ハングオーバー
「おい山野さん。起きてくれ。昼だぞ、昼」
「んー」
いつの間にか眠りに落ちていたらしい。
三郎が、無遠慮に体をゆさゆさ揺すってくる。まるで遊園地に行く子供が、父親を起こすような勢いで。
「もう十一時だぞ? 朝からやるんだろ? みんな待ってるぞ」
「えっ、十一時?」
「姉貴を止められるのもそろそろ限界だ。頼むから起きてくれ」
「お、おう」
マジか。九時には始めてるつもりだったのに。
俺はなんとか身を起こし、ベッドから足をおろした。その拍子、ビールの空き缶を踏んづけた。十本以上は転がっている。そういや昨日、ついつい買い込んでしまった気がする。そして全部飲んでしまった気がする。いやあくまで「気がする」だけだけど。
*
慌ててロビーへ駆け込むと、みんな冷たい目をしていた。
「山野さん、寝癖ついてる」
ペギーはタンクトップの上からシャツを羽織っていた。痴女と言われたのが効いたのか。しかし足は出したままだ。
そして一子は、服装こそ清楚なワンピースであったが、手にした缶詰の肉を一心不乱にむさぼっていた。現金なんて持ってないはずだから、三郎が買い与えたものだろう。急に申し訳ない気持ちになってきた。
「あ、えーと、じゃあ、段取りは、昨日の感じで、うん」
俺のこの言葉に、誰からも返事はなかった。
その代わり、ペギーがボール紙の小箱を押し付けてきた。
「これ麻酔弾。お金はあとでいいよ。最後に精算しよう」
「ありがとう」
「台車も借りておいたから」
「うん」
じつに準備がいい。
*
雲一つない晴天。日も高い。絶好の労働条件だ。
これなら妖精もよく見えるだろう。あとは俺の射撃テクで撃ち落せば、すぐさま三十万の収入だ。
宿舎の外には台車がぽつんと置かれていた。
一子はなぜかそこに腰をおろし、体育座り。
「サブちゃん……押して……」
始まった。
三郎もうんざり顔だ。
「いい加減にしろよ、姉貴」
「代わりばんこするから……」
「はっ?」
「押して……」
食い下がる一子に、三郎はピクリと片眉をつりあげた。
「本気で言ってんのか、それ。ちゃんと代わってくれんの?」
「代わる……」
「でも姉貴、口ばっかりだからな」
「代わるから……」
「ならいいけどよ」
納得するな。
だいたいどういう絵面だよ。小学生か。台車で遊んで怪我するやつ、いたよな……。
だが一子が静かになり、三郎もおとなしく運ぶポジションになったので、こちらとしてはなにも言えなかった。
「じゃあ、出発しよう」
仕事さえしてくれればそれでいい。台車にしたって、必ず誰かが押さなきゃいけないわけだし。
歩きながら、俺はP226の調子を確かめた。マガジンには麻酔弾が十二発。その額しめて六万円。この二日酔いの状態で、飛んでる妖精に当たるんだろうか。いやムリだ。金をドブに捨てることになる。
隣にペギーが来た。
「火薬量は少なめにしてあるから、あんまり飛ばないってさ」
「ちゃんと排莢するの?」
「さあ」
昨日あんなことがあったのに、ペギーは平然としている。いや平然ではないな。二日酔いで登場した俺にあきれている様子だ。
俺だって、こんな状態で、しかも仕事中に、昨日の話を蒸し返すほど野暮じゃない。事務的な態度に徹するべきだろう。そういうのは仕事が終わってからだ。
が、ペギーが蒸し返してきた。
「昨日の話だけどさ」
「は、はい?」
「そんなに落ち込んじゃった? お酒いっぱい飲んで、みっともないよ」
「次から気をつけるよ」
二日酔いで現場に出てくるヤツは、たまにいる。そしてそういうヤツは、たいてい死ぬ。いやなぜか死なないヤツもいるけど。
ペギーは小さく息を吐いた。
「まあ、どうしてもっていうなら、交渉に応じてもいいけど」
「交渉?」
「そんなに私を必要としてくれるなら、ずっと一緒にやってもいいってこと。ただし、そのときは覚悟してね。機構と全面戦争することになるから」
「……」
それはみんなで死ぬってことだ。
俺はねぇ、さすがに死ぬくらいなら仲間と手を切りますよ。そんな器のデカい人間じゃない。
ペギーは不服そうに顔を覗き込んできた。
「返事は?」
「いや、まあ、そういう話はさ……酔ってないときにしようぜ」
「不誠実だよ、そういうの」
すると背後から、台車をガタガタ言わせて三郎が来た。道が悪いから、荷台の姉の頭が揺れに揺れた。
「おい、仕事中にいちゃつくな。やるなら俺のいないところでやれ」
これにペギーはふっと笑った。
「そういうんじゃないよ。六原さんも、これからもよろしくねってこと」
「はっ? なんだよ急に」
「私たち、いいチームでしょ。長く続けられるかも」
すると三郎、どうも照れたらしく、きまりの悪そうな顔を見せた。
「チームだと? 勘違いするなよ。言っておくが、お前たちとは、たまたま一緒の仕事を受けてるだけだ。俺は一人でも最強だし。馴れ合いをする気もない」
絵に描いたようなツンデレ野郎だな。
荷台で首をカクカクさせながら、呪い人形もつぶやいた。
「ここにお姉ちゃんもいます……」
はい。
*
行けども行けども廃墟であった。
どのビルも窓を叩き割られ、ガラス片があちこちに散らばっていた。電線は千切れ、自動販売機は正面をヘコまされ、自転車に至ってはもはや飴細工のように変形していた。
ただの経年劣化にしては、あまりに不自然だ。妖精たちが暴動を起こしたと見るべきか。
ところで妖精たちは、なぜこんなヒステリックとも思える破壊活動をおこなったのだろうか。これだけやれば相当な労力だろう。ただのボランティアにしては気合が入りすぎている。
なにか、そうせねばならない理由があったんだろうけども……。
いや、そんなことを考えている場合じゃないな。もっと身近な問題がある。
かなり歩いたにも関わらず、まるで妖精と遭遇できていないということだ。いったいどういうわけだ。
ふと、三郎が足を止めた。
「提案がある」
「なんだ?」
「台車を止めよう。うるさすぎて、妖精が逃げ出してる」
「えっ? 妖精いたの?」
「ああ、まるで近寄れない」
三郎の言葉に、ペギーも、一子もうなずいた。
いや、こっちはまるで存在に気づかなかったんだが。もっと早く言ってよ。
「じゃあ、台車置いてく?」
「そのほうがよさそうだな。姉貴のやつ、ちっとも交代してくれないしな」
問題はそこじゃない。
すると一子は、その場にうずくまったまま溜め息をついた。
「じゃあお姉ちゃん……ここで留守番してるから……三人で行ってきなさい……」
どう考えても飽きている。
まあ確かに、台車を放置して妖精に持って行かれたり、あるいは所在が分からなくなったりしたら困る。紛失したら一万円だし。
俺はうなずいた。
「分かりました。じゃあ一子さんは、ここで台車を見張っていてください。俺たち三人で捕まえてきますんで」
「うん……」
一子と荷台を置いて先へ進むと、急に静かになった。出発したときからずっとゴロゴロ鳴っていたから、つい違和感なく受け入れてしまったが。
いまや靴底のアスファルトをこする音しかしない。ほかには、ときおり仲間たちの鼻をすする音や、かすかな咳払いがある程度。
灰色のビルは、無言のまま道の両脇に林立していた。さながら立ち並ぶ石棺だ。なのに景色の上半分を、蒼穹だけが鮮やかに覆い尽くしている。皮肉めいた景色だ。神とやらが復活したら、東京もこうなってしまうかもしれない。
俺は正義のヒーローじゃないから、それを阻止する義務もないが。まあ、そういう仕事が回ってきたら、優先的に受けてやってもいい。条件さえよければ。
歩きながら、三郎が頭をぽりぽり掻いた。
「なあ山野さん」
「なんだ?」
「そろそろ例の、妖精が集まってた場所なんだが」
「えっ?」
感傷的な気分は三秒で叩き壊された。
まさか、囲まれてないだろうな。いまなら引き返せるか。
「ようこそ、人間たち」
ふと、やわらかな裸足で、少女がふわりとコンクリートへ降り立った。
淡く輝く黄金色の髪をもった、ガラス玉のような青い瞳の、人形のような妖精。間違いない。三角だ。四肢を失っていたはずだが、完全に回復している。
気配がなかった。いきなりの登場だ。
彼女は無表情のまま、こう言葉を訂正した。
「いえ、人間とは言い難いものもいますね」
「俺は人間だ」
すぐさま反論したのは三郎。
それにしても、いったいどういうことだ。プシケは検非違使に保護されていたのではなかったのか。別の個体か。あるいは本人か。いったいどうやってここへ。
プシケはかすかに首をかしげた。
「あなたではありません。そちらの女性です。マルガリータ・ゲルトルート・ツェレ」
ペギーのことか?
するとペギーは、苦い笑みで肩をすくめた。
「言っておくけど偽名じゃないよ。愛称で呼ぶとペギーになるの。三角さんも、そっちで呼んで。フルネームだと長すぎるから」
「ではペギー、あなたにお話があります」
「お話? スリーサイズと体重以外なら、なんでも答えてあげるけど」
「私たちの花園へご招待します。そこでお話しましょう」
「花園?」
彼女が顔をしかめたのもムリはない。
俺だってあの肉塊を想像した。
プシケは相変わらずの無表情だ。
「あなたが想像しているようなものではありません。ごく普通の庭園ですよ」
「そこには、私の仲間もついていっていいの?」
「あなた一人で」
「だってさ?」
ペギーはなんてことない表情で、こちらへ向き直った。
罠としか思えないんだが……。
すると俺が応じるより先に、三郎が口を開いた。
「なあ、こいつ捕獲したらいくらになるんだ?」
さすがだな。ビジネス最優先ってわけだ。
けどいまはマズい。
「彼女はやめておこう。きっと検非違使に怒られるし、マイナスのほうが大きくなる。それと、ペギーを一人で行かせるわけにもいかない。大事な仲間を危険に晒すわけにはいかないからな」
どうだ。二日酔いのわりにはいいセリフが出ただろう。
だがプシケは動じていない。
「山野さん、六原さん、私はあなたたちに恩を感じています。あの研究所から救出してもらいましたからね。悪いようにはしませんよ。ナインさんからも、彼女を丁重に扱うよう言われていますから」
あのキザ野郎の入れ知恵か。
信用できるようなできないような、微妙な線だな。しかしいま、ナンバーズは機構と敵対している。その敵対組織のメンバーを連れ去って密談したいという提案は、怪しすぎる。
ペギーは平然としている。
「私はどっちでもかまわないよ。山野さんの判断に任せる」
肝がすわってるな。だがこの時点での俺の判断は変わらない。
俺はプシケに向かってハッキリと告げた。
「それでもダメだ。彼女の安全が保証されない限り、行かせるわけにはいかない」
「山野さん、あなたはなかなか頑固ですね」
「せめてどういう用件なのか、それだけでも教えてくれないか」
「彼女のアイデンティティーに関する情報です。私の口からは伝えられません」
「アイデンティティー?」
じつは人間と妖精のハーフだったとか、そういう話か。でも以前、ペギーは自分を人間だと言っていた。まあ彼女が、彼女の出自を完璧に把握していればだけど。誰だって自分の親が本物かどうか、簡単に知ることはできない。
三郎が悪い顔になった。
「じゃあこういうのはどうだ? 妖精側から、代わりの人質を出してもらうんだ。で、ペギーになにかあったら、そいつを八つ裂きにする。姉貴のメシも確保できて一石二鳥だ」
後半の提案は忘れよう。
プシケも、表情こそ変えないが、小首をかしげている。
「あなたは野蛮ですね、六原三郎」
「個人的な趣味の問題じゃない。業界のルールなんだよ。俺たちに交渉を仕掛ける気なら、その程度のマナーは予習しておくんだな」
ごもっとも。
メシの件はともかく、条件は対等であるべきだな。
どこからともなく、一匹の妖精が青いエーテルを噴きながら飛んできた。取り立てて言うところのない、プシケと同じ顔の妖精だ。ただし人質は彼女ではないらしい。古びた書物を手にしている。
「人質というわけではありませんが、こちらをお渡ししましょう」
プシケがそう告げると、妖精は俺たちに書物を突き出してきた。
表紙の文字は読めない。もちろん日本語ではないのだが、英語ですらないように見える。いや文字ではなく、ただの模様かもしれないが。とにかくボロボロで、乱暴に扱ったら崩れてしまいそうな古さだった。
「妖精文書です」
「はっ?」
思わず鼻水が出そうになった。
妖精文書?
いま来た妖精は、俺たちに書を渡すと、どこかへ飛び去ってしまった。
「え、これ本物? たしか、出雲さんが持ってたんじゃ……」
「出雲長老会に与えられたのは、これを管理しているという名目だけです。実際に譲渡されてはいません」
「どういうこと?」
「モノ自体ではなく、権威だけが付与された、ということです。人間たちのよくやるハッタリというものですよ。彼らはそういう空虚な取引が大好きですから」
どうりでナンバーズ過激派が、すんなり手渡したように見えたわけだ。しかしそうなると、新たな疑問が湧いてくる。
「じゃあこれ、ナンバーズの管理なんじゃ」
「そうです」
「なんで三角さんが?」
「いま私は、ナンバーズ・スリーですので」
ヤバいヤツとヤバいヤツは惹かれ合うのか。
「これが本物だという証拠は?」
「ありません」
プシケは涼しい顔で言い切った。
幼い顔立ちではあるが、大理石の彫刻のような端正な顔立ちで、なかば神々しくすらある。そんな女がないというのだ。きっとないんだろう。というより、そんな証拠をいちいち提示する気もないのだ。なぜならこれは、実際に本物なんだから。
三郎が凶悪なツラのままこちらを見た。
「本物かどうか確かめる方法があるぜ」
「え、どうやって?」
「そいつをビリビリに破り捨てるんだよ。そのときのキレ具合で本物かどうか分かる」
だが三郎がそう言っている最中、ずっと無表情だったプシケが目を見開いて息を呑んだ。これは本物のようだ。
三郎は小さく笑った。
「ま、そんなことはしないから安心しろ。俺にも最低限の良識はある」
あるのか?
本当に?
三郎以外の全員が、安堵の息をはいた。
いや冗談抜きで緊張したぞ。プシケってのがどれほど強いのかは分からないが、ただの妖精と一線を画す存在であることは間違いない。もしことが始まったら、まっさきに死ぬのは二日酔いの俺だからな。勘弁して欲しい。
プシケはふたたび事務的な態度で、こちらへ告げた。
「こちらとしては、いま以上の条件は出せません。それでも承諾できませんか?」
「いや、結構。妖精文書は、俺が責任をもってあずかります。ペギーが無事である限りは」
「交渉成立ですね。二時間ほどでお返しします」
するとペギーも気軽なものだ。
「じゃあ行ってくるよ」
「気をつけてね」
俺の念押しに、ひらひら手を振って、ペギーは行ってしまった。さすがに飛んでは行かないようだ。プシケも徒歩だ。
その場に残された俺たちは、ただ呆然と、二人の背を見送った。
二時間もぼうっと突っ立っているのはなんなので、俺たちはいちど台車まで引き返すことにした。
そして、まあ、予想していなかったわけではないが、その場は悲惨な状態になっていた。
荷台に腰をおろした一子が、妖精の腕を齧っていたのだ。周囲にはバラバラになった妖精の死骸。頭部の数からして、三匹は死んでいる。コンクリートに飛散した鮮血が生々しい。
「あら……お帰り……」
骨を投げ捨て、小さく呼吸をした。
純白だった白のワンピースは、いまや血だらけだ。かなり食ったらしく、一子の腹もぽっこりと膨らんでいた。ゆったりとしたワンピースを好んで着るのは、これが理由か。
彼女は獣のような笑みを浮かべた。
「一人……減ってるけど……」
「殺してないぞ。隠れんぼの途中で置いてきたんだ」
三郎は小学生レベルのジョークを口にした。
まあ姉が真に受けるとも思えないが、訂正しておいたほうがいいだろう。
「あっちに三角さんがいたんです。二人で話をしたいって言うから、いったん戻ってきました」
「そう……」
興味ナシって感じだな。
俺は構わず話を進めた。
「三角さん、ナンバーズに入ったんですって?」
「欠番だったスリーに……ね……もともと……初期メンバーだったし……」
「へえ、そうなんですか」
初期メンバーね。まるでアイドルのユニットみたいだな。
「あの人、確か検非違使にいましたよね。なんでこの島にいるんです? というか、彼女がいないからこそ、この島は安全って話だった気がするんですが?」
「私にだって……分からないことくらい……ある……」
分からないことだらけだろ。
もういい。
メシ食って満足してなにも考えたくないって顔だ。これ以上質問してもムダだろう。詳しい話は、帰ってから黒羽麗子に聞くしかない。いくら黒幕とはいえ、俺たち組合員にとってはあくまで「保健の先生」だしな。話くらいは聞いてくれるはずだ。
(続く)




