ダイアローグ
妖精文書を抱えたまま戦闘はできない。もし損壊したりしたら取り返しのつかないことになるからな。
かといって、一子や三郎に預けることもできない。だって……雑に扱いそうだし。
つまるところ、この場で唯一、麻酔弾を扱える俺は、身動きがとれなくなってしまったということだ。妖精の捕獲なんてやっている余裕はない。
数匹の妖精が警戒するように上空を旋回していたが、彼女たちが攻撃してくる気配もなかった。一子の足元にはバラされたのが転がっている。もし近づけば同じ目に遭うと思ったのだろう。
待つしかない。
さいわい好天だ。空を眺めているだけでも時間は潰せる。
道路の縁石に腰をおろしていると、街にたむろしているアレな人たちみたいだが。まあ、ただ立っているのもなんだしな。
約二時間後、人が来た。
ペギーではない。こんな南の島でまでスーツを着込み、きっちりとネクタイまで締めたアイツだ。
「お待たせ。ああ、立たなくていい。気を楽にして聞いてくれ」
いや、誰もお前のことなんか待ってないぞ。
ナンバーズ・ナインだ。
彼はごく穏やかな表情でこう告げた。
「彼女は、俺たちがあずかることになった。君たちは解散していい」
「はっ?」
俺は思わず立ち上がった。
この男、ずいぶん勝手なことを言っているぞ。
「事情を説明して欲しいんですが」
「必要に応じてこうなった、としか言えない」
「俺たちが妖精文書を預かってること、まさか忘れてませんよね?」
「もちろん。それを取り返しに来たんだ」
「まともな交渉とは思えない。それは力づくで、ということですか?」
俺は拳銃に手をかけた。
銃が通じないことは分かってる。分かっていてもこれ以上の手段がない。装填されているのが実弾でさえなく、麻酔弾であったとしても。
ナインの表情は穏やかだ。
「落ち着きたまえ。俺だって手ぶらじゃない」
「手ぶらでしょう」
「まあそうだが、俺が妖精文書の代わりになろうと思ってね。新しい人質さ」
「はっ? 人質? あのナンバーズ・ナインが? 制御不能な存在を、人質なんて呼べると思います?」
「信用してもらうしかない。これは心の問題だ」
「だから、それが信用ならないって言ってるんです」
「もしここで戦闘になれば……言いたくないが、俺だけが生き延びる。その結果、失われるのはなんだ? ナンバーズ・シックス、そして六原一族の血だ。俺にとってなんのメリットがある?」
いや、俺の命も勘定に入れてよ……。
ナインは乱れてもいないネクタイを整え、こう続けた。
「いいかい。このナンバーズ・ナインが、君たちの騎士になるのだぞ。それがいかに栄誉なことか、理解できないわけでもあるまい」
すると三郎がふっと笑った。
「俺はいいぜ。なんでも言うことを聞くんだよな?」
「なんでもとは言っていない」
「あ? それじゃあ困るんだよ、ナインさんよ。口答えするような下僕は、下僕とは言えない。だったら妖精文書を鼻紙代わりにしたほうがマシだ」
「ナンバーズの散華長も、軽く見られたものだな。下僕などとは、品性を疑うよ。こちらも人質を丁重に扱っているんだ、君たちもそうしたまえ」
ずいぶんと偉そうな人質だな。
俺は一子へ向き直った。
「お姉さん、どういうことです? 同じナンバーズなんでしょ? なにか知らないんですか?」
「えっ……」
一子は食事を再開していた。
まだ食い足りないのかこの女は。しかも本当に綺麗に食うな。
ナインがふんと鼻を鳴らした。
「彼女を問い詰めてもムダだ。彼女は会議中、いつもぼーっとしているからな。ロクに事態を把握していないだろう」
リアルに想像できる。というかそもそも、この女を会議とやらに参加させるだけムダだろう。
「だったら誰に聞けば分かるんです?」
「君たちが知る必要はない。ただ事態を受け入れればいい」
「断る。ペギーは俺たちの仲間だ。その仲間を連れ去られたまま、黙ってはいはい応じることはできない」
「ではこう考えてくれ。彼女は人質としてではなく、客人として迎え入れたのだと」
「同じことでしょ。ペギーを解放してくださいよ、いますぐに」
「ムリだ」
「ならこの場で妖精文書を破壊します」
「もしそうなれば、誰の命も保証できない」
「……」
なんだこれは。
完全に、詰んでいるのか。
いや、しかし、だ。もしナインが本気なら、俺たち全員を一瞬で灰にして、妖精文書だけ持ち帰ることも可能なはずだ。なのにこんな面倒な交渉を重ねている。
「もし妖精文書を返せば、彼女の無事は約束してくれるんですか」
「最初から彼女に危害を加えるつもりはないし、さっきも言った通り、彼女の代わりに、俺が君たちのチームをサポートする。仕事の内容によっては受けられないこともあるが」
好条件、と、考えていいのか。
これを一時的な人質交換と納得することもできる。いや、この手の交渉に罠はつきものだ。安易に受け入れるのもどうか。
「期限は? いつまでです?」
「未定だ」
「一生会えない可能性もあるってことですか?」
「未来になにが起きるかまでは、さすがに保証できないな。とはいえ、君もすでに気づいているんじゃないのか? ほかに選択肢がない、ということにね」
「悔しいけど、ご指摘の通りですよ」
「俺は気の短い人間とは交渉しない。そうした方がいい相手には、力を使う。こうして会話を続けているということがどういうことか、理解してもらえると嬉しいね」
「分かってます」
嫌というほどよく分かる。
ナンバーズ・ナインは、桁外れの力をもっている。その男がこうして説明に来たんだ。一定の配慮のつもりなんだろう。
俺は三郎に目を向けた。
「すまん、ほかにいい案が思い浮かばない」
「俺はいいぜ。あんたの決定を尊重する」
あとでビールをおごってやらないとな。
俺はナインに妖精文書を差し出した。
「じゃあこれ……」
「君が賢明な人間で助かる。俺はいちどこれを三角へ渡しに行くが、逃げたりはしない。宿舎で待っていてくれ」
信じるしかない。
ナインの言う通り、俺たちが話もできないほど気の短い存在だったら、とっくに死体になっていたはずだ。
*
仕事をする気分でもなかった俺たちは、まっすぐ宿舎へ戻った。
今日の成果はゼロ。
いや、台車のレンタル料、千円の赤字だ。
ロビーで待っているとナインが来た。
「ただいま。妖精文書は無事に返却できた。ペギーの安全も確認してきたよ」
だがそんなナインに、三郎は厳しい目を向けた。
「それより、大事な話があるから座ってくれ」
「なにかね」
ナインが腰をおろすやいなや、三郎は鼻息も荒くこう続けた。
「いいか、俺たちが借りているのは二部屋。各部屋に、ベッドは二つずつ。つまり、誰かが姉貴と同じ部屋にならなくちゃいけない」
「君が同室になればいいだろう」
「ふざけんな! それだけは絶対にお断りだ!」
そう。
さっきからこのクソみたいな話でモメていた。
「サブちゃんと……同じ部屋……」
一子はずっとこの調子だ。気味の悪い笑みを浮かべ、ぐふぐふしている。三郎に取り付いた妖怪みたいだ。
俺は新たな提案を出した。
「となると、ナインさんには野宿してもらうしかないんだけど」
「断る。スーツがしわになるだろう」
「事前予約がないと、部屋借りられないんですよ。仕方ないじゃないですか」
「じゃあ君が一子くんと同じ部屋になったらどうだ」
「イヤですよっ!」
寝てる間に内臓食われそうじゃないの。
ナインは珍しく困惑顔になった。
「かといって、俺が彼女と同じ部屋というのも……」
うーん。
やはり三郎に涙を飲んでもらうしかないのでは。
「俺は絶対にイヤだからな。もしそういうことしたら絶交だから」
子供かよ。
やむをえん。こういうときは、ネガティヴなイメージ戦略を使うしかない。仲間にこれを使うのは少々気が引けるが。
「なあ六原くんよ、ちょっとリアルに想像してみてくれないか。お姉さんの隣で、俺が寝起きしているところを。あるいはナインさんが寝起きしているところを。これどう思うよ?」
「えっ……」
「なんか、イヤな感じがしないか? いやまあ、必ずそうなるってワケじゃないけどさ。こういうのはだいたい、そのときはいいけど、あとで問題になるんだよ。あのときのアレが、みたいな。世間での揉め事なんて、だいたいここで手を抜いた結果なんだから。なにか問題が起きたとき、あのときああしていればって思うよね? その『あのとき』が『いま』なの」
「山野さんならべつにいいけど」
「……」
正気か? 絶交だぞ? 空気読んで!
「六原くん、俺と一子さんの遺伝子を受け継いだ子供の顔を想像してみてよ! 吐き気を催すでしょ!」
これに吐き気を催したのは一子だった。苦虫を噛み潰したような顔になっている。
さすがに失礼だろ!
いや俺も失礼だけど。
というかなんなんだこの話は。
三郎はぽんと手を叩いた。
「お、分かった。姉貴が野宿すればいいんだ!」
「そんなことしたら……窓から入る……」
一子の目はマジだ。
連続殺人ホラーみたいになりそうだな。
ナインがやれやれと息を吐いた。
「よし分かった。じゃあ俺は椅子で寝るよ。誰も野宿はしない。これでいいだろう」
「……」
まあ、それでいいなら、俺はいいんだが……。
*
夕食ののち一子と別れ、俺たちは男だけで部屋へ戻った。
敵の人質と一緒なのだから、本当はもっとギスギスしていてもいいはずなのだが。見知った顔だったというのもあって、さして緊張もなかった。
部屋にはテレビがないから、時間をつぶそうと思ったら会話でもするしかない。
俺と三郎はベッドに腰をおろし、ナインは椅子に腰掛け、自然と話が始まった。
当然、話題は決まっている。
「言える範囲でいいんで、なにか教えてもらえませんか? このままだと、向こうに戻ってから黒羽先生に事情を聞くしかなくなります」
俺は精一杯の虚勢を張った。こんな手が通じるかどうかは分からないが。
ナインは小さく嘆息した。
「彼女が素直に答えるとも思えないが」
「だったら手当たり次第に聞きますよ。確か、ナンバーズ・セヴンは情報屋でしたよね。金さえ払えば教えてくれるかも」
そんな金はないが。いざとなったら三郎から借りてでもやってやる。俺は本気だ。
これにナインは苦い笑みだ。
「その手は有効かもしれないな。分かった。問題のない範囲で答えよう。ただし特例だぞ。これ以上踏み込むべきではない」
「なぜ踏み込むべきではないんです? 危険だから?」
「ビジネスの邪魔だから、だな。もちろん君にとっては危険でもある」
前に言っていた利権争いってヤツか。神をネタにビジネスをするってのは、本気らしい。
彼はこう言葉を続けた。
「まず、ペギーについてだ。君も見たと思うが、彼女には特別な力が宿っている」
「妖精とのハーフってこと?」
「いや、人間だよ。彼女の両親も同じ。隔世遺伝でもない。彼女のあの能力は、後天的に身についたものだ」
「後天的に? 訓練とかで?」
ペギーは「ちょっとした事故」と言っていた。
ナインはなんてことない顔で、こう答えた。
「人体実験さ。ウイルスを使った強制的な能力の覚醒。それで彼女は、妖精に近い能力を得た」
「いや、それって……」
これが「問題のない範囲」なのか? かなり核心に触れている気がするのだが。
「東京にザ・ワンが埋まっているのは知っているだろう? かなり巨大な肉塊でね。そいつをこっそり掘って、細胞を回収した連中がいる。さて、このサンプル、いまは誰が持ってると思う?」
「それも教えてくれるんですか?」
「セヴンだって、金を払えばこの程度は教える。さ、クイズだ。誰だと思う?」
ザ・ワンを掘ったというだけでも大事件なのに、細胞を回収とは。
「機構ですか?」
「惜しい」
「え、じゃあ学会?」
「それも惜しい」
「まさか黒羽先生が?」
「惜しいな。答えは、その全員だ。もっと言えばナンバーズと検非違使もだな」
ほぼ全員じゃねーかよ。なにやってんだよこいつら。金さえ稼げればなんでもいいのか。他人の命で商売しやがって。
いや、俺も片棒担いではいるけどさ。
「プロジェクトは検非違使の主導で始まったんだ。そのとき特別チームに編入されたのが黒羽でね。ザ・ワンを解析するためサンプルが採取され、そのあとふたたび埋め立てられた。もちろんサンプルは厳重に管理されていたのだが……。なぜか利権団体に流れてね」
「それが学会……」
「そう、学会だ。アレはハバキと黒羽の共同出資だからね。サンプルが流出して、学会でも研究が進められた。その場所が、まさにここ。この島だ。結果、人間が変異してワームとなる事件が起きた」
「え、ワームって……ミミズみたいな?」
俺の懸念に、ナインは声もなく笑った。
「まあ外観は、どちらかというとウツボカズラだな。一種のテレポーターみたいなものさ。前も言ったかもしれないが、この世界と重なるように、もう一つの世界があってね。俺たちはそこを他界と呼んでいるわけだけど。ワームというのは、その二つの世界をつなぐ力を有しているんだ」
他界というのは、前にも名前だけ聞いた気がする。
ナインはうなずいた。
「この世のすべての神なるものは、かつて他界へ隔離されたと言われている。妖精も同じでね。それが、ワームを通して出てきた」
「この島が妖精だらけになったのは、それが理由ですか……」
謎が一つ解けた。
しかし触れていない核心がもう一つ。
ナインは居住まいを正した。
「サンプルは機構へも流出した。それも、検非違使のある職員によって」
「ある職員?」
「すでに亡くなっている。ともかくその事件によって、機構でも研究が始まった。サンプルからウイルスがつくられ、人間に投与されたんだ。その結果、能力に覚醒したのがペギーだ」
この話は、しかし理解しがたい。
もしペギーがそんな重要人物なら、自由行動が許可されるだろうか。脱走したようには見えなかった。完全に自由にも見えなかったけど。
ナインは一つ呼吸をし、こう続けた。
「だが彼女は、失敗作だった」
「えっ?」
「少なくとも機構の研究者はそう判断した。機構が欲しかったのはザ・ワンそのものであって、妖精じゃない」
「その失敗作を、ナンバーズはなぜ誘拐したんです?」
「別の用途が見つかったから、ということになるだろうな」
これ以上、答える気はなさそうだな。
とはいえ、思いもかけずかなり踏み込んでしまった。これは確かに、一介の組合員が知るべき情報ではないかもしれない。しかし仲間に関する情報だ。やはり知っておくべきだろう。
ナインは深く呼吸をした。
「まあ少なくとも、ペギーが俺たちにとって重要な客人ということが理解できたろう。もし危険をかえりみずこの件に首を突っ込むなら、そのうち真実に到達するかもしれないがね」
「死体になる前に引き返しますよ」
「結構。ま、今日はこの辺にしておこう。友人も、おやすみの時間のようだしね」
「ん?」
やけに静かだと思ったら、三郎はかなりうとうとしていた。話を聞かないのは姉と一緒か。まあ彼女よりははるかにマシだけど。
(続く)




