海妖の囁き
それからしばらく、俺はなにもない日々を過ごした。
金はあるからニューオーダーにもほとんど寄り付かなかったし、もし寄っても三郎かペギーと世間話をして帰った。
いちおう依頼の確認くらいはしたが、うまそうな仕事はなかった。怪しいブツの運送業務だったり、怪しい倉庫の警備業務だったり、どうもハバキが絡んでいそうなものしか来ていなかったのだ。
あとは、妖精を捕まえる仕事とか……。
「なんだ山野さん、気の抜けたツラして」
ピスタチオの殻を指で転がして遊んでいると、六原三郎がビール片手にやってきた。
「なんかやる気が出てこなくてさ」
「金のあるうちは働きたくないタイプか」
「そういうわけじゃないけど」
最近なぜかキャバクラに行く気もしないから、金もあまり減っていない。メシはずっと近所の牛丼屋で済ませている。燃費がよすぎて困る。
三郎はニヤリといたずらっぽい笑みを浮かべた。
「なら、妖精を捕まえる仕事はどうだ? 一匹で三十万だぜ」
「それハバキの仕事でしょ?」
閉鎖されたエリアへ連れて行かれ、各自の自由行動で妖精を捕まえるんだとか。放し飼いにでもなってるのかな。
俺が難色を示すと、三郎は露骨に顔をしかめた。
「これがダメなら、あとはロクな仕事がないぞ。派手な仕事がしたいなら、黒羽麗子の殺害って手もあるけど」
「それは受けない。つーかそもそもさ、誰なのよ、そんな物騒な依頼してるの」
「知るかよ」
そりゃまあ匿名だろうな。
うまい仕事はすぐに埋まるが、難易度の高すぎる殺しの依頼は、未達成のままずっと放置され続けることになる。
妖精を捕まえるだけで三十万という仕事は、かなりの好条件に思える。ハバキの仕事という点に目をつむれば。
するとペギーがルートビアを手にやってきた。
「妖精の仕事、しようよ」
久々に三人揃った。
本当に、久々だ。あれからみんなすれ違いばかりだったから。
彼女はすっと腰をおろし、こう続けた。
「南の島でやる仕事らしいよ。気晴らしにもなりそうじゃない?」
「なんなの? 島? まともな島なんだろうね?」
「妖精がうろついてるんだから、まともな島のわけないでしょ。ちなみに国内だよ」
「この日本にそんな場所が? よくニュースにならなかったね」
「妖精のいるエリアは、いちおう立入禁止になってるから」
「へえ」
春も終盤に差し掛かり、夏の気配が近づいていた。
南の島で妖精探しなんて、話だけ聞けば楽しそうではある。まず間違いなく薄着になるだろうし。うん。
「ま、まあいいけど……。でも経費がかかるんでしょ?」
「一週間あたり、一部屋三万だって。食事も出るみたい」
「……」
一週間も? 三人で? 一つの部屋に? それは……まあ、俺は大丈夫だけど、若さのありあまってる六原くんはどうかな。いや俺は大丈夫だけど。
ペギーは淡々と続けた。
「二部屋借りても六万でしょ? 旅費が往復で五万。妖精捕まえたら三十万だから、すぐに元は取れそうだよ」
「うむ」
まあ当然、部屋は別々になるよな……。当たり前だろ! 知ってたよ!
しかし旅費がクソ高ぇじゃねーかよ。ホントに国内なのか。まあ旅行したことないから、相場とかよく分からないけど。
俺はビールを飲んで気持ちを落ち着かせ、こう尋ねた。
「でも生け捕りなんでしょ? なんか、道具とか準備しなくていいの?」
「現地で貸してくれるみたい。有料だけど」
「それさー、ツチノコ探しみたいな感じなんじゃないの? ホントに妖精いるの? 騙されてない?」
「騙されてないよ。リピート参加してる組合員いるし。たまに青猫も行ってるみたいよ」
「ホントかよ……。まあ、詐欺じゃないならいいんだけど」
青猫は信頼のおけるチームだ。彼らが繰り返し参加しているというのが事実なら、詐欺ではなさそうだけど。
しかしどう考えても「まぼろしの妖精を捕まえようツアー」だ。なかば観光地化してんじゃねーかよ。
*
かくして俺たちは、半信半疑ながらも、妖精の捕獲なる怪しい仕事を受けることにした。
港区からの出港だ。
待ち受けていたのは異様にデカい船舶。軍艦ではないと思うんだが、俺は詳しくないので分からない。船員は制服をビシッと着て、態度も紳士的で、顔つきも精悍。到底ハバキのチンピラには見えなかった。船を運行しているのは、ハバキと提携しているだけの、まっとうな会社なのかもしれない。
まさか小笠原に行くわけではあるまいと思うが、現地までは二十四時間以上かかるらしい。
船室は四人部屋。二段ベッドが左右に据え付けられただけの、ただ寝るためだけの場所だった。くつろげるスペースなど存在しない。
俺たちは荷物を置き、ラウンジへ向かった。
据え付けのベンチがある。他の客はいない。売店もない。
「貸し切りか」
三郎は警戒もせずベンチに腰をおろした。
立っていても疲れるだけだ。俺もペギーも腰を落ち着けた。
「俺たちだけみたいだね。この船、採算取れてんのかな?」
俺のぼやきに、ペギーはフッと笑った。
「私たちを運ぶのはついでだよ。島に行くのは彼らの都合」
「そうなの?」
「これから行く島は、妖精学会の管理下にあるんだ。そしてこの船は、その島に物資を運ぶ定期便」
「なんだ。俺たちは荷物のついでかよ」
まあそれはいいんだが、そろそろ出港時間のはずなのに動き出す気配がない。トラブルでもあったのだろうか。
船内放送が流れた。
『業務連絡ぅ、業務連絡ぅ……。えー、左舷下部に不審な……うー、生き物が張り付いておりぃ……現在確認中です……。デッキクルーは対応お願いします』
なんともハッキリしない説明だ。船に張り付く生き物なんて、どうせタコかなんかだろうけど。構わず出せばいいのに。それとも、水に棲む妖精でも現れたか。いずれにせよ人間じゃないだろう。
すると甲板から、メガホンで叫ぶ声が聞こえてきた。
「コラーッ! 降りなさーいッ! 危険ですよーッ! ただちに降りなさーいッ!」
言葉の通じる相手なのか?
左舷下部ってのがどの辺りなのかは分からないが、そこに頭のおかしなのが張り付いているようだ。
銃は部屋に置いてきた。つまりは丸腰だ。ヤバいヤツが出てきてもなにもできない。いまのうちに行って取ってこようかな。
三郎が不敵な笑みを浮かべた。
「バカだよな。外にしがみついて、タダ乗りでもしようとしてたのか」
「そいつの狙いが俺たちって可能性は?」
「心当たりでもあるのか?」
「いや、ないけどさ……」
借金があるわけでもない。
彼女もいない。
職場とキャバクラにしか会話相手がいないんだ。俺は普段、誰とも接点がない。この件については、もう考えないことにしよう。
ドタドタ足音がして、ラウンジに大型犬が駆け込んできた。いや犬じゃない。四つん這いの人間だ。しかも初めて見る顔じゃない。
「姉貴ッ!?」
三郎がベンチから飛び上がった。
「サブちゃん、かくまってっ!」
「いやいや、おかしいだろ。なんでいるんだよ。死んでくれ」
「死ぬわけには……いかないの……」
やや遅れて、船員たちが駆けつけてきた。さすがに銃は所持していなかったが、防犯用のさすまたを手にしていた。
船員はこの状況を確認するや、不快そうな表情でこちらを見た。
「お知り合いですか?」
「いや、知らないヤツだ」
即答したのは三郎。
そう言いたくなる気持ちは分かる。
が、一子は三郎を盾にしている。赤の他人と主張するにはムリのあるシチュエーションだ。
「もしお知り合いでないのなら、海保に通報しないといけませんが……」
おいおい、勘弁してくれよ。仮に出港できなくなったら、また無職だぜ。
俺は身を乗り出した。
「いやいや、知り合いですっ! 業界の人間ですっ!」
「じゃあ、検非違使さんに……」
「待ってくださいっ! いま話つけますからっ!」
「もう出港しないとマズいんですがね」
「二分っ! 二分で終わりますっ! いや一分半でっ!」
「じゃあ少しだけ待ちますんで、手短にお願いしますよ」
さすがにハバキと提携しているだけあって、この手のアクシデントに寛容だ。普通ならとっくに通報されて、公権力が動き出している。
俺はつとめて冷静に、一子へ向き直った。
「で、一子さん、なにしに来たんです?」
「サブちゃんと……南の島に……」
「南の島に?」
「行きたいの……」
「……」
旅行ならプライヴェートで行ってくれませんかね!
しおらしくしゅんとしているが、やってることはパワーファイト以外のなにものでもない。なぜこんな強行突破に出るんだ。知能がないのか。
三郎が深い溜め息をついた。
「人の話なんて聞く女じゃねーよ。連れてこうぜ。時間も惜しいしな。姉貴、全員分の旅費を出せ。それが最低限のラインだ」
「お金もない……」
「はっ?」
「サブちゃんが出して……」
「てめー、そろそろ殺すぞ」
「殺したら……ちゃんと食べてくれる……?」
「魚の餌だろ、そんなもん」
「やだぁ……」
この会話に、船員たちもすこぶる顔をしかめていた。まあ確かに、頭のおかしなやり取りだ。こんな女、できるなら俺だって追い返したい。
ペギーが肩をすくめた。
「じゃあ私が立て替えておくよ。それでいいかな」
「あなた確か……サブちゃんの子種を狙ってるメス……」
「違うよ?」
「あなたの施しは……受けない……」
うわー、なんて面倒な。
かといって三郎は金を出してくれそうにない。
最悪だ。
最悪だが、このまま通報されたり出港停止になったらもっと困る。
俺が出すしかない。
「分かりました。じゃあ俺が出しますよ。あ、貸すだけですよ。それでいいでしょう?」
「あなたは……サブちゃんの後ろの穴を……」
「狙ってません。お姉さん、いい加減にしてくださいよ。あんまり長くやってると、船に迷惑かかっちゃうから。ね? いいですね?」
「うん……いい……」
この女、絶対反省してないぞ。
結局、余計な出費をこうむり、船は五分遅れでの出港となった。
さよなら、東京。
いや、これから行くのも東京だっけか。東京ってなにげに広いんだよな。
「はぁー」
俺はベンチに腰をおろし、背もたれにどっと身をあずけた。
財布は薄くなったが、向こうにATMがあるとも思えない。捕獲用の道具をレンタルできなかったら本末転倒だ。二人に借りるしかない。
すっと目の前に缶コーヒーが出てきた。
「お疲れさま」
ペギーだ。
やや苦い表情だが、ほほえみかけてくれるその表情は、いまは女神のそれに見えた。
「ありがとう」
「無事に出港できてよかったよ」
「まさかこんなところでトラブルになるとはね」
「……」
話しかけてきたくせに、ペギーからの返事はなかった。彼女は缶コーヒーを一口やって、浮かない表情で遠い目をした。
いったいなんなんだ。愛の告白でもする気か。それともこの場で俺を消すつもりなのか。
彼女はムリに笑ったような顔で、こうつぶやいた。
「いい思い出になったと思う」
「えっ?」
「いや、あとから思い返したらさ、たぶん、こういうのもいい思い出なんじゃないかなって」
唐突にセンチメンタルなことを言う。
「なんか、消えそうな人間のセリフみたいだぜ、それ」
「消えはしないよ」
ラウンジには、いま、俺たち二人しかいない。一子は海鳥を食料にすると宣言してここを出ていったし、三郎はそれを止めにいった。船員の姿もない。
二人きりだ。
「私たち、いいチームだったと思う」
「なんで過去形なの」
「ああ、うん。そうだね。まだ時間はある」
「……」
まさか本当に俺を消すつもりなのか。それともペギーが消されるのか。この船は、本当に妖精の島に向かってるんだろうな。
「あとからバレるのイヤだから、自分から言っておくね。私が山野さんに近づいたの、ナンバーズの情報を得るためだったんだ」
「マジかよ」
まあそうかもしれないと、少し考えたことはあるが。
「でも誤解しないで。機構に言われてやったことじゃない。自分たちの敵がどんななのか、個人的に知っておきたかったんだ。機構からは、むしろ止められてた」
「敵ねぇ……」
俺の言葉に、ペギーは弱ったような笑みを見せた。
「あくまでナンバーズのことだよ。きっと利害が対立するはずだから」
「俺に接触したのは? 六原くんに近づくため?」
「そう。そして彼に近づけば、お姉さんにも近づける。ナンバーズがどんな人たちなのか、理解できると思って」
「理解できた?」
この問いに、ペギーは少し噴き出した。
「ムリだよ。だってさっきのアレ……」
「まあ、理解しろってほうが難しいね。ナインにしても、ファイヴにしても……」
思いつく限り、理解できそうなメンバーがいない。
俺は話題を変えた。
「いつまで一緒にやれるの?」
「この仕事が最後かな。そろそろ事態が動き出すみたいだから」
「事態?」
「ザ・ワンが目を覚ますの。ナンバーズの過激派と穏健派が、利権争いをしてる火種。かつてこの国に災厄をもたらした忌み子だよ」
「えっ?」
「その子は、もともと機構の子供だったんだ。だけど、処分を逃れるために日本に隠すことになって……。機構は土地を持っていなかったから」
「そのワンってのが目を覚ますと、どうなるんだ?」
嫌な予感がした。
いや予感なんかじゃなく、確証だな。そいつのために、ナンバーズがあんなに必死になっているんだ。間違いなくデカいことが起こる。それも、とびきりヤバいヤツが。
ペギーはあきれたように笑った。
「どうなるかって? そんなこと、誰にも分からないよ。分からないことが起きるんだ。世界が滅ぶかもしれないし、人類だけが滅ぶかもしれない。あるいは神が復活して、すべてが救済されるのかも」
「……」
神だと? 救済だと? ありえるのか、そんなことが。いや、あるならいますぐにでもやって欲しいね。このクソみたいな世界を、クソよりはマシにしてくれるんなら。しかしそんなうまい話、あるわけがない。
「ムリを承知で聞くけど、山野さん、機構に入るつもりはない?」
「えっ?」
「私と一緒に世界を救わない? ううん、べつに救えるだなんて思ってない。ただ、機構のプロジェクトが成功すれば、そうなるって上は信じてる。私は信じてないけどね」
「いや、急にそんなこと言われても……」
「ま、そういう選択肢もあるってこと。考えておいて。もちろんだけど、答えを出すなら死体になる前に。もしそうなっちゃったら、もう契約できないから」
「ああ……」
しかしきっと死体になる、俺かペギーのどちらかが。
俺は機構につく気はない。ナンバーズにつく気もない。いままで通り、難易度の低い依頼だけを受ける。その中には、機構と敵対する仕事もあるだろう。彼女とは殺し合いになる可能性も出てくる。
そういうことになってしまうんだ。
これは哀しいとか哀しくないとか、そういうセンチメンタルな話じゃない。必然性の話だ。
俺は自分で考えたつまらないロジックを鼻で笑い飛ばしながら、ぬるくなった缶コーヒーのフタを開けた。間の抜けた音がした。
(続く)




