口喧嘩
僕は倉敷さんと一緒に券売機の列に並ぶ。
「『売り切れ』はもう出してもらえないから。もし食べたい物が売り切れていたら別のを押すこと。食券とお釣りはちゃんと回収すること。飲み物は自動販売機で売っているけど、お冷やとお茶はそこで紙コップに注げる。こっちはお代わり自由だから」
「案外、簡単そう」
「慣れれば、ね。慣れない内は緊張するよ。まぁ、緊張なんて君はしないんだろうけど」
思えば、僕はあの一件以来、倉敷さんのことを代名詞で『君』と呼ぶようになったけど、これからもそれで大丈夫なんだろうか。
「言っておくけど、私のことを『君』呼ばわりするのはあなただけよ。男の人と接点が少ない分、そうやって別の形で呼ばれることはなんだか新鮮なのよ」
理沙に続いて倉敷さんまで僕の表情から心の声を読み取れるようになってしまっている。僕は素で、顔に感情が出てしまうのだ。
「男と接点が少ないから免疫が無いんだっけ?」
「男の人に話し掛けられたら、口説かれていると考えて生きているから」
僕が年上に偏見を持っているように、倉敷さんも男の人に偏見があるようだ。それもきっと、一割の真っ当じゃない人と関わることが多かったがために……なんだか、悲しい話だ。
「僕が大丈夫ってことは、倉敷さんは僕を男として見ていないってことか」
「そもそも、男らしいところなんてあったっけ?」
言い返せなかったので、僕は沈黙した。
券売機で食券を買ったのち、それをカウンターに置いてしばらくして、番号札と同じ番号を呼ばれたので揃ってお盆に料理を置く。
僕はきつねうどんで、倉敷さんはカツ丼だった。
「……女性らしさってなんだろうか」
「直後に運動していたし、お腹が減っているの。今日は晴れているし、テラスで良いでしょ?」
そもそも、一年生がテラス以外での食事はタブーである。幸い、今日は雨が降っていないし、席も空いていたので僕らは対面する形で昼食を摂ることとなった。
「こんな大勢に見られながら食事とか、あんまりしたくなかったのに」
「教室で細々と食べている立花君を容易に想像できちゃうけど、別に悪いことじゃないわよね?」
「一人の方が良いんだよ」
「私も団欒と食事を摂っている立花君なんて想像できないかな。それに、そういう強がりは嫌いじゃない」
褒めているのか貶しているのかどちらだろうか。僕の知っている女の子は相変わらず、一言よけいなんだよ。僕も僕で大抵、酷いことを言ったり思ったりしているから、あんまり強く批難することもできない点については、目を逸らす。
「人前でカツ丼を食べられる女の子がこの世に居るなんて、思いもしなかった」
「へ、なんで? 美味しいじゃん、カツ丼。もしかして食べたことないの?」
「違うよ」
「人前でカツ丼を食べない女性はちょっと、あからさますぎる。いつからそんな時代になったんだか」
「倉敷さんが前時代的なんじゃない?」
「体型を気にする年頃は分かるけど、その時期に美味しいものを食べられないなんて、絶対に後悔するに決まってる。食べたい物は食べる。期間限定のメニューは永遠に食べられなくなるかも知れないの」
カツ丼はいつだって食べられるメニューじゃないか。
「一理はあるんだけど受け入れがたいな」
「高校に通っていられる期間は三年よ三年。たった三年なの。この三年の間に、少しでも美味しいメニューを食べ損ねるなんて事態が起こったときには、私はきっと泣くわ」
食に対する物凄い熱意だ。それで特に苦労もせず体型を維持しているっていうなら、多くの女性を敵に回しそうだ。
「目立つんだよ」
「ま、私が体操服だし仕方無いんじゃない。男子は女子の体操服に並々ならぬ感情を抱くものだって聞いたことがあるから」
「それも一理あるんだけど、恐らくはみんながみんな、そうじゃない」
しかし、倉敷さんの場合に限っては、美人の体操服姿だからみんな注目するんだろう。
そんな人がカツ丼を食べている様は、もう本当に……惜しい。
「ズボラって言われたことない?」
「女子高じゃ普通」
「女子高を基準にされたって困るなぁ」
几帳面とか、真面目とか、清純とか。
倉敷さんの美貌を前にすれば、「こんな性格なんだろうなぁ」と想像するものが悉く外れているように思えてきた。
「むしろ、立花君はきつねうどんだけで良いわけ?」
「これでお腹は大体、満足するかな。時々、思い切り食べなきゃ気が済まないってときはあるんだけど」
「その省エネに驚き」
「ま……人それぞれってことで」
言いながら互いに食事を進めてはいるものの、やはり周囲の視線が気になって仕方が無い。
男女二人切りの食事は、どうして外食時に見掛けても対して気にならないのに、高校で見掛けると気になってしまうんだろう。
まぁ、僕らはただ食事を一緒にしているだけなんだけど。
「それじゃ、そろそろ話を本筋に戻しましょ」
言いながら倉敷さんはお茶を飲む。
「“狂眼”について教えて」
「だからそれは、あんまり知らない方が良いんだって……」
答えあぐねている僕を見て、倉敷さんはなにかを思い出した風に目を見開き、それからゴソゴソと財布から硬貨を一枚、取り出して僕に見せた。
「これから私がコイントスをするから、表か裏か当ててみて」
百円玉を親指の上に乗せて、真上に弾く。キィンッという音とともに硬貨が回転し、それを彼女は左手で覆うようにして右の手の甲で受け止めた。
「裏か表か。どっち?」
「表」
「どうして?」
「なんとなく表なんだよ。君が手で覆う前からもう表って決めていた」
聞いて、恐る恐るといった具合で倉敷さんは左手を除ける。右手の甲の百円玉は表面を見せており、それが日の光を浴びて淡く輝く。
「私も表か裏か分からないのに、当たった」
「たまたまじゃない?」
「それが立花君の“狂眼”でしょう?」
視覚から入る情報を最大限に収集することで、第六感――直感的に必要な行動を取る。正確には空間把握能力の異常発達。僕の場合、周囲100メートルまでは集中すれば人、物、そして距離感が手に取るように分かる……のだとか。
でも、手に取るように分かるという感覚は、『Armor Knight』内ぐらいだ。外じゃ精々、倉敷さんの試して来た二択を当てられる、ぐらい。しかもここに勉学、金銭的理由が伴うと、全く働かない。駄菓子屋で延々とアイスやガムの当たりを引き続けるといったことは出来ないのだ。
「当たり、かな。でも、僕や望月が異常なだけで、倉敷さんは正常だから」
慰めのような言葉を投げ掛けるが、これにどれだけの意味があるんだろうか。自分で言っていて、無駄なことをしてしまったなと思ってしまった。
「どこか超人的というか、人間離れしている才能なのだとすれば、私はいつまで経っても望月さんには勝てないってことじゃない」
「そんなに負けたのが悔しいの?」
「ゲームでもそうだけど、現実でも負けるなんて屈辱よ。悔しいに決まっているじゃない。この世の中で、負けても良いやなんて思っている人なんて居るわけない」
ここに居るんだけどなぁ。
負けることに対して、もうなんにも感じない。苦しいとか、苦痛だとか、そんなのはよく分からない。そりゃ勝てば嬉しいよ。でも“負けて悔しい”という感情はもう、遠くに行ってしまったような気がする。
パッチペッカーと戦ったときだって、僕はもう負けても良いかなと思ったときがあったんだ。理沙と倉敷さんに叱咤されて持ち直したんだけど。
「望月さんは倉敷さんをティアと知って、挑発してきたの?」
「そうよ。学年の風紀委員長なんでしょう? 生徒会の会議にも出席しただろうし、ティアは私そっくりに作っちゃっていたし、それだけでもう分かっちゃったってことなんでしょ」
やや苛立ちながら倉敷さんは僕の質問に答えた。
「頭はよく回る方なんだろうね。でも、『Armor Knight』をやっているプレイヤーがこの高校に僕以外にも居たなんて驚いたけど」
「頭が回るんじゃなくて、能力なんじゃないの?」
「能力って……バトル漫画じゃあるまいし」
あくまで僕らはゲームで遊んでいるだけだ。
「私がスマッシュを打つ前から、望月さんは私がどこに向かって球を打ち抜くか分かっていたようだった」
勝ち負けは『時の運』だ。スポーツともなれば、特に顕著だ。それをストレスにして、そしてコンプレックスに置き換えてしまうと、歪曲化が進む。
「あのさ、倉敷さん」
「なによ?」
「勝ち負けには、拘らない方が良いよ」
「……なにそれ! 私にこのまま負け続けていろって言いたいの?!」
言葉を誤っただろうか。多分、誤っただろう。なにせ勝ちに拘っている相手に拘らない方が良いと言ってしまったのだから。でも、それは仕方が無いことだ。
だって僕は話をするのが得意ではないから。相手の気持ちを察することはできても、空気を読むことはできても、そこに波長を合わせることが絶対にできない。
慰めているはずなのに、慰めにもならず、逆に相手を追い詰めることだって、ある。なんにも考えないで喋ることも、なにかをちゃんと考えて喋ることも、全てが悪い方向に進む。
それが本来の僕だ。
ほんの少しでも、コミュニケーション能力が上がっただなんて勘違いを起こさなければ、ここで僕は倉敷さんの怒りを買うような言葉を口に出すこともなかっただろう。
「僕は倉敷さんを心配して言っただけだよ」
「本当に心配して言っていない。私が入院していた時と顔付きが違うもの」
すぐに嘘がバレてしまった。
「なら本音を言うけど、君は“狂眼”の有り無しで勝ち負けが決まった風な言い方をしているけど、勝てなかった言い訳を作りたいだけなんだろ?」
「……分かった、ずーっと私が桜井さんを引き合いにだして、あなたにちょっかいを出してしまう理由が、やっと分かった」
倉敷さんは箸を置いて、僕を睨み付ける。
「あなたは、幼馴染みの桜井さん以外にはとても冷たい」
その言葉に、僕は無性に腹が立った。的を射ているからこそ心に突き刺さったのか、それとも献身的に彼女のことを思って口にしたことが悉く伝わっていないことに苛立ったのか、それは分からない。
「これでも優しくしているよ」
「あなたの中では桜井さんだけが特別で、それ以外は有象無象と一緒なんでしょ。私のことを信じていると言ってくれたけど、桜井さんには遠く及ばない。私はいっつも蚊帳の外。道理で釈然としないわけだ。なにを話したって、なにを言ったって、何故だかあなたは私と桜井さんを比べているもの」
比べているのは、どっちだよ。
自己中心的に物事を捉えておきながら、僕の言動ばかりは咎めるのか。そんなのはあんまりにも理不尽だ。
倉敷さんに対して、言いようのない感情が膨れ上がる。少なくとも、彼女は僕のこのどうしようもない性格を知りつつも、一種の理解を示してくれていたのではないのか。疑問はそのまま、腹の内から込み上げる。
「倉敷さんは僕にどう思われたいの? 理沙と同じぐらいに、僕は君のことを信じなきゃ駄目だって言うなら、それは無理だよ」
「……どうしてよ?」
怒りを押し殺した質問だった。
「理沙は理沙だから。彼女が居なきゃ、僕は壊れてここには居ない。僕の平穏の全てがあるのは理沙のおかげなんだ。彼女と君を同列になんてできないし、することなんて一生、できっこない」
「……っ! 私は、そこまでの信頼を望んでなんかない!! ただ、あなたはもっと私に優しくする理由がある! あなたと私の関係は、一体どういう関係?」
「そんなこと言われたって、ゲームで知り合って、リアルで会って、それで築かれた信頼関係としか言えない」
「……もう良い。もう話し掛けてこないで。立花君とは口も利きたくもない!」
そう言い残して、倉敷さんは平らげたカツ丼の皿をお盆に乗せて立ち上がり、一人で食堂の中へと入っていった。
「口も利きたくない、だってさ……ちっとも心に響かないな」
笑みが零れた。ああ、本当に僕はどうしようもない人間だなと思ってしまった自虐的な嗤いだろうか。
しばし、自身の中に渦巻くものについて考えてみたが、これはどうやらショックだとかそういった次元とは違うものらしい。強いて言えば、ただの怒り。それも、彼女に対する怒りだけ。僕にも落ち度はあった。けれど、負けた苛立ちを僕にぶつけていたのは倉敷さんの方だ。
その倉敷さんを宥める理由が、僕にはあっただろうか?
無い。そんなものは、無い。
だから、ただただ僕は理不尽な苛立ちを浴びせられていただけなのだ。
「強さに固執すればするほどに、歪曲化が進む」
「なんだ、見ていたの? 怒りの矛先になるのが怖いからって、僕に任せるのは酷いよ」
いつの間にか、僕の座っていたテラス席に近付いていた望月に僕は言う。
「あと、歪曲化に仕向けているのは望月の方だろ」
望月はそこで変な意味で笑う。
「私は注意を促しているだけ」
「へぇ、じゃぁ僕と倉敷さんを喧嘩させたのも、望月の注意のせいなのか?」
「それは違う。信頼関係を壊して行こうとしているのはあなたでしょ? 理解しようとしていない、分かろうとしない、口では信じていると言いながら、けれど心の底では信じ切っていない。だって他人だから。だって、次元が違いすぎるような優秀な人だから。高嶺の花だから。届かないものだから。底の底に付いていそうな自分とは釣り合わない人だから。どうせ心の奥底を信じてもらえるわけもない。そうやって、逃げて逃げて逃げて逃げて、だからあなたが自分から壊そうとしているだけ」
心の奥を見透かすような目で、望月は言う。
それは僕が心のどこかで思って、けれど引き出しにしまい掛けていたものだ。それをまるで掠め取るように、詳らかに語られてしまっては、もはや言い訳も出てこない。
「望月は一体、倉敷さんをどうしたいんだ?」
「彼女に死んで欲しくないから、『Armor Knight』をやめてもらいたいだけ……ううん、欲を言うなら、性格を歪ませてでも得るものを得て、バイオの餌食にならないように、して欲しいだけ」




