男と女の境界線
「ねぇ君、少し良い?」
溜め息をついて、さて待ち合わせ時間までどうしようかと思っているところで、不意に声を掛けられた。
「君、今はフリー?」
「ええと、すみません。今日は待ち合わせをしていて」
「それってリア友?」
「はい。なので、チームを組んでも会話がギクシャクしてしまうかも知れません」
「リア友ってことは、来るのも“女の子”? だったら、俺たちは別に気にしないけど」
「あ、ええと……御免なさい。もう二人だけで今日は遊ぶって約束をしていて、なので、それを破ってしまうと機嫌を損ねてしまうかも知れないので」
「そっか、それじゃ仕方無いね。あ、でも、暇なときにでも連絡をしてよ。待ってるから。それじゃ」
なんて言いながら、声を掛けてきた男が去り、チームメンバーに詳細を伝えている様を呆れ眼で見つめる。中空に浮いた薄水色で透き通っているコンソールには『フレンドの申請がありました。許可しますか?』という質問のあとに『はい』と『いいえ』の選択肢が表示されている。
誰がどう見ても、ナンパである。仮想世界でもチャラい奴はチャラいのだ。だが、リアルでチャラい奴がゲームにハマるかどうかも微妙な話だ。どちらかというとオタクっぽい人が同じくオタクっぽい異性と仲良くしたいがために勇気を振り絞ってナンパをしているようにも受け取れる。ならば僕はそういった彼らにオタク頑張れという声援を送りたい。主に自分自身周辺に危害が及ばない程度に。
けれど、非常に申し訳ないがそういった勇気に僕は応じない。『いいえ』を押し、コンソールを閉じる。こんなものに一々、付き合っていてはキリがない。こんなのはもう、二ヶ月ちょっと前から日常茶飯事である。
僕はネカマである。
ファーストキャラの性別は男性だった。でも、セカンドキャラの性別は女性なのだ。
肌は黄色人種たる日本人から掛け離れない程度に色白で、背丈は158cmほど。長身ではなく小柄な女性。痩せ型ではあるが、病的な細さにはならない程度に調節を。胸の大きさは並み以下。僕の男としての尊厳及び精神が耐えられそうにないから、胸はほぼ無いように設定した。
貧乳フェチではない。これだけは声を大にしてもう一度言いたい。貧乳フェチでは決してない。
セカンドキャラの性別を女性にしたのには大きな理由がある。その大きな理由の前に、僅かながらに興味があったことは隠さないで話してしまおう。現代において、VRゲーム内の声紋、声質、声帯は全て現実世界における自分自身のものを再現することができる。だから男が女性プレイヤーを演じても、声はどう頑張ったって隠せない。
ただ、例外はある。元々、声が高めの男なら不可能では無いのだ。特に僕は家に掛かって来た電話を取って「もしもし?」と訊ねただけでも『奥様か娘さんですか?』と言われてしまうぐらい勘違いされる。声変わりは済んだはずなのだが、それでもまだ間違われる。泣きたいレベルで間違われる。
そんな僕に「VRゲームでは都市伝説と化しているネカマプレイが可能なのではないか」と悪魔が囁いた。この悪魔は僕がナンパを受けても尚、まだログインしていないので、もう少し待つことになりそうだ。
女性声優は子供役や、場合によっては少年役を演じることがあるという。僕はその逆をやっているのだ。ただ、声優レベルの演技力は無い。それは声優に失礼だ。
ただ、一般的な男性より高い声が出るというだけ。なにも普段から声が高いってわけじゃない。今だって、ワンクッション置かなければ素の声を出してしまっていた。
それにしたって、こうして二ヶ月弱、女性でプレイしているが、意外とバレないのだから、世の中の男ってのは異性かどうかを容姿八割で判断しているに違いないという結論に至った。僕としてはログインしてすぐにバレて、「ほらやっぱり駄目だったじゃないか」と文句を言って、キャラクリエイトをやり直すつもりだったのだが、バレないからズルズルと続いてしまっている。今では見破ってくれ、見破らないでくれという思いが半分半分になってしまった。
チャットを主体とするネットゲームではネカマは演じやすく、そして見抜かれやすいはずなのになぁ。可愛い女性キャラを作って、それを操作しつつチャットで「ですます」を使えば、大抵、中身も女だろうっていう思い込みが生まれる。僕がネカマに騙されたことがあるんだから、これは断言したって良い。本当の本当に騙される。「女性キャラの中身まで女性なんてあり得ない」と思っていても、一割くらいは「美人の女の子なんじゃ」という希望を抱く。女性キャラのフレンドが出来ると、小躍りすることだってあるくらいだ。チャットの敬語ってのはまったく怖ろしい。
でも、その手のオンラインゲームでは女性には見抜かれることも多い。使っている化粧品やファッションについての話題を出されれば、女性は答えられるが男性はほぼ答えられない。
僕だってパンプスというものが靴の種類としてこの世に存在することを幼馴染みから聞いて初めて知った口である。他にも僕の知らないものが存在すると思うと震え上がる。
これらに答えられない人はつまり、女性ではなく男性であるという判断を女性はすることができる、らしい。最近じゃ女性プレイヤーも色々と高度な引っ掛けを用意するみたいだから、一概には言い切れないけど。それに対して、ネカマもまた女性向けファッションや化粧品を学び、掻い潜るのだとか。なにこのイタチごっこ。僕は絶対に関わりたくない。
しかし、『VRゲームにおいてネカマは都市伝説』というのはどのプレイヤーの頭の中にもあることらしい。女性キャラはリアルでも女性。男性キャラはリアルでも男性というのが通常の認識なのだ。そう、それが普通である。
それでも僕が普通じゃないネカマプレイをし続ける最大の理由。それは――
「御免、ちょっと遅れちゃった?」
肩をトントンと叩かれ、僕は振り向いた。肩に掛かるほどに伸びている黒髪が振り返り様に乱れたので、片手で整える。リアルじゃ男なんだから、こんな仕草はやりたくない。やりたくないが、乱れた髪は非常に邪魔臭いのでやらざるを得ない。それに、なんだか二ヶ月弱で慣れてしまった感もある。人の適応力って、実は意外とあったりするんじゃないのかなと思う。
「いや、ギリギリ間に合ったと思うけど」
「良かった」
言って、彼女は両手を胸元で合わせて「にこっ」と笑う。
突き詰めて言ってしまえば、仮想現実が可能とした仮想の笑顔。けれど、それでも、女性の笑顔というのは、胸の奥に響くなにかがある。
たとえそれが、諸悪の根源たる存在であってもだ。
「理……」
思わず、彼女の本名を口にしそうになったがギリギリのところで口を噤むことができた。
「えーと、今日はちょっと忙しかった?」
「ちょっとやることを先に終わらせて来たから」
「なら僕との待ち合わせ時間をズラせば良かったのに」
「ネカマプレイをしているのに、一人称を『僕』とか」
なにその今にも笑い出しそうな顔は。こっちは慣れているのに、そっちは慣れていないなんて不愉快極まりない。
「指摘してくれてありがとう。でも、あまり大きな声で言わないで」
何故、見知った相手に指摘され、そして慌てて女の子らしい発言をしなきゃならないんだか。
「一人称で『僕』を遣ったのはスズの不注意じゃん」
そんな風に切り返され、僕は反論することもできずに押し黙るしかなかった。
ルーティ――桜井 理沙は僕の幼馴染みである。そして、僕が女性プレイヤーを演じる最大の理由であり、悪魔であり、諸悪の根源である。




