第二十一話 狼男の一日目
[勇者の秘薬]の効果が切れるまで残り五日。
顔がくすぐったかった。
虫でもついているのかもしれない。
寝たまま礫夜がフガフガと細いひげを動かすと、すぐそばで人の動く気配がする。
それだけで礫夜の両目が勝手にパチリと開いてしまった。
人狼族の習性なのだろうか?
見れば、エファが手を引っ込めた姿勢で目をパチパチさせていた。
「ああ……おはよう、エファ」
「ボンジュウル」
エファは型にはまったような笑みを浮かべた。
彼女が笑顔を浮かべたのを見て、礫夜はほっとした。
昨日、礫夜が助けたあと、彼女は元気がなかったのだ。
今はそうじゃないらしい。
礫夜はしみじみ『守れたんだなあ』と感慨に浸りながら、むっくりと身を起こす。
床がみしりと不満そうに軋みを上げた。
礫夜の体は教会のベッドには収まらなかった。
仕方なく、礫夜は床に寝転がっていたのだ。
教会が用意してくれた粗末なシャツとズボンでは、とてもクッションになどなりはしない。
筋肉でガチガチの体は、贅肉もあまりないせいか、固い床で寝るには結構寝心地の悪いものを感じた。
今も体はガチガチだ。体がこわばっているという意味でガチガチ。
「ああ――くそ。――この体も、案外不便なんかもなあ?」
「レキヤ」
エファが水で湿らせたハンカチを差し出しながら、自分の目の部分を指差している。目やにでも付いていると言いたいのだろう。
「ありがとうよう。――ああ、この口調も、寝ても直んなかったよなあ……」
礫夜は鬱陶しい気分を拭い去るように、せめて目やにだけでもハンカチで拭った。
それだけでエファにハンカチを返そうとすると、
「ノン」
エファはハンカチこそ受け取ったが、使った部分を折りたたんで隠すと、更に礫夜の顔を拭おうとしてくる。
「あーいいって、自分の世話くらいは自分で焼くさ」
「ジュビルファ」
「なあに言ったか、わかんねえよう……」
エファは礫夜の顔を毛並みにそって拭いながら、くすくすと笑っている。
エファが笑うのなら、それでいいやと礫夜も思う事にした。
狼男って言うのは毎朝どうやって顔を洗ってるんだろうか?
礫夜の顔を拭い終わると、エファは礫夜の折れ曲がった犬耳に触れてきた。
「エスヌセルヴェパ?」
エファは折れた犬耳を立たせようとしているが、立たない。
礫夜はいじられるままにしている。エファに触られるのは気持ちがいい。
エファは礫夜の狼の耳を立てようとしたりしながら、そっと毛並みを撫でたりしていた。
どうやら彼女は彼女で、礫夜の狼の顔を触れてみたかったようだった。
昨夜、礫夜がエファを取り戻して教会へ戻ると、女性司祭や二人の見習い冒険者、それにその師匠の青年や、町の警備を司るガードの人間などが待っていた。
皆、礫夜が戻らぬものと思っていたらしい。
彼らは喜びや驚きで沸き立っていた。
エファを取り返して戻った礫夜のことを、二人の見習い冒険者が盛んに『よくやった!』と騒いだり『怪我の功名だ!』と背中を叩いたりしてきた。
どうやら人狼族になってしまった礫夜へと、気を遣ってくれていたようだった。
彼らの反応を見ても、人狼族というのは異形の者ではなく、亜人の一種程度のものらしかった。
あれからそれなりの時間が経って、もう朝食の時間も終わっていた。
ただ昨日眠らないでいた見習い冒険者たちなどは、まだ朝食を取っていなかったようで、礫夜とエファは彼らと朝食を共にする。
食事そっちのけで二人の少年が礫夜の体を触ってきていた。
「おいやめろ、気色わりいや」
「やべえガッチガチだ。めっちゃガッチガチ」
「誘拐犯もひとたまりもなかったわけだな。――おい椅子潰すなよ?」
「大きなお世話だコノヤロウ」
礫夜が少年らを振り払うと、彼らはケラケラ笑った。
礫夜の前にいる青年が尋ねて来る。
「それで、人間には戻れるのか?」
「さあて、どうなんだかあ、俺にも。誰か物知りな人でも、いりゃいんですけど」
「んなの、符術士の職能ギルドで尋ねてみろよ」
言った少年は当たり前のことという顔をしている。
「言ったろ、良く知んねえんだ。職能ギルドってのはなんなんだよ?」
少年二人は互いに顔を合わせて肩をすくめている。
二人の師匠の青年が言った。
「まずはギルドホールに行くんだな。色々教えてもらえるぞ」
「そりゃあ、狼男が上品に物食う方法も?」
礫夜は口に放り込んだチーズを、顔を上向けながら噛み砕いている。
頬っぺたがあんまりないので、下をむいて食べると口の端から咀嚼途中のものがこぼれてしまうのだ。
すると隣のエファが顔を【ムッ】とさせる。
音だって、デカイ口をパッコンパッコン開閉するたび、ムシャクチャと鳴る。
そしてまるで犬畜生になった気分がする。
こんな自分でもお上品になれるだろうか?
青年はにやりとしてから答えた。
「諦めろ」
礫夜は平皿の水を舌でピチャピチャやる自分を想像し、目がバッテンになった。




