物理的に引き戻す
「マナーモードにしているから気付いていないんじゃない? ほら、あたしもそれでメールに気付かないこととかあるから」
「理沙に関しては、それはあり得ない」
「だって、“涼からの電話”だものね」
そう、僕からの電話というのが重要なのだ。
僕は理沙に寄りかかっている幼馴染みだ。性格が歪んでしまうぐらいにVRゲームに熱中し、そして、最後の最後で踏みとどまって、今はカウンセリングによる精神面での回復を進めている真っ最中だ。
全ては理沙に嫌われたくないから。その理由があって、僕はどうにかなっている。
そして、あの臨床心理士に理沙は言われていた。「僕からの電話には“必ず出るように”」と。出られなかったとしても、その日の内に必ず掛け直すようにとまで念を押されていた。それが午前零時を跨ぐギリギリで気付いたのであってもだ。
今の僕は一日や二日、電話を掛けて理沙が掛け直して来なくとも調子が悪い、スケジュールが合わない、あとは電話を取る元気がないなど、色々な理由を考えることができるようになっている。でも、昔の僕はそうじゃない。
昔の僕は、自身から理沙に電話を掛けた際に彼女が電話に出ることができず、そして一日でも彼女から折り返しの電話が来なかった場合、狂気に堕ちてしまうだろうと、あの冗談すら口にして僕を罵倒する臨床心理士すら“注意するように”と言ってしまうくらいの危うさがあったのだ。
それを再三言われ、再三注意された理沙はどんなときであっても、常にスマホをマナーモードにしない。もし、マナーモードにしていたのだとしても、僕からの電話に関してだけはバイブレーションではなく、着信音が鳴るように設定している。
そして、彼女は一度たりとも僕からの電話に出なかった日はなかった。速いときにはワンコールで取るほどに、常に手元にスマホを置いていた。遅くとも四回目のコール音のときには取って出る。それが理沙だ。危うかった僕の頃に、留守番電話なんて聞いたことは一度もない。折り返しの電話なんて起こったことがない。
それがどれだけ理沙への重荷になったことだろうか。不眠症になってもおかしくないほどの重責を背負わせてしまっていたのだ。それを僕は、思い返すことによって、ようやく……とても遅いのだが、ようやく彼女の辛さを知った。
理沙はそれを表に出したことがあっただろうか。無かった。一切、僕にそんな面は見せなかった。
今でも彼女は僕から電話を掛ければ素早く反応して電話に出る。「もうそこまでピリピリしなくても良い」と言っても、きっと理沙は「慣れちゃったから、大丈夫だよ」と返すだろう。
そんな、そんな理沙が、だ。
なんで電話に出ないのか?
出ないのではない、出られないとしか考えられない。
「理沙の家に行く。隣だし、すぐに戻るから」
「私も行く。理沙ちゃんの家の鍵は私が預かっているし」
理沙の家の鍵。その予備を彼女の両親は冬美姉さんや僕らの両親に渡している。これはご近所付き合いによって全幅の信頼を寄せてもらっているからだ。
「あたしは?」
「ここで待ってて。ちゃんとなにかあったときは教えるから」
「う……ん」
花美が肯くのを見届ける前に僕は部屋をあとにし、靴をしっかりと履きもせずに家を飛び出していた。そしてすぐ隣の家の玄関口に到着すると、その扉をガチャガチャと鍵が掛かっていることも分かっていながら、開かないものかと必死に押したり引いたりを繰り返す。
そこに冬美姉さんが来て、僕の隣で鍵を差し込み、次に僕がドアノブを引くと扉は開いた。靴を脱ぎ、廊下を走って階段を上がり、彼女の部屋の扉をノックもせずに全開にした。
「VRゲーム……を、しているだけ?」
あとから来た冬美姉さんが室内に理沙が居ることを確認して、そう呟いた。HMDと神経接続ケーブル。そして『NeST』にパソコン。それらが稼働しているのを見れば、VRゲームをしていることは一目瞭然だった。
VRゲーム経験者である僕も冬美姉さんも、この様を異常と捉えることはない。
異常と、捉えることはない?
「本当に、ゲームをしているだけ、か?」
疑問がそのまま口から零れる。
「理沙ちゃんが夕食間際になってもVRゲームをやっているなんて、ちょっと信じられないわね。時間はちゃんと守る子だったはずだから」
恐る恐る、僕は彼女の『NeST』とパソコンの画面を眺める。
「ねぇ、涼。なんで理沙ちゃんの御両親はいらっしゃらないのかしら」
「……一週間くらい家を空ける、って言っていたけど。それって、今週から、だったのか?」
じゃぁあの時、理沙は、一人で家に居ることを僕に心配されないように、嘘をついたのだ。
「なにもおかしいところは、無い……? いや、おかしいところが無いことがおかしい」
VRゲームをプレイしているだけ。ただそれだけ。そうとしか見えない。確かに仮想世界に精神を落としていれば、電話には出られない。
それだけじゃない。僕の、リアルじゃ大したことには使えないはずの“直感”が、なにかがおかしいことを伝えて来ている。
だから、まず『NeST』に触れる。肉体制御系統の演算処理。肉体の動きを仮想世界へと落とし込むときには必ず、この『NeST』を通る。VRゲームと接続している最中もロックが掛かっているため、パスワードの入力を求められるのではと思っていたが、画面をタップするだけで『NeST』のロックは開かれた。
どうやら、普段から『NeST』にロックは掛けないらしい。外に持ち歩かないのならば、それで充分と考えているのだろう。危機意識が低いが、それはあとで、理沙に伝えるとして今回はその危機意識の低さに感謝する。
『NeST』にはプレイしているゲームのログも蓄積される。演算処理を続けている中で『設定』を見たところ、ログは一日経過すれば消えるようになっている。でも、今日の分だけがあれば、それだけでこの状況を説明できるだけの情報が詰め込まれているだろう。
「なにしてるの?」
冬美姉さんは理沙の心音や脈拍、呼吸などを確かめながら、『NeST』を操作している僕に訊ねて来る。
「キーワード検索。『ログアウト』や『Log Out』、あとはその辺りの似たような単語。それで、理沙は?」
「心音も脈拍も安定している、と思う。専門じゃないから自信を持っては言えないわよ? でも、呼吸も荒くないし、少なくとも生きてはいる。意識不明かどうかは、これから涼が調べることよ」
意識不明? そんなVRゲームのおきまりの出来事があってたまるか。
『NeST』でキーワード検索は普段やらないことだし、ログを検索することもやったことはない。だからどんな言葉でヒットするか分からない。けれど、理沙に起こっている状況を調べるにはこれが一番、手っ取り早いはずだ。
綴りを片っ端から調べた結果、『Log-Out』でようやく検索がヒットする。
「『Log-Out Error』? なにこれ、ログアウトしようとしているのにできていないの? それもこれだけヒットしてるってことは、一回とか二回じゃなくて、十回以上もログアウトに失敗してるってことになるんじゃ」
「『Armor Knight』だけかも知れないけど、ログアウトに十数秒掛かるんだ。全ての感覚や意識をデータから肉体へと戻すわけだから、これでも速い方だとは思うんだけど……ログアウト中に、ちょっかいを出されたらエラーを起こす」
「ちょっかい?」
「押し飛ばされたり、叩かれたり、蹴られたり……ヴァイオレンス行為に当たらない程度の小さな接触だけでも、ログアウトできない」
それぐらい仮想の世界からログアウトするということは、繊細なことなのだ。
「……あー、私がやっていたゲームもそうだったわ。じゃぁ、理沙ちゃんは『Armor Knight』内で誰かにログアウト中に何度も接触されて、ログアウトできない状態にあるってわけ?」
「そういうこと、だと思う」
強制ログアウトの方法についてはまだ理沙には教えていなかった。荒業だから、あんまり教えたくないというのもあった。
僕は『NeST』を置いて、パソコンの画面を眺める。
「こっちからなら物理的に引き戻せる」
物理的に、というのは『NeST』から延びる神経接続ケーブルと頭部を覆っているHMDを僕らが外すということだ。
僕と冬美姉さんが慎重にHMDに手を掛ける。
そこで僕は、一瞬ながら、ある可能性を思い浮かべてしまった。
本当にちょっかいを掛けられているだけで、ログアウトができないのか?
「待って」
「なに? なんだかまずい状態なんじゃないの?」
「外すなら……救急車を呼んでからにして」
僕は震える声で、冬美姉さんに指示を出す。
「それまで、これは外しちゃ……駄目だ」
外した直後に、理沙が貧血に似た症状を引き起こし、倒れるかも知れない。そんなもしもが、あるのだ。
少なくとも、倉敷さんの一件があった以上は、ここで気を抜くわけには行かない。




