-Epilogue 03-
「ここに来た本当の理由は?」
溜め息を零しつつ、僕は倉敷さんに問い掛ける。彼女は自身の鞄から『NeST』を取り出し、指紋認証をパスして、その画面を僕にも見えるようにと畳の上に置いた。
「テオドラのデータを消すから、見届けて欲しい」
「消す、って……なんで? パッチペッカーは噂じゃアカウントが凍結されたし、ラクシュミの偽物はもう出て来ないよ」
パッチペッカーは僕に負け、『スリークラウン』の追放処分を受けた。そのあと、アズールサーバーでパッチペッカーの姿を見た者は誰一人として居ない、というコメントをネットで閲覧した。
「立花君は『リョウ』に、置いていたものを拾いに行けたでしょ?」
「どうだろ。それは、まだ分からない」
「だったら私も、ちゃんと昔の自分に向き合わなきゃならないと思って」
「でも、だからって消さなくても良いはず。テオドラだって、君自身だ」
「……なんかね、乙女チックな話なんだけど、男を演じるよりも女の子として頑張ってみたいって気持ちの方が強くなっちゃった」
「そんな、よく分からない気持ちで消せるの?」
「こういう気持ちだからこそ、消せるんじゃないかって、思うわけ」
「未練は、無いの?」
僕は消すことができずにデータを残した。データの削除は僕の自我に大きな弊害を生み出すだろうという、あの臨床心理士の判断によるものだ。
倉敷さんは僕ほど、おかしな方向にのめり込んでいないだろうけど、それでも精神面でのダメージが大きなものになってしまうのでは、と不安になる。
「無い」
力強く言い切った彼女に、僕は尊敬にも似たものを感じた。
倉敷さんは『NeST』の画面に触れて、『Armor Knight』の実行ファイルを選択した。久々に『NeST』側の『Armor Knight』のトップ画面を見た気がする。その中の『アカウント削除』をタップして、画面には『ティア』と『テオドラ』のアカウントが表示される。
テオドラのゲームデータにチェックを入れて、『削除する』を選択。画面には『本当に削除しますか?』と表示され、注意事項として『消したデータは二度と元には戻せません』という一文も添えられていた。
「あの剛剣はレアだったのに、勿体無いなぁ」
「剛鎗『クルラーナ』を見たあとだと霞むに決まってるじゃない。『スリークラウン』の『氷皇』さん」
「引き合いに出してもらうのはやめて欲しいんだよ。割と嫌いだから、その異名というか通称……? 通り名? 肩書きかな? どれでも良いけど、好きじゃない」
元サブギルドマスターの『氷皇』。それだけが独り歩きして、僕自身がその威厳に伴っていない。こんなちっぽけな人間が『氷皇』なんて肩書きは荷が重い。
「『氷皇』の凄く貴重な戦いが見られたし、ちょっと剛剣での戦いにも飽きちゃってたの」
名残り惜しいのか、倉敷さんはなかなか『はい』をタップしようとしない。
「コンプ率100%のセーブデータを消す気分?」
「言うほどやり込んでない」
「だよね」
だったら、僕から彼女に向ける言葉は決まっている。
「だから、倉敷さんは本当の自分で居られるキャラで、もっと楽しめば良いんだ」
「ありがと」
倉敷さんは『はい』をタップした。画面を見れば、これからアカウントとキャラデータの削除に数分ほど掛かるようだ。僕は『NeST』を覗いていて痛くなった首を回したあと、「ふぅ」と息を吐きつつ立ち上がった。
「理沙を連れ戻して来るよ」
「今から追い掛けて間に合うの?」
「駅前辺りで思い直しているんじゃないかな」
ここに戻ろうにも戻れない。そんなもどかしさで、きっと、にっちもさっちも行かなくなっているだろう。そういうときは迎えに行くのが一番だ。
「さすが幼馴染み。告白すれば?」
「飛躍させすぎ」
「じゃ、ここで私が告白とかしたらどうする?」
真顔でそんなことを言われて、僕は身を引かせて動揺してしまう。が、これはきっと冗談なのだろう。そうに違いない。
「僕はテオドラのようなイケメンキャラじゃないんで」
「あーあ、色鮮やかな青春を送れる大チャンスだったのに」
言いながら不敵に倉敷さんは笑う。
「立花君はリョウを、これからも使って行くの?」
「あの対人戦のせいで、またログインし辛くなったし、当分は使わない。それに、僕がスズを使わなきゃ倉敷さんも理沙も、ランクを上げにくいじゃないか」
なにより、スズは僕の弱さの象徴だ。それと向き合ってゲームをしていれば、いつかはその弱さを克服することができるかも知れない。そのあとに、またリョウに戻れば良い。そうすれば前よりもっと、まともな自分で居られるようになるはずだから。
「そうだ、今回のお礼についてまだなにも考えてなかったんだけど、男の人は『なんでも一つだけ言うことを利いてあげる』って言ったら、大概はエッチなことを要求するってほんと?」
「僕にお礼がしたいんなら、理沙に嘘をついたことを謝ってよ」
ヘンテコな誘惑には負けない。どうせ僕の反応を見て楽しみたいだけだろうし。
「そんなので良いの?」
「そんなので良い」
しかし逡巡したあと、恐る恐る口にする。
「倉敷さんのこと……信用、しても……良いかな?」
「へ?」
「なんて言うか、年上は嫌い、なんだけど。倉敷さんはそうじゃないというか……だから、信じられる人、と僕はあなたを捉えて良いのかな?」
倉敷さんは目をパチクリとさせたあと、天使でも舞い降りたのかと思うほどの綺麗な笑顔を僕に見せる。
「信じてください。私はあなたを絶対に裏切りません」
……まずい。なんか変な感じになっている。
「え、ええと……ええと、倉敷さんは、データの削除が終わったら帰る?」
「なに? 帰る以外の選択肢があるの?」
「昼御飯を食べてから帰るのかなって」
「……右腕を使えないあなたの代わりに、あの子が代わりになにかを作るってことになるんでしょ? 立花君の、幼馴染みが、丹精込めて作った、お昼御飯を、私が、食べる?」
単語一つ一つを強調する感じで言われてしまい僕は「ああ、それは嫌なんだ……まいったなぁ」とか口にして、お茶を濁す。
「帰るんなら、ここで先に言っておくよ。テオドラ、今までお疲れ様。それと今日はありがとう、倉敷さん」
「私の方こそありがとう、リョウ。それと、これからもよろしく、立花君」
玄関口で靴を履いて、僕は部屋を飛び出した。
僕らはこの、漫画やアニメやゲームに比べたら、ずっとずっと退屈で平凡な毎日に身を投じ続けなければならない。
僕らには夢と希望に満ち溢れた仮想世界があるけど、そればかりに夢中になっていては行けないのだ。
夢に溺れず、希望に苦しまず、ゲームの中だけの関係性にだけ執着せずに、しっかりとしたリアルの関係性を繋げなきゃならない。その関係性さえ大切にすれば、NPCのようなつまらない人生を送ることだってきっとないはずだ。
ゲームでは再現できないだろうリアルの曇り空を見上げ、「雨が降らない内に理沙を見つけないとなぁ」なんて呟いて、僕は駅へと駆け出した。
【To Be Continued?】
-次回の予告的ななにか-
「私は、あなたたちの一つ先を見ているの」
パッチペッカーの起こした騒動から約一ヶ月が経過し、骨折した腕も動かせるようになり、期末テストを間近に控えたその時期に、僕は望月 香苗と出会う。
彼女もまた、『Armor Knight』のプレイヤーの一人だった。
――出来た妹が居ると、存在価値ってのものが消えて行くんだ、俺という存在が、な。
彼女には一人の兄が居る。彼女は兄のためにゲームをやっているのだと言う。踏み越えてしまい、“愚者”となった兄は、もはや昔とは異なる人格の持ち主らしい。そして、それを知っていながらも、兄であるが故に、決して見捨てることはできないのだ、と。
「あなたじゃ私には勝てない。だって、あなたはそっちの立花君と違って、なんにも持っていないから」
望月は倉敷さんを前にし、そう宣言すると共に、彼女の自信を圧し折りに掛かる。それは彼女の人格を歪ませようとする、望月の企みでもあった。
「夢? 希望? そんなもの、ここには無い。あるのは辛い過去。ただそれだけ。あなただって、そうでしょう?」
仮想世界においても、望月の心に光は無い。あるのは兄を奪ったゲームに対する激しい憎悪だけだ。
「辛い過去しかない場所だったら、戻っては来ていないよ」
「涼! 理沙ちゃんが!」
事態は急変する。僕の与り知らぬところで。そして、それが意味することがどんなものかも、分からない。
――いつか必ず、復讐してやる。けどリアルじゃ人を傷付ける練習なんてできねぇからな。だからゲームだ。幾ら傷付けても、幾ら殺してもなんの罪にも問われねぇ。最高じゃないかこの世界は!
「この世界を……“私”の好きな世界を、穢さないで」
『……合わせて、来てる? まだ三回しか突撃してないのに』
「あなたに言われて傷付いて、圧し折れてしまいそうになって気付けたの。ありがとう、シャロン。あなたにただ一つだけ、敗因があるとするのなら…… “テオドラだった私”に、助言なんてするべきじゃ無かった」
そして、“眼”は花開く。
「友達に、なってください。お願いします」
傷付き、苦しみ、耐え抜いて、そうして僕はまた、前に進む。




