飲むパン
青白い腕は、いつの間にか消え去っていた。巫女さんも女子学生も終始無言。二人とも目が怖い。
爽やかな笑顔はナインだけだ。
「用も済んだし、俺たちはこれで失礼するよ」
「あ、はい……」
可及的速やかにお帰りいただきたい。
生き物をあんなふうに灰にするんだから、俺を殺すのだって一瞬だろう。あまりに危険すぎる。
この業界、一見フレンドリーなやつほどヤバい。笑顔のままぶっ放すやつはそこら中にいる。
ナインは去り際、六原一子にも声をかけた。
「一子くん、拾い食いも程々にしたまえよ。また腹をこわすぞ」
「だいじょうぶ……」
妖精の腕を齧りながら、一子はうるさそうに応じた。
いったいなにを根拠に大丈夫と判断したのかは不明だが。
俺に言わせれば、火も通さずに肉を食うこと事態どうかしてる。腕のいい板前が包丁を入れたならともかく。
ナインは肩をすくめ、スタスタ行ってしまった。女性二名も無言のまま後続。
残された俺たちは、もはや、することもなかった。
*
施設を出ると、組合のバンが待っていた。
合法か非合法かを問わず、人を運送するのによく使われる有名なあの車両だ。それが俺たちの移送にも使われる。
運転手はこちらの人数だけ確認すると、なにも言わずに車を発進させた。往路と復路で人数が違うことはよくある。さいわい今日は変化ナシだ。
基本的に、死体はその場に置いて帰ることになっている。すべての始末は、業界を仕切っている検非違使庁とかいう省庁がやる決まりだ。まともな組織なのかどうか怪しいが。
車中、木下はスマホをいじりつつ、クリップボードにチェックを入れていった。ぜんぶスマホでいいじゃねーかと思わなくもないが。まあ、紙での管理ってのは、結局のところなくならないんだろう。
木下は頭を抱え、溜め息をつき、ペンを走らせてはまた頭を抱えた。
その間、会話はない。
六原一子は幽体離脱したように虚空を見つめているし、この運転手は愛想がないことで有名だった。誰にも声をかけられるような状況じゃない。
いや、いいんだ。
俺だって、そんなに話し好きってわけじゃない。黙っていろというのなら、そうする。
*
到着したのは「ニューオーダー」という店だ。
ここは会員制のバーという体裁だが、じつのところ組合の営業所だった。仕事を受けるのも、金を受け取るのもここでする。
俺はカウンターで受け取った報酬からさっそく千円札を抜き取り、ビールをオーダーした。アイリッシュパブとまではいかないが、そこそこビールが充実している。
木下や一子とは、店に入ってすぐに別れた。木下は事務仕事が残っているし、一子は酒を飲まないらしいからだ。いや、仮に酒を飲むとして、死体をむさぼるような女とテーブルを囲みたくはない。
とはいえ、俺がこれから同席する予定の人間も、まともなのかというと疑問符がつくが。
「無事だったか」
そう声をかけてきたのは六原三郎。一子の弟だ。
男に「美人」という表現はおかしいかもしれないが、よく見ると姉にそっくりだ。短い髪のよく似合う爽やかなイケメン。これでおたく趣味じゃなかったら、いまごろリア充になっていたことだろう。もちろん俺とも友達になっていなかったはずだ。
俺は向かいの席に腰をおろした。
「現場で君のお姉さんと一緒になったよ。どんな人間なのか、よく分かった」
「な? 最悪だろ?」
「うむ……」
彼女の食事の趣味がもう少し上品だったら、ここの男たちも放ってはおかなかったはずだ。しかし、現実はそうはいかなかった。
俺はさっき見た血なまぐさい光景を頭から追い出し、ナッツを齧った。木の実の滋味とかすかな塩味が仕事で疲れた体に染みた。
さらにビールを一口やってから、三郎に向き直った。
「あとはナインと、ツーとテンも来たよ」
「えーと、誰だって?」
「ナイン、ツー、テンだよ。仲間なんでしょ?」
これに三郎は露骨に顔をしかめた。
「やめてくれよ。俺はあいつらの仲間じゃない。もっと言えば、姉貴のことだって、もう姉貴だとは思っちゃいないんだ。この話、何回もしただろ」
「そうは言うけどさ、ナンバーズを敵に回そうなんての、君くらいのもんだぜ」
するとつまらない話でも聞かされたような顔で、彼は嘲笑気味に応じた。
「だったらなんだってんだ? 戦えば俺のほうが勝つんだから、問題ないだろ」
「頼むから俺のことは巻き込まないでくれよ……」
三郎はなぜか姉とナンバーズを異様に敵視している。理由は知らない。追求したこともない。気にはなるが、家庭の事情に踏み込むのは俺の趣味じゃない。
ふと、三郎がぎょっとした表情を見せた。
なにかあるのかと振り向き、俺もぎょっとなった。
調理前のフライドチキン――すなわち生肉を手にした六原一子が、そいつを齧りながら席についたからだ。
「お姉ちゃんの話……してるの……?」
白いワンピースに返り血を浴びたままの異常な格好だ。この女、血をケチャップかなにかと勘違いしてそうだな。
三郎も顔をしかめた。
「外で話しかけてくんなっつったろ」
「お姉ちゃんのこと……話してた……」
「ああ、言ってたよ。気味の悪いバケモノだってな」
「ふふ……ふふふ……」
白くて細長い指が、三郎の顔面をアイアンクローにとらえた。もう片方の手でチキンをむさぼりながら。
「いででっ」
「反抗期……なの……?」
「離せバカっ! なにが反抗期だ! 保護者気取りはやめろっつってんだろブス! こっちはもう成人してんだよ! つーか爪切れ、爪っ!」
「爪……」
アイアンクローを離し、一子はまじまじと爪を見つめた。そんなに伸びているわけでもないが、切ってもいい長さだ。が、彼女はすぐに飽きて、生肉を齧りだした。
まさしく暴食の権化だ。
食うのはいいが、せめて火は通して欲しいな。なぜあえて調理前のやつをもらってくるんだ。
ともあれ、不毛な姉弟ケンカが再発する前に、俺はすかさず口を挟んだ。
「六原さん、えーと、お姉さんのほうの六原さん」
「一子でいいです……」
「一子さん、さっきのアレはなんなんです? 妖精花園でしたっけ? 動物?」
「知らない……」
「えっ? 知らないってどういうこと? ナインさんたちは、アレを危険視してたからわざわざ来たわけですよね?」
「たぶん……」
「……」
う、うん?
三郎はともかくとして、一子はナンバーズのメンバーだ。知らないということはないだろう。というより、露骨に興味がないという態度だ。この話を続けようと思ったら、切り口を変えるしかない。
「にしてもビックリしましたよ。あんな処分の仕方。人間業じゃないですよね。ナンバーズの皆さんは、どこであんな能力を?」
「知らない……」
「生まれつきってこと?」
「たぶん……」
この会話、成立してるのかな。
六原姉弟は、現場では銃も使わず、真空波で敵を切り殺す。これはあきらかに人間の能力を逸脱している。
すると三郎がビールを飲み干し、顔をしかめた。
「山野さん、前も言っただろ。俺たちは普通の人間だ。ただ、人よりちょっと特殊な能力を持ってるだけで」
「すまん、そうだったな」
「勘弁してくれよ。俺たちの一族が隔離されてたのも、そういう安易な差別意識のせいなんだからさ。まあ俺たちの先祖は、どうも死体をあさって暮らしてたらしいから、嫌がられるのも分からなくはないんだけど」
「マジですまん。意識低い系として出直してくる」
「いや、分かってくれればいいんだけどさ」
しかし三郎の言う通りだ。
なにかが違う、というだけの違和感で、彼らに人間ではないという疑いをかけてしまったのだ。これは礼を失しているにも程がある。
三郎はナッツをわしづかみにし、バリバリと食った。
「けどまあ、ナンバーズが人間じゃない可能性はあると思うぜ。特にナインだ。あいつは間違いなく人間じゃない」
「あの灰のね……。今日も見たよ」
「けど、それだけじゃないんだぜ。あいつ、自分の体も灰にできるんだ」
「自分の体を……?」
そんなわけないだろ、と、言いたい。仮に事実だとすれば――そいつはもはや人間ではないし、そもそも俺たちの知る動物の範囲からも逸脱している。しかしこの業界にいると、そんなこともあるような気がしてくる。
人外といえば、もう一つ気になることがあった。
「そういや今日の処分対象、妖精ってやつだったんだ。見た目は人間なんだけど……なんていうんだろうな、ちょっと違うらしいんだ。六原くん、なにか知ってる?」
「ちょっと前から話題になってたな」
「なってた? 知らないんだけど」
「捕獲の仕事、よく来てるだろ。あ、でも山野さんは見てないかもな。ハバキの仕事だから」
ハバキというのは、この業界によく仕事を出してるヤクザだ。俺はハバキの仕事は受けないから、完全にノーマークだった。
さて、ここで一つ、新たな疑問が湧きあがった。
「捕獲? 妖精を捕まえるの? 殺処分じゃなくて? つーか、なんでヤクザが妖精なんて」
「さあな」
妖精とかいう意味不明な生き物の捕獲を、ヤクザが、この非合法な組合に依頼してくるなんて。ヤバさのロイヤルストレートフラッシュだ。考えるまでもなく、よからぬ理由があるに決まっている。
「ちっとビール買ってくる」
空いたグラスを持ち、三郎が席を立った。
すると当然ではあるが、この席には俺と一子だけとなった。
会話なんてない。
というかこの人、なにしに来たんだろうな。
タイミングの悪いことに、ガラの悪そうな同業者がニヤニヤしながらそばを通り過ぎた。キラーズ・オーケストラというチンピラ集団のメンバーだ。やがて連中が溜まり場に到着すると、どっと笑いが起きた。きっと俺たちを笑いのネタにでもしたのだろう。
こういう粗暴さを競い合うような職場では、性格の悪いやつがふんぞり返る。まだ人間になりきれていない生き物の集まる「学校」とかいう場所に近い。オラついているほうが偉いのだ。俺のような良識派は、光栄なことに、このゴミカスヒエラルキーでは最下層に属してしまう。
まあランカーの六原三郎はともかく、俺はペーペーの三流だからな。ナメられるのもムリはない。
すると一子が、ギョロリとした眼球でこちらを見た。
「山野さん……妖精……気になるの……?」
「ああいうの見るの初めてだったんで。一子さんは?」
「うん……でも味は……人間と同じ……よ?」
「そ、そう……」
それはいらねー情報だよ。
まあこの女にしてみれば、味が同じなら人間も妖精も平等に扱うってことなんだろう。博愛の精神を感じるよ。
六原三郎、早く戻ってきてくれ。このままでは心が死ぬ。なんなら俺もビールを飲み干して、新しいのを買いに行きたい。
しばらく無言でナッツを食っていると、ようやく三郎が戻ってきた。
「ずいぶん遅かったな」
俺の苦情に、三郎は肩をすくめた。
「ハバキの依頼書を見てたんだ。例の、妖精の捕獲の」
「なにか分かった?」
「捕まえれば一体あたり三十万だってよ。ただし、死体じゃダメだ。あくまで生け捕り」
「生け捕り? ヤクザが生きたままの妖精を捕まえて、なにするの?」
「俺が知るかよ」
仰せの通り。
腰をおろした三郎は、すでに半分減っているビールを一口やった。かと思うと、ふと、視線を遠くへ飛ばした。
「ま、それはいいんだけどさ」
「ん?」
「ここの職員に木下さんって子いるじゃん? あの子、どう思う?」
「木下さん? まあ、あんまり現場に慣れてない感じするけど……」
「かわいいよな」
「はっ?」
顔は、まあ、かわいいと言われればかわいいかもしれない。しかし少々、顔立ちが地味な気もする。ていうか薄いんだよな。化粧で化けるかもしれないけど。
三郎は目をつむり、感慨深げにつぶやいた。
「おさげでメガネにしたら最高だぜきっと」
「それ、本人に言わないほうがいいぞ」
「そうか?」
こいつ、顔はいいのに、センスがすこぶる怪しい。
すると食い終えたチキンの骨で遊んでいた一子が、がばりと顔をあげた。
「サブちゃん……まさかメスに発情……してる……?」
「まだいたのかよ、ブス。黙ってろ。ビールがマズくなんだろ」
「ふふ……強がっちゃって……かわいい……ふふふ……」
「……」
さすがの三郎も閉口だ。
もちろん俺も閉口だ。
ケンカはよそでやって欲しい。というか、お姉さんにはもうお帰りいただきたい。すごく絡みづらいので……。
かと思うと、一子は突然鬼のような形相になった。
「ぐっ……おなかが……痛む……」
「……」
「誰かの……呪いでは……」
「……」
火も通さないで生肉ばかり食うからだ。
だがこの女、転んでもただでは起きない。三郎のビールを奪い取り、ごくごくと飲み干した。
「あ、なにやってんだ! 俺のビール!」
「アルコール……消毒……」
「は? ふざけんなブス! ぶっ殺すぞ? つーか死ね! 食中毒で死ね!」
「そして吐きそう……」
「トイレ行けブス! 二度と戻ってくんな!」
一子は凄まじい顔つきで、冷や汗を流しながらよたよた席を立った。
返り血を浴びたままだから、殺人鬼が徘徊しているようにしか見えない。
ここにいる組合員は人殺しみたいな連中ばかりではあるが、さすがにここまで異様ではない。
「お姉さん、一人で大丈夫なの?」
「気にするな。あの程度で死ぬようなヤツじゃない。むしろ死んで欲しいくらいだ。つーかビールとってくる」
「お、おう……」
しかし妖精か……。このよく分からない存在に、ハバキもナンバーズも絡んでるとはな。
どう考えても危ない。
今後は近寄らないようにしないと。
(続く)