第九話 走れちくわ! お前の幸運が風前のともしび!
廃墟での一夜は、穏やかなものだった。
昨夜は結局エファが寝過ごした為に、二人は見張りもせずに朝まで眠っていた。朝方ちくわはエファに揺り起こされた。彼女はちょっと申し訳なさそうな顔をしていた。
ちくわもちくわでグースカ寝ていたのだから同罪だ。
まったく、締まらない異世界初めての朝の迎え方であった。
今日はそうは行かない、締まって行きたいとちくわは思った。
なのでまず、この締まらない[ちくわ]という名前から、改名することにする。
大発表である。ちくわはカッコイイ自分の名前を思いついた。
シンクレキヤ。真紅礫夜だっ。
この名前を思いついた昨日の夜、ちくわ――じゃなかった、真紅礫夜は心に誓った。
もう練り製品みたいな自分とは決別すると。
これからはこの異世界で、真紅礫夜として生きていくと、そう心に誓って張り切った。
ということでさっそく、礫夜はエファに自分の名前を呼ばせてみる。
下の名前で呼ばせてみる。
「レッキア?」
「礫夜」
訂正されたエファは、発音の妙を口の中でもごもごと確認してから、再チャレンジ。
「レキヤ」
礫夜が笑んで頷くと、エファも微笑んだ。
うん。いい感じだ。
【レキ】って部分に繊細さと中性的印象、少しの意外性を感じさせるし、そこに【ヤ】が追いかけてくることで【しんや】とか【ゆうや】とかみたいな日本人名的ニュアンスと男らしさを感じさせる。
真紅礫夜。シンクレキヤ。
今や礫夜はこれが自分の名前な気がしてならなかった。
ということで、礫夜は何度も言うが張り切っていた。
昨日は一日草原の道を歩いていたが、今日は違う。
森だ。初めて踏み入る異世界の森。
昨日狼の遠吠えが聞こえていた、森だ。
礫夜にはいつでも腰のベルトに吊っている剣を抜き放つ用意があった。
果たして異世界の森に出てくるモンスターとはどんなものか?
お化けキノコか大蛇か大ムカデか。
きっと礫夜はそれらに対し、[火球]のカードとかで大立ち回りを演じ、怯えるエファに
『エファ! 大丈夫だ! オレがお前を守るっっっ!』
とか言うのであろうと、そう期待に胸を膨らませていた。
膨らませていたのだ。
「……なんか違う…………俺の想像してた世界と、なんか……」
「ジュネディスク?」
ジュネディスクとは『なんと言いましたか?』とか、それ系の意味だったたしか。
てくてく歩く礫夜の顔付きは、奥歯に何かが挟まったような様子。
こんなはずじゃなかった。
森の道を歩いて二人が出会ったものと言えば、リスやら変な花やら毒々しいキノコやら、およそ【敵】とは程遠いものだった。
おかしい。
レベルとかスキルの意味が、これではまるで無いではないか。
ゲームならクレームもんのエンカウント率の低さだぞ?
どうして礫夜は重たい革鎧と小手を装備し、剣を腰からぶら下げているのか?
世界観を間違っている気がしてきた。
これではただのコスプレイヤーになってしまう。
「運がいいせいか? だったら狼の一頭ぐらい出してくれ。せっかく固めた覚悟が無駄になる」
半ば獲物を求めるように、礫夜はエファと森の道を歩き続けた。
すると、狼には出会わなかったが、別のものに出くわした。
「お」
「アゥ」
看板だ。看板と道だ。
礫夜たちの歩いていた道が、より広い道へとぶつかり、途切れていた。
そのそばには看板も立っている。
二人はちょっと早足になって看板の元へ歩み寄った。
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イオリス側道
アスロキニ←――→ルールイラ
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どうやら礫夜たちがこれまで歩いていたのは、[イオリス側道]という名だったらしい。
そして左右に伸びている広めの道は、看板と向き合った状態で右に行けばルールイラへ、左に行けばアスロキニへと行けるらしい。
更に、もう一つ。
「レキヤ、ルガルデ。トラス」
「ああ。足跡だ」
広いほうの道には、足跡が残されていた。
広い道は馬車だかも良く利用するらしい。轍も刻み込まれている。
礫夜もエファも顔を合わせて、何を言うでもなく力強く頷きあった。
ようやく生きている人間の手がかりを見つけた気がした。
それは中々に、感慨深いものがあった。
礫夜が左右に伸びる道の右側を指差して言う。
「右だ。ルールイラのほうへ行こう」
足跡はそちらのほうを向いていた。
「ウィ」
エファがしっかりと頷き、二人は力強くルールイラへ向けて歩み始めた。
この道の先に[ルールイラ]という場所があるらしい。
そこは果たして町なのか? 集落なのか?
それとも地名かなにかなのか?
とにかくそこにはきっと人がいるのだ。足跡の落とし主がいるのだ。
そして人にさえ出会えれば――礫夜は聞きたいことなら山ほどある。
二人は広い森の道を進んだ。
昼食を取るのもわずらわしかった。
適当な昼食を適当に済まし、休憩もそこそこに歩み始めた。
どうせ町につければおいしい食事にありつけるのだっ。
町に到着すればふかふかのベッドで休んで、お風呂だって入れるかもだぞ!?
ちくわとエファはお互いに頷き合った。速めのペースでグングン行こうという意思確認に、言葉など必要なかった。
二人はグングン前へと進んだ。昨日の昼間からこっち、求め続けてきた答えがようやく手に入るのだ。
果たしてこの異世界はどんな世界なのか?
どのような人が暮らしているのか?
その生活水準は?
自分たちが帰る方法はあるのか?
自分たちにとって生きていける場所なのか?
気になる。落ち着かない。不安を正常に感じるエファには余計そうだったろう。
じれてじれて仕方ない気持ちが、両の足を前へと押し出す何よりの推進力になっていた。
そして歩きに歩いた二人は、いよいよその目を輝かせる。
「エファ、森の切れ目だ」
「ウィ」
森の道の先に二人は樹冠が途切れ、日の注ぐ場所を見出した。
かすかな疲労を訴える足を、それでも急かして二人はその場所へ急ぐ。
森の切れ目へ辿り着けば、景色が一変した。
「おお……町だ! ってか壁だ! 畑だ! 人だ農民もいるぞ!」
待ちに待った全てがそこにあった。
「アゥ……ディウ。ジュヴルメルスィ……」
隣でエファが両手の指と指とを組み合わせ、多分神へと感謝を捧げていた。
二人の前に広がっていたのは、森を切り開いて開墾されたのであろう畑地だった。
そして道は、畑地の中を通り抜け、背の高い立派な門へと通じている。
門の左右に広がってそそり立つのは石の壁だ。城壁だ。城ではないから市壁と呼ぶべきか?
つまり二人の佇む道の先には、二人が大いに待ち望んでいたもの。
【町】が、背の高い市門を開き、二人の来るのを歓迎していた。
礫夜とエファは示し合わせたようにお互いに顔を合わせた。
「行こう、エファ!」
「ウィ!」
やはり二人は示し合わせたように、足を前へと踏み出した。
思いは同じだ。おいしいご飯にきちんとした宿。なにより人間の文化圏へのようやくの帰還。
未知の世界で見知らぬ町への初来訪!
ワクワクもすればドキドキもして、居ても立ってもいられない。
二人は並んで大股になって、畑の間を通り抜ける道を行進した――
いや。行進しようとした。
行進しようとしたのだが、思いもかけぬ方向から、邪魔が差し挟まれることになった。
二人は驚いて足を止めた。音がしたのだ。音を聞いたのだ。
聞き覚えのある音だ。
〈キン!〉
という音を二人は背後でしたのを聞き付け、思わず立ち止まってまたしてもお互いの顔を見交わしてしまう。
二人が聞いた〈キン!〉という音は、オラクルデッキからカードが飛び出す時の音だ。
見ればエファの顔が『どうして神託のスキルを使ったの?』といぶかしむようなものになっていた。
一方ちくわのほうの顔は『オレ何も知らないぞ?!』という無実を訴える時の顔。
そしてそんな二人の前に、空気も読まずにデッキから飛び出して来たカードが、光を輝かしながらさも厳かに降りてくる。
二人は何なんだという反感と疑問を視線に込めつつ、カードの内容を確認した。
二人の顔の四つの目が、みるみると大きく見開かれていくのだった。
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[悪魔の強いる幸福の垂れ流し]
レアリティ:D
イヴィル
あなたは今日を含めた一週間分の幸運を、今から10分で使い切る。
――愚か者は悲鳴を上げた。[後悔]という言葉の意味をようやく知って――
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頭が真っ白になるという体験を、この時礫夜は、初めて体験していた。
脳裏をよぎったのは様々な事柄。
自分は[幸ある一週間への招待状]を使って運がよかったはずなのに。
こんなカードはオラクルデッキには含まれていなかったはずなのに。
そもそも[神託]のスキルを使ったわけでも無いのにどうして。
なんでこのタイミングで。ようやく町に辿り着いたのに。
町に入ってからこそラッキーが必要だったのに。
10分? 10分で運を使い切る?
一週間分の、[幸ある一週間への招待状]で高められていたはずの幸運を。
今から10分で使い切る?
「うっわ、うっわ、うっわわあアアアアアああ!!」
ちくわは絶叫した。違った、礫夜は絶叫した。
情け無いちくわであろうと男らしい礫夜であろうと、とにかく絶叫していた。
絶叫する以外にどうすればいいというのか?
そりゃなんかするべきなのだろう。
多分残り9分30秒ほどだ。それ以内に礫夜はなんかしないとダメだ。
一週間分の幸運がパーになってしまう!
そのあとに残されるのは【幸運】なんてこれっぽっちも残ってない、出がらしみたいな【礫夜という名のアンラッキー】だけだ!
さあ一週間分の幸運を費やすだけの意味のある事をしろ礫夜!
残り9分15秒以内にしろ!
「どーしろってんだバカヤロウ?! どうすりゃいいんだこれ!? たった9分で運試しなんて思いつくか!! つく奴は今すぐオレの前に出て来い!! 頭撫でてやる!!」
礫夜は貴重な五秒間を使ってちくわ張りの慌てふためきっぷりを露呈した。
「カルメ、シルヴプレ!」
ガシ! と礫夜の二の腕をエファが掴んで来た。きっと『落ち着いて!』と言ったのだ。
が、ここで予想外の事態が起こる。
エファが『アフ!』と叫び、滑るものなんて何もありゃしないのに、足を滑らせてちくわへと倒れ込んで来たのである。
「うわっつ?!」
哀れ! 二人はあえなく崩れ落ち、もみくしゃと地面に倒れ伏した。
礫夜は目を回しながらも、喉元から次の文句をひりだそうとした。
『なにやってんだよっ。時と場所選んでスッコロンでくれよな!』これだ。
しかし喉元から迸ったのは、礫夜自身予期せぬ叫び声。
「な――なにいいいい?!」
マンガなら【ドギャアアアン!!】という効果音がついていたはずだ。
上に乗っかったエファを支えた礫夜の右手は、エファの大きいとは言い難い胸を的確に押し潰し、その感触を支配下に置いていた。
礫夜の左手は何を思ったかエファのお尻へと回り込み、けしからんほど鷲掴みにしてやはりその感触を欲しいままにしているではないか。
礫夜の上でエファは目を回して硬直している。その顔がゆでダコさながらに真っ赤に仕上がるのも時間の問題かと思われた。
なよなよ主人公ちくわなら急いでゴメンと謝ってたろう。
しかしクレバー礫夜は瞬時に理解した。
これは世に言う【ラッキースケベ】。
ただ女の子と倒れただけでこうなってしまうのが、一週間分を濃縮したオレの驚嘆すべき幸運力ということっっ。
礫夜は吼えた。マンガなら目が光ってた。
「把握した! 今のオレは――奇跡さえ起こすぞ!」
礫夜は上で目を回しているエファの両肩を掴んで横にどけ、自分だけでも急いで起き上がり、立ち上がる。
「立てエファ! オレたちは、急いでこの幸運をものにする!」
礫夜はエファへと手を伸ばした。
エファは両手で胸を押さえて顔を真っ赤にしていたが、礫夜の勢いに押し切られる形で伸ばされた手を取り、立ち上がらされた。
さあ決断の時だ。残り時間は多分七分くらい。
礫夜はいったいどう行動しよう?
1.アグレッシブ礫夜は目と鼻の先にある町へと驀進。運よく町中で悪漢に襲われている大金持ちだか美少女だかを見つけ、これを助けてやって至上の恩返しをものにする。
2.ギャンブラー礫夜はあえて森へと引き返す。運よく森の中で【はぐれたメタル】的なモンスターと遭遇し、レベルアップのファンファーレを何度も響かせることになる。
3.マイペース礫夜は大胆にもこの場で果報を寝て待つ。運よく通りすがりの国王だかに話しかけられ、事情を話すとその豪胆っぷりを大いに感心されてどこかの領地の領主として任命される。
4.スケコマシ礫夜は果敢にもエファの周りをグルグル回りだす。ラッキースケベの10連コンボを彼女に炸裂させ、最高の思い出をものにするも、その後のアンラッキー礫夜がどうなるかは神のみぞ知るところだ。
さあ決断の時だ。どの選択肢で礫夜はこのチャンスをものにする?
「――2だ!!」
「レ――レキヤ?!」
礫夜は一転身を翻し、森へと全力疾走を始めた。
「いいからエファは町に行ってろ!」
ギャンブラー礫夜は森で獲物を見つけ出す。
一週間分の大ラッキーを費やして、奇跡的大成功を収めて見せるのだ!
礫夜の幸運が0になるまで、残り6分34秒。