第十七話 死闘の前準備
夜の森を早足に移動する。
『ヘッ、ヘッ』と口で呼吸をしながら、礫夜はでかい図体もかがめ、猫背になって早歩きする。
夜の森は暗い。
夜空の強い月光も、森の中へは頭上の樹冠の合間を縫って、まるでスポットライトのように点々と注ぎ込んでいるだけ。
狼男の礫夜の両目は夜目が利いた。
それでも油断は出来ない。礫夜は鼻をスンスンと鳴らし、かたっぽが折れた犬耳を前へ左右へとクルクル回し、警戒する。
トリプルソードは既に鞘から引き抜いてある。
二本の剣は礫夜へとはべり、闇からの奇襲者が主へあだなすのを許さぬ事であろう。
夜の森は騒がしかった。
風にざわざわと騒ぐ木々たちのざわめきだけではない。
〈ホオーゥ〉と鳴り響くフクロウの声はかつての世界のその鳴き声より度肝が抜かれるほど大きなものだ。
〈オーオッ〉というなんのものとも知れない鳴き声だってこだましている。
危険な獣たちは先にここを通った誘拐犯たちがあらかた片付けているものと、礫夜は信じたい。
しかしそういうところに期待できない運の悪さが今の礫夜にはある。
危険なものは森の獣だけではない。
むしろ問題は、誘拐犯たちに追いついたその後なのだ。
ようやく冷えてきた頭の隅っこでクレバー礫夜が囁いていた。
今のお前に彼らを倒す事ができるのか?
もちろん復讐の狼男は、奴らを全員血祭りに上げるつもりだ。
しかし誘拐犯たちは、少なくとも三人はいた。
そして厄介なのはあの[粘着弾]だ。
魔法使いの存在だ。
礫夜には運動を阻害する悪影響をなくしてくれる[無効化]というバトルカードがある。
しかし礫夜は、やはり運の悪い身。
狼男になったおかげでこうして誘拐犯を追いかけられている。
だから自分の運も捨てたもんじゃない、と考える事もできるだろう。
が、狼男になりさえしなければ誘拐犯を追うこともなく、誘拐犯に返り討ちに遭い命を散らす事もなかった、その点で狼男になってしまったのは、最悪に運が悪かったのだ、なんていう考え方だって出来るのだ。
つまり、礫夜はいまだに自分の運の悪さを信じる。
バトルカードに安易に頼るつもりはない。
じゃあ魔法使いを含めた最低三人はいるであろう誘拐犯たちに、自分はどう太刀打ちするのか?
礫夜はスキルを修得する事で、この難題の克服を試みてみようと思う。
いいスキルがあったのだ。符術士のスキルだ。
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[運動妨害への対抗策]
常態化スキル
修得ポイント:25
ランク:F
このスキルは術者が運動妨害効果を受けた時に、発動する。
山札から[無効化]を一枚、手札に加える。
山札に[無効化]がなかった場合、このスキルは失敗する。
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まさに今の礫夜にぴったりのスキルだ。
礫夜の修得ポイントも、レベル1の時は100しかなかったが、レベル5の今は213ポイントも保有している。
先走って修得ポイントを消費しないでよかった。
スキルの説明から察するに、[常態化]とはマナを消費せずとも、常に発動しているたちのスキルのことを言っているのだろう。
これさえ修得すれば、礫夜は先ほどのように[粘着弾]一発で無力化されるようなことはなくなるというわけだ。
粘着弾を食らったあの時に、このスキルを修得しようと発想できていれば、今みたいな事にはなっていなかったのかもしれない――と今更悔やんでも仕方ないか。
今考えるべきは、何のスキルを修得するかだ。
各職能のスキル群は、それぞれが独立した樹形図を形成しており、上のスキルのような強力なスキルは、基礎的なスキルを修得しなければ修得できないという仕様だった。
その為、礫夜は[運動妨害への対抗策]を修得する為に、その基礎に当たる[苦戦時のカード自動補充]というスキルも修得しなければならなかった。
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[苦戦時のカード自動補充]
常態化スキル
修得ポイント:14
ランク:G
術者は敵から六回ダメージを与えられるたびに、山札からカードを一枚引く。
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多分使えないスキルだ。
一応このスキルを強化するスキルもあったが、上の説明の【六回】の部分が五回になるというだけで、修得するのにポイントが20も必要だった。無意味だ。
ただ、礫夜が[苦戦時のカード自動補充]を修得すると、それまで見えない状態だった[運動妨害への対抗策]から更に枝分かれするスキルが、二つ見えるようになった。
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[運動妨害への事前対策]
常態化スキル
修得ポイント:28
ランク:E
術者はマナを消費する事で、山札から[無効化]を一枚、手札に加える。
その際のマナの消費量は、術者のスキル[充填]の消費マナと同量である。
山札に[無効化]がなかった場合、このスキルは失敗する。
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これは[運動妨害への対抗策]の強化版というわけだ。
興味深いのはもう一方のほう。
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[魔術攻撃への対抗策]
常態化スキル
修得ポイント:32
ランク:E
このスキルは術者が魔術攻撃によってダメージを受けた時に、発動する。
山札から[障壁]を一枚、手札に加える。
山札に[障壁]がなかった場合、このスキルは失敗する。
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[障壁]とは一分の間、魔術による攻撃を無効化する障壁を得るカードだ。
これは是非欲しいと思った。
魔法使いがどんな攻撃をしてくるかもわからないのだから。
まず礫夜が修得を決めたのは、
[苦戦時のカード自動補充]
[運動妨害への対抗策]
[魔術攻撃への対抗策]
の三つだ。必要となる修得ポイントの合計は71ポイント。
礫夜の残りの修得ポイントは142ポイント。
上の三つのスキルを修得しただけで、礫夜はかなり魔法使いにとって厄介な冒険者になれた――と思う。
ではほかにはどんなスキルを修得するべきか?
基礎的なスキルにこんなものがあった。
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[気まぐれな手札の増加]
常態化スキル
修得ポイント:35
ランク:F
戦闘開始時、術者へとバトルデッキから配布されるカードの枚数が、稀に一枚増加する。
ただし、術者がスキル[手札の増加]を修得していた場合、このスキルの効果は消失する。
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[チャージの周期化]
常態化スキル
修得ポイント:45
ランク:E
術者は戦闘中、五分経過するごとに、山札から一枚、カードを引く。
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どちらのスキルもあまり強そうには見えないが、その先に強化スキルが二つは用意されているのが確認できた。
礫夜が気になったのは[チャージの周期化]のほうだ。
五分ごとというのでは、戦闘中待つにはいかにも長いように思われたが、[チャージ周期の高速化1]という強化スキルが修得ポイント30で、
更に[チャージ周期の高速化2]という強化スキルが修得ポイント65で修得できた。
それらを修得すれば、カードを引く周期が二分三十秒ごとに一枚というペースにまで短縮する事ができた。
半分のペースだ。必要となる修得ポイントは140。大きい。
しかし、戦闘中にカードが補充されるスキルは魅力的にも思われる。
戦闘開始時に配られる五枚のカードが役立たずだった時などは、本当にありがたい。
だが、もっとシンプルなスキルだってあった。
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[充填]
消費マナ:3
修得ポイント:10
ランク:G
術者はバトルデッキの山札からカードを一枚引く。
術者はこのスキルを使用したあと、三十五秒間はスキル、およびバトルカードの[充填]を使用することができない。
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ランクG――多分もっとも基礎のスキルだ。
マナを3消費して山札からカードを一枚引く。
これさえあれば140もポイントを支払って、周期的にカードを引けるようになる必要もないように思われた。
礫夜は[充填]も修得することに決めた。
これで残りポイントは132。
あとは礫夜は即戦力になりそうなスキルを見繕った。
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[レアリティFカードの無償コール]
常態化スキル
修得ポイント:30
ランク:E
術者は使用中のバトルデッキ内にあるカードの中から、レアリティFのカードを一枚指定する。
術者は戦闘開始時、望むならば指定したカードを一枚、手札に配られるようにすることができる。
このスキルの効果は、術者の好きな時に発動、停止の選択ができる。
このスキルはほかの[レアリティFカードのコール]系列のスキルと併用することはできない。
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このスキルさえ修得しておけば、戦闘開始時に確実にレアリティFの[無効化]を引っ張ってくる事が出来た。
[運動妨害への対抗策]が、妨害効果を受けてからカードを引いて来るというものだったので、それより即応性が高い。
ただし、このスキルを修得するまでに、樹形図の根元にあった
[レアリティFカードのランダムコール]
[レアリティFカードの有償コール]
という二つのスキルを修得する必要があった。
必要とした修得ポイントは合計96。
残りポイントは36。
あとは同じようなコール系の常態化スキルから一つ。
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[魔術カードのランダムコール]
常態化スキル
修得ポイント:33
ランク:E
術者は戦闘開始時、手札に魔術カードが一枚、配られるようになる。
このスキルの効果は、術者の好きな時に発動、停止の選択ができる。
このスキルは山札に魔術カードがなかった場合、失敗する。
このスキルはほかの[魔術カードのコール]系列のスキルと併用することはできない。
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狼との戦闘時、火球の魔術カードはとても効果的に機能してくれた。
戦闘開始時の五枚になんらかの魔術カードが必ず来るというのは、心強かった。
ということで、礫夜はスキルの選別を終えた。
もちろんすぐに修得してしまう。いつどこから敵に襲われるとも知れないのだ。
礫夜が修得したスキルは計八つ。
その内容は次の通り。
[苦戦時のカード自動補充]
[運動妨害への対抗策]
[魔術攻撃への対抗策]
[充填]
[レアリティFカードのランダムコール]
[レアリティFカードの有償コール]
[レアリティFカードの無償コール]
[魔術カードのランダムコール]
これらのスキルを修得した事で、礫夜は次のように強化された。
まず戦闘開始時。
手札の五枚に指定済みのレアリティFのカード(今は無効化)が一枚ある。
手札の五枚に魔術カードが一枚ある。
次に戦闘時。
マナを3消費する事で、山札からカードを一枚引ける。
敵から六回ダメージを受けた時、山札からカードが一枚補充される。
自分が運動妨害効果を受けた時、山札から無効化が一枚補充される。
自分が魔術でダメージを受けた時、山札から障壁が一枚補充される。
以上である。
礫夜はまるで、自分がサバイバルナイフや防弾チョッキ、スタングレネードやらで身を固めた兵士にでもなったような気分だった。
すごい強くなった気がする。
これにトリプルソードと狼男のでかい図体が組み合わされば、もう百人力だ。
礫夜は小走りになっていた。
エファたちの匂いがドンドン強く、新鮮なものになっている。
多分もう近いのだ。
礫夜の進む道の先からは、ガタガタという、荷馬車の車輪が立てる音まで聞こえて来ているような気がする。
礫夜の心臓がドクドクと高鳴り始める。
分厚く幅広の両の手の平に脂汗が浮かび始めた。
エファは無事だろうか? 乱暴されてやしないだろうか?
彼女の悲鳴が今にも聞こえてきそうな気がして、礫夜の足は静かに、しかし着実に早まってゆく。
頭の上の犬耳が〈ガタゴト〉という異音を聞き取っている気がする。
目の前にチラチラとランタンなのか、明かりが見えるような気がする。
礫夜は戦闘に入る前の、最後の確認をする。
まず誘拐犯たちがエファを人質に取る。
これはないだろう。
エファを殺してしまえば誘拐犯たちも実入りがなくなる。身代金さえ支払えば人質は返すという評判にも、傷がつく。
まあ追い詰められた時は、どうだかしらない。
礫夜は注意するべきだろう。
最初の奇襲で彼女を奪還しておけたら、最上。
礫夜は奇襲を仕掛けるべきだ。
この暗さだし、相手はまさか追っ手が来ているとも思っていないはず。
奇襲を掛ければ、少なくとも一人には、トリプルソードによる甚大な一撃を見舞う事ができるはず。
戦闘が始まったら、まずスキルの充填発動。
礫夜の今のマナは103/108。
人狼族になったせいなのか、ちょっと減ってしまったが、それでも充分すぎるほどある。
ガンガンマナを使っていい。
全力で行こう。
これは人と人との、殺し合いなのだ。
ガタガタという音がしていた。荷馬車が道を進む音。
カッポカッポという馬のひづめの音もする。
ランタンの明かりが礫夜の進む道の先で、ゆらゆらと揺れている。
誘拐犯たちの声がしていた。
礫夜は明かりから遠ざかるように、道を外れ、闇の中へと身を潜める。
さあ、死闘の始まりだ。