第八話 廃墟での一夜
すっかり日も落ちた宵闇の中。
異世界の廃墟を前にして、ちくわが思うことは次の四つだ。
1.人骨がありませんように。
2.ゴースト系モンスターとかの巣窟でありませんように。
3.山賊とかのねぐらでありませんように。
4.世界の終末に直面した人の日記帳とかありませんように。
薄闇の中、隣のエファが、明らかに立ちすくんでいるのがわかった。
窓越しに内懐の闇を見せる廃墟の異様に怯えているのか、はたまたこの現実を受け入れたくないのか。
ちくわはなるべく明るい声で言うよう心がけた。
「落胆するのは、中を見てからにしようや。案外綺麗なベッドの一つもあるかもしれない」
ちくわは率先して廃墟へと歩み始めた。
エファはすぐ後ろからついて来た。
廃墟には井戸があった。
敷地内には[セーブポイント]を示すものなのか、かなり大きな円形の石版も横たわっていた。その表面には魔法陣が刻まれている。
肝心の廃墟のほうだが、はっきり言って何もなかった。
家具がなく、窓枠にはまっていたであろうガラスすらなかった。割れたにしては残骸がないので、以前の住人が家財と一緒に持っていってしまったのかもしれない。
幸いにも、廃墟の中には暖炉があった。
おあつらえ向きに焚き木まで部屋の隅に無造作に山積みされている。森まで取りに行く必要はなさそうだ。
やはりというべきかベッドはなかったが、
懸念した人骨・日記帳のたぐいも、ありはしなかった。
異世界でのちくわとエファの、長い長い一日の終点。
廃墟で二人は夜を明かす。
夜になってもそれほど冷えることはなかったが、照明の為に暖炉で焚き木を燃やした。
ちなみに火をつけたのはエファだ。彼女は藁束を火口にして、火打石を金属に打ち付けて火をつけた。
これは、ちくわもやり方を練習しておくべきだろう。
暖炉に火が入ると、自然と食事ということになった。
ちくわは革鎧や小手を外した。
体が妙に軽くなった気がしたが、同時に間接がギチギチと軋みを上げて、一日の疲労を訴えてきた。
エファがハンカチを敷いてその上に座ろうとしていたので、ちくわはリュックの中に入っていたポンチョを貸してやった。
さあ、食事だ。
二人は井戸水をフライパンで沸かし、木の器に移して飲んだ。
食べ物は、グーで叩くと〈コッコッ〉と音がするパンと、ドライフルーツ。
干し肉もあったので、ちくわがベルトに差していたナイフで切り分けたのだが、これはもっと細かく切るべきだったとすぐに後悔。
「……デュル」
「今のはわかったぞ。[硬い]って意味だ」
エファは手でちぎった干し肉を口の中に入れ、咀嚼していたのだが、今はちくわの指摘に手で口元を隠しながらこくりと頷いている。
ちくわももぐもぐやっている。干し肉は噛んでも噛んでも飲み下せそうに無い頑固な代物だった。おまけにゴムみたいに弾力があるばかりで、味気無い。
「ひどいな。革靴でも噛んでるみたいだ」
「ヒドイナ?」
「ああ。[ひどい]」
ちくわは[こういうのを言うんだ]と干し肉を指差しながら『ひどい』と言った。
「ヒドイ……」
エファは口中に干し肉を持て余しながらつぶやいた。
埃っぽい廃屋に『ヒドイ』という言葉が、妙にわびしく漂うのを感じた。
「エファ、ちょっとパン返せ。この世界の食いもんは、きっとポテトチップみたいに薄切りにして食うもんなんだ」
ちくわはカードの入った大きいほうの木箱をまな板にして、パンを薄くスライスした。水気を失くしたカチカチのパンがナイフを動かすたびにパンくずをこぼす。
パンは雑穀で作られたものなのか、変な風味があり、有体に言ってまずかった。
一番増しだったのはドライフルーツか。
エファがドライフルーツを食べてこう言った。
「フゥン。ボン」
「ボン、おいしい?」
「オイスイ?」
ちくわはドライフルーツを口に入れて、指で丸を作った。
エファも口元を隠して微笑む。
「ウィ。ボン。オイスウィ」
「おいしい」
「オイスィ」
微妙な発音の違いがくすぐったくて、ちくわは顔が緩んだ。
エファも微笑んでいる。
この異世界における、初めての食事の風景だった。
食事をしながら、ちくわとエファはあれこれと話をしようとした。
とても苦労した。
エファはちくわに何事かを懸命に確認しようとしていた。
ちくわもちくわで、エファに記憶があるのかどうかを尋ねたかった。
そして二人で話をする内に、二人がお互いに尋ねたかった事が、どうやら同じことであるらしいと気付いた。
二人がお互いに確認したかったのも、つまり次の事。
『あなたは以前の記憶を有していますか?』
これである。
ちくわとエファが互いに[そうだ]と気付いた時には、『アッ』という顔でしばしの間硬直したものである。
かくして、どうやらエファも、以前の記憶は無いらしいということが判明したのであった。
果たして自分たちはどうしてこんな所におり、記憶も失くしてこんな事をしているのか、謎は深まるばかりである。
あれこれと大変だった食事を終えると、次は寝ようという事になる。
扉が健在とはいえ、鍵すら掛からぬ廃屋での一夜だ。
火を絶やす気にはなれないし、見張りだって必要だろう。
ちくわの男心的には『夜っぴてオレが見張りをしてる、女は安心して寝ておけ』とでも言っておきたいところなのだが、幸か不幸かちくわはクレバーにして慎重な面もある男。
これから何夜このような夜が続くとも知れないのだ。
ちくわも睡眠はとっておくべき。
「交代で寝よう。一方が寝ている時に、一方が見張りをする」
ちくわはエファの見ている前で、砂だらけの床に[立ってる人間]と[寝てる人間]を描き、両方を矢印で時計回りに結び合った。
「わかったか?」
「ウィ」
エファの両目には理解の色が浮かんでいる。
始めはちくわが見張りをする。
ちくわは抜き身の剣を脇に置きつつ、窓下の壁に寄りかかった。
火の中で焚き木のはぜる音や、外で森の木々が風でざわめく音に耳を澄ませる。
なんだか、無性に[冒険してる]気分になった。
変な話だ。
剣を腰から下げて歩いてる時より、今のほうが、そんな気がした。
今日半日歩き、ちくわのステータス上の体力は、96%から86%に低下した。
変な気分だった。
ちくわはそれなりの重さのリュックを背負い、革鎧、小手、剣を装備して歩き続けた。
その割には、予想したほどには疲れを感じていなかった。
悪くないな。ちくわはそう思った。
和やかな空気に身を浸したような気分だ。
別に眠くはないが、とても心が凪いでいるのを感じている。
これも恐怖をなくした効能なのだろうか?
ちくわが役体も無い考えにうつつを抜かしていると、外で獣の上げる声がした。
ガバッとエファが驚いて身を起こした。
ちくわガタッと壁から背中を離し、剣を手に持って腰を上げ、窓越しに外をのぞいた。
遠吠えだった。
森のほうから聞こえたのは、狼か何かの遠吠えだった。
ちくわは息を呑んだまま外の様子に目を凝らした。
外に広がるのは星明りに浮かび上がる荒れた敷地。
柵囲いのふもとや井戸のそばに、濃い闇が吹き溜まっているが、動くものの気配はしない。
「ルウ?」
エファが警戒心で引き締まった顔で尋ねてきた。
「いや、なにもいないな…………」
そう言ったちくわの顔を、エファはジッと確かめてから、どうやら危険では無いらしいと読み取ったようだ。
彼女は少しの間ためらっていたが、どうしようもないと思ったのだろう。再びマントの上へと身を横たえた。
エファはちくわへと背中を向けているので、その表情は読み取れない。
しかし、怖いのではないだろうか?
以前のちくわなら、怖いと感じていたろう。狼となんて戦いたくない。
ちくわは勇者の秘薬を服用していないエファの心中が気になった。
もしかすると、結構な不安を抱えているのかもしれない。
それが当たり前のはずだ。
こんな異世界へとやってきて、自分が元の世界へ帰れるかすら、定かでないのだから。
ちくわは早く人に会いたいと思った。
町へとたどり着ければ、とりあえずはひと段落だ。
エファを少しは安心させてやれるだろう。
明日にはこの異世界で、人のいる町なりを見つけられるだろうか?
ちくわはそう願うばかりだった。
このあと、数時間後にちくわは眠気を覚え、堪らずエファを揺り起こした。
風呂にも入っていないのに彼女の寝ていたマントを使うのは気が咎めたので、マントはエファに敷布として使わせ、ちくわは床に寝転がり、リュックを枕代わりにした。
床が固いなと感じていたのは、始めの数分の間だけ。
いつの間にやら、ちくわの意識は睡魔の中で溶けていった。
ちくわの異世界での日々の、その最初の日が終わった瞬間だった。
勇者の秘薬の効果が切れるまで、残り六日。