第十三話 町は危険で溢れていた
風呂屋にて、アンラッキー礫夜は大いに慎重を期した。
風呂に入ってる間にトリプルソードを盗まれる気がしてならなかったのだ。
このことについて、番台の番頭に相談すると、荷物を中クース一枚で預かると言われた。
礫夜は番頭へと身を乗り出している。
「悪いが今日は絶不調でね。石橋は叩きまくってから渡ると決めたんだが――あんたがオレの装備を盗むなんてことは、ないんだよな?」
番頭の男は厄介な客にでも捕まったような笑みを浮かべている。
「いや――預かった装備を盗まれでもしたら、ギルドに賠償するのはあっしらですぜ兄さん? あんまりトンチンカンな事聞かねえで下さいや」
「あんたの口からそういう言葉を聞きたかったんだ。悪かったな」
風呂代は一人に付きクースという大銅貨一枚。
さっきのウズラサンドの、半額の値段だった。
礫夜はエファと別れる。
去り際の彼女は少し不安そうな顔をしていた。考えてみればこれまで離れる事なんて一度もなかったと、今更気付く。
礫夜は少し落ち着かない気分のまま、風呂場にて汗と垢を流した。
しかしなんせ、異国の風呂場だ。
浴槽こそあったが、それ以外は垢すりから石鹸、どこから体を流すお湯を取ればいいかまでよくわからず、礫夜は一々ほかの客の動作を確認してから行動に移る必要があった。
なるべく手早く済ませたつもりだが、それでも時間が掛かってしまった。
礫夜は微妙にのぼせてしまい、革鎧なんて断固付けたくない。できる事ならしばらくどこかで伸びていたかった。
しかしエファを待たせてしまっているかもしれない。言葉も通じぬ異国で一人。心細い思いをしているかもしれない。
風呂屋の番台まで戻ってきた礫夜は、とりあえずエファの姿を探した。
いない。
次にトリプルソードの無事を確認。
鬱陶しそうな顔の番台が『まったく無事でございますよお客様』と皮肉たっぷりに言いながら邪魔臭い鞘を押し付けてきたので、礫夜はそれを受け取らざるを得なかった。
革鎧やらは番台に預けたまま、礫夜はエファを探して風呂屋の外に出た。
エファの姿がそこにあった。彼女はポンチョを羽織っていなかった。
というか、それどころではなかった。
彼女は異国の言葉を発しながら、冒険者風の男三人に、手をつかまれ、無理矢理どこかへ連れて行かれようとしていた。
それまでのぼせていた礫夜の頭がシンと冷え切った瞬間だ。
口からは怒りが声となり勝手に飛び出していた。
「おいお前ら! エファになんか用かよ!」
「ああ?」
男たちが立ち止まってこちらへと振り返る。
礫夜はつかつかと歩み寄りながら更に声を荒げた。
「エファ! こっちこい!」
「レキヤ……」
エファは青ざめた顔のまま礫夜のほうへと行こうとしたのだが、
「おっと!」
「アウ!」
男の一人が握っていたエファの腕を乱暴に引っ張った。
更に別の男がエファの肩を掴み、まるで自分たちのものだと主張するようにその体を引き戻した。男が礫夜へあざけるような笑みを浮かべる。
「わりいなあ! この子もう先約入ってんだわ!」
別の男が『ゴメンな! ゴメンな!』と人を食ったようにおどけて見せた。
もう一人の男は嫌がるエファの腕やら肩を掴んで声を上げる。
「っつーかエファちゃんっつーの? 名前もカーワイイ~」
男たちは全員が年齢17~18。15歳の礫夜など歯牙にもかけない様子だ。
そして嫌がる女を男が力づくで押さえ込む光景ほど、胸糞の悪いものはない。
その女が知り合いや仲間であった時はもう、目も当てられない。
礫夜はもうこれ以上、目の前の三人に、一秒たりともエファを触らせていたくない。
口から出てきた声は自分でも信じられないほど冷え切っていた。
「おい。最初で最後の警告だ。今すぐ失せろ」
完全に目が本気になっている礫夜の様子には、さすがに男三人も、無視を決め込む事が出来なかった。
が、男たちは次には揃って吹き出した。
笑い始めた。
「やべえ! マジつぼった! こいつめっちゃ強がってやがる!」
「風呂上りでなに強がってんだこいつ!? っつーかいいとこレベ5か4だべ!?」
男の内の一人だけが本気の目になり、礫夜へと凄む。
「おいあんま笑わせんなGランカー。マジ調子コイてっとよ、俺ら何すっかわかんねえぞ?」
あとの男二人も調子付いた顔をする。
「俺らランクF。レベルもう10とか行ってんだわ。わかるっしょ? 立場?」
「エファちゃんもレベルたけえ俺らのほうがいいってよ」
男たちは次々と鞘から音高く剣を引き抜いて見せた。
遠巻きに眺めていた人々が悲鳴を上げたり騒ぎ始める。
もっとも迫力のある男が礫夜へと剣を突きつけて、言って来る。
「失せろ。俺キレッから。マジで」
男の迫力は本物だった。かつてのちくわなら『殺されるぅ』と心底震え上がり、足を生まれたての小鹿のようにプルプルさせていたろう。
だから、礫夜は[勇者の秘薬]に感謝した。
今、目の前で剣を向けて凄んで来ている男の事が、礫夜は全然怖くない。
「バーカ。――こっちのセリフだよ」
礫夜は三倍剣トリプルソードを鞘から引き抜いた。
周囲のどよめきが毛色の違うものに変わった。
礫夜が鞘からトリプルソードを引き抜けば、残り二振りの剣も意思を持ったように引き抜かれ、礫夜の左右背後へフワリと布陣した。
目の前の男たちは揃って瞠目している。周りの人々が『勝手に引き抜けたぞ!?』『魔法剣だ!』などと騒いで礫夜の剣へと好奇のまなざしを送り始める。
「チョチョチョおいおいおいっ、なんだよアレなんだよあれ!? 何で浮いてんだあれチョイヤバげじゃね?!」
三人組の一人があわれなほど慌てふためいていた。もう一人の男が答えを教えてやるが、その顔は気後れしたものに変貌している。
「バカ! 知んねーのかよ!? トリプルソードだあれ! うっわありえねえっ」
「えっえっ、攻撃力何よ? ランク何よ?」
「バカ! 攻撃力180だって! ランクD!」
リーダー格らしい男に答えられると、慌て男は無残に悲嘆。
「ハアー?! ありえねえーんだけど!? ってかそれヤベーじゃん!? 俺らの装備じゃヤベーべっ、ゼッテエやべえべこれ!?」
なんだか見てるこっちまであわれになって来る様だ。礫夜は三人へ声を掛ける。
「おい」
三人組はビクリと体を震わせた。慌て男が慌てて剣を鞘へと納める。
「エファ放せよ。あと謝れ」
リーダー格の男。礫夜の前で剣を構えていた男は、素早い動作で剣を鞘へと収めると、顔をけろりと調子の良いものにした。
「お、わりいわりい。っつか俺、一抜け」
二人の男が『あっ』だの『ちょっ、バジリてめ!』だの騒ぐ中、男はさっさと走っていってしまった。
必然的に、いまだに剣を構えたままの礫夜の威圧は、残りの男二人が受ける事になる。エファを捕まえていた男が急いで手を放した。
「イヤイヤイヤイヤ! メンゴめんごメンゴ! っつかコエエから! コエエからマジ勘弁!」
「ちょっと調子こいてたダケっすから! ってか、え? 彼女さん? 彼女さんあれ、マジカワイクていいっすね? これ! ポンチョです! 落としましたあ!」
男はエファへと腰を90度曲げてポンチョを両手で差し出している。
エファにそのポンチョを受け取ってもらうと、男はもう一人の男と一緒に一目散に逃げていった。
何という変わり身の早さだろう。礫夜は呆れ顔でトリプルソードを鞘へと収めた。
エファが小走りにこちらへ駆け寄って来たので、礫夜も歩み寄る。
「エファ、怪我はないか? 大丈夫か?」
「ウィ。レキヤ……メルスィ……」
エファは礫夜へと頷いて見せたが、顔が青ざめている。
礫夜は何か声を掛けてやりたかった。
そしてこういう時、言葉が通じないというのは本当にもどかしい。
かといって無言で抱き寄せるなんて大胆な事もできない。
できたとしても、エファを戸惑わせてしまうだけも知れない。
仕方なく礫夜は、エファの手からポンチョを取り上げ、彼女へと被せてやった。
「メルスィ……」
エファはまた『ありがとう』と言った。青ざめた顔には戸惑いが浮かんでいて、彼女もなんと言ったらいいやら、困っているようだった。
ただ見れば、胸元で握り合わされた手が、か細く震えている。
礫夜は彼女の震える両手を、両手で包み込んでやった。
咄嗟にしてしまった事で、何か考えがあるわけでもなかった。
口からは謝罪の言葉が出ていた。
「ゴメンな。一人にして。怖い思いさせたよな? もう離れないからな?」
意味なんて伝わらなくてもよかった。
ただ両手をとても冷たくしている彼女へと、『心配している』とか『安心させたい』とか、そういう温かな感情が伝わればいいと思った。
礫夜のそんな気持ちは、包み込んだ両手を通して、エファへと届いたようだ。
「ウィ……」
エファは伏し目がちにした両目を涙で潤ませていた。
包み込んだ彼女の両手の震えが、少しだけ弱まった気がした。