心に刺さらないからこそ
「全く心が傷付かない」
言って、僕はゲームのチラシを眺め続ける。
「言葉の暴力に僕はこれっぽっちも驚きませんよ。さすがに、本気の刃か虚構の刃かぐらいの区別は付きます。あなたの言葉には虚構の刃。あなたにとってはそれが会話における一種の挨拶代わり、なんでしょう?」
そこで僕はようやく顔を上げて、望月の異父兄だと名乗る大河内 啓二と視線を交わし、その姿をまじまじと眺める。
やさぐれている。よく居る不良。コンビニでたむろするチンピラ。服の内側に小型ナイフでも忍ばせて、それで満足していそうなタイプ。ただ、顔は厳つく、人によってはここで慄いて引き下がってしまいそうだ。体格も良い。ヒョロい僕なんかじゃ相手にもならない。髪は染めているのか、茶髪だった。そして両耳にはピアスを付けている。
瞳は尖っている。尖っているという表現で伝わるだろうか。吊り目よりも更に上。ありとあらゆる人物を恐喝できそうなほどだ。俳優にでもなれば、悪役顔で好評を博すだろう。
「テメェの知り合いにスズが居るよな? テメェもそいつと同レベルの、ドロッとしたもんを持ってんなぁ」
言いながら望月の異父兄は苛立ちからか舌打ちをする。
「俺のことを“あれ”の苗字で呼ぶなよ。呼ぶなら大河内だ」
「それが、以前の苗字ですか?」
「分かってんじゃねぇか。俺は俺の本当の親父しか家族と思ってねぇんだよ。俺はあんなババァと一緒に家を出たくなんかなかったのによ、家庭裁判所が親父よりあのババァの方が扶養能力があると結論付けやがった」
ババァ?
まさかこの男は、この人は、“こいつ”は、自分の実の母親を“ババァ”と呼んだのか?
「裁判所が決めたことなんですから、素直に受け入れれば良いじゃないですか」
「は? っざけてんじゃねぇぞ。親父は一途に生きてきた。なのに、あのババァは親父が人よりもお人好しで生きていることも理解せず、親父の稼ぎが少ねぇことを見下して、そして離婚しやがった。自分の方が稼ぎが良かったからなぁ。要するにババァは金で男を決めてんだよ。現に今の、あの男は稼ぎが良いからな。一年だぜ一年? たった一年で再婚だ。そして産まれて出て来たのが、“あれ”だよ」
「涼の兄貴、なにかトラブルでも起こした?」
「来るな」
僕はバックヤードから顔を出した奈緒に即答する。
「来ても、そんな面白くて、良い話じゃない」
「……分かったよ、涼の兄貴」
奈緒は素直にバックヤードに引っ込んだ。
「ははっ、兄貴? テメェも今の奴の兄貴なのか?」
「今のは妹の友達ですよ」
「妹? はっ、テメェにも“あれ”みたいなのが居るのか? く、ふはははっ! いや、悪いな、悪い。つい笑っちまったよ」
大河内さんは笑いを堪えながら続ける。
「さぞかし、出来の良い妹なんだろうなぁ。出来過ぎて、笑っちまうくらいの妹なんだろうなぁ。出来の良い妹が居ると、出来損ないの兄は、どうにも肩身が狭っ苦しくてたまらないだろうなぁ」
「まるで自分のことみたいに言いますね」
大河内さんは笑みを消し去り、ピリピリとした雰囲気に周囲が包まれる。こんな雰囲気の中、このゲーム屋に訪れることのできる強いメンタルの持ち主は居ないだろう。さっさと帰ってもらわなきゃ、ただでさえ人気が少ない通りなのに、更に売り上げに響いてしまう。
「ああ、“あれ”は出来てるな。出来すぎて、気持ちが悪い。あんな“もの”を家族とは思いたくもねぇ。俺が家族だと思ってんのは、いつだって俺の血に半分流れている親父だけだ」
「けれど、母親の血も半分流れている」
「あんなババァを母親なんて思いたくもねぇな」
拳を固く握り締める。
喧嘩では負ける。負けるに決まっている。
なのに、どうしてだろうか。
僕は怒りに任せて、殴ってしまいたいという衝動に駆られている。
妹を“あれ”と呼び、母親を“ババァ”と呼び、義理の父親を“あんな男”と呼ぶこの男を、どうしようもないほどの「クズ」と吐き捨てて、殴ってしまいたくなる。
しかし、そうしてこの男を「クズ」呼ばわりする僕も、相応に酷い性質の人間なのだ。そんな僕が殴れば、それこそ「クズ」以下のものになってしまう。
「品物を買わないのでしたら、お帰りください。これ以上は、お店の迷惑になります」
「棒読みでこれっぽっちも心が込められてねぇなぁ」
「棒読みですから」
「喧嘩売ってんのか?」
「こんな台詞を感情を込めて言ったところで、あなたは引き下がらないでしょう?」
そして僕もきっと、引き下がらない。
「僕の幼馴染みにゲーム内で暴力を振るったのは、あなたですか?」
「あぁっ? 俺がそんな――いや……俺だとしたら、どうすんだ?」
「どうするもこうするも、目には目を歯には歯を。ゲームで起こったことはゲームで。“痛み”には“痛み”を、です」
「『氷皇』のリョウが出るってか?」
「出る価値も無い。どうせあなたも、あなたの妹もKnightには乗っていないのでしょう? あなたに、僕が出る必要は無い」
リョウで臨まなくて良い。KnightでArmorを潰しに行くのは、あまりにもつまらないし、アンフェアだ。
「僕の知り合いのスズで充分です。あなたには、『氷皇』が制裁を下す価値も、無い」
いつもなら逸らすはずの視線。いつもなら真っ当に見ることもできない相手の顔、そして瞳。そこから伝わるあらゆる感情。
それらを受け止めるかのように僕はただ、ただ目の前の男を睨み続けていた。
「テメェが、出る必要も無い?」
「その程度の腕前だと、僕は思っています」
「じゃぁ、なにか? スズを傷付ければテメェは出てくるのか?」
「スズはあなたよりも強い」
「……はっ! 馬鹿にするのも大概にしろよ!」
大河内さんは僕の胸倉を掴み、腹部から大腿部がカウンターで擦れて、痛覚が悲鳴を上げる。
「俺はテメェじゃなきゃ相手してやらねぇって言ってんだ。テメェの幼馴染みを傷付けたのはこの俺だ。テメェがこの俺の始末しなきゃ、テメェもおさまりが付かねぇんじゃねぇのか?」
怯えない。
ちっとも心に刺さらない。だから体も震えない。眼光に恐怖を感じない。目はただ眼前を見つめ続け、視線は絶対に外さない。
この男の言葉は、刃は、鉄のように凍った僕の心に刺さらない。
少なくとも、理沙や倉敷さんの言葉に比べたら、この男の発する言葉は全て刃毀れしている。
「スズも僕の幼馴染みです。だから、僕の幼馴染みの幼馴染みでもある」
嘘も方便とはよく言うけれど、どうしてこういうときだけ僕は饒舌になれるんだか。
「あなたに復讐したいと思っているのは僕だけじゃありません。だから、彼女に任せるんです」
「任せる? 自分の中にある復讐心を、他人に任せる?」
「だって僕が出しゃばってしまったら、あなたをすぐに負かしてしまうじゃないですか。全然、全く、これっぽっちも、あなたに“痛み”を伝えられない。それじゃ、復讐にすらならない。僕はあなたに“痛み”を伝えたい。体から迸る“痛み”を。あなた以外の誰かが発しているであろう、心の“痛み”の叫びを」
「ふ、ふふふふふっ。あのドロッとした心の持ち主が、俺とやり合うって、か? 良いなぁ、それ。それもそれで面白ぇなぁ! テメェと同等だもんなぁ、あの気持ち悪さはよぉ!!」
大河内さんは胸倉から手を離し、踵を返してお店の出口に向かう。
「行くぞ」
「……はい、兄さん」
「返事はいらねぇんだよ! テメェは俺にただ付いてくれば良いんだ!」
店の外に居るであろう望月に荒く当たり、そして彼はお店を出て行った。
「リアルで“あれ”って呼んでいるクセに、ゲームじゃ“妹”って、言っていた……のにな」
“愚者”であるからこそ、リアルでは無理をして“あれ”と呼んでいる。
僕には、そう思えてならなかった。少なくとも、妹に関してだけ、ではあるけれど。




