人生のターニングポイント
廊下を突っ切って塀の内側へ出ると、そこには街が広がっていた。活気のある街じゃない。廃墟だ。道路には瓦礫が散乱しているし、窓ガラスも割れ放題。戦争でも起きたかのような荒廃ぶりだ。
ざっと見渡した限りでは、妖精の姿もない。
ただし出入口を守る警備員は、腰から拳銃をさげていた。ここが物騒な場所であることは間違いなさそうだ。
南の島で妖精探しなんていうから、もっと気楽なものを想像していたが、気持ちを切り替えたほうがよさそうだ。
「こっちです」
アロハシャツに案内されたのは、塀の内側に入ってすぐ、三階建てのビルだった。
もともとホテルだったのだろう。一階にはロビーが広がっており、受付もあった。この施設は窓も割れていないし、清掃も行き届いている。
受付カウンターにいた老婆は、ぶちゃむくれた猫のような顔をしていた。
「婆さん、例の山野さんグループ」
「あいよ」
「じゃあ俺はこれで。なんかあったらさっきの事務所にいますんで」
事務所ってのは、塀の中のことか。正確な位置を確認したかったが、アロハシャツはすぐに行ってしまった。
老婆はカウンターにキーを置いた。
「これが鍵。部屋は二階だよ」
*
廊下などは、内装の剥がれている場所もあるにはあったが、古びているわりには綺麗に使われている様子だった。おそらく業者も入ってこないだろうから、自分たちで修繕しているのだろう。
部屋もよく清掃されていた。
俺は上着を脱ぎ捨て、荷物からメモ帳だけを取って廊下に出た。女性陣が出てくるのを待ち、今後の予定を話し合うつもりだ。
それにしても、女性二人を同じ部屋にしてしまったが大丈夫だろうか。ペギーはともかく、一子は好き嫌いが激しそうだからな。
「ちょっと上見てくる」
「上?」
三郎の唐突な提案に、俺は首をかしげた。
「見通しがよさそうだろ。この辺りの地形を把握しておきたい」
「ああ、なるほどね。分かった。行ってらっしゃい」
高いところに登りたいだけかと思って、一瞬焦ったけど。さすがにプロだな。
しばらくすると、部屋から一子とペギーが出てきた。一子は涼しげな白のワンピースだったが、ペギーはタンクトップとショートパンツのみ。動きやすくていいんだろうけど、あまりに薄着だ。
「おまたせ。六原さんは?」
「上見てくるって」
「そう」
普通にしている。
ごく自然だ。
しかしこの露出の多さは……気にするなと言われて気にしない男はいないだろう。すらりと伸びた長い手足、そしてチラチラと見えそうになるヘソ。俺はいい。俺はいいんだが、他の男たちがどういう反応をするやら。いや余計なお世話なんだろうけども。
一子が奥歯をギリギリ言わせた。
「この女……きっと痴女だわ……サブちゃんを狙ってる……」
狙ってないから安心しろ。
ペギーは気にしたふうもない。
「水着も持ってきたんだけど、泳げる場所はあるのかな」
「そろそろ一子さんが憤死するぞ」
「なんで? 南の島なんだから、泳ぐと思うじゃない」
「ビジネスで来てるんだぜ」
「休み時間くらいないの? ブラック企業みたい」
「……」
どこでおぼえたんだ、そんな言葉。
だがまあ、たしかに休み時間ならいくらでもある。一週間も滞在するんだ。妖精一匹で採算がとれる。気楽にやってもいい。
やがて三郎が戻ってきた。表情が厳しい。
「奥のほうにかなりいるぜ。けどアレは……」
「アレは?」
俺の復唱に、しかし三郎はぎょっとした表情のまま黙り込んでしまった。
ペギーの格好に目が止まったようだ。
「なんだこいつ、痴女だったのか」
「近寄っちゃダメよ……サブちゃん……変態さんだわ……」
「姉貴の言うとおりだぜ……」
こういうときだけ意見が一致するのか。まあ気持ちは分かるけど。
あまりの批判に、ペギーも少々傷ついたらしい。さっきまで晴れやかな顔つきだったのに、急に自信なさそうになってしまった。
「この服、そんなに変?」
「ああ、全裸みたいなもんだぞ」
「そんなに出てない」
「おい姉貴、服貸してやれよ」
すると一子、「ヤダ」の二文字でこれを拒否。
子供かよ。
俺は思わず深い溜め息をついた。
「その辺にしときなよ。べつに変な格好じゃない。それより、ロビー行こうぜ。今後の予定を立てなきゃ」
*
丸テーブルを囲み、俺たちは打ち合わせを始めた。
「まず六原くん、上から見えた状況について教えて」
俺はリーダーではなかったが、進行役をつとめることにした。ほかのヤツに任せると、天才が才能だけで動くハメになるからな。凡人の俺は死ぬ。
「見ての通り、向こうまでずっと廃墟だ。妖精はそこら中にいるが、基本的に奥に溜まってる。しかもただ溜まってる感じじゃない。なにかを中心にぐるぐる飛び回ってる感じだった」
「そのなにかってのは?」
「死角になってて見えなかった」
「じゃあそっちには近寄らないとして。なるべく手前でふらふらしてる妖精を見つけて、なんとか捕獲……って感じかな」
すると六原は腕組みした。
「道が碁盤の目になってるから、たぶん迷いやすい。常に方角だけは把握しておいたほうがいいぞ。ま、太陽の出てる方向見れば、すぐ分かるか」
「……」
いや、俺は分からんぞ。
俺たちは北から上陸して、まっすぐ塀に入ったから、ここは塀の最北端だろう。帰るときも北を目指せばいいことになる。太陽は東からのぼって西に沈むわけだから……。いや、これで分かるのか?
老婆が盆に茶を載せて持ってきた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「あのね、さっきは言い忘れたけどね。捕獲用品が必要なときは、カウンターで言ってね。お兄さんたち、銃は何ミリ使ってるの?」
「九ミリのNATO弾です」
「それなら、そのまま使える麻酔弾あるからね。必要なら言ってね。半ダースで三万円ね」
「三万……」
クソ高ぇ!
半ダースってことは六発だ。それで三万。一発あたり五千円ということになる。
ヤー公ども、ぼったくってやがるな……。殺すだけなら百発で一万が相場だ。普通にぶっ殺すほうが安いって、どうなってんだよ。人権問題だよ。
まあ、ある程度分かってはいたけど……。
「あのね、専用の麻酔弾なんだから、高いに決まってるでしょ。台車は一日千円で貸し出してるよ。紛失したら一万円ね」
じつにどんぶり勘定だな。まあいい。
「あとでお願いします」
「じゃあそのときになったら言ってね」
わざわざお茶を出してくれたんだ、悪い人ではなかろう。金額設定にしたって、老婆がやっているわけではないだろうし。しかし弾丸のサイズを把握している老婆ってのもな……。
ペギーが慎重に茶をすすった。
「じゃあ、私と山野さんが麻酔弾を撃つとして……」
彼女の不審の目は、六原姉弟へ向けられた。
こいつらは素手でも戦える。その代わり、相手は死ぬ。捕獲どころではない。
三郎はしかし余裕の笑みだった。
「なにか問題か? まあ見てろ。俺のありあまる運動性能で、妖精どもを撹乱してやるからよ。こっちもプロだ。殺すなっていうなら殺さない。当然だろう。そんなことしたら、三十万がオシャカだ」
オシャカっていうかホトケだな。
三郎は確かにプロだ。その仕事ぶりは信頼できる。
問題は、姉のほうだ。この打ち合わせ中も、虚空を見つめてぼうっとしている。まるで人の話を聞いていない。
「一子さん? お姉さん? 聞いてます?」
「聞いてない……」
「分かってると思いますけど、殺しちゃダメですからね? 六原くんと一緒に、妖精の撹乱お願いしますよ? ね? いいですね?」
「……」
しまいにゃ返事もしてくれなくなった。
この人、いますぐ家に帰ってくれないかな。
まあいい。
俺の銃の腕は信用ならないが、ペギーなら当ててくれるだろう。それで三十万。三匹くらい捕まえれば、満足できる結果になるだろう。
間違って殺してしまっても、一子のメシになるだろうし。
俺も茶をすすった。田舎の婆さんが淹れるような、熱くて苦い茶だ。嫌いじゃない。
「ま、旅の疲れもあるだろうし、今日ぐらいはゆっくりしましょう。明日は朝からやって、日が暮れる前に撤収という感じで」
これにペギーがいたずらっぽい笑みで応じた。
「海にはいつ行くの?」
「もう諦めなよ」
「ダメなの? せっかくかわいい水着買ったのに」
「……」
ふざけんな。そんなの俺だって存分に拝みたいですよ。だけど、この辺の海岸が整備されているとはとても思えないし、安全の保証もできない。エイとかサメとかいそうだし。
すると一子が顔をしかめた。
「サブちゃん……あれが痴女の手口……よ……」
「世も末だな」
「都会の女はみんなこう……気をつけなさいね……」
「ああ、姉貴の言った通りだぜ」
二人ともセットで故郷に帰ってくれ。
すると一子が、ぬるりと立ち上がった。
「じゃあ……お姉ちゃん……ご飯取ってくるね……おなか……すいちゃった……」
「……」
行くのか。
もう自由時間になるから、なにしてもらっても構わないけど……。
テーブルのメニュー表によれば、保存用の肉も売っている。が、金がないんじゃ仕方がない。というかこの人、そもそも一円も使わずに生活するつもりだったのか。
三郎も立ち上がった。
「安心しろ。俺が一緒に行く」
この「安心しろ」というのは、姉ではなく俺たちへ向けられた言葉だ。一子が死ぬことはないだろう。しかし一子がほかの誰かに迷惑をかける可能性はある。三郎はいま、それを阻止するという重大な使命を帯びている。
そもそも姉は三郎を追ってきたわけだし、少しは責任を感じているということか。
「サブちゃんと……デート……」
「勘違いするな。ただの監視だ。放っておくとみんなに迷惑がかかるからな」
「ぎひ……ひひひ……」
じつに気味の悪い笑いが出た。
本当に弟のことが好きだな、この姉は。俺にも妹はいるけど、こんなに仲良くはない。というかここ数年、会ってさえいない。生きてるとは思うけど。
*
六原姉弟がいなくなってからも、俺とペギーはロビーに残った。
いや、部屋に戻ってもいい。しかしなんだか帰りたくなかった。彼女とはこの仕事が最後なんだ。できるだけ一緒にいたかった。
たぶん恋愛感情じゃない。それよりも、仲間意識のほうが強い。
この業界、利害関係が命に直結するから、みんな警戒心が強い。その警戒心を乗り越えて仲間になれるのは、本当にごくわずかだ。だから、葉山みたいな姑息な手口でチームを作るヤツもいる。
俺は三郎と一緒にやるまで、ずっと一人だった。一人のときは常に背後がガラ空きだし、困ったときに相談する相手さえない。こういう精神的な消耗は、自覚できないだけに怖い。いつの間にかすり減っている。仲間というのは、そういった問題をクリアしてくれる貴重な存在だ。なんなら才能なんてなくてもいい。信用さえできれば。
ペギーはぐっと伸びをしたついでに、目だけをこちらへ向けた。
「山野さん。海、嫌い?」
「えっ?」
なんでそういう話になるんだ。
彼女の表情からはなにも読み取れない。
「嫌いじゃないよ。好きでもないけど。けどここは、泳げる環境になってなさそうだから……」
「昨日も言ったけど、機構は土地を持ってないんだ。ずっと船で暮らしてる。古い時代に追い出されて、そのときからずっとね。だから私は、生まれたときから海の上だった」
「泳ぎたいの?」
「そういう話じゃない。もし山野さんが機構に来るなら、海に慣れてもらおうと思って」
「……」
うーむ、その話か。
船の上で一生を終えるのはゴメンだな。いや、そもそも機構とは手を組まないわけだけど。
俺は意を決し、こう告げた。
「機構に戻るの、先に伸ばせない? もうしばらく俺らと一緒に……」
「それはムリ」
即答だ。
せめてもう少し、考え込むフリくらいはしてくれてもいいだろう。
じゃあ俺も言わせてもらおう。
「悪いけど、俺も機構には行けないよ」
「それ、いま言う必要ある?」
「気づかないフリをしているのもイヤだから、ハッキリさせておくぞ。もし今後、俺たちが別々の道を歩んだ場合、現場で敵に回る可能性がある。そのときのことを考えれば、いま俺たちはあまり親しくすべきじゃないと思う」
「だから?」
まあ、そう言われてしまえばそれまでなのだが……。
それでも俺は、どうしようもなく悔しかった。本来、誰がどうしようと自由だけど。ある日を境に、もう仲間じゃありませんなんて。そんなに簡単に割り切れるものなのか。
「君はそういうの、平気なのか。こうして会話した相手を、躊躇なく殺れるのか」
すると彼女は不快そうに眉をひそめ、小さく呼吸をした。
「平気なわけない」
「じゃあ……」
「はじめは平気だと思ってたの。こうなる前は。山野さんのことも、六原さんのことも、ナンバーズへの足がかりとしか思ってなかったはずなの。私だって困ってるの。あんまり責めないで」
「……」
「もうこの話はしないで。最初からこうなる予定だったんだから。思い出だけ作らせて。もし敵として会うことがあっても、知らない人だと思ってくれていいから……」
口調は感情的ではなかったが、彼女の内側で、気持ちが大きく動いているのが分かった。目が震えていた。
「ごめん、配慮が足りなかった」
「謝らないで」
「部屋に戻るよ」
*
相場より高い缶ビールを買い、俺は部屋へ戻った。
今日は仕事がないんだ。昼間から飲んだって、誰からも文句を言われる筋合いはない。
ここにはテレビがない。海も見えない。窓から見えるのは廃墟と塀だけ。世界の終わりを、一人で迎えているような気分だった。
ビールはよく冷えていた。ドライのビールは、正直あんまり好きじゃないけれど。いまは酔えればなんでもよかった。
溜め息しか出ない。
ときどき忘れそうになるが、ペギーはまだ十九の少女だ。機構から飛び出し、期限付きで自由を得た。一連の行動は、あまり計画的なものではなかったのだろう。
この業界に十代の少女がそうそういるわけもないから、一緒にやるのも俺たちのような男ということになる。その中から、ナンバーズに近かった俺と三郎が選ばれた。キッカケはそれだけ。
彼女がナンバーズについてどれだけ知ることができたのか、それは分からない。いやむしろ、理解不能ということが、よく分かったのではないかと思う。俺もそういう感想だ。
ザ・ワンとやらが目を覚ます。
そこに妖精文書、三角、四つの力が揃えば、神が復活するという。
妖精文書と三角の所在はすでに分かっている。四つの力についても、前に黒羽麗子から聞かされた。
駒は出揃っている。
神とやらが復活したら、この業界だけでなく、日本全土――いや世界中が混乱に巻き込まれることになるだろう。
機構はずっと「そのとき」に備えていた。土地も持たず、船の上で。
ペギーもその船で生まれた。神を復活させようという組織の、一員だ。
検非違使は、これを阻止しようとしている。だからもし検非違使と手を組めば、自動的に機構と対立することになる。
ナンバーズは一枚岩ではない。分裂しようとしている。妖精文書を巡って機構と戦闘までした。のみならず、ザ・ワンという次の火種まで抱えている。
組織間の覇権争いなんて、俺には正直どうでもいい。しかし仲間の動向については、そうではない。
三郎はナンバーズではないが、姉がナンバーズだ。口ではいろいろ言っているが、姉とは戦いたくないだろう。俺だってそれは望まない。
ナンバーズとも対立せず、機構とも対立しない方法……。そんな都合のいいプランが、はたしてあるのだろうか。
せめてもう少し、俺がクレバーだったなら。あるいは超人的な能力を持っていたなら……。
ぐだぐだ生きて、ただ流れに身を任せ、ここまで来てしまった。あきらめのよさだけが俺の取り柄だったし、生き延びて金が稼げればなんでもよかった。しかしこのままでは、確実に大切なものを失うことになる。
おそらくここが人生のターニングポイントだ。流れに身を任せていてはいけない。俺が流れを作らなくては。のらりくらりと生きているだけの人生は、おしまいにしなければ。
気持ちを切り替え、生まれ変わるんだ。
ま、とりあえずこのビールを飲み終えてからは、だけど。いや、もう一本買ってこようかな。神さまだって、ビールが一本増えたところで文句を言ったりはしないだろうし。
(続く)




