セカンドジョブ
ナインはネクタイを整え、演技じみた咳払いをした。
「少なくとも、一つだけハッキリさせておきたい。機構がナンバーズへの報復を企てていることは知っているな? おそらく機構は、各個撃破しやすい中立派から潰しに来るだろう。問題を起こした過激派ではなく、だ。なにせ中立派には後ろ盾がない。これも君の望んだことなのか?」
この詰問の間も、横でマスターのシェイカーを振る音がずっと鳴り響いていた。
セヴンもやや苦い表情だ。
「だから、次の手も考えてあるって言ったでしょ」
「聞かせてくれ」
「妖精文書が出雲の手に渡ったという情報は、当然、機構も知ることになるでしょうね。あいつらのインテリジェンス部門は優秀だから。そしたら機構は、次のターゲットを誰にすると思う?」
そうでなくてもここにペギーが同席しているのだ。きちんと伝わるのは間違いない。
ナインは表情をゆがめた。
「まさか、出雲と潰し合いをさせる気か?」
「来週、出雲が山梨まで出てくることになってるわ。アタシたちとの親睦会のためにね。危ないとしたら、その席かしら」
「出雲まで敵に回すぞ。二正面作戦どころじゃない」
「結果は見てのお楽しみよ。なんだったら、あなたたちも来る? 楽しいものが見られるかもしれないわ」
これにナインは肩をすくめた。
「いや結構。君の悪趣味に付き合うつもりはない。ただし、結果はあとで報告するように。これはナンバーズとしての義務だ」
それだけ告げて、店を出て行ってしまった。
いやいや、仕事終了かよ。
俺も後を追おうとすると、「待ちなさい」と黒羽麗子に掴まれた。
「えっ?」
「まだ飲んでないわ。置いて行かないで」
「俺だけ?」
「飲んだら運転できないでしょ」
すると三郎が、笑いを堪えながら言った。
「山野さん、そっちは任せたぜ。ナインには俺から伝えておくから」
「あ、おい……」
斜め上を見つめる姉を引きずりながら、三郎も行ってしまった。ペギーも爽やかな微笑で退場。
結果、俺と黒羽麗子だけが残された。
いや、セヴンも残った。
「確か、山野栄さんよね……。いまいちパッとしない組合員だけど、なぜか最近、この業界にぐいぐい首を突っ込んでる」
「巻き込まれてるだけですよ」
「六原三郎なんかと関わり合いになるから」
セヴンの指摘する通りだ。あいつと関わったせいで、本当にぐいぐい巻き込まれてしまった。
俺もカウンター席につき、アイスコーヒーをオーダーした。
「六原くんとは、話が合うんだよなあ」
「あんたもオタクなの?」
「まあ、彼ほどじゃないけど」
「この業界、ああいう話が通じるの全然いないからね。でもあいつ情弱でしょ? 趣味が合うからって、話まで合うわけじゃないでしょ?」
「まあ、まともな教育も受けてないし、常識が怪しいところもありますけど……。少なくともバカじゃないですよ。頭の回転は、そこらの人間より早いんじゃないかな」
「なるほど。見かけや経歴で判断するタイプじゃないってワケね」
なんだ。俺はいま面接でも受けてるのか。
「いや、俺だって見かけや経歴で判断することもありますよ。けどアレは、なんか存在からして違うっていうか」
「ある種の天才よね。それより、黒羽麗子と一緒に来たからびっくりしたわ。和解したワケ?」
これには麗子が反論した。
「してないわよ。出会い頭に襲われそうになったけど、それより先にお姉さんが動いてくれたから」
おかげでナイン宅のインテリアが犠牲になった。
セヴンは小さく溜め息をつき、カウンターに身を乗り出した。
「六原一子ね……。あの女、結局のところどうなの? 書記長として、ナンバーズを運営していくつもりはあるの?」
「あるわけないでしょ。自分がお腹いっぱいになることしか考えてないんだから」
「となると、やっぱり思想を持った人間が、改革を進めていく必要があるわね」
「決められたフレームの範囲でね」
「そのフレームがもう古いって言ってんの。アタシたちはザ・ワンを抱えてんのよ? ビジネスになるだけじゃない。地位の回復も兼ねてる。人権問題なのよ、これは」
「そんな問題、とっくになくなってるでしょう。江戸時代じゃあるまいし」
ん?
もしかしていま、過激派と穏健派が会談してるのか。
セヴンがイライラと髪をかきあげた。
「あんたの一族は事業に成功したからいいかもしれないけどね。多くの同胞たちは、いまもこの能力を奇妙に思われて排除され続けてるの。おかげでまともなところに就職もできず、この業界で底辺を這いずり回ってる。そういう問題を、あんたは理解してないの?」
「まともなところに就職できないのは、大人たちが怨念を植えつけてるせいでしょ? 各家庭の教育の問題よ。学力でなく、思想のね」
「ムカつく女ね。それ飲んだら帰りなさいよ。検非違使の犬になりさがって、けがらわしい」
*
帰りの車、運転席についた俺は少々まごついた。
免許はある。実際、教習所でもやった。しかしマニュアル車をいじるのは久しぶりだった。ここ数年、ATしか運転してこなかった。
まあ黒羽麗子の足さばきはじっくりと観察したし、大丈夫だと思うが。
助手席に乗り込んだ麗子が、深く息を吐いた。
「庁舎までお願い」
「えっ?」
「なに? 当然、そうなるでしょ?」
「はあ」
ナインの家までだと思い込んでいたが、確かに、あそこに帰る意味もない。しかしそうなると、俺の帰りの足がない。タクシー使うか。
麗子がシートベルトをしたところで、俺はエンジンをかけた。
「しかし大変ですねナンバーズってやつも。内部分裂しかかってる挙げ句、外からつつかれてて」
「うんざりするでしょ? 確かにセヴンの言うように、私たちはその能力を周囲から忌避されてきたわ。実際、黒羽や六原の集落も、鎌倉時代に隔離されてつくられたって話だし」
「鎌倉時代……」
えーと、何年前だっけ……。
俺が車を走らせると、麗子は少しだけシートを倒した。
「けど大正のころ、ある事件を解決した仲間たちが、その功績によって名を上げたのよ。そのとき結成されたのがナンバーズ」
「ある事件?」
「ザ・ワンが暴走して、それを鎮めたの。まあともかく、ナンバーズが結成されたからといって、すべての能力者が包摂されたわけじゃなかった。西日本には、古くから出雲長老会っていうのがあってね。彼らは新参のナンバーズを快く思ってなかった。なにかというと、すぐに物言いをつけてきてね……。まあ、長いこと争ってたのよ」
「そんな組織に妖精文書を渡したんですか?」
「ナインさんが怒るのも分かるでしょ?」
しかもただ渡しただけじゃない。なんらかの取引をした。その上で、機構と出雲をぶつける作戦らしい。
いや、それはいいんだ。俺が気になるのはただ一つ。成功報酬は出るのかってことだ。ナインが妖精文書を諦めるなら、この仕事は終わりということになる。目的も達成していないのに金だけよこせと言うのもなんだけど……。
*
都内某所、検非違使庁舎――。
到着まで二度もエンストを起こし、後ろからクラクションでビービーやられた。この国の余裕のなさには辟易する。
ともあれ、黒羽麗子とともに庁舎へ入った。いや入る必要もなかった気がするが。
「少し寄っていきなさい」
「はあ」
まさかたった一杯のカクテルで酔ったわけではあるまいが、黒羽麗子の言動はいささか不審なものであった。
エレベーターを使い、地下へ。
病院を思わせるまっしろな廊下に出た。人の姿はない。麗子のヒールの音がやけにカツカツと響いた。
「どうぞ、入って」
通されたのは、診察室も兼ねた執務室だ。怪我をした組合員はまずここへ通される。ベッドも聴診器もある。普通の診察室と違うのは、壁一面にモニターがあるという点だけ。
黒羽麗子はなにやらパソコンを操作し、モニターの一つを切り替えた。
画面の中では、一人の妖精がベッドに寝かせられていた。
「あなたが救出した三角さんよ。四肢も関節部まで回復しつつある」
「え、これが?」
以前はほぼ胴体しかなかったのに、その手足は、肘と膝まで回復していた。むしろ髪の伸びるほうが遅い。
「会話もできるわ。自由に動けるようになるのも時間の問題ね」
「彼女は、なにか特別な妖精なんですか? 見た感じ、ほかの妖精と変わらない気がするんですが」
「彼女が妖精の母なの。始祖とも呼ばれているわ。いままであなたが見てきた妖精は、全部彼女のコピーよ」
「えっ……」
コピーなのだとしたら、顔が同じなのも納得できるが。
麗子はビーカーでコーヒーを淹れはじめた。
「通称プシケ。神の復活に必要な素材の一つよ。プシケ、妖精文書、ザ・ワン、それに四つの力があれば、神は復活すると言われているわ」
「四つの力というのは?」
「ある種の能力のことよ。六原の風の力、ハバキの水の力、土蜘蛛の大地の力、赤城の火の力。まあ代用は効くから、必ずしも彼らの手を借りる必要もないんだけど。海外にもそれぞれ能力者がいるしね」
「じゃあ替えが効かないのは、前者の三つだけってことですか」
すると黒羽麗子は、どっと背もたれに身を預けた。
「そして検非違使は、神の復活を阻止しようとしている」
「はあ」
「分かってる? プシケがいなくなれば、神は復活しなくなるのよ」
「えっ……」
まあ確かに、必要条件が失われれば完成しなくなるんだろう。あるいは意図的に破壊されるなどすれば。
つまり、三角を殺せば。
麗子は深く溜め息をついた。
「貴重な存在だから、上もさすがに殺せとは言わないでしょうけど。それでもプシケを解析し尽くしたのち、妖精タンクに封印する可能性はある」
「保護できないんですか?」
「機構は妖精を道具としか思ってないし、可能性があるとすればナンバーズだけでしょうね。だけど、そのナンバーズもそろそろ危ないわ。哀しいけれど、彼女には犠牲になってもらうしかない」
「……」
なんだ?
黒羽麗子は俺になにを伝えたいんだ?
まさか、妖精を連れて逃げろと? そんなヒロイックな真似、この俺に期待してるわけないよな?
しばし無言となり、時計の秒針だけが響き渡った。
画面の中で、妖精は虚空を見つめている。
ふと、コンコンとノックがあり、女が入ってきた。
「失礼します」
ドアが開いた瞬間、俺もそうだが、彼女も唖然となった。
例の、義足の女だ。
彼女は不審そうな目で俺を見てから、やむをえずといった様子で小さく頭をさげ、麗子に尋ねた。
「取り込み中ですか?」
「気にしないで。今日はどうしたの?」
「足の調子がよくなくて」
「痛むの?」
「少し」
彼女は刀を立てかけると、ベッドに腰をおろした。
というかこの人、庁舎でも刀を持ち歩いてるのか。なぜ銃じゃないんだ。
「俺、席外しましょうか?」
「大丈夫よ、すぐ終わるわ」
麗子は言いながら、彼女の義足を手際よく外した。
あまりじろじろ見ては悪いと思い、俺はモニターへ目をやった。妖精はピクリとも動かない。退屈な映像だ。
「私、倉敷弓子と申します」
義足の女が、突然そんなことを言い出した。
俺に言ってるんだよな?
「あ、どうも。山野栄と言います。申し遅れまして……」
「ナンバーズ・ファイヴと交戦したそうですね」
「ああ、新宿で少しね」
すると弓子は、特に感情を動かした様子もなく、淡々とこう続けた。
「私の足、あの人にやられたんです。上司の命令も聞かず、前に飛び出してしまって。気をつけてくださいね。内側から腐敗しますから」
これに麗子がフォローを入れた。
「けど、この程度で済んでよかったわよ。あなたはまだ走ることもできるし、戦うこともできるんだから」
「先生の治療のおかげです」
「あら、ここに少しこぶができてるわね。どこかにぶつけたりした?」
「ターゲットを追って二階から飛び降りたので、もしかするとそのときのかもしれません」
「先に言いなさい」
二階から飛び降りて、こぶ一つで済んだのか。
義足が優秀なのか、弓子本人が優秀なのかは分からないが、なかなか頑丈にできているようだ。
「ヘタにいじらないほうがよさそうね。帰ったらアイシングして。松葉杖あるけど、使う?」
「いえ、自分で歩きます」
義足をつけた弓子は立ち上がり、「失礼します」と部屋を出ていった。
さすがに現場で活躍しているだけあって、タフな女だ。
ドアが閉まるや、麗子は小さく息を吐いた。
「まだ若いのにね。仕事で足を失って……」
「かなり若いですよね? 俺の気のせいかと思ってましたけど」
「まだ十九よ。いろいろあって、高校を卒業する前にここに来ることになってね……。本人は納得してるみたいだけど……」
ペギーと同い年か。
彼女と違い、弓子は年相応に見える。
「コーヒーできたから、飲んで行って」
「はあ、いただきます」
いやまあ、ありがたいんだけど、結局のところなんの用だったんだ? 妖精を見せたかっただけか。
気を抜いていると、黒羽麗子はメガネを拭きながらこうつぶやいた。
「ところで一つ、お使いを頼まれて欲しいんだけど」
「えっ?」
「このあとニューオーダーに行くわよね? そこである人物に、これを渡して欲しいの。向こうから接触してくるわ。サイードって人」
彼女はひきだしから茶封筒を取り出し、デスクに置いた。
「な、中身はなんなんです?」
「知る必要はないわ。お金は出せないけど、あとで別の形でボーナスが出せると思う。やってくれるわよね?」
「はぁ……」
強引な物言いだな。まあ、荷物を渡すだけならいいけど。
しかしサイードって誰だ? 聞いたことのない名前だ。
(続く)




