まだ終わってない
ニューオーダーについたのは、二十一時を少し回ったころだった。
三郎やペギーの姿はない。ナインもいない。もしかしたら、みんなで打ち合わせでもしているのかもしれない。あるいはなにも連絡がないところを見ると、とっくに解散したか。
カウンターでビールとナッツを買い、俺はいつもの席に腰をおろした。
サイードとかいう人物が近づいてくる様子はない。まあしばらく飲んで、適当に時間でも潰すとしよう。来なけりゃ帰ってもいい。
かと思うと、ペギーが来た。
「いたんだ?」
「こっちのセリフだよ。あのあとなんかあった?」
「なにもないよ。そのまま解散。そっちは?」
「ドライバー役で庁舎まで行くハメになったよ」
プシケを見た話は、とりあえず伏せておこう。この女は機構のスパイだ。
すると彼女は、いたずらっぽい笑みを見せた。
「途中、どこかに寄らなかったの?」
「寄らないね。まっすぐ庁舎へ向かったよ。俺はビジネスの最中に余計なことをしない主義でね」
特にそんな主義もないけど。
ペギーは声もなく笑い、ルートビアに口をつけた。湿布みたいなドリンクを顔もしかめずに飲む。
「それうまいの?」
「飲んでみる?」
「いや、いい。味は知ってる。ただ、好んで飲む人間がいるのかと思って」
「いるよ、ここに」
まあいいんだ。人の趣味に口を挟んでいたらキリがない。
ふと、ペギーが顔をあげた。
誰か来たのか。
俺もつられてそちらへ向くと、以前ここで見かけた黒人男性を見つけた。検非違使のあいつと同じくらいデカい。まあ、あそこまで筋骨隆々ではなく、スマートな体型ではあったが。
「どういうつもりだ、ペギー」
それが男の第一声だった。
ペギーはすまし顔だ。
「どう、とは? 私がプライヴェートをどう過ごそうが、私の勝手でしょ?」
「お前の行動には上も困惑してる。なんだってこんなこと……」
「敵を知り己を知ればなんとやらって、クラスで習わなかった?」
「ジ・アート・オブ・ウォーだな。そんな古典、まだ教えてるのか」
「別にいいでしょ。それより、なにしに来たの?」
「答える必要はない」
言いながら、男は勝手に席についた。
「あんたがサカエ・ヤマノだな? エイブラハム・P・サイードだ。用件はドクター・クロバネから聞いていると思う」
まあ、確かにお使いとは聞いていた。
しかしこいつはあきらかに機構の人間だ。そいつに検非違使がブツを渡すだと? どう考えてもヤバいやり取りだ。このハードジョブが無料とは……。
だが、俺に拒否権はない。
「これだよ」
俺がジャケットから封筒を取り出すと、サイードが手を出すより先に、ペギーが手を置いた。
「中身は?」
「……」
俺は知らない。
そして知ってるはずのサイードも答えない。
「ペギー、そいつをよこせ。余計な仕事はしたくない」
「私を死体にしてでも持ち帰りたいモノなの?」
「ああ、そいつの中身は、お前の命より重要だからな。お前はふざけているつもりかもしれないが、こっちはビジネスなんだ。邪魔する人間に俺たちがどう対処してきたか、お前も分かってるだろう」
「じゃああげる」
ペギーが放り投げると、サイードはイラ立ちを溜め息に変え、冷静に受け取った。中身も見ずに、ジャケットの内ポケットへ。
「確かに受け取った。ドクターには俺から伝えておく」
「確認しなくていいんですか?」
俺の念押しに、サイードはニッと笑った。
「ああ。生きてここにたどり着いたってことは、中に細工してないってことだからな」
「えっ?」
「というのは冗談だ。信用できる人間か、中身に興味のない人間をよこせって言ってある。あんたはそのどっちかなんだろう」
「その両方ですよ」
俺のジョークに、サイードはふっと鼻で笑った。それから一言も発することなく、店から出ていってしまった。
本当に、ただ荷物を受け取りに来ただけらしい。
ペギーがつまらなそうに溜め息をついた。
「あんな言い方しなくていいのに」
「君がふざけるからだろう」
「仕事中はいつもああなんだ。付き合いきれないよ」
「彼とは長いの?」
「長いね。私が十二のときから」
それは知り合った歳なのか。それとも仕事をするようになった歳なのか。怖いから聞かないでおくけど。
「それにしてもペギー、上から怪しまれてるっぽいけど……」
「気にしてない。自由にやれって言ったのは上だから。私は自由にやらせてもらうだけ」
「大丈夫なの?」
「乙女の秘密に踏み込むつもり?」
「そういうわけじゃないけど」
するとペギーは、にわかに吹き出した。
「なにその顔っ! 本気にした?」
こうして話していると、見た目に反して子供っぽいところがある。十九歳ってのは本当なんだな。
「からかうんじゃない。心配して言ってるのに」
「山野さん、そういうところあるよね。人のジョークを真に受けて、本気で心配しちゃうところ」
「単細胞なのは自覚してるよ」
「褒めてるのに。ほかの人たちは、もっとドライだよ。フレンドリーなのは、自分にメリットがあるときだけ」
「まあ、そうしたほうが生き残るんだろうな。他人の心配ばかりしてるヤツは、ここじゃすぐに死ぬ」
そういう淘汰の末に、こんな空気感になったんだろう、ここは。
いやもちろん、仲間のケアをマメにやってる連中もいる。ただしそのマメさは、チームを円滑に運営するためのものだ。チームでない人間には冷たい。
俺のような日和見主義とは違う。
ただまあ、こんな俺でも三郎とは気が合った。なんの得にもならない世話を焼く。しかし互いになにも強要しない。都合が合わないときは別々にやる。ゆるい関係だ。
ペギーがもし本当にスパイでないのだとすれば、この空気感に合ったってことかもしれない。
彼女はルートビアを一口やって、小さく息をついた。
「山野さん、この仕事向いてないかもね」
「……」
まあ、向いてないんだろうな。
*
翌日、昼まで寝ていた俺は、スマホの振動で叩き起こされた。
しばらく無視していたのだが、あまりにしつこい。画面を確認すると六原三郎からの電話だった。
「もしもし?」
「よう、まさか寝てたのか」
「そのまさかだよ。君と違って、毎朝六時にラジオ体操をするタイプじゃないからな」
「ナインが怒ってるぞ。早く来いってさ」
「えっ?」
そんな約束してないぞ。
二百万くれるってんなら話は別だが。
すると三郎ではなく、ナインの声がした。
「いまどこなんだ?」
「自宅ですよ。オフのつもりだったんで」
「互いの認識に齟齬があるようだな。いますぐ来たまえ」
「ここからだと二時間近くかかりますけど……。それでも構いませんか?」
「二時間!? まあいいだろう。可及的速やかに準備したまえ。寛容の精神で受け入れる」
なんだこいつ……。
*
十五時二十八分。
六本木――。
二時間のつもりが約三時間になってしまったが、まあ誤差の範囲だろう。俺はなんとか準備を整え、ナインの自宅を訪れた。
「時間にルーズな者は死ぬ」
それがナインの第一声だった。
今日もネクタイを締めて、一分の隙もない。自室にいるときくらいくつろげばいいのに。
かくいう俺もスーツだが、ネクタイは緩めている。サラリーマンに偽装できていればそれでいいのだ。ナインのようにオシャレでスーツを着ているわけじゃない。すぐダメになるから安物しか買わないし。
「事前に予定があれば、キッチリ合わせますよ。けど今日は特に予定なんてなかったでしょう?」
「言ったはずだ。時間がないと。君はこの危機的状況を楽観視しているのか? 友人として、はなはだ頼りない態度と言わざるをえないぞ」
すると横から三郎が口を挟んだ。
「おい勘違いするな。ここにお前の友人はいない」
そうだそうだ。勝手に友人を名乗りやがって。たぶんこいつ、女と一回寝ただけで彼氏ヅラするタイプだぞ。
いや待てよ、一回寝たら実際彼氏なのでは……。
ナインは眉をひそめた。
「君は黙っていたまえ。来週には機構が仕掛けてくる。そのことは、すでに説明してあるはずだ。一秒だってムダにできないんだぞ」
「そのわりには、ほかのメンツが揃ってないようですが」
ここには俺と、ナインと、三郎しかいない。
ナインはやれやれと首を振った。
「誰もペギーの連絡先を知らないんだ。仕方ないだろう」
「ほかは?」
「俺が雇ったのは君たちだけだ。始めるぞ」
「いやいや、始めるってなにを?」
「作戦会議だ。掛けたまえ」
昨日ぶっ壊されたドアはさすがに直ってはいなかったが、ぐちゃぐちゃだった部屋は綺麗に片付けられていた。マメなんだろう。時間にもうるさいわけだ。
ソファに腰をおろすと、コーヒーが出てきた。インスタントじゃない。豆をひいたやつだ。ありがたいんだが、対応がいちいち大仰のような気もしないでもない。
ナインが腰を落ち着けたのを見計らい、俺はこう尋ねた。
「作戦というのは?」
「過激派と出雲が親睦会をするという情報は、こちらでも裏を取った。場所は山梨の料亭。機構もきっとそこを襲撃するだろう」
「でもそれ、悪趣味だから行かないって言ってませんでしたっけ?」
「あのときはそう判断した。しかしよくよく考えた結果、無視するわけにはいかないことに気づいた」
「はあ」
思いつきで方針を変えたってことか。
彼は香ばしいコーヒーをすすり、深く呼吸をしてから続けた。
「セヴンの計画したことだ、きっと裏があるだろう」
「裏?」
「ああ、裏だ」
「その、裏とは?」
「それなんだがな……」
以下、沈黙。
いや、なにか言ってくれ。それがなんなのか分からないことには、こちらとしても反応できんぞ。まさかとは思うが、具体策もなしに俺の睡眠を妨害したのか。ここがアメリカなら訴訟モンだぞ。
すると突然、ドアホンが鳴った。
新聞の勧誘か? それとも公共放送の徴収か? いずれにせよ、せめて三郎がキレない相手であって欲しいな。
ナインがモニターを覗き込み、小さく唸った。それから玄関へ。
「なぜここに」
「みんな待ってたんじゃない?」
ペギーの声だった。
リビングへ移動しながら、ナインはこう尋ねた。
「まさか盗聴してたんじゃないだろうな」
「女の勘、ということにしておいて欲しいな」
盗聴だな。
今日の彼女はバイクではないらしく、ライダースーツではなかった。丈の短いワンピースにカーディガンを羽織った春らしい格好。パステル調の色合いが、褐色肌をより健康的に見せていた。
彼女はソファに腰をおろすや、こう語りだした。
「彼らの計画には裏があるよ。機構に出雲を潰させるってのはフェイク。実際には、過激派と出雲で手を組んで、機構を返り討ちにする作戦みたい」
あきらかに盗聴してますよ。
ともあれナンバーズの過激派は、煮え切らない穏健派を切り捨てて出雲と手を組み、新しい秩序を作る気なのかもしれない。そのための共同作業が、今回の迎撃作戦というわけだ。
コーヒーの準備をしていたナインが、ふと手を止めた。
「出雲と組む? それは事実なのか?」
「当日どうするかはセヴン次第だけど、私が手に入れた情報ではそうなってる」
「どこから手に入れた情報だ?」
「それを教えるのはプロのやることじゃない」
「信用の問題だ」
「お邪魔なら帰るよ」
「いや、座っていてくれ。コーヒーを出す」
ペギーのほうが一枚上手か。
しかしいったいどういうつもりだ。
彼女は機構のために動いているのか? それとも機構とは距離をとって、個人で行動しているのか?
俺はペギーに尋ねた。
「機構はその情報をつかんでるの?」
「さあ、どうだろうね。仮に知っていたとして、作戦を変えないんじゃないかな」
「なぜ?」
ペギーは肩をすくめた。
「数字の問題さ。出雲とナンバーズ、同時に叩き潰せるだけの戦力を投入するはずだから」
おっとこれは……。
ヘタをすると、機構に数で蹂躙された挙げ句、妖精文書までぶん取られる可能性が出てきた。そして過激派が壊滅すれば、ナンバーズ自体も弱体化する。
俺としてはどっちでもいい話だが、依頼主のナインはそれを望まないだろう。
ナインは考え込んだまま、ドリッパーを見つめている。
三郎は暴れられればそれでいいらしく、この場で意見を出す気もなさそうだ。ペギーも傍観者を気取っている。
答えは出ない、か。
いや待てよ。セヴンは確か天下三分の計とか言っていたな。俺もこいつを応用させてもらうってのはどうだ。策士を策にハメるにはうってつけだ。
「ひとつ、提案があるんですがね」
俺はある種の確信をもって切り出した。
この策で行けば、おそらく機構は追い払えるだろう。その結果、どうなるかまでは知ったこっちゃないが。
(続く)




