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終端 -EOF-  作者: 不覚たん
本編

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15/70

海妖の囁き

 それからしばらく、俺はなにもない日々を過ごした。

 金はあるからニューオーダーにもほとんど寄り付かなかったし、もし寄っても三郎かペギーと世間話をして帰った。

 いちおう依頼の確認くらいはしたが、うまそうな仕事はなかった。怪しいブツの運送業務だったり、怪しい倉庫の警備業務だったり、どうもハバキが絡んでいそうなものしか来ていなかったのだ。

 あとは、妖精を捕まえる仕事とか……。


「なんだ山野さん、気の抜けたツラして」

 ピスタチオの殻を指で転がして遊んでいると、六原三郎がビール片手にやってきた。

「なんかやる気が出てこなくてさ」

「金のあるうちは働きたくないタイプか」

「そういうわけじゃないけど」

 最近なぜかキャバクラに行く気もしないから、金もあまり減っていない。メシはずっと近所の牛丼屋で済ませている。燃費がよすぎて困る。

 三郎はニヤリといたずらっぽい笑みを浮かべた。

「なら、妖精を捕まえる仕事はどうだ? 一匹で三十万だぜ」

「それハバキの仕事でしょ?」

 閉鎖されたエリアへ連れて行かれ、各自の自由行動で妖精を捕まえるんだとか。放し飼いにでもなってるのかな。

 俺が難色を示すと、三郎は露骨に顔をしかめた。

「これがダメなら、あとはロクな仕事がないぞ。派手な仕事がしたいなら、黒羽麗子の殺害って手もあるけど」

「それは受けない。つーかそもそもさ、誰なのよ、そんな物騒な依頼してるの」

「知るかよ」

 そりゃまあ匿名だろうな。

 うまい仕事はすぐに埋まるが、難易度の高すぎる殺しの依頼は、未達成のままずっと放置され続けることになる。

 妖精を捕まえるだけで三十万という仕事は、かなりの好条件に思える。ハバキの仕事という点に目をつむれば。

 するとペギーがルートビアを手にやってきた。

「妖精の仕事、しようよ」

 久々に三人揃った。

 本当に、久々だ。あれからみんなすれ違いばかりだったから。

 彼女はすっと腰をおろし、こう続けた。

「南の島でやる仕事らしいよ。気晴らしにもなりそうじゃない?」

「なんなの? 島? まともな島なんだろうね?」

「妖精がうろついてるんだから、まともな島のわけないでしょ。ちなみに国内だよ」

「この日本にそんな場所が? よくニュースにならなかったね」

「妖精のいるエリアは、いちおう立入禁止になってるから」

「へえ」

 春も終盤に差し掛かり、夏の気配が近づいていた。

 南の島で妖精探しなんて、話だけ聞けば楽しそうではある。まず間違いなく薄着になるだろうし。うん。

「ま、まあいいけど……。でも経費がかかるんでしょ?」

「一週間あたり、一部屋三万だって。食事も出るみたい」

「……」

 一週間も? 三人で? 一つの部屋に? それは……まあ、俺は大丈夫だけど、若さのありあまってる六原くんはどうかな。いや俺は大丈夫だけど。

 ペギーは淡々と続けた。

「二部屋借りても六万でしょ? 旅費が往復で五万。妖精捕まえたら三十万だから、すぐに元は取れそうだよ」

「うむ」

 まあ当然、部屋は別々になるよな……。当たり前だろ! 知ってたよ!

 しかし旅費がクソ高ぇじゃねーかよ。ホントに国内なのか。まあ旅行したことないから、相場とかよく分からないけど。

 俺はビールを飲んで気持ちを落ち着かせ、こう尋ねた。

「でも生け捕りなんでしょ? なんか、道具とか準備しなくていいの?」

「現地で貸してくれるみたい。有料だけど」

「それさー、ツチノコ探しみたいな感じなんじゃないの? ホントに妖精いるの? 騙されてない?」

「騙されてないよ。リピート参加してる組合員いるし。たまに青猫も行ってるみたいよ」

「ホントかよ……。まあ、詐欺じゃないならいいんだけど」

 青猫は信頼のおけるチームだ。彼らが繰り返し参加しているというのが事実なら、詐欺ではなさそうだけど。

 しかしどう考えても「まぼろしの妖精を捕まえようツアー」だ。なかば観光地化してんじゃねーかよ。


 *


 かくして俺たちは、半信半疑ながらも、妖精の捕獲なる怪しい仕事を受けることにした。

 港区からの出港だ。

 待ち受けていたのは異様にデカい船舶。軍艦ではないと思うんだが、俺は詳しくないので分からない。船員は制服をビシッと着て、態度も紳士的で、顔つきも精悍。到底ハバキのチンピラには見えなかった。船を運行しているのは、ハバキと提携しているだけの、まっとうな会社なのかもしれない。

 まさか小笠原に行くわけではあるまいと思うが、現地までは二十四時間以上かかるらしい。


 船室は四人部屋。二段ベッドが左右に据え付けられただけの、ただ寝るためだけの場所だった。くつろげるスペースなど存在しない。

 俺たちは荷物を置き、ラウンジへ向かった。

 据え付けのベンチがある。他の客はいない。売店もない。

「貸し切りか」

 三郎は警戒もせずベンチに腰をおろした。

 立っていても疲れるだけだ。俺もペギーも腰を落ち着けた。

「俺たちだけみたいだね。この船、採算取れてんのかな?」

 俺のぼやきに、ペギーはフッと笑った。

「私たちを運ぶのはついでだよ。島に行くのは彼らの都合」

「そうなの?」

「これから行く島は、妖精学会の管理下にあるんだ。そしてこの船は、その島に物資を運ぶ定期便」

「なんだ。俺たちは荷物のついでかよ」

 まあそれはいいんだが、そろそろ出港時間のはずなのに動き出す気配がない。トラブルでもあったのだろうか。

 船内放送が流れた。

『業務連絡ぅ、業務連絡ぅ……。えー、左舷下部に不審な……うー、生き物が張り付いておりぃ……現在確認中です……。デッキクルーは対応お願いします』

 なんともハッキリしない説明だ。船に張り付く生き物なんて、どうせタコかなんかだろうけど。構わず出せばいいのに。それとも、水に棲む妖精でも現れたか。いずれにせよ人間じゃないだろう。

 すると甲板から、メガホンで叫ぶ声が聞こえてきた。

「コラーッ! 降りなさーいッ! 危険ですよーッ! ただちに降りなさーいッ!」

 言葉の通じる相手なのか?

 左舷下部ってのがどの辺りなのかは分からないが、そこに頭のおかしなのが張り付いているようだ。

 銃は部屋に置いてきた。つまりは丸腰だ。ヤバいヤツが出てきてもなにもできない。いまのうちに行って取ってこようかな。

 三郎が不敵な笑みを浮かべた。

「バカだよな。外にしがみついて、タダ乗りでもしようとしてたのか」

「そいつの狙いが俺たちって可能性は?」

「心当たりでもあるのか?」

「いや、ないけどさ……」

 借金があるわけでもない。

 彼女もいない。

 職場とキャバクラにしか会話相手がいないんだ。俺は普段、誰とも接点がない。この件については、もう考えないことにしよう。

 ドタドタ足音がして、ラウンジに大型犬が駆け込んできた。いや犬じゃない。四つん這いの人間だ。しかも初めて見る顔じゃない。

「姉貴ッ!?」

 三郎がベンチから飛び上がった。

「サブちゃん、かくまってっ!」

「いやいや、おかしいだろ。なんでいるんだよ。死んでくれ」

「死ぬわけには……いかないの……」

 やや遅れて、船員たちが駆けつけてきた。さすがに銃は所持していなかったが、防犯用のさすまたを手にしていた。

 船員はこの状況を確認するや、不快そうな表情でこちらを見た。

「お知り合いですか?」

「いや、知らないヤツだ」

 即答したのは三郎。

 そう言いたくなる気持ちは分かる。

 が、一子は三郎を盾にしている。赤の他人と主張するにはムリのあるシチュエーションだ。

「もしお知り合いでないのなら、海保に通報しないといけませんが……」

 おいおい、勘弁してくれよ。仮に出港できなくなったら、また無職だぜ。

 俺は身を乗り出した。

「いやいや、知り合いですっ! 業界の人間ですっ!」

「じゃあ、検非違使さんに……」

「待ってくださいっ! いま話つけますからっ!」

「もう出港しないとマズいんですがね」

「二分っ! 二分で終わりますっ! いや一分半でっ!」

「じゃあ少しだけ待ちますんで、手短にお願いしますよ」

 さすがにハバキと提携しているだけあって、この手のアクシデントに寛容だ。普通ならとっくに通報されて、公権力が動き出している。

 俺はつとめて冷静に、一子へ向き直った。

「で、一子さん、なにしに来たんです?」

「サブちゃんと……南の島に……」

「南の島に?」

「行きたいの……」

「……」

 旅行ならプライヴェートで行ってくれませんかね!

 しおらしくしゅんとしているが、やってることはパワーファイト以外のなにものでもない。なぜこんな強行突破に出るんだ。知能がないのか。

 三郎が深い溜め息をついた。

「人の話なんて聞く女じゃねーよ。連れてこうぜ。時間も惜しいしな。姉貴、全員分の旅費を出せ。それが最低限のラインだ」

「お金もない……」

「はっ?」

「サブちゃんが出して……」

「てめー、そろそろ殺すぞ」

「殺したら……ちゃんと食べてくれる……?」

「魚の餌だろ、そんなもん」

「やだぁ……」

 この会話に、船員たちもすこぶる顔をしかめていた。まあ確かに、頭のおかしなやり取りだ。こんな女、できるなら俺だって追い返したい。

 ペギーが肩をすくめた。

「じゃあ私が立て替えておくよ。それでいいかな」

「あなた確か……サブちゃんの子種を狙ってるメス……」

「違うよ?」

「あなたの施しは……受けない……」

 うわー、なんて面倒な。

 かといって三郎は金を出してくれそうにない。

 最悪だ。

 最悪だが、このまま通報されたり出港停止になったらもっと困る。

 俺が出すしかない。

「分かりました。じゃあ俺が出しますよ。あ、貸すだけですよ。それでいいでしょう?」

「あなたは……サブちゃんの後ろの穴を……」

「狙ってません。お姉さん、いい加減にしてくださいよ。あんまり長くやってると、船に迷惑かかっちゃうから。ね? いいですね?」

「うん……いい……」

 この女、絶対反省してないぞ。


 結局、余計な出費をこうむり、船は五分遅れでの出港となった。

 さよなら、東京。

 いや、これから行くのも東京だっけか。東京ってなにげに広いんだよな。

「はぁー」

 俺はベンチに腰をおろし、背もたれにどっと身をあずけた。

 財布は薄くなったが、向こうにATMがあるとも思えない。捕獲用の道具をレンタルできなかったら本末転倒だ。二人に借りるしかない。

 すっと目の前に缶コーヒーが出てきた。

「お疲れさま」

 ペギーだ。

 やや苦い表情だが、ほほえみかけてくれるその表情は、いまは女神のそれに見えた。

「ありがとう」

「無事に出港できてよかったよ」

「まさかこんなところでトラブルになるとはね」

「……」

 話しかけてきたくせに、ペギーからの返事はなかった。彼女は缶コーヒーを一口やって、浮かない表情で遠い目をした。

 いったいなんなんだ。愛の告白でもする気か。それともこの場で俺を消すつもりなのか。

 彼女はムリに笑ったような顔で、こうつぶやいた。

「いい思い出になったと思う」

「えっ?」

「いや、あとから思い返したらさ、たぶん、こういうのもいい思い出なんじゃないかなって」

 唐突にセンチメンタルなことを言う。

「なんか、消えそうな人間のセリフみたいだぜ、それ」

「消えはしないよ」

 ラウンジには、いま、俺たち二人しかいない。一子は海鳥を食料にすると宣言してここを出ていったし、三郎はそれを止めにいった。船員の姿もない。

 二人きりだ。

「私たち、いいチームだったと思う」

「なんで過去形なの」

「ああ、うん。そうだね。まだ時間はある」

「……」

 まさか本当に俺を消すつもりなのか。それともペギーが消されるのか。この船は、本当に妖精の島に向かってるんだろうな。

「あとからバレるのイヤだから、自分から言っておくね。私が山野さんに近づいたの、ナンバーズの情報を得るためだったんだ」

「マジかよ」

 まあそうかもしれないと、少し考えたことはあるが。

「でも誤解しないで。機構に言われてやったことじゃない。自分たちの敵がどんななのか、個人的に知っておきたかったんだ。機構からは、むしろ止められてた」

「敵ねぇ……」

 俺の言葉に、ペギーは弱ったような笑みを見せた。

「あくまでナンバーズのことだよ。きっと利害が対立するはずだから」

「俺に接触したのは? 六原くんに近づくため?」

「そう。そして彼に近づけば、お姉さんにも近づける。ナンバーズがどんな人たちなのか、理解できると思って」

「理解できた?」

 この問いに、ペギーは少し噴き出した。

「ムリだよ。だってさっきのアレ……」

「まあ、理解しろってほうが難しいね。ナインにしても、ファイヴにしても……」

 思いつく限り、理解できそうなメンバーがいない。

 俺は話題を変えた。

「いつまで一緒にやれるの?」

「この仕事が最後かな。そろそろ事態が動き出すみたいだから」

「事態?」

「ザ・ワンが目を覚ますの。ナンバーズの過激派と穏健派が、利権争いをしてる火種。かつてこの国に災厄をもたらした忌み子だよ」

「えっ?」

「その子は、もともと機構の子供だったんだ。だけど、処分を逃れるために日本に隠すことになって……。機構は土地を持っていなかったから」

「そのワンってのが目を覚ますと、どうなるんだ?」

 嫌な予感がした。

 いや予感なんかじゃなく、確証だな。そいつのために、ナンバーズがあんなに必死になっているんだ。間違いなくデカいことが起こる。それも、とびきりヤバいヤツが。

 ペギーはあきれたように笑った。

「どうなるかって? そんなこと、誰にも分からないよ。分からないことが起きるんだ。世界が滅ぶかもしれないし、人類だけが滅ぶかもしれない。あるいは神が復活して、すべてが救済されるのかも」

「……」

 神だと? 救済だと? ありえるのか、そんなことが。いや、あるならいますぐにでもやって欲しいね。このクソみたいな世界を、クソよりはマシにしてくれるんなら。しかしそんなうまい話、あるわけがない。

「ムリを承知で聞くけど、山野さん、機構に入るつもりはない?」

「えっ?」

「私と一緒に世界を救わない? ううん、べつに救えるだなんて思ってない。ただ、機構のプロジェクトが成功すれば、そうなるって上は信じてる。私は信じてないけどね」

「いや、急にそんなこと言われても……」

「ま、そういう選択肢もあるってこと。考えておいて。もちろんだけど、答えを出すなら死体になる前に。もしそうなっちゃったら、もう契約できないから」

「ああ……」

 しかしきっと死体になる、俺かペギーのどちらかが。

 俺は機構につく気はない。ナンバーズにつく気もない。いままで通り、難易度の低い依頼だけを受ける。その中には、機構と敵対する仕事もあるだろう。彼女とは殺し合いになる可能性も出てくる。

 そういうことになってしまうんだ。

 これは哀しいとか哀しくないとか、そういうセンチメンタルな話じゃない。必然性の話だ。

 俺は自分で考えたつまらないロジックを鼻で笑い飛ばしながら、ぬるくなった缶コーヒーのフタを開けた。間の抜けた音がした。


(続く)

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