」

「……」

「あ、この子ね、りおちゃん。私の子」

「結婚したのか?」

「ううん、してない」

「……」

 なにが起きてるんだ。

 結婚してない? なのに赤ん坊がいる? いや、これから籍を入れるっていうんなら分かる。しかしそういう顔じゃない。

 めぐみはムリに笑ってみせた。

「ま、一人でも大丈夫でしょ。お金なら、親がいくらか残してくれたし。お兄ちゃんの相続分、私がもらっちゃったけどいいよね? ダメなら言って。いくらか渡せるから」

「いや、いいよ、俺は。ぜんぶ使ってくれ」

 赤ん坊がいるんだもんな。

 受け取れないよ。

「ありがとう。まさかこのまま帰らないでしょ? 寄ってきなよ。お線香あげて欲しいし」

「ああ」

 めぐみがベビーカーを進めたので、俺も隣を歩いた。

「あーでもどうしよ。お兄ちゃん、ずっと失踪してたでしょ? だから死んだことになってるんだ」

「マジかよ」

「失踪宣告っていうの? ずっと行方不明だと、死んだことになるんだって。お母さんはずっと反対してたけど、相続のとき、もうどうしようもなくて……」

「いや、いいよ。俺が悪いんだ。それに、またいなくなる」

「死んだりしないよね?」

「しないよ」

「ならいいんだ」

 なんらの呵責もなくウソが出た。

 めぐみは気づいたかもしれないが、ただうなずいてくれた。


 家の外観は、さほど変わってはいなかった。あまり稼ぎのよくない父が、ムリして建てた小さな家だ。

 インテリアはだいぶ変わっていた。赤ん坊がいるのだから当然だが、リビングにベビーベッドやら子供用テーブルやらが置かれていた。

 そしてもう一つ、でんと据えられた仏壇だ。うちって、たしか神道だった気がするんだが。仏壇でいいのか。よく分からない。

「お父さん、お母さん、お兄ちゃん生きてたよ」

 仏壇に語りかけるめぐみ。

 なんだかいかにも……ほかに会話する相手がいない人間のやることのような。

 四人で暮らしてたころは騒がしいくらいだったのに。この家は、本当に寂しくなってしまった。

 赤ん坊もじつにおとなしい。寝ているんだか起きているんだか、スピースピーと鼻息を鳴らしながら、うつろな表情だ。

 俺は線香をあげ、手を合わせた。

 心の中で語りかける言葉すら、一つも思いつかなかった。ここで「ただいま」を言うのも、「ごめんなさい」をするのも、なにかが違う。そもそも俺は、まだ状況を受け入れていなかった。もういっそなにも考えないようにして、ただ形式的に、拝むフリだけした。

「お兄ちゃん、いまなんの仕事してるの?」

「えっ? ああ、いや……まあ……そのぅ……」

 どう説明すべきなんだ。

 キャバクラではIT系と言い張っている。しかしITがなんなのかも分からないありさまだ。インターネットの略じゃないのは知ってる。

 するとめぐみは渋い表情になった。母親がよくやってた顔によく似てる。というかすごい似てる。たった数年でこんなに似るのか。

「危ない仕事?」

「あぶ……いや危なくねーよ。いや危なくなくもないけど。ていうか危なくない仕事ってなんだよ。むしろどんな仕事でも、ちょっとは危ないよ」

「悪いことしてないよね?」

「えーと、物事の善悪をジャッジするためには、高度な哲学的教養を……」

「じゃあ質問を変える。違法じゃないよね?」

 うわー、なに言い出すのこいつ。

 違法だよ。

 鋭いな。いや、俺の態度が怪しすぎたのか。

「あのなあ、めぐみ。知ってるか? 立ち小便だって違法なんだよ。どんなことでも違法になりうるんだよ」

「なに? 道端でおしっこする仕事なの?」

「失礼な。もう少しマシな仕事だよ」

 少しだけマシです。

「人に迷惑かけてないよね?」

「母親みたいなこと言うなよ。似てきたぞ」

「えーっ? やめてよ。似てないよ」

 自覚がないらしいな。

 ということは、俺も父親に似てきてるのか。あのいちいち理屈っぽかった父親に。絶対ああはなるまいと思っていたのに。

 深い溜め息が出た。

 実家に寄ろうなんて考えるんじゃなかった。そうすれば記憶の中の家族は、すべてあのころのままだったのに。マズいメシを作る母親、テレビに文句を言い続ける父、ブーブー文句を言う妹、そして肩身の狭い俺。それでも「家族」って感じだった。なのに、それが一気に砕け散った。

 いや、現実逃避だ。

 逃げた末に、こんなことになったんだ。俺が行方をくらませなければ、親も心労を感じることはなかっただろう。もう少し生き延びたかもしれない。あるいは葬式をやって、人並みに送り出せたかもしれない。俺自身、失踪宣告とやらで死亡扱いを受けることもなかったろう。

 逃げた末に失った結果が、いま、目の前に並んでいる。俺はこれを受け入れねばならない。

「一つだけ約束する。俺は好んで悪事を働こうとは思ってない。それだけは信じてくれ」

「うん」

「迷惑はかけない」

「うん」

 俺は立ち上がり、赤ん坊の顔を覗き込んだ。

 男の子か女の子かは分からない。くりくりとした大きな目で、こちらをじっと見つめてくる。

「りおちゃん、分かるか? 俺は、そのー……」

「栄おじちゃんだよー」

 めぐみが発したその言葉に、思わず俺はぎょっとなった。

「おじさんか……。まあ、そうだよな。そりゃそうだ。けど、なんだかな。おじさんか……」

「なにショック受けてんの? おじさんでしょ? それ以外のなんなの?」

「そうだな、おじさんだ。りおちゃん、分かるか? おじさんだ。あくまで書類上はな」

「書類上は死んでるんだけど」

「そ、そうだった。まあとにかく、強く生きるんだぞ。おじさんも頑張るからな。この世界は……まあ、いろいろある」

 そんな俺を、赤ん坊は珍獣でも見るような目で凝視していた。泣き出す前に帰ったほうがよさそうだ。

「じゃあ俺、そろそろ行くわ」

「え、もう?」

 来てからまだ五分くらいしか経っていない。

 出されたコーヒーも残ったままだ。

「長居するのもなんだしな」

「自分の家なのに。まあ……じゃあ、気をつけてね」

「お前も頑張れよ」

「うん、お互いにね。また来てね」

 今生の別れにしては、シンプル過ぎたかもしれない。

 けどこれでいいんだ。あまりウエットになったら、たぶん、元の生活に戻れなくなる。


 *


 帰りの電車、俺はすっかり気が抜けてしまって、なにも考えられなくなっていた。

 気分転換どころじゃない。

 家に帰ってみて、あの静けさを見て、俺は痛感した。

 いちいちうるさかった両親も、死んでしまえば、もう、なにも言ってこないのだということを。

 当たり前だよな。

 受験に失敗したからって、大学を中退したからって、会社を辞めたからって、なにも逃げ出すことはなかった。

 けど一緒にいたころ、親たちは本当に口うるさかった。

 ああしろこうしろどうしろのと、いちいちいちいち、言わないと気がすまないのかと思ったものだ。

 いや、英才教育を受けていたわけではない。未来を嘱望されていたわけでもない。ただ普通にやれと言われた。その普通ってのが、病的なほど執拗だっただけで。

 俺はようやく、あのうるさかった親から開放されたというわけだ。永遠に。

 りおちゃんには、せめて幸せになって欲しい。

 もうなにもない家だけど。なにか楽しいことを見つけて、いつも笑っていて欲しい。後悔のない人生を送って欲しい。不幸のない人生を送って欲しい。

 理想論なのは分かってる。

 けど、失ってしまえば、もう二度と手に入らないものもある。そのことだけは、どうか気づいて欲しい。

 いや、これは他人事じゃないんだ。

 俺も、これからは絶対に逃げ出さない。仲間を見捨てたりもしない。ベストを尽くすんだ。そうしなければ、生きている意味がない。

 こんな空虚な気持ちになるのは、もうゴメンだ。


 *


 その晩、俺はニューオーダーへ向かった。

 作戦会議だ。

 誰とも約束してないが、三郎かナイン、どちらかには会えるだろう。あ、お姉さんは来なくていいです。あくまで会話の通じる相手と話がしたい。

 などと勢い込んで店へ来たものの、俺を待っていたのは予想外の人物だった。

 エイブラハム・P・サイード。背の高い黒人男性。機構の人間だ。

 ここで会うのは三度目になる。一度目はただ見かけただけだが、二度目は黒羽麗子からのお使いの相手だった。そして三度目がいま。

「待ってたぜ、サカエ・ヤマノ」

「ご用件は?」

 俺は怖じることなく堂々とテーブルにつき、遠慮なくビールをかっくらった。

 この際だ、機構だろうがなんだろうがどんと来いっつーんだよ。いまの俺は勢いだけはあるからな。いやまあ、限度はあるけど。

 サイードはフッと白い歯を見せた。

「ペギーの所在を教えてくれ。あんたらと一緒に例の島に行ってから、戻ってきてないようだからな」

「居場所なら俺も知りませんよ」

「生きてるんだろうな?」

「そのはずですがね」

「なにがあった? いなくなったペギーの代わりに、ナンバーズ・ナインが船で帰ってきたのは分かってるんだ。隠し事をしても得にならないぞ」

 あの機構が、まだ状況を把握していないとは。

 ちょっと笑えるな。

「サイードさん、情報ってのはいつからタダになったんです? 人からなにか引き出そうと思ったら、まずは相応のマナーがあると思うんですがね」

 まあ金なんて積まれても教えないけどな。もっと平身低頭しろ。

 これにサイードも不敵な笑みだ。

「あんたの妹さん、小さな子供がいるんだって? そろそろ一歳か? かわいい盛りだよな」

 うわー、きったねーなこいつ……。

 いままで勢いだけはあったのに、その勢いさえ完全に消滅しかねん事態だぞ。

「あー、いや、それはちょっとナシにしましょうよ」

「紳士的に行きたいもんだな、ミスター・ヤマノ。船の上で暮らしている俺たちは、互いに家族みたいなものなんだ。その家族の行方を心配するのは、当然のことだろう?」

「よ、よく分かります」

「いい子だ。じゃあ、全部言えるよな? ダメだっていうなら、もっと舌が回るようにしてやることもできるが?」

「いえ、大丈夫です。俺の知ってることでよければ、全部お話ししますよ」

 この野郎、いつかぶっ殺してやるからな……。


(続く)

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