第二十話 エファはなぜか泣いていた
三人の男を礫夜は殺した。
肩からは血が流れ、鈍い痛みを訴えている。
グレイスは残り71。
敵となりうる人間は、残り一人。
礫夜は肩の傷を手で押さえたい衝動に耐えながら、残り一人の誘拐犯へと問いかける。
「どうする? あんたもやるかい?」
男はトマホークで開けられた革鎧の穴を手で押さえながら、首を横に振った。
「いや、いい…………あんたの勝ちだ……」
男は死体と装備だけでも荷馬車で持ち帰らせて欲しいと求めてきた。
『構わねえよ』とだけ答え、礫夜はトリプルソードを鞘へ収めた。
すると戦闘が終わったと判断されたのか、目の前にあった手札が消失し、左手に持っていたトマホークも消失した。
戦闘は終わったのだ。
蓋を開けてみれば、呆気ないもの。礫夜の圧勝だ。
トリプルソードの威力をさっそく礫夜は実感していた。
もちろん、バトルカードの威力もだ。
さあ、戦いは終わった。エファを迎えに行こう。
礫夜はエファの元へと移動した。
彼女は荷馬車の腰掛に座っていた。
礫夜が近寄ると、ピンと背筋を伸ばし、警戒心もあらわな顔になる。
礫夜はとりあえず普通に声を掛けた。
「エファ。怪我あなかったかよ? もう、安心だ」
「エトゥヴモナミ?」
礫夜にはわからない言葉を発し、エファは毅然とした顔つきをしている。
狼男にも動じまいとする態度も、力強い光を湛えた両目も、とても高貴で凛々しい雰囲気を漂わせている。
そんな顔を向けられてしまうと、礫夜は困ってしまう。
礫夜は決まり悪そうに頭を掻いたり、クシャクシャと狼の顔をゆがめた。
「へへ……そうだよな、わかんねえよなあ?」
油断なく見つめるエファへと礫夜は、自分を指差して言う。
「礫夜。礫夜だよ。俺。礫夜」
エファの表情がかすかに怪訝なものへと変わった。
エファと礫夜を結ぶ物的証拠には、どんなものがあったろう?
礫夜はポケットに突っ込んでいたオラクルカードとバトルカードのデッキを取り出し、彼女へと見せてやる。
「礫夜だよ。俺が礫夜なんだ。カードで、こんな姿にされちまってよう。口調も、こんな垢抜けねえ風に落ちぶれちまって、なんだか、直せねえんだ」
二つのカードまで見せられると、エファの両目に驚きと、理解の光が瞬くのが見えた。
彼女はゆっくりと警戒を解きながら、礫夜へと尋ねる。
「…………レキヤ?」
礫夜は笑顔で頷いた。
「そう、そう。ウィ《はい》。礫夜」
エファの両目が更に驚きで見開かれる。細い喉がコクリと脈打つ。
「ウィ? レキヤ?」
「ウィ《はい》、ウィ《はい》。礫夜なんだよ、俺あ……随分、見違えちまったよなあ?」
信じてもらえたらしいと礫夜は安堵の笑みを浮かべている。
しかし対照的に、エファは綺麗な両目を信じられないと見開いている。
肩をとても竦み上がらせて、何かに耐えるように体をこわばらせて、固まっている。
そりゃあ、驚くだろう。
誘拐犯たちにさらわれ、ちょっと離れていただけなのに、助けに現れた礫夜は人から狼男の姿に変わってしまっていたのだから。
その狼男の姿ときたら随分大きいし、顔に傷はあるし、今は血も流してる。
こんな反応をするのも、無理もないのかもしれない。
礫夜の後ろで、どさりという音がした。
礫夜が振り返ると、壮年の男が三人の仲間の死体を集め終えたところだった。
男の目が、あとは荷馬車に乗せるだけだと言っていた。
礫夜はまだ驚いたままでいるエファへ言う。
「なあ……とりあえず、降りて来いよ。この馬車は、あいつが使うからよ。……大丈夫だ。俺は、おっかなくなんてねえよ……」
エファは呆然とした顔のまま、礫夜に促されて、荷馬車から降りた。
死体の積み込みを礫夜も手伝うことにする。エファに時間を作ってやりたかった。
さっきまで動いていたはずの三人の死体は、まだ体温が残っていて、人形のようにくたくたなのがひどく妙な感じがした。
荷馬車は二人を置いて、森の奥へと続く道を進んでいった。
ランタンを失くしてしまっていたので、その進みは少し慎重。
最前の怒りをとうに失くしていた礫夜は、男が一人きりでこの森を抜けられるのか、少し心配になった。
「パルドン……レキヤ」
「ん? なんだ?」
礫夜はエファを見下ろした。なんだか彼女のほうが縮んだような錯覚を覚える。
エファは礫夜の肩の傷を指差しながら言う。
「ジュヴヴォトルトレトマン」
「ああ、傷、治してくれるのか?」
礫夜が傷を指差しながら尋ねると、エファは頷いた。
礫夜は道の真ん中で腰を下ろした。
それでもエファが礫夜の肩の傷を治療するには、膝立ちにならなければならなかった。
スキルによる回復は一回では足りず、四回も掛けられた。
その治療が終わると、エファが再度尋ねてくる。
「……レキヤ?」
彼女の両目が『礫夜なんだよね?』と尋ねていた。
礫夜は笑顔を浮かべるが、狼の牙がむき出しになる笑みは凶相にもなりかねない危うさがある。
「びっくりさせたよなあ? 俺だって、びっくりしたんだぜ? でも、おかげで鼻が利いてよ、お前の事だって、助けられたんだ」
エファは少し戸惑っているような顔だ。
「……レキヤ? レキヤ?」
「うん。うん」
コクコクと頷いた礫夜の顔へと、エファは表情を失くしたような顔つきで、ゆっくりと手を伸ばしてきた。
彼女の手が、礫夜の人狼族の顔へと触れる。
最初は恐々と指先が当たるだけ。
次第に体毛や、その下の肉の柔らかさや、骨格の形を確かめるような触れ方になる。
ブルリと礫夜は震えた。なんともくすぐったい。
しかし、目の前のエファは、とても真剣な顔になっている。
それどころか、肩が次第に上下し始め、呼吸がかすかに乱れだす。
礫夜の顔を確かめる手も、なぜか震えだす。
「……レキヤ?」
礫夜は背筋がゾッとした。
エファの声が涙声になっていた。
「えっ。なんだよ? どうして、そんな声、出すんだよ?」
驚いている礫夜へと、エファは血の気の引いた顔で尋ねてくる。
「アファンドムエデラヴィヴフィニパダンスコル?」
エファが何を言ったかはわからない。
それでもなにか、何かを気にかけているような声をしていた。
そしてエファの両目からは、ポロポロと涙がこぼれ始める。
「あっ、あっ、なんだよ? どうして、泣くんだあ?」
うろたえる礫夜へと、エファは首を横に振っている。
彼女が涙を堪えるように両目を瞑ると、涙が幾つも幾つも頬を伝って零れ落ちた。
エファは悲しそうな顔をしながら、礫夜の首へ両手を回すと、そっと抱き付く。
「あ、やめろよエファ。エファの服まで、血で汚れちまう」
血なんて回復スキルの効能で消えていたが、この時の礫夜は気が動転していた。
エファは泣いている。すんすんと声を漏らして泣いている。
どうしてこんなに悲しそうに泣いているのか、今の礫夜にはわからない。
「怖かったとか、そういうことじゃあ、ねえよなあ? ……平気だあ。もう、安全なんだよ。だから、泣くなよ…………困っちまうなあ……」
うろたえる礫夜をよそに、心の中の利口な礫夜が『お前の為に涙を流している』と囁いていた。
しかし今の礫夜には、どうして泣かれるのか、わけがわからない。
礫夜はこの体が気に入っているのだ。でかいし、鼻も利く。
以前の体なんて、ちょっとも便利じゃなかったから、もういらなかった。
この体のままでいいと思ってるのだ。
「俺はよう、この体んなって、喜んでんだぜ? ――ああもう、言葉が通じねえと、不便で参るよなあ? なあエファよう?」
礫夜は抱きついたまま静かに泣くエファの背中を、ぽんぽんと叩いてやる。
エファが何事かをつぶやいていた。
謝っているように、礫夜には聞こえた。




