同類じゃないのなら
「アラート音が、攻撃されるまで鳴らなかった?」
攻撃予測、危険信号は言葉通り、相手の攻撃やモーションに反応して自動で音を発し、方向を知らせるものだ。それが、攻撃を喰らってから鳴った。アラート音が鳴った時には手遅れであることも多いが、喰らう前にはちゃんと鳴るものだ。
だったら、これはバイオの持つ“なにか”だ。
『苛立ちや腹立たしさを払拭するのに、野球は良い道具だった。上手く行けば、推薦で野球の名門校に入学できる。そんなところまで、行っていた』
アンブッシュは左手の短刀をエネルギーライフルに持ち替え、ビームを連射して来た。それらを避けてから、アラート音は鳴り響く。
『盗塁に、失敗した。投手の体の動き。その一挙手一投足全てに目を向けて、完全にモーションを盗んでいた。だから、成功するはずの盗塁だった』
バイオの話が右耳から入って、左耳から抜けて行く。脳に伝わらない。ただただ聞き流されていく。
話に気を向けて、アンブッシュを見失うと、この“アラート音を先回りした攻撃”がどこから来るか分からなくなってしまう。
野球という部分と盗塁に失敗したという部分だけはなんとなしに頭には入った。入ったが、僕はスポーツに詳しくない。盗塁の失敗が、どういうことなのかイメージできない。
「落ち着け……落ち着け」
そう自分に言い聞かせる。狂っていた頃に“直感”を頼りにやって来たことは多々あるけれど、このゲームのアラートの精度は確かなものだ。
だから、この音に頼らないプレイヤーはまず居ない。
それが、攻撃後に鳴る。つまり、反射的に機体を動かせない。そういう相手と対峙している。
『なのに、どうして? どうして俺が盗塁に失敗しなきゃならねぇんだよ。なんで打者はあんなクソ球を打って、なにショートに転がしてんだよ。俺は悪くねぇ。俺の盗塁は失敗なんかじゃねぇ。失敗したのはクソ球に引っ掛かった打者の方だ。なのになんで、俺のせいになったんだ? 俺の盗塁が失敗扱いになったんだ? 分からねぇ、分からねぇよなぁ。なんにも知らねぇ、幸せばかりを享受しているテメェには!』
右から迫る。それをどうにかモニターに映すことができたため、アンブッシュの斬撃に合わせてソードを振るうことができた。
「あなたのそれは、八つ当たりじゃないですか」
『んなことは、知ってんだよ。で? 八つ当たりのなにが悪いんだ?』
本能が避けろと命じる。だから機体を動かす。オルナがソードで斬撃を防ぎ切ったのも束の間、アンブッシュは短刀を投擲した。
装甲の無い右足に突き刺さり、瞬く間に損傷率のゲージが空っぽになった。ジョイントを切り離し、爆発から逃れる。
コクピットの振動に体が振り回され、けれど揺れる視界の中でアンブッシュだけは見逃さない。僅かばかりの、ほんの一瞬でもアイカメラで捉えられる範囲から、あの機体を見失うと途端に、アラート音を先回りした襲撃に遭う。だから、それだけは確実に努めなければならない。
今の投擲は、右足を狙ったものじゃない。僕が機体を動かしていなければ頭部に命中していたものだった。
最悪だ。今まで攻撃予測、危険信号はどれも味方だった。けれど、この状況で、攻撃後に音が遅れてやって来るため、どれもこれも僕の反射的な動作を掻き乱すものに成り下がった。
“直感”で機体を動かすことに、躊躇いが生じてしまう。
「良いか悪いかで言わせてもらいますと」
今日はずっとその善悪の基準を口にしているな。
「悪いと思いますよ。人に責任を押し付けているのは」
『だから、頭は大丈夫か? 電磁ネットで電流を浴びすぎて脳がとろけたか? 俺は、悪くねぇよ。悪いのは盗塁しているのが見えたクセに、クソ球に引っ掛かって打っちまった、あのチームメイトの方なんだよ!!』
野球のルールは分からない。分からないから、どう声を掛けて責めれば良いのか分からない。
『そのせいで俺は野球の名門校には推薦で行くことができなかった。まぁ、頭は良かったからその高校に一般入試で合格するのも良かったが……あんな、クソ球に引っ掛かるようなチームメイトが他にも居るんじゃねぇかと思ったら、怖気が奔った。なんで出来る俺が責められなきゃならない? どうして出来なかった奴が慰められる? そんなチームメイトは、御免だな。そういった群れる連中は、頭が悪いだのと俺を罵った頭の良さをひけらかす連中となんも変わらねぇ』
「社会じゃ、出来る人が認められて出来ない人はそのまま底無し沼に直行ですけどね」
前方から迫って来たアンブッシュの攻勢に、必死に抵抗する。
「だから、言わせてもらいますと……出来ない人、だったんじゃないんですか?」
『…………あー、ウザぇな。同情されんならまだしも、テメェも俺に責任があるって言いたい口なワケだ』
シュートネットの銃口がオルナに向いた。
『“妹”と仲が悪いのも俺のせい! “ババァ”と仲が悪いのも俺のせい!! “あの男”と仲が悪いのも俺のせい!! 全部全部全部!! 俺のせいだって言いたいわけだなぁ!?』
発射のタイミングが読み取れず、電磁ネットに絡め取られて、またも電流が全身を駆け抜ける。その後にアラート音が鳴り響く。
銃口を向けられても、それを避けることができていたのはある意味、この音に頼っていたところもある。間に合わない時もあれば間に合う時だってある。今のは、通常ならば絶対に間に合っていた。
もう嫌だ。こんな痛め付けられて、それでもまだ戦わなきゃならないのか。
抑制が利かない。思うように、ならない。
「そう、きっと……あなたのせい、です」
喉も唇もカラカラに渇いていた。
「妹と壁を作っているのも、母親と不仲なままなのも、義理の父親と仲良くなれないのも、全部全部全部、あなたのせいです」
『は……はははは……』
アンブッシュの右肩から大量のガスが噴出され、周囲一帯を覆い尽くす。
このガスに状態異常を付加するような効果は無い。けれど、視界を遮る煙幕になる。このマップの特徴と合わせて、最低最悪の組み合わせだ。これじゃモニターも役立たずになった。マップ画面はジャミングで既に使い物にならない。そして、アラートまで馬鹿になってしまったと来た。僕に与えられる情報が、あまりにも限られてしまっている。
盗塁に、失敗して……それで責任を押し付けられたバイオは、なにを望んだ?
“愚者”が望めば、世界は変わる。実際には、ゲームにのめり込んだことで脳が発達したことで発現するものがある。それが、巷で噂の“狂眼”だ。ただこれは、目からの情報を取り込むものが多いからであって、それ以外にも変化が及ぶことがある。理沙の聴覚のように。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。バイオの“それ”は、どれに該当する?
バイオの癇癪に触れるような発言をしてから役立たずになった。
気付かれないことを、望んでいるのか?
昔に受けたトラウマから、バイオは誰にも気付かれずに力を見せ付けたいと願ったはずだ。
「死角? いや、でもさっきのは真正面……気を抜いた、直後か?」
バイオが僕の警戒の外から攻撃を仕掛けているとするならばどうだ? 視覚が相手の死角と気を抜いた瞬間を読み取り、撃っている。
機体を人と見立てるならば、“攻撃されてから気付く”。それぐらい攻撃するという力の奔流が希薄であるならば、アラート音も遅れるのか?
「アンブッシュじゃなく、アサシンだろ。行き過ぎだ、あり得ない。それはシステムに入り込んでしまっている」
これ以上はもう、本人に直接訊くしかない。僕の手に余る。そもそも“狂眼”と呼ばれる脳の発達による力が、どのようにこの世界に働いているかすらも曖昧なのだ。あの臨床心理士に、もっと詳しく訊いておけば良かった。
『ははははははははっ!! 死ね、死ね死ね死ね!! 死んじまえ!! 俺に責任を押し付ける連中は、みんなみんな死んでしまえば良いんだ!!』
……ふざ、けるな。
「死ねとか、死んでしまえとか、簡単に……言わないでください」
ふざけるな。
『ああ? 女だってよく使うだろ。陰口で“死ねば良いのに”ってなぁ。リア充は根暗な輩はみんな死ねと願っているし、根暗な奴はリア充に死ねと常に願い続けている。この世界に居る連中だって同じだろうが。死ねと口にして、機体を撃墜する。そういうゲームだろ?』
ふざけるなふざけるな……ふざけるな。
「死ねと願うことと、死ねと口にすることは別です。本音と建前。心の奥底じゃきっとみんな、ムカつく相手の死を願ってる。それは認めますよ。だって、分かり合えない相手にムカつくことは正しいことだと思いますから。けれど、それを口にすることだけは違います。口にした瞬間に、それを口にした人はもう……純粋な人間じゃなくなる」
僕は、彼を許すことができなくなってしまった。
「あなたは言い返せないと分かっている相手にだけ死ねと口にするただの卑怯者だ。異父妹を認めない? 母親のしたことを許せない? 義理の父親を理解できない? どれもこれも、あなた一人が考え方を改めれば済むことばかりじゃないですか!!」
煙幕の中から飛び出したアンブッシュの二本目の短刀をソードで受け流し、そして僅かな隙に付け入って、脚部の一部を断ち切る。
『テメェにゃ分かんねぇよ』
陳腐な言葉だ。
だから陳腐な言葉で返そう。シャロンのときのように、悩む必要は無い。この人はただの卑怯者。悩んでいるフリをしている大馬鹿者。心の叫びなんてちっとも無い。ただトラウマを引きずり続けているだけだ。
「分かりませんよ、家族のことを認められない人のことなんて!!」
アンブッシュが右肩から再びガスを噴射させて、煙幕を張り、その中に掻き消えた。オルナを旋回させながらその場を離脱し、煙幕から抜け出たところで右斜めから来る斬撃を受け止める。そしてそのまま剣身を滑らしてアンブッシュの脚部を更に切り落とす。
『こ、のっ!』
「あなただけが特別なんじゃない!! 全ての人が全て、特別な事情を持って生きている! それなのに、思考停止して一歩も前に歩み出せていない人のことなんて、分かりたくもない!」
バイオに言ったことは全て僕にも言えることだ。僕は思考停止して、茨の道を一歩も前に踏み出せていない。
そう、だから。
僕は誰にもきっと、分かってもらいたくはないのだ。
けれどこの人は違う。この人は分かってもらいたいクセに、それをそのまま主張せずに卑しく同情を求め続ける、自分の上手く行かない人生に溺れ、助けを請い続けているだけの人間だ。
だから分かりたくない。
同類じゃないと分かったのなら、もはやそれ以上を理解する気は、無い。




