蛇の巣
結局、ああでもないこうでもないと揉めまくった挙げ句、検非違使への要請はしないことで合意した。
おかげで昼前集合だったのに、品川についたのは十五時過ぎになっていた。ナインと麗子の車に分乗したおかげで、ぎゅうぎゅう詰めにはならなかったが。
到着したのは、一見なんの変哲もないマンションだった。しかしスロープや手すりなどが完備されているところ見ると、バリアフリー住宅のようだ。
「おせーぞ、クソども」
突然、背後から罵声を浴びせられた。
車椅子に乗ったスキンヘッドの若者だ。凄まじく目つきが悪い。
電動式なのか、本人が漕いでもいないのに、後ろに誰もいないのに、すいすいとこちらへやってきた。
「言っておくが、俺の家にはないからな。正確にはさっきまであったが、蛇どもが持っていきやがった」
こいつがナンバーズ・トゥエルヴか。車椅子というから老人かと思ったが、予想外に若い男だった。俺と同じく二十代中盤ってところか。
ナインは溜め息をつき、こう尋ねた。
「どこへ持って行ったんだ?」
「知るかボケナス。なんの説明もナシに来て、いきなり持っていきやがったんだ。まんま泥棒じゃねーか。ぶっ殺すぞ」
「その言葉がフェイクでないといいがな」
「なんなら見てくか? ついでに後ろ押してくれ。ナイン、てめーじゃねーぞ。そっちの女。お前が押せ」
一子が動き出すと、トゥエルヴは目を丸くした。
「いやいや、てめーじゃねーっ! てめーは触んなっ! そっちの女だっ!」
すると黒羽麗子が動き出した。
「いやいや、てめーでもねーっ! 若いほうだっ! 若くてきれいな女に押されてーんだよ俺はっ!」
麗子のひたいに青筋が浮かんだが、見なかったことにしよう。
ペギーが車椅子の後ろに回り込んだ。
「これでいいかい?」
「おう、それでいい。できれば、もっと密着して押してくれるとありがてーな」
「それは命と引き換えにしてでも叶えたい望みなの?」
「ん? そういやてめー、機構の……」
そうだよ。ここには危ないヤツしかいないんだ。女の好みにうるさいやつは、それだけで死にかねない。
俺たちはトゥエルヴの自宅にあがりこんだ。
生活感がないというか、生きるのに必要なもの以外、なにもない部屋だった。趣味もなにもなさそうだ。
「好きに見て回れ。見られて困るようなモンはなにもねーからな」
「殺風景な部屋だな」
ナインの感想に、トゥエルヴはなぜか得意顔で応じた。
「俺がいかに無気力な人間か分かるだろ?」
「君ほどの女好きでも、無気力って言うのかね」
「足をダメにされた副作用で、ちんちんも勃たねーんだぞ。ぱいおつ揉んだところで、うんともすんとも言わねぇ。無気力にもなるだろ」
「空元気には見えないが」
「まあ俺には、すべてを補ってあまりある才能があるからな。テンションもさがんねーワケよ」
ずいぶん強気だ。
ところでこの会話の最中、みんな棒立ちである。誰も妖精文書を探していない。というより、おそらく「ない」のだ。調べるまでもない。
「蛇はどこへ行ったと思う?」
「どうせあの溜まり場だろ? ヘヴィー・スネークとかいう」
「板橋か……。厄介だな」
「殺しに行くなら手伝うぞ。あいつら土足で踏み込んで来やがって。掃除のおばちゃんが困ってたぞ」
「交渉に行くんだ。殺しじゃない」
ナインはそれだけ告げると、トゥエルヴに背を向けた。
「邪魔したな。これで失礼する」
「死ぬなよ。俺が殺すまではな」
*
トゥエルヴ宅を出た俺たちは、車で板橋を目指した。
黒羽麗子が六原姉弟の同乗を嫌がり、機構のペギーをも忌避したため、こっちの車に乗ったのは俺だけだった。
美人女医と二人きりのドライヴ。
しかし会話はない。
いや、頑張って会話しようとはしたのだ。なのに黒羽麗子と来たら、あの調子で事務的な返事しかしてくれない。じつに冷たい女だ。冷たい女ではあるが、ペダルを踏む足はなかなか見ものだった。彼女のスカートが短さは、なにか意図があるのではないだろうか。この謎を、ぜひとも解明しなくては。
「ちょっと、山野さん」
「は、はい?」
「じろじろ見るのやめてくれる? 運転に集中できないわ」
「ごめんなさい」
クソ、会話がないんだから、足を見るくらいしかすることがないだろ。窓の外なんか眺めてたって、灰色のビルとサラリーマンしか見えないんだから。
「で、なんなの? ナンバーズの内ゲバに、なんで部外者が参加することになったの?」
「俺? ナインさんから直接誘われたんですよ」
「あなた、ランカーだったっけ?」
「いえ、違いますけど……」
ランカーは三郎だけだ。俺はルーキーとは言えないが、中堅と言うには名が売れてなさすぎる。ただのペーペーだ。
麗子は溜め息をついた。
「なんだってこんな使えなさそうな……」
「えっ?」
「彼女はどうなの? マル……なんだっけ、機構の……」
「ペギーですか?」
「そう、そのペギーさんよ。なんで彼女が一緒なの? 彼女もナインさんが?」
やたら操作がヒステリックだと思ったら、マニュアル車だ。いまどき珍しいな。
「いえ、誘ってないんですけど、勝手に入ってきちゃって」
「それ、機構の介入を許してるってことよね」
「俺もそう思うんですけど……」
「ホントに抜けてるんだから……」
じつに面目ない。
いやナインのことを言ったんだろうけども。
彼女は、ふと横目で俺の顔を確認した。
「そういえばあなた、例の襲撃の……」
「えっ?」
「三角さんの救出に参加したのよね? ほら、群馬の研究所の」
「ああ、はいはい。行きました行きました。けど、三角さんっていうのは?」
「あなたたちが助けた妖精の名前よ。彼女がまだ日本語を話せなかったころ、自分の名前を図形で書いてたから。それで三角」
「はあ」
特別な妖精とは聞いていたけど、言葉を話すとは。
彼女は妖しい笑みを浮かべながら、ギアを一段上げた。
「ところで山野さん、検非違使の協力者にならない?」
「はっ?」
この人、いきなりなにを言い出すんだ。
「べつに入庁しろって言ってるんじゃないわ。ただ、うちから流した仕事を見かけたら、なるべく受けて欲しいって話」
「ナンバーズの仕事は?」
「そっちはいいわ。ただのサークル活動だし。本業は検非違使よ」
「黒羽グループは? 跡継がないんですか?」
「姉が継ぐんでしょ。私の専門は汚れ仕事」
この言葉を聞いたとき、嫌な想像が働いた。
「汚れ仕事? じゃあ、六原くんの家族を殺ったのも……」
すると黒羽麗子は眉をひそめた。
「その話する? まあ私の一族が殺ったのは間違いないから、他人事だとは言わないけど」
「どういうことです?」
「一族同士の抗争よ。黒羽と六原は、隣接する集落で暮らしていたの。もっとも、うちは祖母の代で東京に出ていたから……。事件を知ったのは、すべてが終わったあとだったけど」
「じゃあ、無関係なんじゃ……」
「うちは黒羽の宗家よ。事件を止めることができたはずなのに、それをしなかったんだから。恨まれるのもムリはないわ。あの一件で六原一族は、たった二人の姉弟を残して皆殺しになったんだし」
「み、皆殺し?」
そこまでの大虐殺とは……。いったい黒羽は、なにをやらかしたんだ。
「あら、知らなかったの?」
「あんまり立ち入ったことは聞いてないんで」
「そう。けど残念ながら、私もすべてを把握しているとは言いがたいわね。二つの集落は、なかばライバルのような関係だったとはいえ、殺し合うような仲でもなかったはずなの。小競り合いから総力戦になったという話もあるけど……。先に六原が仕掛けてきたという話もあれば、黒羽から仕掛けたという話もある。結局、真相はいまだ闇の中ってわけ」
想像していたのとはだいぶ違った。
しかしこれでは、三郎たちの怒りのやり場がない。
「お姉さんは理解してくれたんだけど、弟のほうがね……」
「はあ」
三郎は、黒羽麗子の殺害依頼を受けようとしていた。本気だろう。いま怒りを抑えていられるのが不思議なくらいだ。
前を走るナインの車が減速したので、麗子もブレーキを踏んだ。
「ともかく、仕事の件は考えておいて。いい仕事をしてくれたら、組合に出してない仕事も回せると思うわ」
「はあ」
余計にヤバい仕事が回ってきそうなんだが。
*
十六時五十七分。
板橋区某所。
コインパーキングに停車し、車を降りた時点で、異様な気配に気づいた。
揃いのパーカーを着たひょろ長い連中が路上に数名たむろしており、じっとこちらを睨んでいたからだ。
治安はよくなさそうだ。スプレーで、壁の至るところに落書きがしてある。なんらかの文字のようだが、デザインが独特すぎて読めない。
「こっちだ」
ナインは構わず歩を進めた。
店があるのは地下。
ドアを開いた瞬間、わっと音楽が響いてきた。
ジャンルはよく分からないが、やたら刻まれたビートとリズミカルな重低音、そしてビームのような電子音が、ひっきりなしに鳴り響いていた。
俺たちが店へ足を踏み入れると、客が一斉にこちらを見た。薄暗い店内に、彼らの三白眼が不気味に反射した。
「いらっしゃいませ」
カウンターにいたマスターが声をかけてきた。
口ひげを生やしスーツなどを着てはいるが、例に漏れず三白眼で、ひょろながかった。
ナインは席に腰もおろさず、カウンターに寄りかかった。
「七番目の友人に取り次いでくれ」
「残念ですが、ただいま頭領は席を外しておりまして」
「どこにいる?」
「スケジュールの詳細についてはお答えいたしかねます」
するとナインは、カウンター脇にあった電卓を手に取り、なにやら数字を打ち込んだ。
「俺たちがここで不適切な行動をとったら、損失はこのくらいになるかな?」
「マルが二つほど足りないかと」
「それは妖精文書の価値と釣り合うのかい?」
「……」
マスターが口をつぐみ、三白眼をギョロリと動かした。
嫌な予感がする。
まさか、本当に「不適切な行動」に出るつもりか。
かと思うと、カウンターの奥からロン毛でタンクトップの男が出てきた。眉毛がない。
「いいわ、アタシが対応する」
「お願いします」
アタシとな……。
マスターと入れ替わったそいつは、チロチロと舌を出した。
「はじめてのコははじめまして、アタシがナンバーズ・セヴンよ。それで? 大勢で押しかけてきて、なんの用なの?」
ナインは乱れてもいないネクタイを整えた。
「なんの用かは、言わなくとも分かっていると思うが?」
「妖精文書ならここにはないわよ」
「ふん、だったらどこにあるというんだ?」
「出雲」
「えっ?」
いつもはすまし顔のナインが、いままで見たことのないような顔になった。
対するセヴンは余裕の表情。
「出雲よ、出雲長老会」
「な……それは……事実なのか……?」
「もちろんタダでくれてやったわけじゃないわ。取引したのよ。あんたが懸念しているようなことは起きないわ」
「君は正気か? 自分のしたことを理解しているのか?」
これにセヴンは、うるさそうに顔をしかめた。
「理解してるに決まってるでしょ? 言うなれば、これは現代版・天下三分の計よ。ザ・ワンはナンバーズが管理する。妖精文書は出雲が管理する。そしてプシケは検非違使が管理する。これでパワーバランスが安定するでしょ?」
「機構に各個撃破されて、全部持っていかれるぞ。連中に攻撃の口実を与えるだけだ」
「当然次の手も打ってあるわよ」
「聞いてないぞ。そういうことは、事前に会議で報告しておくべきだろう」
「冗談はよしてよ。あの平和ボケしたお茶会で、なにが決まるっていうのよ」
「必要なプロセスだ」
なるほど、おカタい保守派と、とにかく変化を求める革新派の対立ってわけか。俺もサラリーマンだったころ、こういうやり取りを何度か見た。
するとセヴンは目を細め、一子を見て鼻で笑った。
「だいいち、書記長さまがそのザマじゃね」
「……」
一子は口を半開きにして、虚空を見つめていた。
こんなのがナンバーズの書記長なのだ。同情するにあたいする。いまだってきっと肉のことしか考えていない。
黒羽麗子がうんざりと溜め息をつき、カウンター席についた。
「カシスオレンジを頂戴」
「はっ?」
「話が長すぎるのよ、ナンバーズ・セヴン。飲みながらじゃないと付き合いきれないわ」
「黒羽の分際で……」
「ここ、バーでしょ? 客のオーダーも聞かないの? それとも営業許可とってないのかしら?」
「マスター、お願い」
セヴンは鼻にしわを寄せ、奥歯を噛んだ。
(続く)




