乙女心とは
【-2-】
「あのさー」
「んーなにー?」
「ティアがログインしないのって、スズがなにかしたからでしょ?」
「きゃひっ」
ルーティに言われ、僕は変な声を漏らす。
「なに今の素っ頓狂な声」
「自分が一番驚いているから」
あんな高い声を僕でも出せるんだなと感心してしまうが、恥ずかしさの方が大きい。
「なんでそう思うの?」
「だって、ティアとスズって喧嘩しそうだもん」
「ネットでしか会ったことのない人と喧嘩することが僕にできると思う?」
ティアの中の人が倉敷さんだということを伝えられずにズルズルと引きずっているため、若干の嘘を交えなければならない。いつになったら僕はこのややこしい話を彼女に伝えられるようになるんだろうか。
「でも、喧嘩しそうじゃん」
もう一度、言われてしまい、僕は黙り込む。今日、僕は確かに倉敷さんと口喧嘩をしてしまったんだけど、ルーティはきっとそこまでお見通しではないだろう。ただなんとなく、そんな気がした。そういう曖昧なものだけで、僕を追い詰めるのはさすがである。
「しないから、喧嘩とか」
沈黙ののち、強気に僕は言い返す。
倉敷さんは望月と卓球勝負をして、負けた。それが悔しい。そしてそのことに苛立っていた。その二つだけで、いつもと様子が違っただけ。その苛立ちを僕はぶつけられ、少しばかり、ほんの少しばかり彼女が嫌がるようなことを言った。
そう、それだけ。
決して「恋煩い」なんてものではない。
“それだけ”だと何度も何度も何度も自分に言い聞かせなきゃならないのは、全てあの人のせいだ。なにが「恋煩い」だよ。なにが「甘えたい」だよ。倉敷さんはそういう人じゃないし、僕は女性に好意を寄せられるような顔立ちや性格じゃない。
しかも「お付き合い」とか! 無いから……ほんと、そういうの、無いから。
どちらかと言えば僕はアニメでよく出て来る玉砕型や撃沈型の片想いキャラである。決して、決して僕が“倉敷さんを好きだ”というわけではない。だが、そういうキャラだと把握している。
想いを抱くだけ抱いて、好きと伝えられずに他の主人公補正でも掛かっているんじゃないかと疑ってしまいそうになるほどの性格も顔も良い男に、その片想いをしている女の子を奪われるようなキャラである。そっちの方が、どう考えたって僕らしい根暗キャラじゃないか。
どれだけ想いを抱いても、どれだけそれを表現しようと頑張っても、決して伝わらずに、その女の子は別の誰かを好きになる。努力が報われない典型的な脇役であるはずだ。
なのに、なんで倉敷さんが僕に好意を寄せるんだよ。
そもそも恋ってなんだよ。そもそも恋愛ってなんなんだよ。恋煩いとか、恋い焦がれるとか、そういうのは、よく分からない。
それもこれも思春期にVRゲームに夢中になっていたせいだ。このことに関しては全面的に僕が悪いことだが、別に都合の良い言い訳を考えてしまう。
異性を好きになる、ならない。その辺りの感情が欠落してしまっている。僕の中で、その辺りの成長がおかしな方向で捻じ曲がっているのだ。
そりゃ女性の体には興奮する。興奮するけれども、こう、なんというかコミュニケーションを経た先にある恋愛? というものが分からない。『あなたの中での好きと嫌いの基準は、幼稚園児レベルで停滞したままですね』とは、あの臨床心理士の言葉である。これも今日、イヤミったらしく帰り際に言われたのだ。
「むー、なに考えてるの?」
「別になにも」
「……スズとティアが喧嘩していると、これからのミッションでもぎこちなくなりそうだし」
言いながらルーティがメールを打ち始めた。
「私以外ともちゃんと、コミュニケーションが取れているんだから、こんなことで不仲になって、フレンド解除になっちゃったら、私も困るし」
彼女のコンソール画面でメールが送られる演出が入る。
「誰になにを送ったの?」
「ティアにログインするようにメールを送ったの」
なんでそう面倒臭いことをしてしまうかな。
「あの、喧嘩中だとは分かっているんじゃ?」
「だからでしょ。さっさと仲直りしてよ」
それは……ちょっと難しいんじゃないかな。いやほんと、僕が悪いのか倉敷さんが悪いのか物凄く、微妙だし。いや、僕が悪い……? 悪いか? 悪くないと思うなぁ、僕はただ苛立ちをぶつけられていただけだし、嫌なことを言われたからってすぐに逃げ出した向こうが悪いと思うんだよ。
「自分は悪くないと思っているでしょ?」
「ま、まさかー」
僕が苦笑いを浮かべつつ、悩んでいる様を見てルーティはクスクスと笑う。
「その様子だと、ルーティが間を取り持つということは無さそうだね……」
「だってその喧嘩に私、関係無いし。呼び出すこと自体がそもそもお節介だと思うし。ティアが悪いのかスズが悪いのか、私には分かんないけど、とにかくスズが悪そうだから謝りなさい」
「……いや、私は悪くないよ」
「若干の沈黙から、ミクロン単位では悪いと思っているんだと予想してみた」
「そんな予想はしなくて良いよ」
「ちゃんと謝りなさいよ? でないとスズじゃなくてクズになっちゃうよ?」
自分の性格がクズなのは重々理解していても、動揺がそのまま表情に出ているらしく、ルーティはずっと笑っている。そんなに僕がテンパっているのが珍しいらしい。
そりゃ、落ち着かなくもなる。倉敷さんとは喧嘩したし、臨床心理士には妙なことを吹き込まれてしまったし、ルーティは喧嘩した倉敷さんを呼び出すと言っているし、もうなんか色々と、僕のキャパシティが限界だ。
「はぁ……謝るのは得意じゃない」
「誰だって謝るのなんか得意じゃないよ。理不尽でも謝らなきゃならないときはあるし、従わなきゃならないことはある。自分ばっかりを正当化して、自分以外をみんな悪い人認定してたら、誰も味方になってくれない」
正論をぶつけられては、僕の捻じ曲がった正論では到底、太刀打ちできそうもない。
「悪くないのに謝らなきゃならないとか」
「現実じゃ、喧嘩なんて謝った者勝ちだよ。だって先に謝った方が、後腐れが無いんだもん。相手が謝るまで謝らないとか。相手が謝ったからついでに謝ったとか、そういうことを今後、ずっと考えなくて良いのは物凄く、清々しい話じゃない?」
寝る前に思い出して苦悩するようなことには確かにならなさそうだけど、謝ったからって結局、それを許してくれるかどうかは相手に委ねなければならない面があるわけで、その相手がどれだけ僕のことを分かっていてくれるかは、定かじゃないわけで。
それでも、倉敷さんを信じようと思ったのは僕なのだ。じゃぁ、やっぱり……僕が謝るべき?
嫌だなぁ。なんとかして、僕が謝らずに倉敷さんと仲直りができれば良いのに。
「あのさ、」
「そんな都合の良い方法なんて無いから」
訊ね切る前に、先回りして僕の言葉は封殺されてしまった。
「ルーティはティアのことになると、少しだけ引き気味だよね。あんまり我を通さないっていうか」
「だってスズとティアって、この世界じゃお似合いだなーと思ってさ。あ、でも男だと知られないようには気を付けてね。そればっかりは修復もなにもできそうにないから」
実を言うとスズが男であることには気付いているんだけどなぁ。
「とにかく、スズはもっとティアのことを受け入れてやりなよ」
これでも頑張っているんだけど、その努力はやっぱり報われちゃいないよな。その点じゃ脇役に徹してはいられているんだろうか。
「一個、質問なんだけど。『口も利きたくない』って言われて、そのあとに口を利いてくれることってあるの? というか、この言葉にはどういう意味が含まれているの?」
「『もっと私の話を聞いてよ、馬鹿』、『こんなことも言わなきゃ分かってくれないの?』、『私からは口を利かないけど、そっちが話し掛けて来るなら、耳を貸さないわけでもない』、あとは、」
「ちょっと待って、幾つもあるの?」
「そりゃそうでしょ、馬鹿なの?」
僕は額に手を当てて、深く悩む。
「できれば一つに絞ってくれないかな。ただでさえ人と話すのが苦手なのに、会話の焦点がボヤけるから」
「それはちょっと難しいかなー」
「なんで?」
「人によって違うし」
なんだよそれ、難しすぎる。ムリゲーじゃん。
「その、当たり障りのない答え方はないのかな?」
「無い。答えは人それぞれだよ。だって、私の考えていることぐらい、一発で分かりなさいよという乙女心が働くから」
乙女心?
「うーわ、面倒くさっ」
あまりの面倒臭さに鳥肌が立ってしまった。
「面倒でも、そういう会話には付き合うものだし、必死に察するものなの」
「あーヤダよー、そんなの察したところで僕の貧相なボキャブラリーじゃ、絶対に火に油を注ぐようなものだよー」
「……私はスズのそういうところが面倒臭いと思う」
それは僕を幼馴染みとして産まれてきた環境を恨んでくれとしか言いようがない。この面倒臭さを捨て切れられるなら、当の昔に捨て去っている。ルーティのことだから、そんなことは分かり切っていて、それでも嘆き悲しんでいるんだろうけど。
「痛ってぇえええ!!」
ティアにどういった言葉を投げ掛けようかと思案しているところで、悲鳴が木霊した。僕とルーティはその悲鳴が聞こえた出撃ゲートまで走る。既に人だかりができている。
胸騒ぎがする。なにかとても、嫌な予感がした。




