思わぬ出来事
「パイロキネシスと戦うのは久し振りだなぁ」
『久し振りだからってやられたりしないでよ?』
「だから、スカートが懸かっているなら、そんなヘマしないよ」
エレベーターのドアが開き、地上四階にオルナを降ろす。続いてパールもエレベーターから出て、エリアの隅へと走行した。
これは一つの彼女なりのパイロキネシス対策でもある。
初心者の最初の壁と言われるのは、近接戦闘における掴み判定の異常性だけじゃない。このパイロキネシスは、その名称通りに火炎放射器を武装している。それも、CPU専用のエネルギーが尽きることのない永久機関搭載型である。当然ながら浴びれば炎熱のダメージが入り、更には状態異常のスリップダメージまで付加される。
しかもこの放出される炎は、エリアの床にしばし常駐する。RPGのダメージ床やトラップに属するものだ。ティアは機体が、この常駐する炎を踏まないようにエリア隅にまで移動したのだ。
炎を機体が踏んでいると、スリップダメージの状態異常に掛けられていなくとも耐久力が一秒に0.5ずつ削られていく。一秒に1ずつ削られないだけまだ安心できるが、2秒で1削られるというのは、この耐久力を回復する術のないゲームにおいては致命的である。
僕らプレイヤーは耐久力を絶対視するあまりに、この常駐する炎を避けて戦いたがる。知らず知らずのうちにこの炎を避けてしまい、勝手に自分の中で機体の動ける範囲を制限させてしまう。
その制限された範囲で動こうとするプレイヤーの精神も相まって、パイロキネシスの掴み攻撃は恐るべき命中率を叩き出すのである。ティアも恐らくはその例に漏れず、自ら行動範囲を狭めてしまって、パイロキネシスとの戦いを極端に嫌うのだろう。そこで彼女は苦手な遠距離戦闘を取るわけだが、この機体は盾を持っているため遠距離攻撃をよく防ぐ。
きっと、エネルギーライフルで削ろうと考えるプレイヤーはたくさん居る。それを『Armor Knight』を作った企業やこのオンラインを任されている運営側は熟知しているからこそ、盾を持たせているのだ。
『パイルバンカーで本当に仕留めるの?』
「じゃぁ、他のどこで、このロマン武装は使ったら良いんだよ。当てれば必ずクリティカル判定だけど、クリティカル距離が無いからシステムアシストが掛からないし、避けられるじゃんか」
このミッションにおける特別なパイロキネシスと戦うときにはパイルバンカーを使うのが一番だという結論に昔、僕は達したのである。
『Armor Knight』でのパイルバンカーは、拳を放つと共に、腕部に備わった鉄杭が、拳を放った方向目掛けて超高速で射出される。ただし、超近距離で“拳を当てなければ鉄杭自体が射出されない仕様”に伴い、対人戦では避けられ、CPUが動かす機体にすら当てるのは難しい。
『一応、そのパイルバンカーで倒せたならご褒美でもあげようか?』
「……なんか怖いから、ヤダ」
あざとい。だからさぁ、そういうあざとさはティアには必要無いんだよ。もっと華麗で、綺麗で、その美しさ通りの仕草や言動を取ってくれるだけで良い。それだけで男の僕は、充分なのだから。
『女の子がご褒美って言ったら、男は大概喜ぶものじゃないの?』
「ティアの男への偏見って、僕の年上に対する偏見と同レベルだよね」
さすがはお嬢様学校に通っているだけのことはある。でも幼稚園や小学校、中学校まではさすがに男子禁制のところに通ってなんかいなかっただろう。それなのにどうして、ここまで偏っているんだろ。幼稚園とか小学校ならまだ男子と女子の違いが分からないで言い分は成り立つけど、中学までさすがにその言い分は通らない。
なにが彼女をここまで偏らせたのか……やっぱり、このゲーム、かなぁ。
『スズは好きじゃないの、ご褒美って言葉?』
「好きか嫌いかで答えるなら、好きじゃない。特にティアに言われるのは、嫌だ」
『……そっか、スズはご褒美って言葉は嫌いなのか』
フェティシズムの一件もそうだけど、この言い方も、まるで僕の好き嫌いを確かめているようだ。僕という存在を理解するためにたくさんの情報を掻き集めようとしてくれているのなら、それは好ましく受け取るべきことだ。けれど、さすがに方向性がディープすぎて、このペースでやり取りを続けるといつか付いていけなくなってしまう。
ティアとのやり取りをそこで一時中断し、僕はエリア中央で待ち構えているパイロキネシスと対面する。全体的に炎をイメージした黒と赤の燃えるようなカラーリング。右手はなにも持っていない。左手は大型の火炎放射器を既にこちらに向けて構えている。そして両肩にはショルダーガードがあり、中途半端な遠距離攻撃なら容易く防ぐ。まさに攻守ともに優れた武装配分である。
プレイヤーに対する嫌らしさとか煩わしさにおいては、ある意味で特化型とも言えるけど。
パイロキネシスの索敵範囲に入ったことで、火炎放射器が唸りを上げて、周囲一帯に炎を撒き散らすとともに、オルナにも浴びせようと、機体そのものも動き出した。当然のことながら、炎をずっと浴びているわけにもいかないのでオルナを右に左にと揺らしながら接近を試みる。
「そもそも、この機体は接近戦を挑ませるためのCPUが組まれているんだから、そこに飛び込むのは自殺行為なんだけど」
短期決戦で済ませるのなら、近付くのが最良である。
「僕にはこっちの方が、合っている」
しかしながら、ただ真っ直ぐ、短絡的に飛び込んでしまっては謎判定のある掴み攻撃よりも先に、火炎放射器を眼前で浴びるハメになる。どんな戦法を取るにしたって、相手の隙、或いは相手の動きというものを読んで、「これだ」と思うタイミングに懸けるのがアクションゲームにおける一般的な戦法になる。無理やり隙を作って、そこに攻撃を畳み掛けることもセオリーだけど、それはダメージを覚悟しての突撃に近い。
『踏んでるよー、炎』
「このスリップダメージを気にしていたら負けだよ」
ミッションを始めてから気に掛けていた、耐久力の最低ラインをまた定める。「この数値までは喰らっても良い」という最低ラインだ。それを下回る前までに破壊する。破壊できず、下回った場合はまた手段も変わる。2秒間に1削られるこの常駐する炎によるスリップダメージでの減りは、まだまだ僕にとっては許容範囲内である。
だからこそ、オルナを自由に動かせる。自由に動かし、パイロキネシスの懐に入る余地を窺える。
迷いなく、躊躇いなく、ここと思った直後に僕はパイロキネシス目掛けてオルナを突撃させた。火炎放射器から放出される炎が消える。全ての動作が一旦停止し、パイロキネシスのCPUが掴み攻撃を行うという判断を下す。
その数秒にも満たない、僅かな時間。僕の頭の中を稲妻の如く、思考が駆け巡る。パイロキネシスがその動作に移るよりも先に僕はオルナを動かしていた。
『来る』
「僕の拳は」
言いながらパイロキネシスの右手を注視しながらも、オルナの右腕を彼の機体目掛けて突き出す。
「お前の判定よりも、速い!!」
右手の謎判定込みの掴み攻撃。それが成されるより速く、オルナの右腕がパイロキネシスの腹部へと叩き付けられる。その衝撃を感知し、右腕に備わった機械が超高速でもって鉄杭を射出した。拳をぶつけた箇所へと鉄杭が突き刺さり、そして貫通する。
「って、え?」
パイロキネシスの右手がオルナを掴んでいる。その手の平から供給される熱がオルナの左腕に集まって――
『耐久力がミリ残っているけど?』
ふざけんなよ。
僕はオルナの左腕とのジョイントを切り離して、パイロキネシスを貫いている鉄杭に拳を叩き付けることで更に押し込み、その場から離脱する。この駄目押しでパイロキネシスの耐久力は尽きたらしく、動きを止めて、バチバチと電撃を機体全体に放出させながら、爆発した。
「なにこのマイナーアップデートでの改悪! 前はパイルバンカーで一撃だったのに、一撃じゃなくなっているんだけど! 運営に修正しろってメールを百回送ってやる!」
冷や汗ものだった。あそこでティアが通信をして来なかったら、僕はスカートを履くことになっていたかも知れない。そういう、もしものことが不安となって心の叫びとなった。
『そんなことしたらアカウントが凍結されちゃうでしょ、頭を冷やして。一撃じゃなかったけどほぼ一撃だったし、倒せたんだから良いじゃん』
「でもこれだと安定周回ができないし!」
なんだよ、マイナーアップデートで修正案件のはずの謎判定の掴み攻撃は無視して、パイルバンカーの一撃必殺だけは対策を入れて来るとか、どこまで初心者を苦しませる設定にするつもりなんだよ。
これだけ文句を並べ立てているが、ただ単にスカートを履きたくなかったが故の批判だ。この昂ぶりが落ち着いてしまえば、「これは良い上方修正だよ」と多分、僕は言うだろう。この時に限っては、それは絶対に言いたくないが。
『でも私が戦うよりは凄くスマートに終わったから。さっすがゲーム廃人』
その後半の言葉は褒めているんじゃなくて、貶しているよね?
モニターに『Mission Complet』と表示され、クリア時間や敵機の撃墜数、耐久力が戦績として集計される。あとは『任務初クリア』という文字もあった。ランク9に上がるためのキーミッションだったんだけど、まだやっていなかったんだなーという感想と、今度はルーティを手伝わなきゃなーという感想を抱きつつ、僕はそのまま右下部に浮かび上がったコンソール画面の『完了』をタップし、閉じる。
僅かな暗転ののちに、スズという僕はアズールサーバーの出撃ゲート前まで戻った。ティアはまだ戻ってきていない。回線が混雑しているかも知れない。長々と戦績を眺めている、というのは効率重視を求めた彼女がやるようなことでもない。僕と同じようにテキトーに読み流して、戦績は閉じたはずだ。
「はぁ……なんだか、いつもより疲れた」
そう呟いた直後、ティアが出撃ゲート前に帰還した。
「今度からはもっと効率的に……ティア?」
聞こえていないのか、心ここにあらずといった感じだ。
「どうかした?」
「お礼、なにが良い?」
「言っている意味がよく分かんないんだけど」
「ううん、もう訊ねるのもやめにする。こっちで勝手に決める。多分、このお礼で喜ばない男は居ないと思うし」
「今はスズで、っ!?」
抱き締められた。後ろからではなく、前から抱き締められた。“男”と言った点が気に掛かったものの、やはり一人二人のプレイヤーの会話を聞いている人はほとんど居ないらしい。
けれど、それはあくまで外見面での話なのだ。ティアに抱き締められている僕は、仮想世界であれどその温もりや、彼女から伝わる色々な、様々な感触に支配されて、なにがなんだか分からないまま混乱していた。
ギューッと、理沙にも抱き締められたことがないのに、強く、強く抱き締められて、体は熱を持ち、やがてオーバーヒートでも起こしたかのように頭がクラクラし始める。それぐらいになってようやくティアが僕から離れ、自分の衝動的に起こした行動がいかに恥ずかしい行いであったのかを察したのか、顔を赤くする。
『ただの恋煩いですね』
最悪なことに、こんなときに、心理カウンセラーの言葉を思い出してしまう。
まさか、あるわけがないと思っている。なのに、お礼とかそんな理由で抱き付かれてしまうと、妙な方向に妄想が働いてしまう。
期待はするべきじゃない。してはならない。だから、早く頭は冷めてくれ。でないと、これから先、ずっとどういう表情でティアや倉敷さんに会えば良いのか分からなくなる。
「お礼、だから。単なるお礼。ほら、今はスズだし。リアルじゃ、こんな風にはしないし」
そう、お礼。単なるお礼だ。頬から熱が取れて行く。鋭敏になっていた感覚がゆっくりと元通りになって行く。
僕だけに優しいんじゃない。彼女はみんなに優しいんだ。こんなちょっと、抱き付かれたくらいで、なに勘違いしようとしているんだ。
そうやって自分自身を貶めて、僕は平静を取り戻す。嬉しいという感情は、暗くて黒い感情で消し去れる。塗り潰せる。塗り潰してしまえば良い。
その方がなにも考えなくて済む。なにも考えないのは、楽だ。
「お礼って、なにかしたっけ?」
「レアイベントが起きたから。一発で発生するとは思わなかった」
「……ああ、じゃぁ……ええと、取り敢えずは目先の目標は達成できたんだ。おめでとう」
「ありがとう、スズ。あなたが居なかったら、こんなに早くは達成できなかったと思う」
「いや、まだ一回目だったし、ティアの運が良かっただけだよ」
それ以外に言葉を見つけられない。早期に目標が達成されたことは良いことだ。だけど、なんだか物足りなさを僕は感じている。
どうやら、これ以上を僕は求めているらしい。あんなに頑張って嬉しい気持ちを上塗りしたっていうのに、懲りないな、僕は。そんな馬鹿馬鹿しいことは、やはり黒く塗り潰してしまわなければならない。
頼られるのは怖い。期待されるのも、してしまうのも怖い。だからこれ以上、僕にそんな目を向けないでくれ。
僕はティアからのお礼や様々な言葉にテキトーに相槌を打ちつつ、逃げるように「落ちる」と言い、別れの言葉を告げてゲームからログアウトした。




