訪問
VRゲーム――たかがゲームで精神を磨耗させているなんて、考えたくもないことだ。リョウで長時間のプレイはこれからも支障をきたすだろう。
しばし天井を見つめ続けたのち、僕は吹っ切れたようにやや大きめの声を発し、上半身を前方へと戻す。HMDと『NeST』を机の端に置き直し、パソコンの画面を眺めながらも、傍に放り出していた鞄を引き寄せて、中から筆記用具と教科書、問題集を取り出す。
月曜日からテスト期間に入っている。ゲームのことだけで頭を一杯にはしていられない。赤点は絶対に回避しなければならない。
そんなゲームだけが取り柄みたいなレッテルは貼られたくない。そういったプレッシャーのような、どこか偏見で生まれてしまったコンプレックスがある。恐らくは大学の入試関連で問題を起こした冬美姉さんを見ているからだ。
本当はもっと楽がしたい。苦労せずに生きたい。
けれど、そんなことは現実が許さない。僕の理想はいつだって空虚で、形にすらならない。常にそうやって、理想と現実が乖離し続けている。だから、僕はゲームに逃げてしまうのだ。でも、逃げた先でも、精神的にボッコボコにされて現実に引き戻された。
要するに、なにをどうしたって、現実からは逃れられない。倉敷さんの言うように、現実からの逃げ場所としてゲームは有りだけど、気を紛らわす程度に留めなければならない。僕らの全ては、ゲームにでは無く現実にあるのだから。
明日のテスト範囲を再度確認する。先生がなにを喋っていたか、どこが重要か。山を張ろうなんて思わない。テスト範囲をしっかりと学び直す。取り零すことはあっても、勉強していなかった範囲が出て来たから点が取れなかったという言い訳はしない。勉強していたけれど解けなかった。だからもっと勉強しなければならない。そうやって追い込めば、次はもっと点を取れると思っている。
執着と言えば執着だが、パソコンを点けながらでは説得力もなにもあったものではないかも知れない。でも、僕には大事なことが今、同時に二つ起こっている。だから両方を並行して進ませるしかない。
勉強の集中が途切れるその合間に、パソコンで『Armor Knight』のスレッドを確認する。大した内容が書かれていないなら、すぐさま勉強に戻る。飽きは来ない。ネットサーフィンをして勉強をないがしろにしようという気すら起きない。
そうして二時間ほどが過ぎた頃、時刻としては午後五時頃にインターホンが鳴らされた。僕は大きく背伸びをして、体中に押し寄せる一種の疲労感を払拭したのち、玄関の扉を開ける。
「……なにその意外そうな顔」
挨拶をするには長すぎるほどの見つめ合いをしたあとに、倉敷さんが不服そうに呟く。
「桜井さんには、立花君がこっちに居る間はちゃんと世話をしてあげるようにって言われたから」
連絡の一本も寄越さないで部屋にやって来られても対応に困る。前々から思っていたけど、僕より常識知らずなんじゃないか?
「期末テストは?」
「あるけど、今はこっちが大切」
「いや、勉学を大切にした方が良いよ。だから帰って良い。僕は大丈夫だから。なんとかなってるから」
自分で言っておきながらも、不安ではある。突然の倉敷さんの来訪にも、もう少し僕は柔らかく接することができたはずだ。それなのに、なんでこうも横柄になってしまっているんだか。
僕は倉敷さんに勉強の邪魔をされたと思っている。表面上には出て来なくても、心を見つめればそういう悪い部分は分かる。
だからまず、この苛立ちを沈ませる。倉敷さんはなんにも悪いことはしていない。僕を心配して来てくれたのだ。そして、理沙のことも心配してくれている。こんな良い人に、苛々するのは間違っている。
落ち着こう。大丈夫。大丈夫だ。
「迷惑だった?」
「いいや…………御免、嘘だ。ちょっとイラっとしていた。だけど、勉強で躓いているところがあるから、そこを教えてくれるなら」
正直に胸の内側にあったものを吐き出しつつ、僕は体を横に移動させ、彼女を部屋へと招く形を取る。
「どうぞ」
「……なにもしない?」
「どのレベルで不安に思っているのか分かんないんだけど、不安になるならそもそも来なくて良かったんじゃ?」
僕が倉敷さんに手を出せるほどの男だと思うか。
見くびられちゃ困る。僕はヘタレなんだからな。
「私が信用しなきゃ、立花君も信用してくれない……か」
そう言って、倉敷さんは靴を脱ぎ、部屋へと入っていく。僕は扉を閉め、まぁなんとなしに彼女の不安を煽らないように静かに鍵を掛けた。誓って言うけど、別にこれから倉敷さんに手を出すとか出さないとか関係無く、防犯のためである。
「倉敷さんの方では、なにか分かった?」
「今のところは、望月さんのお兄さんが怪しいんじゃないかってことぐらいかしら」
「へぇ、別の高校なのに、どうすればそういう答えに行き着けるの?」
「他校の女の子と仲良くしている子も居るの。そういう子たちから、たらい回しされたけど聞き出して行った。望月さんと一緒の高校に通っている立花君の方が情報を集める上では楽だったはずだから、任せてしまえば良かったって気付いたのは望月さんにはお兄さんが居るってことを知った辺り」
それ、相当に訊いて回ったんだろうな。コミュニケーション能力が高くて羨ましい。
「望月はシャロン、そして彼女のお兄さんはバイオという名前で『Armor Knight』をプレイしている。そして、バイオが暴言を吐いたところも見たから、不遜な性格の持ち主だということまでは分かってる」
倉敷さんは居間に座り、大きな帽子を脱いだ。艶やかな長い髪がスルリと、まるで服が綺麗に脱げるかのように出て来て、その華麗さに思わず目を奪われた。が、こういう目で見ることを、倉敷さんが嫌っていることを知っているので、急いで視線を逸らすことで誤魔化す。
「じゃぁこれは? 望月さんと、望月さんのお兄さんは異父兄妹」
「それは……知らなかった、な」
「望月って名前は今の父親の苗字らしいのよ。だから、異父兄ってことになるのかしら。母親の連れ子だったそうよ」
「女の子の噂や、そういう情報網は怖いな……」
そんなことまで分かってしまうのか。たまたま情報通な女の子が居たってことだろうか。それにしたって、あんまり馬鹿なことはしない方が良いってことは分かった。すぐに別の高校にも伝播するようだし。
「だから、妹と兄で折り合いが悪いんじゃないかしら。どちらが、どちらも、とは言い切れないし、これも憶測だけど。異父兄がやさぐれているのだけは、あなたの言う情報網のおかげで知ることができた。でも、これが精一杯だった」
「充分だよ」
「そう? それで、立花君の方はなにか分かったことは?」
「望月に問い質したよ。でも、兄のことは分からないって。嘘は言っていないとは思う。直前に凄く動揺していたし。それで兄に直接、訊いてみるってさ。ゲームと違って、リアルの僕じゃ、これが精一杯」
両手でお手上げのポーズを見せたのち、一呼吸置く。
「それで、ここからはゲームの話。シャロンとバイオは『スリークラウン』の勧誘対象に入ってる。でも、あくまでその対象は望月であるシャロンだ。バイオはオマケ。それはバイオがシャロン頼りの戦い方を取っているからで、対戦中に彼自身の機体を捉えることはとても難しいらしい。あと、その戦法に固執しているせいか、基本的には2vs2の対戦しかしないみたいだ」
「さすが元『スリークラウン』の『氷皇』ね」
「女の子が殴る蹴るのバイオレンス行為を受けていたという噂もある。でも、肝心の、暴力を振るったのが誰なのかは分かっていない。つまり、これが全て誰かの意図的な工作であったのなら、バイオは無実の罪を着せられて、こんなにも僕らに怪しまれているってことになる。さすがにそれは……“愚者”であっても、プライドが許さないんじゃないかな。遠からず、なにかしらのアクションは起こすはずだよ。それがリアルかゲームかは、分からないけれど」




